11 痛い目見るよ
文化祭が無事に終わり、達成感と虚脱感の余韻が残る中、3年生は本格的に受験へと向かい始めた。
生徒会も代替わりし、みんなが放課後集まるようなことはめっきり減ったけど、私と先輩はあれ以降仲良く過ごしている。
仲良く、というか、ただただひたすらに先輩に甘やかされる日々を過ごしている。
「先輩、帰りにちょっと寄りたいとこがあるんだけど」
「……伊織」
「え?」
「伊織って呼べって言ってるだろ」
「あ、はは、それはまあ、3年生を呼び捨てはちょっと……」
「俺がいいって言ってるからいいんだよ。早く伊織って呼んで」
先輩がわざと耳元に顔を近づけ、蕩けるような低くて柔らかい声でささやく。
とにかく先輩のスキンシップがとんでもなく増えた。
それに先輩は、自分の独占欲を隠さなくなった。堂々といちゃいちゃしようとするし、みんなからは容赦なく冷やかされるし、だから私のまわりは常に騒がしい。
もう少し、人前でのそういうスキンシップやいちゃいちゃの類いは控えてほしいと先輩にお願いしたら、
「乙葉は俺に愛される覚悟が足りない」
「俺にとってはまだまだ足りないんだから、乙葉もいい加減慣れろ」
などと説教される始末。本当にもう、身の置き場がない。
そんな激甘生活を送っているけれど、先輩たちはこれから受験シーズンに突入する。夏に話していた通り、先輩は東京の大学を目指していた。
ということは、春には離ればなれになるという未来が確定しているわけで。
私たちが出会う前から先輩が決めていたことだから今更行かないでなんて言えるわけもなく、でも私たちがこれからどうなってしまうのかということを聞くのが怖くて、ずっとその話題を避けていた。
街がクリスマスカラーに彩られる季節になった。
「一応言っとくけどな。クリスマスイブは当然空けとけよ」
「え?」
「え? じゃない。お前、クリスマスのこと何も考えてなかっただろ」
「そんなことないけど」
「一緒に過ごすつもりはなかっただろ」
それは、そうだ。
クリスマスと言えば、受験の直前である。
先輩の勉強の邪魔になるから一緒に過ごすのは難しいだろうと勝手に思っていた。だから当然、話題に出すこともしなかった。
「だって、勉強しなくていいの?」
「もちろん勉強はする」
言いながら、先輩はつないでいた手を徐に絡めてきて意味ありげに微笑んだ。あ、これは、いわゆる恋人つなぎとかいうやつ。
何の前触れもない甘い攻撃に気が動転してそわそわしていると、
「勉強もするけど、俺だって一日くらい乙葉といちゃいちゃしたい」
蠱惑的な視線でそんな爆弾を投下するから、私はとうとう派手に爆発した。
「一日くらい、いいんじゃないの? うちのお姉なんて、めっちゃ遊びまくってるよ」
「そりゃ、もう推薦で決まっちゃった人だから」
次の日、瑠々に話してみたら意外にあっけらかんとした答えが返ってきた。
瑠々のお姉ちゃんはとても勉強ができる人だったようで、早々に卒業後の行き先が決まってしまった。今は最後のJKライフを満喫しているらしい。
「先輩が一緒にいたいって言ってるならいいじゃん。たまには息抜きも必要でしょ」
「うん、まあ」
「それより、何あげるの?」
「え?」
私は思わず瑠々を見返した。
「え? って何よ。クリスマスだよ?プレゼントあげないの?」
呆気に取られてぽかんとしてしまう。
そうだった。
完全に抜けてた。
瑠々は、信じられないというように呆れて目を細めた。
「一緒に過ごすかどうかはともかく、彼女なんだからプレゼントくらいは用意してあげた方がいいんじゃない? 先輩に甘やかされすぎて、その愛情に胡座をかいてたら痛い目見るよ」
ため息をつきながら珍しく真面目な顔つきをする瑠々の的確な指摘に、私はぐうの音も出なかった。
そんな会話をした日の放課後、いつも通り玄関に向かうと、先輩が何やら誰かと話している。
綺麗なロングヘアで華奢な背中の女の人だった。3年生?
親しげな雰囲気だったから邪魔しない方がいいのかなと様子を窺っていると、私に気づいた先輩は「乙葉!」と呼んで私の方に近づいてきた。
そしていきなり私の手を取る。
「じゃあな」
吐き捨てるように目の前の女の人に言って歩き出す。
ただならぬ雰囲気に私も急いで軽く頭を下げると、女の人は「じゃ、じゃあね、伊織」と気まずそうな顔で小さく手を振っていた。
正門を出たところで突然先輩が立ち止まり、「はああああ」と盛大なため息をついた。
「どうしたの?」
「あいつが瞳子だよ。結城瞳子」
先輩を見上げると、と不愉快そうに語気を強める。
……あ、あの人が。
先輩が前に好きだった人なのか。
私はさっきの後ろ姿と、気まずそうに眉を下げた儚げな表情を思い出していた。
「あいつら、また別れそうなんだってさ」
「え、それでまた先輩のとこに相談に来てたの?」
「そういうこと。ほんとめんどくせえ」
あの2人、昂ちゃんたちが言うには春によりを戻してからはわりと順調なつきあいを続けていたはずだった。でも、またダメになりそうなのかな。
「北斗が勉強したいから距離置きたいとか言ってきたんだってよ。知らねえよ、勉強させとけよ」
言いながら、だんだん腹立たしさが堪えきれなくなったらしい。
「俺んとこ来たってどうにもなんねえだろ」
「勝手にあれこれ期待するんじゃねえよ」
「自分らのことなんだから自分らで何とかしろよ」
先輩は心底嫌そうな顔をして、矢継ぎ早に言い放つ。
「相談に乗ってあげてたんじゃないの?」
「あいつが勝手にペラペラ話してただけだよ。もうあいつの話なんて1ミリも興味ねえよ。早く乙葉が来てくんないかなってそれしか考えてなかったから、乙葉が見えた瞬間ホッとしたよ」
「ほんと拷問だった」とか「今までよく黙って話聞けてたな」とか先輩はまだブツブツ言っている。
「でも、きれいな人だったね」
私はもう一度、さっきの背中を思い出した。
華奢で、心細そうな震える背中。
先輩は、あの背中を抱きしめたりしたかったのだろうか。
耳元で甘い言葉をささやいて、蕩けるような目で見つめたりしたかったのだろうか。
「トーコ」さんがどんな人か、知りなくなかった。知らなくても、よかった。
「なに難しい顔してんだ?」
急に押し黙った私に気づいて、先輩が眉を曇らせながらいかにもうんざりしたというような様子を見せる。
「あんなやつら、もうどうでもいいんだからお前も気にするな。俺はもう、あいつらに振り回されるのは嫌なんだ」
先輩はそう言ったけど、本当にもうどうでもいいんだろうか。
心の奥に生まれた小さなトゲに、私は気づかないフリをした。




