15 嫌じゃない
コンビニでお昼ご飯を買ってから先輩の家に向かう間中、手はずっと恋人つなぎのままだった。
目の前に瞳子さんがいるのにお構いなしで私といちゃいちゃしようとし出した先輩を見て、瞳子さんは涙ぐみそうになりながら唇を噛みしめて休憩スペースを出ていった。
瞳子さんが出ていったあと大きく息を吐いた先輩は無言で立ち上がり、一緒に立ち上がった私の手を引いて歩き出した。そこからはほとんどずっと、先輩が手を放してくれない。
ドキドキする。
初めての先輩の家は端正な住宅街の一角にあって、家に着くとすんなり2階の先輩の部屋に通された。
「なんか飲み物持ってくる。ちょっと待ってて」
一人きりで残された私は、初めて「男の人」の部屋を見回してみる。
参考書が何冊も置いてある机。
壁にかかった制服。
目にしたことのない本ばかりが並ぶ本棚。
先輩の匂い。
ドキドキするような、それでいてホッとするような先輩の匂いは、部屋に入った瞬間から私を包み込みこんでいた。
それだけで、ちょっと泣きたくなった。
「やっぱり、前にもあいつに何か言われてたんだな」
昼ご飯を食べ終えた先輩が、真面目な顔つきで私を見つめる。
私は一旦目を伏せてから、正直にあの日のことを話すことにした。
聞き終わった先輩は、呆れたような、困ったような、でもどこかホッとしたような何とも言えない顔をしていた。
「お前、ずっとおかしかったもんな。それなのに何にも言わないし」
「だってそれは」
「俺が、瞳子を選ぶとでも思った? まだ瞳子のことを好きだと思ってた?」
先輩ははっきりと不服そうに、尖った声を出した。
「俺が甘かったよ。こんなに毎日お前のこと溺愛してるのに、俺の気持ちが全然お前に伝わってないんだもんな」
「そうじゃないけど……」
「そうじゃないけど、何?」
テーブルを挟んで向かい側に座っていた先輩が、立ち上がったかと思うと私の隣に座り直して私との距離を一気に詰める。
「今日は、ちゃんと言って? ちゃんと聞くから」
逃げ場を失った私は、観念して視線を逸らせた。
「せ、先輩が瞳子さんのこと諦めたのは気持ちが届かないってわかったからだし、そのときたまたま近くにいた私は多分瞳子さんの代わりだろうから」
「ふうん」
「だから瞳子さんがほんとは先輩のことずっと好きだったって知ったら、先輩は瞳子さんを選ぶんじゃないかと思って」
「それで?」
「だから瞳子さんの気持ちを知ったら、そのうち別れようって言われるんだと思ってた」
そこまで言ったら、図書館のときよりも近い距離でいきなり先輩に抱きすくめられた。
私を腕の中に閉じ込めておきながら、どこか拗ねたように
「俺がお前を手放すと思った?」
「だって、春になったらどうせ離ればなれになっちゃうし、それに」
「それに?」
「先輩は私のこと好きって言うけど、な、なにも、してこないじゃん」
先輩が驚いて目を見開いた。
言ってしまって、激しく後悔する。
けど、もう止まらない。
「卒業したあとの話を全然しないから、きっと春になったら別れるつもりなんだろうなって思って……だから、だからそういう、その、不埒なことはするつもりがないんだろうなって……好きとかいろいろ言うけどそこまでじゃないんだろうなって思って……そしたら瞳子さんが出てきて、返してとかなんとか言うから、瞳子さんの気持ちを知ったら先輩はきっと瞳子さんを選ぶだろうし、それで」
「わかったわかった」
心なしか顔を赤らめた先輩が、慌てて私の言葉を遮った。
手で口を押さえながら、「なんだこの天然爆弾は」とか何とか言ってる。
なんでだか急に深呼吸を繰り返した先輩は、腕の中の私を真剣な表情で見つめた。
「俺はさ」
「……はい」
「お前のことが好きすぎて、好きすぎてもうどうしようもない」
「え?あ、はい」
「だからまず、お前が瞳子の代わりなんてことは絶対にないし、俺が瞳子を選ぶこともない。俺はお前だけが好きだから」
「あー、はい……」
「それにな、前に俺は『自分の気持ちを我慢するのはやめる』とは言ったけど、だからって何でもかんでも我慢しないわけにいかないんだよ。今だってちょっと触れただけで、乙葉は狼狽えたり固まったりするだろ?」
「あー、え?」
「それなのに俺が我慢せずに自分の欲望をお前にぶつけたりして、怖がらせたくなかったんだよ」
「欲望」
「俺は自分の欲望をずっと我慢してたってこと。俺の欲望は、ちょっとすごいよ?」
そう言って、先輩は柔らかく微笑みながら私の頬に触れた。
「こうやって、お前に触れたいし、あちこち撫で回したいし、あとキスもしたい」
その瞬間、先輩は私のおでこにキスをした。
「おでこ?」
「あとこことか」
言いながら、私のこめかみや瞼、頬にも順番にキスを落とす。
くすぐったさに身もだえしていると、最後に、先輩の唇が、私の唇に触れた。
一瞬のことで瞬きしながら先輩を見返すと、先輩はふっと笑う。
「あと当然、キス以上のことも」
そう言って、また唇にキスをする。
怒涛の展開に言葉を失い、身動き一つできずにいる私をその腕の中に完全に捕らえた先輩は、少し心配そうな目をして言った。
「嫌じゃない?」
「……嫌なわけない」
「そっか。良かった」
憂いげだった表情が、和んだ。




