第5話 仲間の誓い
「ふぅ、朝だよな? 早く起きちまった」
明け方、客人用の寝室の扉は、女1人を残し開けっ放しにされた。
カザドは県令の邸宅を抜け出し、盗んだ酒をひょうたんに入れて時折口に含んだ。
彼が去った後の部屋の中は、布団などが散乱していた。
布団の布は、昨晩力強く握り締めたためか、所々破れている。
その上に仰向けになり、天井をひたすら眺めるジャンヌの姿があった。
彼女は目を充血させ、鼻水を啜る。
______司教どもが純潔を契るまで許さなかったの、まさか別の世界でわかるとはな。
仕方ないとはいえ、これほど痛いとは思わなかった。
気持ちいいとかそんなの、1ミリもない。
でも、これでみんなに迷惑かけずに済んだよな。
「ジャンヌよ、使命を果たすのだ!」
腕で顔についた雫を拭いていると、彼女の脳内に声が響く。
「うるせぇ、お前の命令なんて聞くか! 私はこの世界では、好き勝手生きるって決めてるんだよ!」
「......考え直す気はないようだな。ふむ、見込み違いの者を飛ばしてしまったか。......仕方ない、いいだろう。その家族の一員として、今後もその辺境で暮らすが良い。だが最後に忠告だ。
貴様はもう、神の目によって得た啓示は与えられない。今後は自分の力で、危機を乗り越えるのだ」
______私が死ぬ時、何もしなかったくせに。神の啓示だか知らないが、戦場に用がない生活をするんだから関係ないだろ。私はもう、宗教だ戦争だなんてどうでもいい。
このレインでずっと、ジャンたちと暮らせればいいんだ。
ジャンヌは決意を固めるように、銅鏡に写る自身の目を見つめた。
その直後、廊下をドタバタと歩く音が響く。
それに伴い、県令の声が漏れる。
「こら、お前ら汚い足で敷居を跨ぐな!」
_____そういえば、ジャンには作戦を伝えたけど......あいつらには。
この恰好を見せたら、ちょっとまずいかもしれない。
急いで布団をめくり、どこかへいった自身の服を探す。
「姐さん、カザドの野郎に何かされたんじゃ」
服を手に取るのが一歩遅く、扉から現れたダンバは目を点にして彼女を見つめる。
裸のジャンヌに頬を染め、すぐに扉を閉めて姿を消した。
しかし、何があったのかと気になった彼は、扉を背にして声をかける。
「......それは」
彼女は言い訳を取り繕うため、言葉を途中で止めた。
その間、扉の外ではダンバ以外の仲間が駆け付ける。
「ダンバ、何そこに立っているんだよ! その部屋に姐さんがいるんだろ?」
同時に喋りかけられた彼は、その場を制すためにこん棒で床を強く叩いた。
「姐さんが今から説明する。それまで黙ってそこに立っているんだ」
彼のドスの聞いた声は、仲間の喋りを一瞬で沈黙させた。
扉の奥が異様なまでに静まり返ると、ジャンヌはより一層下手な言い訳ができないと頭を悩ませた。
「お前ら、娘から理由を聞いておらぬのか」
無音の中、ふいに扉の外から県令が現れる。
「いいかあの娘はな、宴の後にカザド様の夜伽のお相手をしたのよ。迷惑をふっかけてきたことに関しては、難がある。しかし、同時に肝が据わっていて不思議な娘じゃ」
作戦を暴露された彼女は、慌てて扉を開ける。
______県令、何してやがるんだ!
訳を知ったらあいつらが何をしでかすかわからないから、今の今まで悩んでいたのに!
