25 俺の天使
予想外にはっきりと言い切った数馬くんは、私の方に視線を向けた。
「俺がなんで乙葉のこと知ってるかわかる?」
「え、クリスマスのときに見たとか?」
「いや、あの日は兄貴に『乙葉がいるときは絶対に俺の部屋の様子を窺うな』って言われてて」
「え? そうなの?」
「うん。何してんのかなーとは思ってたけど」
数馬くんは冷やかすように、すこぶるニヤニヤしている。
あ、これ、絶対知ってるやつだ。
ちょっと恥ずかしい……。
「俺さ、兄貴から散々乙葉のこと聞かされてたんだよ。画像とかもやたら見せられたし。『乙葉がかわいくて』とか『俺の天使』とか小っ恥ずかしいこと言ってて」
「お、おれのてんし……!?」
「東京に行く前も、『ほんとは連れて行きたい』とか言っててさ。大学のことも実は相当悩んでたみたいで、『乙葉と離れたくない』ってこっちに残ることも考えたみたいなんだよね。まあ結局は東京に行くことに決めて、『でも乙葉のことも絶対に諦めない』って言ってたんだけど」
そう、なの……?
私は、去年の先輩の姿を思い出す。
大学のことで悩んでいるようには、全然見えなかった。最初から決めてるんだと思ってたから私も何も言えなかったし、だからこそ離ればなれになる不安に苛まれていたのは私の方だったのに。
でも、先輩が、そんなふうに私のことを想ってくれていたなんて。
「だからさ、あんだけ悩んで決めて東京に行った兄貴が、今更そう簡単に浮気なんてしないと思うよ。まあ、状況から言っても、兄貴が友だちの家に泊まってたなら浮気してないのは確定だろうし」
そう言って笑った数馬くんの顔が、どことなく先輩に似ていたから私はちょっとだけ泣きたくなった。
「俺たち、こう見えて結構仲いいんだよ。知ってると思うけど、あの人優しいし。友だちとか親には結構傷つけられたけど、兄貴だけは俺を傷つけなかったからね」
数馬くんはこれまでのことを思い出しているのか、どこか遠くを見つめるような目をしている。
そしてその言葉に、桐生くんの表情が心なしか色を失ったように見えた。
「俺が中学の途中から学校に行ってないの、忍から聞いてると思うんだけど」
数馬くんはまるで明日の天気の話でもするように、淡々と話し続ける。
「俺、今日ここに来たのがあんたたちじゃなかったら、ドアを開けてなかったよ」
「え?」
「乙葉のことは知ってたし、そこの瑠々ちゃん? はいきなり叫び出して面白かったし、あと忍がいたからさ」
「俺?」
「そう。忍だけなんだ。俺に最後までLINEくれたの」
そう言って数馬くんは桐生くんを真っ直ぐに見つめ、桐生くんは明らかに狼狽えた。
「俺さ、卒業式出てないんだ。でも忍が『卒業おめでとう』ってLINEくれてさ。『数馬の人生に幸あれ』って。どこのおっさんだよって思ったけど、あれ見て俺、ちょっと泣いたんだ」
「そう、なのか?」
「ありがとうってずっと言いたかった。だから今日、お前から急にLINEが来てびっくりしたし、家にまで来たから、ほんとはうれしかった」
数馬くんは晴れやかに破顔した。
桐生くんを見たら、数馬くんとは対照的に今にも泣き出しそうな顔をしている。
中学の頃のことは、私にはわからない。
数馬くんには数馬くんの苦しさが、桐生くんには桐生くんのつらさがあったんだろうと思う。
時間が経って、そのわだかまりが少しでも解消できるんだとしたら、それはきっと、その方がいい。
「数馬くん、でも桐生って、こう見えて意外と腹黒なんだよ?」
せっかくいい話で終わりそうだったのに、ひどく不満そうにむくれる瑠々の一言でみんながどっと吹き出した。
それから数馬くんは私とLINEを交換してくれて、「何かあったら知らせる」と約束してくれた。
夜になって「兄貴から電話が来た」「元気だけどスマホはまだ見つかってないらしい」「浮気はもちろんしてないし心配かけてごめんと言ってた」とLINEが来た。
とにかく、先輩が何か大きな事件や事故に巻き込まれて大変な目に遭ってなかったということがわかっただけで、私は充分に安堵していた。
そして、木曜日。
登校して真っ先に数馬くんからのLINEのことを瑠々に教えたら、
「良かった、良かった……」
と言って泣きそうになってたけど、結局最後は少し涙目になってたと思う。
昼休みになったら桐生くんが「昨日、ありがとな」とわざわざ言いに来た。
そして、「乙葉ちゃんたちに話しておきたいことがあるんだけど」と言って、中学の頃のことを話し出した。
数馬くんが学校に来なくなる少し前。
2年生でクラス替えした直後、数馬くんは桐生くんに「クラスに馴染めない」と話していたらしい。
「仲良かったやつとも離れたし、部活が一緒のやつも同じクラスにいないって言っててさ。なんかつまらないんだよなって。でもクラス替えしたばっかだし、これから変わっていくこともあるだろうから『そのうち慣れるって』とか適当なこと言っちゃって」
「まあ、そりゃそう言うよね」
「それからしばらくして、数馬が学校に来てないって聞いたんだよ。俺があのときもっと真剣に話を聞いてたら、何か違ってたんじゃないかってずっと思ってて」
そうか。
だから桐生くんは、数馬くんに対してどこか遠慮がちな、気まずそうな態度をとってたのか。
「数馬が休み始めた頃は、わりとみんな気軽にLINEして『学校に来いよ』みたいなこと言ってたらしいんだよね。でも俺は休み始める前にいろいろ話を聞いてたし、そういうこと言うのは気が引けて、どうでもいいことばっかりLINEしてたんだよ」
「どうでもいいこと?」
「俺の失敗した話とか部活の友だちのしょうもない話とか、あと3組の先生が妊娠して休みに入ることとか」
「あ、数馬が3組だったんだ」と桐生くんはつけ加える。
「そういうことを、たまに思い出したようにLINEしてただけなんだ。だからあんなふうに、数馬に特別視されるようなことは何もしてなくて」
桐生くんは絞り出すように、苦し気に言葉を続ける。
「卒業式のことだって、俺たちが『卒業おめでとう』っていろんな人から言われてるのに、数馬だってそうだろって思っただけなんだ。ほんとはみんなと同じようにここにいるはずだったのに、俺は何にもできなかったって思ってただけで」
桐生くんは、泣くのを堪えるように少し顔を歪ませた。
いつもは桐生くんに手厳しい瑠々も神妙な顔つきで黙って聞いている。
「だから数馬に謝りたかったのは、俺の方なんだ。昨日改めて話ができて、ほんとに良かった。2人には、どうしてもお礼が言いたくて」
昨日、私が数馬くんに連絡することを思いついたとき、桐生くんは最初あまり乗り気ではなかったと思う。
連絡を取るのが、怖かったのかもしれない。
それでも、私の話を聞いて数馬くんにLINEしてくれたし、家に行くことも提案してくれた。
桐生くんがいなかったら、私は不安な気持ちを抱えたまま更に数日を過ごしていたに違いない。そう思ったら、私の方が感謝の気持ちしかなかった。
「こっちこそ。桐生くん、ありがとね」
桐生くんは一瞬目を見開いて、どういうわけだか「参ったな」とつぶやいていた。
そして、その日の夜遅く。
私が眠ってしまったあと、先輩からのLINEが届いていた。




