第14話 橋の門番
夜通し歩いたジャンヌは、溺れたように服を汗で濡らしていた。
日が昇り始め、川の水面は光が反射して幻想的に映っている。
橋に辿り着くと、彼女はすぐに門番らしき兵士を見つけた。
______槍に鎧、えらく装備が整っているな。あれはケンタウロス族だし、レインに駐屯している兵とは違う気がする。というか、門番がいるってことは通れない?
彼女はそう予感しながらも、口笛を吹いて橋へと進もうとした。
しかし、門番の槍が彼女の胴体の前に突き出される。
その先に進むなという警告の合図だ。
ジャンヌが彼の顔を見ると、ギョロっと見下すような眼差しを向けられる。
「な、なんで通れないのですか?」
彼女は若干武器にビビリながらも、門番にそう投げかけた。
すると、ケンタウロス族の男は槍を橋の手すりに置く。
そして懐から木簡を取り出し、ジャンヌに見せつける。
木簡は文字ではなく、複雑な紋様が彫られていた。
「この通行手形がない者は、この橋を渡ることは許可されていない。山賊の一件以来、警備を厳重にするよう命令が下ったのさ」
彼はそう話終えると、木簡を懐に戻そうとした。
しかしその瞬間、ジャンヌは腕を伸ばす。
「じゃあさそれ.....頂けませんか?」
彼女は曇り1つなく、悪びれることもなく無垢にそう言い放つ。
門番の男は険しい顔を溶かされ、目を点にして彼女を数秒見つめる。
そして、吹き出すように笑い飛ばした。
「お前、面白い奴だな。いいだろう、やるよ」
彼は笑いながらも、手形をジャンヌの眼前に出した。
彼女がそれを受取ろうと、両手を受け皿にする。
しかしそれは彼女の手には触れず、もう一度彼の懐に収まった。
「ただし.....俺もここの警備をしてて暇なんだ。だから、俺に1つ勝負を挑め。それでお前が勝ったら通してやる」
槍を肩に乗せる彼は、常に笑みを浮かべて彼女を眺める。
______あぁ、完全に暇つぶしに使われてるなこれは。
何か、こいつを出し抜く方法ないかなぁ。
彼女は唸りつつも、思考を巡らした。
「おーい、やらないのか?」
彼がそうため息交じりに声をかけると同時、ジャンヌは目を見開いた。
「じゃあその槍で遠くまで投げる勝負......」
彼女が話す途中、門番の男は目線を遠くに切り替えた。
笑みを消し、最初の頃の顔つきに戻る。
彼の目線の方へ、ジャンヌも振り向いた。
彼女の後ろでは、荷馬車が3台ほど列を成して走行していた。
ジャンヌの横で丁度戦闘の馬車が停止すると、御者がゆっくりと地面に降りる。
御者に見覚えがあったジャンヌは、じーっと見つめた。
「うむ、通ってよし」
門番の男は、通行手形を見せた御者に深く頷く。
そして通行を遮っていた自らの身体を、橋の沿いに移動させた。
御者が再び荷馬車に乗ろうとした時、ジャンヌは彼の背びれを掴んだ。
「おい、ジャンじゃねえか! お前、何してるんだよこんなところで」
彼女に掴まれたジャンは、数秒ほど動きを停止させた。
しかしその後は迷いが消えたように、彼女の手を払いのける。
そして、荷馬車に乗り終えると手綱を引こうとした。
無視されなジャンヌは、舌打ちをしながら馬車の目の前に立ちふさがる。
動揺したジャンは、勢いよく停止させた。
馬が少し荒ぶりを起こし、1、2分は出発が遅延される。
「はぁ、これは討伐軍のために送る糧秣だ。お前を乗せることはできない......じゃあな」
彼はそう言い残し、馬を落ち着かせようとした。
______討伐軍ってなんだよ。
まさか、ダンバたちを......。
これじゃ、真相を聞くどころの話じゃないよこれは。
殺していないって弁解したところで、動いた軍がそう易々と撤退する訳がない。
県令にどうにかできないか、交渉をしないと。
あぁ......余計に橋を渡らなきゃいけなくなった。
「ジャン......乗せてくれ!」
ジャンヌは額に汗を垂らしながら、そう彼へ声をかける。
しかし、ジャンは聞く耳を持たずに再び手綱を引いた。
橋の中へと進む彼を追おうとするも、門兵の男が止めにかかる。
______くそ、このままじゃダンバたちが殺されちゃう。
「焦るな女。討伐軍が来るのは一か月後だ。ここは険しい山脈があるからな。今はただ、軍に与えるための糧秣を県令の邸宅に集めているだけだ。そして俺は討伐軍の斥侯部隊でもなく、ただの都令の兵だ」
