第1話 魔王カンヨウ
雲一つない快晴の空。
その下に広がる大地は、膝程もない草が生い茂っている。
草の中から顔を出し、リスのような小動物は周囲を見渡していた。
風によって土埃が運ばれると、その動物はくしゃみをして鼻を掻いた。
くしくしと顔についた土を払っている最中、突如地鳴りが遠くから響く。
小動物は地鳴りする方向に顔を向けるが、地平線には未だ草だけがあった。
しかし確実に地鳴りは大きくなり、こちらに接近していた。
地鳴りの物音は、接近するほどに鮮明にいくつかの音が重なりあって生じているとわかる。
そしてついに、音は実像を持って現れた。
草の中に戻り疾走する小動物の背後には、行軍中のアコウ帝国の軍があった。
カドレリラ歴1019年、大陸パンドゲアを初めて統一した帝国である。
かつて大陸から少し離れた小島で棲息していた獣たちは、この世界で類を見ない激しい生存競争の渦中にいた。
彼らはパンドゲアで人類が戦争している間も、尋常ではない速度で進化と淘汰を繰り返していたのだ。
その結果、人類と同等の知能を持つ魔人が誕生。
彼らはパンドゲアから派遣された討伐隊を殲滅後、彼らの船で大陸に攻め込んだ。
突飛な動きと異質な体格を持つ彼らは、人類の軍事能力を吸収すると更に強大化していった。
そしてついに、彼らを束ねる魔王カンヨウはパンドゲアの全ての国を掌握。
アコウ帝国建国後300年が経った今日、カンヨウ自ら率いるこの軍は、とある海岸へと向かっていた。
歩兵と騎馬兵、入り混じる中彼らの隊列の中心にはいくつか馬車があった。
馬車の中でも屋根付きの軒車と呼ばれるものには、将軍より位の高い王や王の親族がいる。
唯一4馬の手綱を束ねた軒車の中に、カンヨウは鎮座していた。
非常に安定感のある軒車の走行は、車内で汁物を啜ってもこぼれることはない。
齢340歳のカンヨウは漆喰のお椀を空にすると、手羽先のような骨付き肉に手を伸ばす。
彼は白く長い顎鬚に食べかすをつけながら、外の移り行く草原を眺めた。
「ライチョウ、ここはどこだ?」
細い喉から発する低音のかすれた声は、右斜め前に頭を垂れて正座する男にそう喋りかける。
翼の生えた薄い体格の彼は、頭を下げたままカンヨウの髭に小さな布切れを当てた。
食べかすをふき取り終わり、再び元の位置に戻る。
そして3秒ほど間を置き、甲高い声色でライチョウは言葉を紡ぐ。
「殿下、今はランバイでございます」
「ランバイ......ホウジョウ国の古都近くか」
______この地より3里離れたかの国の古都。
そこでの激戦を制し、我は太平の世を築き上げた。
専ら建国後100年は、この地での反乱は絶えなかった。
しかし、今はこうして穏やかに草原を移動している。
「なぁライチョウよ、この討伐が終わったら我は都を離れライガルに住むぞ。よいな?」
「はい、天下はこれで盤石でございます。殿下のご子息も文武に励み、キンヨウ様(カンヨウの長男息子)も逞しい成長をしております」
「うむ、それならよい。それにしても、久しぶりに整った我が軍を見たが......」
「はい、壮観でございます」
彼らが眺める外は、緑の地面が見えぬほどに列をなす鎧の兵士で埋め尽くされている。
背丈や種族はまばらだが、行軍する全ての兵士は乱れることなく動いていた。。
魔王軍は4種族で構成され、歩兵はエルフ族とトカゲ族、騎兵はケンタウロス族、馬車の護衛兼重装歩兵のマンモス族となっている。
数時間が経過し、カンヨウは馬車の揺れが完全に停止したことに気づく。
「着いたか、どれどれ」
馬車の前に3段ほどおかれた階段を、ゆっくりと降る。
カンヨウは腰を抑えつつ、浜辺が見える岬まで足を進めた。
「ほう、万はいるか」
カンヨウは髭を撫で、細目で浜を見下ろしてそう呟く。
彼の視線はすぐそこにある、一点に移った。
浜辺より少し離れた森林の一部には、砦と簡易的な木材で形成された城が形成されていたのだ。
加えて、海面に浮かぶ数百人が乗れるであろう大型の船にも着目した。
「我らと同レベルで高度な建築技術と、兵士の練度を誇っておる。一体、どこから来たのか」
彼が胸中で少し不安を募らせていると、片膝を付いた伝令兵が待機した。
「話せ」
カンヨウは淡々と、そういった。
「はっ! 敵の斥侯の1人を拷問したところ、詳細がわかりました。奴らは......」
上陸した軍は、遥か彼方の大陸ソラミアから来た。
国をボンガスといい、大陸の大部分を支配している。
かの国は長い航海を経て、パンドゲアに手を伸ばした。
「ま......間違いではないな?」
「はい......本国にはおよそ300万の兵士が控えているとのこと」
______そんな、あの3万の100倍が海の先にいるというのか。
「......殿下」
ライチョウが伺うようにそうカンヨウに声をかける。
「誰か!」
カンヨウは彼を無視した後、声を張り上げ護衛兵の数人を呼んだ。
「この者を切り捨てろ!」
彼の突飛な発言にライチョウと伝令兵は目を丸くした。
「そんな......カンヨウ様......お情けを!」
兵士に拘束され、引きずられる伝令兵はひたすらにそう叫んだ。
しかし、カンヨウは踵を返して海岸に顔を戻す。
「カンヨウ様、何故あのようなことを」
彼は海の先を指して、口を開く。
「あの先にいる300万という軍勢は、帝国の安寧を脅かす。今あの兵士によってそれが知れ渡れば、士気が乱れかねない。ライチョウ、斥侯を拷問した者どもも切り捨てろ」
「あぁ......はい、すぐに!」
カンヨウは指示を出した後、自身を落ち着かせるために髭をさする。
その瞬間自身の手が喉に触れ、こめかみに一筋のしずくが湧き出た。
______我がようやく築いた世が何故......誰が邪魔者を呼び寄せたのだ。
我の寿命が尽きるまでに解決せねば。
この時から魔王は、大陸にいる全ての者に疑心を抱き始めた。