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溺愛のススメ  作者: 桜 祈理
1年生

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10/75

side伊織 ①

「じゃあ、文化祭実行委員は藤野くんと結城(ゆうき)さんにお願いします」


 高校1年の1学期、俺は何の因果か文化祭実行委員に選ばれてしまった。

 このときはまだやりたい気持ちなどあるはずもなく、ただ面倒ごとに巻き込まれたとしか思っていなかった。


「藤野くん、よろしくね」


 同じく実行委員に選ばれた結城瞳子(とうこ)が、俺を見てにっこりと微笑む。

 こいつだってやりたくて引き受けたわけじゃないだろうに、後ろ向きな心情を感じさせない柔らかい笑顔がやけに眩しかった。


 実行委員の仕事が増えるにつれ、瞳子と話す機会はどんどん増えていった。瞳子と接するたびに浮き足立つ俺の気持ちとは裏腹に、


「藤野くん、速水(はやみ)くんと同じ中学校だったの?」


 瞳子が期待のこもった目で俺を見たときには軽くショックを覚えた。


 速水北斗(ほくと)は同じクラスだったが、同じ中学出身でもあった。ただ、俺は北斗とはどうにも馬が合わなかった。多分向こうもそう思っていたと思う。

 中学時代、同じ陸上部ではあったが北斗はあまり真面目に練習しないくせに結果は出すし、口がうまいから女子にも人気だし、中学時代だけでも何人も彼女がいたりした。

 北斗に振られた女子が泣いてるのを見たこともある。

 だから瞳子が北斗に興味を持つことに、大きな不安しかなかった。


 残念ながら俺の不安は的中し、瞳子は確実に、北斗のことを好きになっていったようだった。


 1年生の終わりには、瞳子の方から告白してつきあうことになったと聞かされた。

 その頃には俺もはっきりと自分の気持ちを自覚するようになっていたものの、それを瞳子に伝えることなんかできるわけがない。困ったような顔で振られるのがわかりきっていたからだ。

 だから「なんかあったら相談に乗るよ」なんていい人ぶって、瞳子との関係をつなぎ止めようとしていた。



 つきあい始めてからも、北斗は瞳子にとってあまりいい彼氏ではなかったようだ。一度別れて、またよりを戻して、また別れて、というのを繰り返していた。

 別れる度に瞳子は俺のところに来て泣いて、愚痴って、でも諦めきれないと言っては泣いていた。

 何がそんなにいいんだろうと思いつつ、俺だったらこんなに悲しませたりしないのに、とも思った。


 俺にすればいいのに。

 俺を選んでくれたらいいのに。


 何度も言おうかと迷って、結局言えずに時間だけが過ぎた。



 3回目に別れたのは、3年になる直前だった。

 北斗の浮気が原因だったらしい。

 一つ年下の子にちょっかいを出していたのが瞳子にバレたのだ。その話を聞いて、さすがに俺も黙っていられなかった。「どういうつもりだ?」と直接北斗を問い質した。


「それ、お前に関係ある?」


 面白いものでも見るような目で半笑いをしながら、北斗は言った。


「瞳子を泣かせるな」

「だから、それお前に関係あんのかよ?」


 嘲るように、挑発するように北斗が鼻で笑う。


「あいつ、しょっちゅうお前のとこに相談に行ってんだろ?あいつの話聞いて、好きにでもなっちゃった?」


 下卑た笑いを浮かべ、俺だけでなく瞳子をも小馬鹿にする態度にもう我慢ができなかった。

 こんなやつより、俺の方がよっぽど…!