門番の説明を聞き、彼女は少し肩を撫で下ろした。
だが、一か月の間に事態をどうにかしなければならない。
ということを理解し、ジャンヌは橋を通るという意思を更に強めた。
______仮に勝負に勝っても、約束を守るとも限らない。
となれば、こいつを多少なりとも動けなくしないとダメだ。
「じゃあ......戦う......とか?」
ジャンヌは覚悟を決め、そう口にした。
______......勝たなくてもいい。
こいつの足を捻らせたりすれば、時間は稼げる。
彼女が言い放った後、門番は渋い顔をして黙り込んだ。
「どうしたんですか、勝負......受けないの?」
「いや......こうしよう。腕相撲で決めようぜ? 流石に戦闘じゃ、お前に分がなさすぎる」
「え......腕相撲」
______腕相撲じゃどう頑張っても、こいつの動き鈍らせられないじゃん!
でも、他に選択肢が......。
そうこうしていると、彼は橋の手すりに肘を立てて準備を始めていた。
ジャンヌは仕方なく、彼の対面に同じく腕を構える。
手を握り合い、開始間近で門番は口を開いた。
「そういえば、何でそんなに向こうに行きたいんだ?」
ジャンヌは手の握りを強め、目を反らさずに返答した。
「私は縁を大切にしたいんです。例え悪さをしたとしても、私のためにしたことなら受け入れる」
そう話す彼女に、門番はつまんなそうに返した。
「縁ねぇ、俺は自分1人が良くなればそれでいいと思うけどな」
「私もそう思っていました。けど......それでは死ぬ時悲しいですよ。誰も自分のことで......泣いてくれないのですから」
ジャンヌの話を聞き終えると、門兵は言い返すのを止める。
そして、数秒ほど静寂が訪れた。
彼女がスタートの合図を待ち、顎から雫を落とした瞬間である。
彼は3秒からカウントを始めた。
「......いち!」
カウント終了と共に、身構えていたジャンヌの右手は彼の手の下に回った。
負けぎりぎりの低さまで腕を持ってかれ、彼女は痛みに苛まれる。
______やっぱり力が並みじゃないこいつ!
動きを鈍らせる何かを考える暇もない。
ただ手の甲を、手すりに付けないようにすることしか頭に浮かばない。
必死に腕に力を送る彼女とは反対に、門番は腕に筋を立てることもなかった。
「縁かなんか知らないけどよ......1人で生きる力もないやつと絡んだところで、不幸になるだけだろ! ここの村娘にはわからないだろうが、外はそんな甘い考えで生きてられねんだよ!」
さらに強まる彼のパワーに、彼女は足腰の力を加えて防衛に回った。
______このままじゃ腕が折れるかも......いや、躊躇している時間はない!
ジャンヌは腕の神経の限界を無視し、真向から彼の力に反発を試みた。
「......くそ、女なのに根性あるなお前。だが、これ以上耐えたら腕が壊れるぞ」
彼がそう助言するも、彼女は口を"い"の字にして踏ん張りを止めずにいた。
その姿を見て、門番は勝負を決めるためにフルパワーを腕に送り込む。
その瞬間......骨の折れる音と共に、彼女の手の甲は手すりについてしまった。
苦痛の声を上げる彼女に、門番は口を開く。
「お前、なんでそこまで意地張るんだ。良くしてくれた相手だとしても、自分の身体を傷つけてまでやることじゃねえだろ」
門番は勝ち誇るこもなく、痛がるジャンヌにただ困惑する。
「わからないなら、ここを通してくれませんか? 私はそうしてくれたあなたに、絶対恩を返します。金に困ったと言われれば、たとえ無一文でも死ぬ気で渡す。私はただ......孤独な最期を迎えたくないだけです」
______そう、あの燃え盛る火の中にいたときのような最期は絶対に嫌。
世界が敵になろうと、私を受け入れた仲間を見捨てることはできない。
「魔人が人間と仲良くなるとでも思ってるのか? 寝言はやめろ。さぁ、暇つぶしは終わりだ......散れ!」
彼は槍を握り、ジャンヌを睨みつける。
しかし、彼女は敵対する彼とは反対に笑みを浮かべた。
折れた右腕を擦りながらも、彼女は口を開く。
「私はあなたが魔人でも、人間でも、どんな存在だろうと構いません。ここを通してくれたなら、私はあなたに嫌われてもあなたに向き合います。そうだ......ここを通してくれるなら、料理をご馳走します。それで......いかがでしょうか?」
めげない彼女に彼は、槍の先を喉元に突き立てた。
刃の先が皮膚に触れ、血が垂れる。
ジャンヌは動じず、彼の目を見つめ続けた。
緊張を帯びる空気の中、鬼気迫る顔をした門番はため息と共にその表情を緩めた。
「はぁ、しつこい女だな。もういい、恩なんていらないからそれ持ってどこか消えてくれ」
彼は諦めたのか、手形を手すりの上に置いて背を向ける。
ジャンヌは手形を懐にしまい込み、彼の横を通った。
しかし通り過ぎることはせず、再び彼の前に立つ。
そして、深く頭を下げお礼を口にした。
「ありがとうございます! あの、お名前をよろしいですか?」
「あぁ? 名前なんて聞いてどうするんだよ」
彼はそっぽを向き、そう呟くように喋った。
ジャンヌは無垢な笑顔をして、話しを続ける。
「恩返しの為に決まってるじゃないですか! さぁ、教えてください」
彼女に急かされた門番は、目線を合わせるもすぐに反らした。
しかし、どこか嬉しそうな表情をしながら小さい声で名を言い放つ。
「......バース......バースだ」
「バースさん、いい名前ですね!」
「うるせぇ、早くどっか行け!」




