第3話 銀髪の看板娘
●カドレリア暦1319年、パンドゲア大陸西南
パンドゲア大陸南西にある険しい山々を越えると、そこには水源が豊かな小さな町が点々とあった。
レインと呼ばれるこの辺境は、アコウ帝国の徴収にあっても生活が困窮することはない。
またこの地方に派遣される地令と呼ばれる監視長官も、大陸随一と呼ばれるほど緩い体制で働いている。
理由は1つ、険しい山々を越え、都令(地令より広範囲を監視する長官)のいる都市へと罪人を連行しなければならないからだ。
それゆえにパンドゲア大陸において唯一、魔人と人類が比較的平和に共生していると言われている。
そんなレインの中で、川を跨いだ先にあるポワラという町。
この町の大通りの一角には、オルレアンという飯屋があった。
繁盛というにはあまりにも暖簾が靡かなかったこの店は、1週間ほど前から途端に人が混みだし始めた。
「いらっしゃーい! どうぞこちらでーす!」
店内に一歩踏み入れた客の誰かは、飛び込んできた眩しい笑顔に、一瞬にして心を射抜かれる。
お盆を懐に抱える彼女は、注文の催促を受けてすぐにその場から離れた。
小走りで入口から遠ざかる彼女を、彼は目で追った。
頭に巻く黒いバンダナからはみ出る長い銀髪は、光源のような艶を放って見える。
僅かしか見なかった端麗な顔は、特徴的な芯のある目つきと、コロコロ変わる表情で見る者を魅了した。
彼女の動く様や喋る様子、どれも彼の目に焼き付く。
「若者よ......あんま見惚れると、後でガックリするぞ?」
猫背の老人は立ち尽くす彼の横を通り過ぎ、小さく呟いた。
「悪い、遅れたわ。飲もうぜ」
さらに遅れて、彼の肩に腕を置く友人らしき男が現れる。
男の言葉でようやく正気を取り戻した彼は、案内された席へと腰を下ろした。
「なぁ、俺の言った通り偉い美人の看板娘だろ?」
「......あぁ」
「へっ! 普段は嫌味口のお前が、そんな素直に返すなんてな......賭けは俺の勝ちだな」
彼と友人は、看板娘の容姿について美しいかどうかを賭けていた。
彼は「はぁ」とため息を吐き、渋々金を机の上に置く。
その後、彼女がこちらに回ってくるまで店内をぐるりと眺めた。
「なぁ、ここの客層ガラ悪いのと老人しかいなくないか?」
「それは......」
友人が説明しようとしたその時、彼女が向かった席の方から騒がしい声が響く。
「うおぉ! ジャンヌと飲み比べする奴が現れたぞ!」
注文した客のテーブルには、他のものを置く場所が無くなるほどの大きな盃が2個あった。
樽からトポトポと盃に酒が移され、縁ギリギリまでそれは満たされた。
恰幅と身なりがよい男の対面には、バンダナを解いた看板娘が座る。
あぐらをかいて座る彼女の姿は、先ほど見惚れた彼に怪訝な表情を浮かべさせた。
「お客さん、わかっていると思うけどよ。10秒以内に飲み干さないと負けだからね? 負けたらキチンと、私とあんたが飲み干した分払うんだ」
ジャンヌはほくそ笑むようにそう言い放ち、対面する男を見た。
「あぁ? 昨日のまぐれで調子乗るなや!」
男が盃を手にすると、店の奥にあるドラが鳴り響く。
音がまだ残るほどの速さで、2人は喉に酒を通していった。
2人の周りにいる男たちは、どちらに賭けるかと話し込む。
「やっぱりジャンヌだろ?」
「そうだなぁ」
話合いの末、大半が彼女の名を上げて賭けは有耶無耶となった。
その一方的な偏りの声を聞き、男はこめかみをピクリと動かす。
「よっしゃあ! 次注げ!」
唸り声を上げる男は、鼻息を荒くして盃を持ち上げた。
彼とほぼ等しい速度で、ジャンヌも酒を要求した。
それから......1時間が過ぎる。
「どうしたんだ? おい、手が止まっているぞお客さん」
ジャンヌは盃を空にし、片肘を机についてそう言った。
手に顎を乗せ、1時間前と変わらぬ顔色で男を見つめる。
