side伊織 ③
クリスマスイブの少し前。
俺はまたしても昂生に呼び出されていた。
しかも、またしても生徒会室。
「お前、もう生徒会長終わったんじゃなかった?」
「もちろん代替わりしたよ」
「じゃあ、なんでここ使えるんだ?」
「特別に使わせてもらってるんだよ。勉強に集中したいときとか、雅といちゃいちゃしたいときとかさ。鍵かけられるし」
「え」
今、品行方正とか清廉潔白とかいうイメージの権化と言って差し支えない男の口から、信じられない言葉を耳にした気がする。
「何て顔してるんだよ」
「いやだって、お前がそんなこと言うなんてさ」
「俺だって普通に彼女といちゃいちゃしたいよ。あの雅だよ? 手を出すなって方が無理だよ」
「え」
「待て待て。お前が想像してるようなことはしてない」
「ほんとかよ」
「ここ学校だよ?」
意味ありげに昂生は笑った。
「そんなことより、今日の乙葉だが」
今朝、登校の途中で急に乙葉が泣いた。
昂生たちには先に学校に行ってもらい、乙葉と2人で話をしたけど全くもって何がどうしたのかわからない。
乙葉は何もないと言い張るし。
あの様子で、何もないわけがないのに。
ただ、乙葉が泣いたときの話の流れからしても、一つだけ思い当たることがないわけではなかった。
「俺だって、瞳子のことはなんでもないし気にするな、とは言ったよ。でもあいつ、どうして泣いたのか話そうとしないんだよ」
「実際、最近の瞳子は目立つからな。耳に入ってもおかしくない」
雅の嫌味を肯定するわけじゃないが、結城瞳子は最近やたらと俺に絡んでくるようになっていた。休憩時間や昼休み、教室移動のちょっとした隙をついて「伊織、いい…?」と近づいてくる。
心底鬱陶しい。
あの辛気臭い顔で突撃され続けて、俺もそろそろどうにかしなきゃなとは思っていたんだが。
「どこかで瞳子の話を聞いて不安になってるんだろうけど、なんかそれだけじゃないような気もするんだよな。乙葉はああなるとテコでも動かないっていうか、頑固だからなかなか口を割らないだろうし」
まるで保護者のような物言いで昂生が考え込む。
「瞳子に話しかけられたってろくに返事もしてないし、むしろ会わないように逃げてんのに、どういうわけか気づくといるんだよ」
「なんか、妙に執着されてんのな」
「ほんとな」
頭を抱えたくなるのをこらえて、俺は全身でため息をついた。
それからも、乙葉の態度は少しおかしかった。
毎日会ってはいたが、何となくぎこちないし、時々心ここに在らずな様子を見せる。俺の甘やかしやスキンシップを嫌がる様子はないものの、時折どこも見ていないような目をする。
最初はほかに好きなやつができたのかと思ってゾッとしたが、見てるとそうでもないような、なんか違う気がする。
何かがおかしい、と思いながらもクリスマスイブまで結局何もできないでいた。
クリスマスイブ当日。
待ち合わせ場所に現れた乙葉を見て、俺は正直焦った。そして戸惑った。
なんだこの美少女は。
いつもの乙葉ではあるが、いつもの乙葉じゃない。
キラキラして、綺麗すぎて、ふんわりとした色気が滲み出ていて、気を抜くとじっと見つめてしまいそうになる。
特に、あの唇。
うるうるして、柔らかそうで、俺は不埒なことしか考えられなくなる。
あー、キスしたい。
今すぐ抱きしめたい。
可愛すぎる乙葉を連れて帰って、めちゃくちゃ大事に愛したい。
俺だって、健全な男子高校生だ。
それなりにそういう知識はあるし、しょっちゅう、不埒なことを考えている。乙葉と一緒にいるようになってからは特に。
乙葉が可愛すぎて、毎日公衆の面前であっても過剰なスキンシップをしているけど、全然足りない。
もっと触れて、あちこちキスして、多分恥ずかしがる乙葉に優しくして、ああしてこうして、なんて頭の中でシミュレーションしすぎるくらいには。
色気の溢れる乙葉を前にして暴走しそうな妄想を慌てて頭から追い出しながら、俺は呪文のように心の中で「平常心、平常心」と唱えた。
図書館で勉強を始めてしばらくしたら、ふと乙葉がいないことに気づいた。トイレかな、と思ったけどなかなか戻ってこない。
何となく嫌な予感がして、探しに行ってみたら信じられない光景が飛び込んできた。
休憩スペースに、瞳子がいる。
やばい、まずい、と思ってよく見たら、瞳子の目線の先にはソファに座る乙葉がいた。
すぐさま中に入っていきたくなるのを抑えて、俺はじっと2人の会話を聞くことにした。
だが、すぐに瞳子の言うことに対して冷静でいられなくなった。
何言ってんだ、あいつ。
見当違いで独りよがりで、自分勝手なことばかり言っている。
もう聞いていられなくなって俺は休憩スペースに入っていき、そのまま乙葉の隣に座って腰に腕を回した。
乙葉は少し、震えていた。
ああ、ごめんな。
瞳子に何か言わせる前に、お前がちょっとでも傷つく前に、俺は瞳子を止めるべきだったよ。
激しく後悔しながら、俺は目の前の瞳子を撃破した。
家に着いてからの乙葉は、もうめちゃくちゃ可愛かった。
自分と瞳子との間に何があったかはもちろん、卒業後の俺たちの関係や俺が不埒なことを一切してこないことへの不安まで素直に話してくれた。
俺は驚きつつも、うれしさが電流のように全身を駆け抜ける感覚に支配された。
有頂天ともいえる快感に、つい調子に乗ってあちこちキスしまくってしまったのはもうしょうがないことだと思う。
しかも、乙葉に「するなら、ちゃんと」と言われた瞬間は、はっきり言って理性が飛んだ。
俺はすぐさま乙葉にキスをした。
あ、
これは、やばい、止まんねえ。
もっと、もっと、もっと乙葉がほしくなる。
俺は理性が焼き切れる前に、自制心を総動員して何とか欲望を押し留めた。
いろんな意味で少し落ち着いてから、春になっても別れるつもりがないことをきちんと話した。
俺たちは、いつも一緒にいていろんな話をしてきたけど、本当に必要な言葉は足りてなかったのかもしれない。
自分の中では当たり前と思っていることも、乙葉がそう思っているとは限らない。
不安になったり疑心暗鬼になったり、ケンカしたりそっぽを向かれたり、うまくいかないと思っているときはきっと、もっと言葉を尽くして話し合うべきなんだろうと思う。
これから離ればなれになる未来で後悔しないために、俺は言葉を尽くすことを心に決めた。
その後、俺の理性が試される事態に襲われて一時はどうなることかと思ったが、結局乙葉に耳元で「伊織」とささやかれ、俺はいろんな意味で撃沈した。