こうなればやむを得ないが、違うとだけ強くいうしかない。
「お前ら! 今の話は全部......う......そ」
彼女が扉を開くと、そこには県令と彼の従者数人しかいなかった。
「もう言ってしまったな。娘、今日はここで療養してよいぞ」
「あぁ......結構です」
「......そうか」
何も理解が及んでいないのか、県令は扇子を広げて廊下を通り過ぎる。
後ろを歩く従者の1人は、彼女の方を向いて何度か頭を下げた。
______楽な生活が維持できているのも、あの鈍感さと怠け癖の上で成り立っていると思うと考えものだな。いや、そんなことはどうでもいい。
あいつらきっと、カザドの野郎を追って......。
同時刻、ポワラから出る唯一の木造橋にて、2人の男が顔を合わせていた。
1人は、感染する病に効くと言われている薬草を背に背負っている。
その男の前には、出っ張った腹をさすりながら酒を飲むカザドの姿があった。
「おぉ町令か、運がいいな」
彼は空になったひょうたんを川に投げ捨て、男に近づいた。
「カザド様......ということは、ジャンヌは」
男は、顔を合わせず震えた声でそう呟く。
彼の様子を気にも留めず、カザドは口を開いた。
「あぁ、その事なんだが......あの娘は確かに器量が良い。が、やはりまだ幼い。
床の腕はイマイチでな、お前に会わなければ、父上に報告していたところだ」
話を聞き終えると、ジャンは薬草を入れた背の籠をその場に置いた。
そして、なおも顔を合わせずに沈黙を続ける。
「なぁ、そこで提案なんだが......もう一人女を」
その言葉を言い終わる途中、カザドの視界は橋が真横に映った。
目線が落ちていく最中、彼は上を眺める。
瞳孔が開ききったジャンと、今日初めて顔を合わせた。
その瞬間、カザドは首を切り落とされたことに気づく。
しかし、それ以上に何かを思う時間は彼にはなかった。
「ジャンヌ......すまない」
ジャンは血の垂れる剣を鞘にしまわず、川へと落とした。
そして、水面に弾けて沈んだ鉄塊の様子を眺める。
______俺はジャンヌの覚悟を踏みにじった。もう、合わせる顔がない。
手すりの上に立ち、彼は真下を見た。
彼の直下には、水流に流されず突出して佇む鋭利な岩がある。
生唾を飲み、片足を浮かせた瞬間のことだ。
「早まるな町令!」
その声が橋に響くと同時、ジャンの身体は分厚い胸板の上に倒れた。
すぐに起き上がり、彼は周囲を見渡す。
すると、ダンバを含めた彼女の仲間たちが立っていた。
「町令、全部見させてもらった。気に食わない奴だと思っていたが、見直したぜ」
ニヤつくダンバは、顎髭をかきながら拳を突き出す。
「なんだこれは?」
その拳に小首をかしげ、ジャンはそう返した。
「仲間の挨拶だ」
しかし、ジャンは彼の拳を片手で払った。
その行動に舌打ちをしつつも、ダンバは死体に目をやる。
「こいつを斬り殺したのは賛成だが、お前が死ぬのはダメだ。冷静に考えろ、俺でもわかるぞ?」
ダンバの口調にイラつきを覚えながらも、ジャンはその言葉を脳内で反芻した。
そして、事態が悪化したことを思い出す。
______そうだ、カザドが帰らなければ都令はこちらに探りを入れに来る。死体を隠したとしても、数か月消息が不明になれば本格的に軍を動かすかもしれん。
「理解したようだな。で、どうするんだ?」
冷や汗を垂らす彼の姿を見て、ダンバは話を進める。
しかし、なおも黙って考え込むジャンに耐えかねたダンバは、あることを提案した。
「はぁ、ならこうしよう。今度は俺らが責を負う」
ダンバはこん棒を背に乗せ、山奥を眺める。
「俺らはこの死体を担いであの山に登り、もう一度賊をやる」
「それはどういう......いや待て。お前ら......軍に討伐される気なのか!?」
「なーに、頃合いを見て散るさ。もうこの町に戻ることはねぇが」
「なら俺もっ......」
ジャンがそう言いかけると、ダンバはこん棒を突き出して黙らせた。
「町令は、県令や姐さんに言い訳しといてくれ。姐さんを独りにしたら、可哀そうだからな」
「おーい! お前らそこで何をしてやがる!」
ジャンは言い返そうとするも、橋の向こうからジャンヌの声がして踏み留まる。
彼はただ、背後に迫る彼女の声と共に走り去る男たちを見届けた。
______俺は愚かだ。だが騎士として、お前らとの約束は命を懸けて違えぬと、今ここに誓おう!
「ジャン、ダンバたちどこへ向かっているか話さなかったか?」
ジャンは首を横に振り、ゆっくりと口を開いた。
「ダンバたちとは話を付けた。さぁ、県令の所に戻ろう。後、これを食べてくれ」
彼はおもむろに薬草を手渡し、彼女の返答を待たず足を進めた。
「......ジャン、これめっちゃまずい」
「我慢しなさい」
「......うん」