22 圧倒的な愛情
次の日の火曜日、重い気持ちで登校すると心配そうな表情の瑠々が駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「全然。電話しても出ないし、LINEも返事ないし。既読にもならない」
「気づいてないのかな」
「通知だけ見て無視してんのかも」
「そんな」
深い絶望に突き落とされたような表情の瑠々。
昨日の桐生くんとのやり取りでも気づいたけど、瑠々は何故か先輩に対して絶対的な信頼感があるらしい。それはもう、私よりも揺らぎようがないんじゃないかと思えるほどだった。
昨日もずっと「先輩が乙葉を裏切るなんてことは絶対にない」と言い続け、「きっと何か事情があるはず」と言って譲らなかった。
1ミリもブレない瑠々の態度が、今の私にとっては大きな拠り所になっている。
一方で、
「ほら、やっぱり浮気なんじゃね?」
桐生くんは「浮気説」を主張して憚らない。
「こっちにいるときはあんなに溺愛してるような素振りだったのにあっさり浮気しちゃったもんだから、合わせる顔がなくて連絡できないんだよ。それか、もう浮気相手に夢中で乙葉ちゃんのこと忘れちゃったとか?」
「桐生!」
「そんなひどい男はやめて、俺にしなよ乙葉ちゃん」
「お前の方がよっぽどひどいわ」
昨日、瑠々との辛辣な攻防を繰り広げ、「いい人」の仮面を脱ぎ捨てた桐生くんは「振られたけどすぐには諦めきれないから決着がつくまで好きでいる」と宣言した。
正面きって、あっけらかんと。
まわりには結構人もいたのに、そこまで言われてしまっては私も何も言えない。
ただ瑠々だけは、「決着がついたとしてもお前にだけは絶対になびかないけどな」などと悪びれる様子もなく噛みついていた。
その日も一日、LINEしたり電話をかけたりしたけど、やっぱり反応はなかった。
おかしい。
こんなことってある?
あの先輩が?
これまでの先輩の言葉や態度を考えると、あまりにも矛盾したことが起こっている気がする。
浮気にしても違うにしても、何のリアクションもないなんて考えられない。
私の中にはだんだん、昨日の朝の出来事が浮気を示すのかどうかという不安よりも、もっと別のぼんやりとした疑問がひたひたと広がっていった。
そして、水曜日。
もちろん、先輩からは何の反応もない。
瑠々と桐生くんは相変わらず「浮気だ」「そんなわけない」と言い合っていた。
この2人のやり取り、なんか既視感あるなあって思ってたんだけど、あれだ、去年の先輩と雅さんのやり取りそっくりなのだ。
あの人たちも、はじめの頃は私を巡ってよく2人で言い争ってたっけ。
思えば、雅さんが最初から先輩を牽制してたのって瞳子さんとの噂を知ってたからなんだろうな、なんてことを今頃になって気づく。先輩が瞳子さんを好きだったと知っていたからこそ、私にちょっかいを出しまくる先輩に必要以上に批判的だったのだろう。
結局、いろんな誤解が解けたあとは先輩も傍から見てそうとわかるほど私を大事にしてくれるようになったし、そのことは私がいちばんよく知っている。
だからこそ、たった2日か3日であっても、先輩から全く連絡がないこの状態がとても異常なものに思える。
そう、この状態は異常だ。
非常事態と言っていい。
私の知ってる先輩なら、こんなことはあり得ない。
だとしたら。
先輩は、何か大変なことに巻き込まれてるんじゃないだろうか。
事件とか事故とか、先輩一人の力ではどうにもならないヤバいことが起きていて、それで連絡してこれないんじゃ……。
私の中ではもはや先輩が浮気してるかどうかよりも、そうした不安や心配の方がだんだん大きくはっきりとした輪郭を伴ったものになってきていた。
ただ、もしもそうだとして、今の私にできることは何もない。
何かが起きているとしても、それを知る術がない。
東京に行く前、先輩は「スマホがあればいつでも連絡取れる」って言っていたけど、スマホがあっても現状はどうにもならないのだ。
スマホがあっても連絡が取れない。
じゃあ、スマホ以外で連絡を取る方法って……?
あ。
「桐生くん!」
私は思わず大声を出して立ち上がった。
「え、なに?」
ここ最近のお約束通り瑠々と言い争っていた桐生くんは、突然のことにちょっと怯えた様子で振り返る。
「桐生くん、言ってたよね? 先輩と同じ中学だったって」
「そ、そうだけど」
「先輩って、弟いるよね? うちらと同じ年の! 高2の!」
「……あ、ああ、そうだね」
桐生くんの表情が、気まずそうに俄かに曇った。
でも、私は構わず話し続ける。
「その人と友だちじゃない? 連絡取ったりできない?」
「は? なんで?」
「浮気かどうかより、連絡が一切来ないのは先輩に何かあったんじゃないかと思って。弟だったら、実家だったら、何か知ってるかも」
浮気かどうかどうでもいい、なんてことは確かに言えない。
月曜の朝の一件を考えたら、本当に桐生くんの言うように浮気していて、私への説明ができずにずっと逃げているだけなのかもしれない。
だけど、もしもそうじゃなくて、先輩に何か重大なことが起こっていて、私はそれを何も知らないでいたとしたら、そんな状況の方が耐えられない。
私の勢いに目の前の2人は一瞬面食らったけど、「それはまあ、そうかも」と瑠々がつぶやいた。
「月曜の電話のことはともかく、ここまで先輩から何の連絡も返事もないのはおかしいと思うの。私が知ってる先輩なら、こんなことあり得ない。言ってみれば非常事態なの。だったら、何かあったのかもしれない。それが知りたいの」
「何もなかったら?」
「そのときはそのときよ。とにかく、私には先輩が浮気したかどうかよりも今は先輩が無事かどうかの方が大事なの!」
私が一息で言い切ると、桐生くんは盛大にため息をついた。
「なんだろうね、その信頼感っていうか、圧倒的な愛情? 激しく嫉妬しちゃうね」
そして、これまでの軽妙な口調とはうって変わって、厳しい顔つきになって言った。
「弟のことは知ってる。でもあいつ、中2の途中から学校に来てないんだ」




