side伊織 ④
俺の大学生活は、順調にスタートした。
乙葉がいないことを除けば。
乙葉がいない。
そのことが、こんなにも日常生活を味気ないものにするとは思っていなかった。
でも最後まで散々悩んで、あえてこういう選択をしたのは自分だ。
もともと東京に行ってみたい気持ちはあったし、乙葉と出会っていなかったら迷うことなく選んでいたと思う。
ただ、乙葉と一緒に過ごすようになって乙葉を甘やかす毎日に慣れ切った俺は、いつの間にか乙葉と離れる生活というものが考えられなくなっていた。息をするように溺愛する乙葉がいない生活なんて、耐えられそうにない。
一度は乙葉の近くに残る選択をしようとも思ったけど、それを知った乙葉がどう思うかを考えたら、本当にそれでいいのかという迷いが生まれてしまった。
結局、俺は当初の予定通り、以前から行きたいと思っていた大学を志望した。
それを乙葉に一切言わず、自分の中で悶々と考え続けていたせいで乙葉に余計な不安を抱かせ、瞳子の襲来を許すことになったのは俺自身の至らなさのよるところが大きいわけだが。
とにかく、いずれは東京に来る乙葉のためにも、これからの2年間を準備期間と位置づけて過ごそうと決めていた。
入学してしばらく経った頃、大学のある講義でそれぞれ5人程度のグループを作り、一つのテーマについてまとめたものを発表することになった。俺は仲良くなっていた氏家大我や夏目爽太郎と同じグループになった。
あと、なんとかっていう女子2人。
俺にとって乙葉以外の女子はわりとどうでもいい存在でしかなく、だから2人の名前ははっきり覚えていなかった。
本当はみんなで何度か集まって発表の準備をする必要があったのだが、大我のサークルや夏目のバイト、女子たちの用事なんかがあってなかなか都合が合わない。そこで、それぞれが担当するところはそれぞれがある程度進めて、ギリギリにはなるけど発表の前日にまとめて打合せしようということになった。
その日は日曜日で、みんなで夏目のアパートに集まって、打合せや作業をした。
といっても、それまで各自が担当していた部分はメールでもやり取りできていたし、比較的時間に余裕があった俺がある程度まとめていたこともあって、そこまで大変な作業にはならなかった。
俺は準備や打合せをしながら隙を見てはこっそり乙葉にLINEして、一人ニヤニヤしていた。
女子2人は、10時半前には帰ったと思う。
俺たちはそのままなんだかんだ遊んだり話したりして、結局夏目の部屋に泊まった。
朝、夏目に起こされて目が覚めた。
「伊織、お前一旦帰るって言ってなかった?」
「あ? ああ、うん」
寝ぼけた頭で、これから帰ってシャワー浴びて着替えて、とか考えていたら、ふと今朝は乙葉にモーニングコールを頼んでいたことを思い出した。
起きれないとまずいと思って、頼んでたんだった。
でも、もうとっくに頼んだ時間は過ぎている。
「あれ、俺のスマホ……」
そこで初めて、スマホが見当たらないことに気づく。
「え?」
「俺のスマホ、見なかった?」
「カバンの中じゃね?」
言われて探すが、ない。着ていた服のポケットを探したが、どこにもない。
「家に忘れてきたとか?」
「いや、そんなわけない。昨日ここで使った」
乙葉と夜にLINEしたから、最後にここで使ったのは確かだ。
あのあと、スマホどうしたっけ? 普通に、その辺に置いたと思うんだが。
そのうち大我も起きてきて、3人で少し探してみたがやっぱり見当たらない。でもこのあとすぐ朝イチの講義もあるし、ひとまず諦めて一旦家に帰ることにした。
その日の講義が全て終わって、俺はもう一度夏目の部屋に行き、スマホを探した。
大我もついてきてくれて、3人でわりとガチで探したがどこにもない。
「なんでないんだ?」
「神隠し?」
「それ人だろ。この部屋、どっか異次元につながってんのかな」
「昨日、確かにスマホ使ってたよな?」
「使ったな」
「俺ちらっと見たもん。なんかニヤニヤしてたしな」
「うん、まあ」
そりゃ、乙葉とやり取りしてたからな。
あー、今日まだ一回も乙葉にLINEできてない。
電話にも出られなかったし、心配してるかもしれない。
まずいな。
でも、連絡する術がない。
ここへ来てようやく俺は、これまでにない窮地に陥っていることを自覚した。
「ここでなくなってんのは確かだから悪用されることはないだろうけど、一応実家に連絡しといた方がよくね?」
こんなときいつも冷静な夏目に言われ、俺は夏目のスマホを借りて実家に電話した。
「もしもし?」
電話には弟の数馬が出た。
数馬は中学のとき不登校になって、高校は通信制に通っている。
だからこの時間は家にいることが多かった。
「数馬?」
「なんだ兄貴? どうしたの?」
「いや、実はスマホなくしてさ」
「マジで? いつ?」
「気づいたのは今日の朝。昨日の夜までは確かにあったんだけど。でも、なくした場所はわかってて、探してるんだけど見つからない」
「どこでなくしたの?」
「友だちの家。この電話も友だちのスマホ借りてる」
ひとまず事情を説明し、親にも伝えてもらうことにした。
「もうちょっと探してみて、明日また連絡するから」
「わかった」
電話を切ろうとして、俺は思わず「あ、数馬」と言ってしまった。
「なに?」
聞かれて、俺は迷った。
この状況を、乙葉にも知らせなきゃいけない。というか、知らせたい。多分心配してるし、すぐにでも安心させたい。
でも、伝える術がない。
数馬に頼むといっても、そもそも数馬と乙葉は知り合いじゃない。
「いや、なんでもない」
俺はそう言って、仕方なく電話を切った。




