第五貫
私は、小食なので(←嘘)
寿司は大体5貫が限界なんです(←嘘)
だから、このお話しもお腹いっぱいになる頃で終幕(←ホント)
ん?エピローグがあるじゃないかって?そうだとも――‼
「―全く‼絶対に出てきちゃダメって言ったじゃない‼」
頬を膨らませながら腕を組む店長は、正に『怒っている人』のお手本の様な様相で、隣に座る藤井を叱りつけていた。
場所は移動して、近くの警察署に二人は来ていた。
現場の検証が完了した後、事情聴取の為に二人はここへ連れてこられたのだ。そんな事情聴取も先ほど終了し、帰宅の許可が下りるまで待っていて欲しいと言われた待合室の中で並んで座っていた。
もう夜中だということもあって室内の照明は薄暗く、勿論人も藤井と店長の二人しかいない。
そんな中、店長の心配する雰囲気が全面に押し出された怒り声が響き渡る。
「なのにあんな無茶して。藤井くんが出てきた時、私……、ホントに心臓止まるかと思ったんだから―‼」
「すみません。警備会社の人がすぐに来ること知っていたら……」
いつもは店長に対して気だるげな態度を思わず取りがちな藤井であったが、ぐぅの音も出ないといった様子で珍しく肩を落としている。
実は程なくして例の警備会社の警備員が、警察に通報した上で駆けつけてくれることを店長は把握していたのだ。
あの店は閉店後も含めて24時間体制で警備会社が例の監視カメラを使って店内を監視しており、有事の際は長くても7分以内に警備員が駆け付けるようになっているそうだ。
流石、一応全国展開しているチェーン店なだけあって最大手の警備会社の最良プランを契約していたらしい。
アルバイト歴3年の藤井もそんな事までは把握しておらず、必死になって時計を見ながら時間を稼いでいた店長の努力をあっさりと無駄にして、例のサーモン攻撃と至った。
ない頭を使って必死に状況打破を考えている店長を救わないと……などと言う藤井の思考は実は全くの見当はずれで、あの時既に店長は事態の解決策を思いついていたのだ。
――勿論、藤井には絶対に危害が及ばない方法で。
「もう……ホントに……、あれで藤井くんに何かあったら私は……、うぅ」
「な、泣かないでくださいよ。すみませんでしたって……」
「だってぇ―‼あんな無茶して何かあったら店長としての責任がぁ……」
しおれた様子の藤井を見たからだろうか、先ほどまではいたずらした子供を叱るような顔つきだった店長が、今度は打って変わって瞳をうるうると滲ませていた。
本当に『店長らしい』活躍を見せたこんな時こそいつもの様に胸を張ってどや顔をして欲しい所ではあるのだが、流石の店長も今はそういった余裕が微塵もない。
だからこそ藤井には今、どんな風に振舞えばいいのか、なんとなくだが分かるような気がした。
「無茶したことは謝ります。それはほんとにすみませんでした。……でも、流石にあそこで傍観している訳にはいかなかったので。だって……」
「だって……?」
涙ぐんだ目で首を傾げながら藤井の瞳を見つめる店長。
依然として複雑な感情が藤井の心には入り乱れていた。それでも今は、この目の前にいる愛しい存在に元気を与えたかった。
それが今の自分にできることで、すべきことなのだから。
だからいつかの誰かさんのジョークを引用した。
「傍観してたら『時既にお寿司』……でしょ?」
「――」
「……あれ?」
自身が渾身のジョークだと言った。だから笑って当然、そう思っていた藤井だが、訪れたのは予期せぬ沈黙だった。
そんな意図しない沈黙を受け、いてもたってもいられなくなった藤井はあたふたと口を開いた。
「あ……、あのその、これは――」
「あはははははは――‼」
すると突然、場違いな程大きな笑い声が店長の口から溢れ出た。依然として瞳は潤んでいるがそれは『笑い』から来た涙も混ざっていた。
「もう……。びっくりしたじゃないですか。自分で渾身って言ってたクセに」
「ち、違うの。その言った後の藤井くんの様子が可愛くて可愛くて」
お腹を抱えながら右手の人差し指で涙を拭う店長。
「そ、そんなことで笑わないでくださいよ――‼」
「ごめんね。悪気はないわ。ホントに、…………ありがとう」
――トクン。
拍動が大きく一度鳴った。
『ありがとう』と、そう言った店長の顔に宿った笑顔は、ここ数日、願っても願っても拝めなかったあの笑顔だった。