彼女の視線の先にいる男はというと、前に飲んだ酒がまだ口に残っていた。
両頬を膨らませたまま、10秒が経過してもそれを喉に通すことはなかった。
「はい、毎度あり! 金出せ......ほら早く」
彼女は机に脚を乗せ、歪な笑みで男を見下ろした。
男は口に含んでいた酒を盃の上に吐き出し、彼女を睨みつける。
「クソが......どうせインチキしてんだろ! 誰がこんな店に金なんて払うか!」
男は盃を投げ捨て、千鳥足で席を立った。
ジャンヌはお盆を縦に返し、男の肩をこずく。
「あんた役人だろ? 役人様が村娘に負けて、一銭も払わないのか? 上に立つ者として、男として......いや、人として情けなくないのかなぁ?」
彼女がそう言い放つと、男は頭を下げて沈黙した。
数秒後、男は拙い足を一歩踏み出す。
その次の瞬間、拳がジャンヌの頬を打った。
吹き飛ばされた彼女は、背後にあった酒樽に衝突する。
樽が粉々となり、彼女の服や周りは酒で溢れた。
「助けなきゃ!」
騒動を遠くから眺めていた彼は、そう口にして立ち上がった。
しかし、友人に腕を掴まれてその場から動けずにいる。
「気にすんなって......大丈夫さ、いつものことだ」
友人は驚くような反応を1つも見せず、淡々と料理を食べる。
「いってぇ! やっと手出しやがったな......このクソ野郎! お前ら、ちゃんと見てたな?」
ジャンヌは頬の血を拭い取りながら、そう声を荒げた。
周りにいたガラの悪い客たちは、「へーい」と軽く返事をする。
そして、席の下に隠していたこん棒を携えた。
「な......なんだ貴様ら!」
「......やれ」
彼女のその一言で、男たちは逃げようとする彼を捕縛しにかかった。
「チクショウ、解け!」
数分後、縄に動きを制限された彼の姿があった。
衣服はすべて剥ぎ取られ、金銭もすべて彼女が手に持つ小袋の中へ移った。
「お前ら、ジャンを呼んで来い!」
彼女は拘束した男に見向きもせず、ドラのある奥の部屋で仰向けに寝転んだ。
______ふぅ、今日の野郎は久しぶりの当たりだったなぁ。ここのところ、成金のふりした奴だらけだったし。この金で久しぶりに、みんなで肉でも食って宴でも......。
「......ジャンヌ! お前また何しでかした!」
彼女が寝転んで5分ほど経過した時、慌てた男が躓きかけながら入口をくぐった。
「おぉ、ジャン遅いぞ!」
ジャンヌはパッと起き上がり、スキップするような足でジャンに駆け寄った。
「ジャンヌ、私のことは町令と呼べと何度言えば......おい、この男はなんだ?」
「食い逃げ犯だよ......早く連れてってくれよ。ほら......賄賂」
嬉しそうな口調と共に、ジャンヌは彼の手元に金銭を置いた。
しかし、ジャンはすぐに彼女に返した。
「馬鹿ジャンヌ! お前毎回こんな騒ぎ起こして、親父さんの店潰す気かよ!」
「知らねえよ、病気で寝込んでる方が悪い」
「はぁ......こっちに来る前は凛々しい立ち振る舞いだったのに」
「あぁ?」
______ジャンの奴、自分は町令の子としてこっちに来れたのがどんなに幸運かわかってないのか?
私なんか、ただの飯屋の娘だぞ?
つまんねえ生活に色どり加えるには、金が必要なのわかってないねぇ。
「姐さん、早く俺ら宴したいっす!」
2人が言い争いをしていると、周囲でそれを見守っていた男たちは腹を鳴らし始める。
「なぁジャン、今回で最後にするから頼む!」
「はぁ......わかった。次からは擁護する報告書は書かないからな?」
ジャンは渋々とした表情のまま、捕らえられた男へ顔を向けた。
「おい、どうしたジャン?」
10秒ほど、ジャンは男に目をやったまま口を開いて動かなくなった。
「ジャンヌ......ポワラが......いやこれが知れれば恐らく、レインの全ての人間が斬首されるやも」
彼は自身を落ち着かせるようにゆっくりと、そう語った。