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溺愛のススメ  作者: 桜 祈理
2年生

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18 思わぬ伏兵

 2年生になった。


「やったー、また一緒じゃーん」


 始業式、玄関に貼り出されたクラス発表を隣で見ていた瑠々が、私の腕をバンバン叩きながらはしゃいでいる。

 いつも隣にいてくれた人がいないことにはまだ少し慣れないけれど、それでも新しい季節はそれなりに忙しい。


 先輩だけじゃなく昂ちゃんや雅さんまでもがいない学校生活にふと寂しさを感じる瞬間はあったけど、新しいクラスに新しい友だちという環境の変化に馴染むのが最優先という日々の中で、少しずつ時間は進んでいた。



 先輩は、東京での一人暮らしを順調に始めているらしい。

 大学のことや講義の様子、自分の住む街のことやマンションの部屋のことまでわりと頻繁に、ちょくちょくLINEが来る。

 気づくと何十件も通知が来ていたりして、びっくりするけどつい笑ってしまう。

 夜にはほぼ毎日、少しの時間でも通話してくれて、自分のことより私のことを心配している。


「変な男に言い寄られたりしてないか?」

「してないし。てか、変な男って何?」

「お前の可愛さにはさ、だいぶ前からみんな気づいてると思うんだよな。今までは俺がずっとそばにいてつけ入るチャンスを悉く潰してきたけど、俺もいなくなったしその隙にって思う男が」

「いないから、そんな人。私のこと可愛いなんて言ってくれるのは先輩だけだよ」

「そんなの言わないだけで、ほんとはみんな思ってるよ」

「もう、ほんと、そんなことないから。先輩の方こそ、大学って綺麗な女の人がいっぱいいるんでしょ」

「あー、まあ、綺麗な人はいるんじゃね? でもあんまり気にしたことないからな。俺の学部、男の方が多いからいつも野郎とばっかり一緒にいるし」


 「俺にとっていちばん綺麗なのは乙葉だしな」とかしっかり付け加えるのも忘れない。


 先輩の愛情は変わらない。

 離れても、それを実感できる。

 だから思ったほど、寂しさに負けそうになることはなかった。


 


 そして、またこの季節がやってきた。


「じゃあ、文化祭実行委員は桐生くんと望月さんにお願いしまーす」


 今年の担任の若林先生、通称若ちゃんが言うと、去年よりはちょっと多めの拍手が響いた。


「望月さん、今年もよろしく」

「こちらこそ」


 どういうわけかというか予想通りというか、今年も文化祭実行委員になってしまった。

 今年は自分から言い出したわけではないんだけど、こういうのは一度やると「経験者の方が」となるらしい。どうしてもやりたくないという理由があるわけでもないし、まあ別にやってもいいかなあとか思っていたら結局まわりに押し切られてしまった。


「だから去年、やめとけって言ったんだよ」


 瑠々は去年と同じ顔をして、クスクス笑っている。


「また実行委員一緒にやれて心強いよ」


 桐生くんが満面の笑みで近づいてきた。

 桐生くんとは今年も同じクラスになったけど、まさか実行委員をまた一緒にやることになるとは思わなかった。


 ちなみに、桐生くんは自ら立候補しての結果である。去年の経験がとても楽しくて充実してたから、とかなんとか。


 奇特な人もいるもんだ、と思ったけど、そういえばすごく身近にそんな人いたなって思ったら、なんだか少し温かい気持ちになれた。




「また実行委員になったのか?」


 その日の夜、通話で早速先輩に報告した。


「そう。『去年の経験者がいいと思いまーす』って言われちゃって。断りきれなかったし、まあいいかなって思って」

「あれって、1回やったら遠慮なく断っていいんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。1回やったら、次の年は『去年やったから』って断っていいんだよ。そうじゃないと、3年生まで同じ人がやることになっちゃうだろ。俺みたいに自分からやるやつなんて、そうそういないんだから」


 知られざる暗黙のルールに単純に驚きつつも、ふと疑問が湧く。


「じゃあ、先輩はなんで自分から実行委員3回もやったの?」

「あー」


 スマホの向こうの先輩が何故だか言い淀む気配がする。

 言いにくいことでもあるんだろうかと思っていると。


「1年生のときはたまたま投票で決まって」

「うん」

「3年生のときはちょうどいちばんやさぐれてたときで、もうどうでもいいやと思って引き受けた」

「2年生のときは?」


 何故2年生を飛ばすんだろうと思って何気なく聞くと、先輩は本当に言いにくそうに、渋々といった調子で答えた。


「また瞳子と一緒に仕事できるかと思って期待したんだよ。別のクラスになったけどもしかしたら引き受けるんじゃないかと思って。まあ断ってたみたいだけどな」

「ふうん」


 あんまり聞きたい話じゃなかったなあという気持ちが、ついストレートに不機嫌さを帯びた声になって出てしまう。


「しょうがないだろ、そのときは」

「まあそうですけど」

「怒ったのか?」

「怒ってはないです」

「怒ってるだろ。お前、機嫌悪くなると敬語になるんだから」


 私の心の隅の隅まで見透かされているようでたまらない。

 仕方ないことだとわかっていても、先輩と出会う前の時間には知らないことが多すぎる。

 寂しさなのか悔しさなのか、よくわからない感情に絡めとられて無言になってしまった私を気遣う声がした。


「そのときのことはしょうがないけど、今は乙葉だけだよ。乙葉を好きになってからは、ずっと乙葉だけ。それじゃダメか?」

「……ごめん、ダメじゃない。ちょっとヤキモチやいただけ」


 今度は先輩が突然無言になるから、私は焦って無理やり言葉をつなげようとする。


「怒ってないから。ただちょっと悔しかったっていうか……」

「乙葉がヤキモチなんて、うれしくてちょっと死にそう」

「は?」


 想像の斜め上の答えが返ってきた。


「乙葉ってあんまりそういうこと言わないから、ちょっと想定外でびっくりしたっていうか……やっぱり可愛いな、俺の乙葉は」

「は?」

「ヤキモチやいてくれる乙葉、尊い。可愛すぎて困る」


 そういうこと言われると、私の方が困るから。

 電話越しでも漂う甘い空気に困った私は、苦し紛れに慌てて話題を変えようとした。


「そういえば、桐生くんは実行委員に立候補してたよ。去年楽しかったからって」

「ん? 桐生くんってまた同じクラスなのか?」

「そうだよ。言ってなかった?」

「聞いてねえよ。くそ、桐生くん思わぬ伏兵だな」

「伏兵? どういうこと?」

「桐生くんて言ったら去年も同じクラスで実行委員もまた一緒なんだろ? 必要以上に接触が増えたら、乙葉の可愛さにいち早く気づいてもおかしくない。俺は今、桐生くんに激しい警戒心を抱いている」


 ……何言ってんだか。


 そんなこと、あるわけないのに。


「乙葉」


 先輩の低めの声が、少し艶っぽさを含んで私の名前を呼ぶ。


「俺はもうお前のことで失敗したくないから、どんなことでもちゃんと言葉にするって決めたんだ。だから言うけどな」

「うん」

「桐生くんとあんまり仲良くするなよ。嫉妬する」

「へ? 大丈夫だよ。桐生くんはそんなんじゃないよ」

「お前の『大丈夫』は大丈夫じゃないって、雅もさんざん言ってただろ」

「もうー」


 私は笑った。


 今ここに先輩がいてくれてたら、私をその腕の中に捕らえてキスしてくれるんだろうと思った。

 離れてしまった距離を埋めるようにたくさんの言葉を紡いでいけば、私たちはきっと大丈夫だと、このときは思っていた。

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