「ああ、そうだよ。俺は瞳子が好きだよ」

「はあ?」

「お前なんかより、よっぽど瞳子のことが好きだよ。俺の方が、あいつを大事にしてやれる」


 そう言い切ったとき、後悔はなかった。

 後悔はなかったが、結局俺のその言葉をきっかけにして北斗と瞳子がよりを戻したとあとで聞く羽目になった。


 人に取られると思ったら、途端に惜しくなったのか。

 アホくさ。


 それ以降、瞳子が俺のところに来ることはなくなった。




 そのまま3年になって、俺は本格的にやさぐれていた。

 やる気のないまま過ごしていたのに、それまでの流れでまたしても文化祭実行委員に選ばれてしまった。


 まあ、いいか。

 多少は気も紛れるだろうし。


 最初の顔合わせの日、初めて乙葉に会った。

 乙葉が入学すると決まってから、生徒会長の昂生が「おれの『妹』が来るからな、みんなよろしく頼む」と言って歩いていたのをふと思い出す。隣に住む幼馴染で、妹のように可愛がってたとかなんとか。

 昂生の彼女で生徒会副会長でもある雅も、入学早々殊更可愛がっていた。

 だから最初はほんの軽い気持ちで、ちょっかいを出してみただけだったのだ。


「昂生が妹みたいに可愛がってたってのもわかるな。確かに可愛い」


 そう話しかけたら、思いの外うぶな反応が返って来た。

 乙葉は顔を真っ赤にして固まり、なんも言えなくなっていたのだ。


 なんだこいつ。

 面白い。


 それから、実行委員の仕事があるときは乙葉を目で追うようになった。乙葉は昂生や雅に甘やかされながらもテキパキと働き、その動きは小動物を連想させた。


 ちょこまかと動き回る、ハムスター的な?


 だから見ていて飽きなかったし、ついつい「可愛いな」と言ってしまう。

 そうすると、乙葉はまた照れて顔を真っ赤にする。

 そんな反応が可愛くてしょうがなくて、ちょっかいを出すのをやめられなかった。



 あるとき、教室移動の準備をしていたら雅が近寄って来た。


「藤野くんさ」

「何?」

「乙葉ちゃんに対して、不埒なこと考えたりしてないよね?」

「は?」


 はじめは言われたことの意味がわからず、意味がわかったら何故だかイラっとしてしまい、睨むように雅を見返した。

 俺と北斗と瞳子のことは、3年生の一部のやつらには知られていた。北斗がバラしていたからだ。「俺の彼女に横恋慕した」とかなんとか言っていたらしいが、あいつらがくっついたり別れたりしていたのをみんな知ってたから、俺が誤解されたり責められたりすることはなかった。

 ただ、同情はされていたと思う。

 雅も当然それを知っていて、それでわざわざこんなことを言ってくるんだろうと察しはついた。

 

 察しはついたが、どうにも納得がいかない。

 訳のわからない怒りにも似た感情が、胸の内に渦巻き始める。


「藤野くん、乙葉ちゃんを揶揄うようなことはやめてね」

「揶揄ってねえよ」

「だとしても、あの子が勘違いするようなことしないで」


 雅が厳しい顔つきで冷たく言い放つ。

 確かにそれは正論だった。

 でも、それをすんなりとは受け入れられない自分もいて、俺自身そのことに戸惑っていた。


 それ以降、俺と雅は乙葉をめぐって言い争うようになった。というか、雅が俺をあからさまに牽制してくる。俺は乙葉の可愛い反応を見たいだけなのに、雅がそれを許さない。


 なんなんだ。

 乙葉は俺の癒しなのに。


 俺の吐く甘い言葉にいちいち反応してしまう乙葉が、可愛くて仕方なかった。



 そうして乙葉と一緒にいる時間がだんだん増えてきて、何かの拍子に好きな人はいないのかと聞かれたとき、俺は咄嗟に「いない」と答えた。

 本当はまだ、瞳子のことが引っかかってはいた。もう気にならないと言えるほど、吹っ切れてはいない。

 でも自分の気持ちがもはや届かないことはわかっていたし、あいつらに振り回されるのはいい加減御免被りたいという気持ちの方が大きかった。


 その後、「好きなんです」と告白されたときは、正直まずいと思った。

 その頃の乙葉の態度を見てそうかもしれないと気づき始めていたものの、雅に嫌と言うほど釘を刺されていたし、またどんな非難が飛んでくるかわからないと思ったから。

 でも「好き」と言われて悪い気はしなかった。

 だから乙葉ならいいかと思って、つきあうことにしたのだ。

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