「出てきちゃダメって言ったけど、それでもああして私を救ってくれて……。ホントに嬉しかった。だから……、ありがとう」
「店長……、俺は店長のその笑顔が好きです。だからそうやって笑っていてください」
伝えたい事、話したい事はたくさんある。でも、今一番伝えたい事を伝える事が、この場で藤井にできる最善で最高だった。
だからこそ、その『一番の想い』は、相対する人の心の一番奥までしっかりと届いたのかもしれない。
優しい笑顔で微笑みかける藤井。
それに応える店長の笑顔もまた慈愛と優しさに満ちていた。
――そこへ……
「失礼します。すみません。もう帰ってもらって大丈夫なのですが……」
トントンとノックをしてから扉を開けて若い警察官の男が入ってきた。
その警察官は申し訳なさそうな顔をしながら続けた。
「その……、こちら証拠品として預かっていたものなのですが」
そう言って藤井に手渡されたのは、今回の事件の救世主の『サーモン』だった。犯人を殴った時はカチコチだったのだが、現在は溶けかけて表面に水滴が付いていた。
「なんでも、私たちとしても事件の証拠品にこういったものを押収した経験はないものでして……。生ものでもありますので今お返しさせていただいてもいいでしょうか?」
そう終始申し訳なさそうに話す若い警察官の発言を聞き、思わず二人は目を見開いて顔を合わせた。そして……、
「「あははははははははははははは――‼」」
大きな、大きな笑い声が、狭い待合室に燦燦と響き渡った。
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警察署を後にした二人は、暗闇の中、肩を並べて歩いていた。
家から近くの警察署での事情聴取だったので、送迎は必要ないと伝え、徒歩で帰ることにした藤井だったが、あろうことか、店長の家もこの辺りだったらしく二人で帰ることとなったのだ。
運命のいたずらか、藤井に話すチャンスを神様が与えてくれたのかは分からない。
だからそんな事は気にせず藤井は思い切って口を開いた。
「――好きです。店長のことが」
突然歩みを止めた藤井に気付き、同じく足を止めて振り返る店長。そんな店長の振り向きざまに藤井はそう伝えた。
「その明るさが、包み込んでくれるような優しい笑顔が好きです」
好きだと、そう伝える相手の瞳を真剣に見据えてそう告白した。
一瞬、店長の体が緊張で強張った。
しかし、その強張りは瞬く間に消え失せて、もっと別の暖かな感情へと変質する。
「……藤井くん」
「――好きです。店長の事が堪らなく好きです」
一度言葉にしてしまったらもう留まることを知らない感情たちが、洪水の様に溢れ出し、堰き止められていた想いが一気に放出された。
「初めて会った時、あの笑顔で微笑みかけられた時、俺がどんなに心が躍ったか…。店長にはきっと分からないと思います。分からなくても、いいんです。ただ、大好きです。……それだけは分かって欲しい」
「――」
その告白を受けた店長はしばらく押し黙り、そして口を開いた。
「……はは。私ってやっぱり男運はなさそうね~」
「た、確かに俺は店長からしたらただのバイトで、それだから――」
「あ、違うの違うの。勿論悪い意味じゃないわ。ただ、そんな風にサーモンを抱えた男の人に告白されるなんて普通じゃ絶対にありえないでしょ?」
「あ……」
一世一代の告白。藤井にとって人生で初めての真剣な告白。
そんな空気にどう頑張っても似つかわしくないいびつな『ソレ』を指差しながら、店長はクスクスを笑った。
「……でも、嬉しいな。ホントに、こんなにあったかい気持ちになったのはいつぶりだろう」
「俺は、そうやって店長にはずっと暖かい気持ちで笑っていて欲しいんです。……だから、俺を選んでください。俺が店長を幸せにしますから」
「私、今まで藤井くんのことを恋愛対象として見たことかったからな~……でも、」
両手を後ろにして「ん~」と伸びをした店長は振り返りながら明け透けな笑顔で続けた。
「私も、命がけで助けてくれた男の子にときめかないほど冷めた女じゃないみたいだわ。例え、救ってくれた武器がサーモンだったとしてもね」
「店長……それって」
「もう―‼言わせないでよ!肝心な時に鈍感なんだから」
「いや、俺だって緊張してて、それに店長には―」
「別れるわ。今の彼とはもう別れる。だって彼と別れたってきっと寂しくなんか感じるはずがないもの」
肩の荷が降りたように軽い様子で歩き出そうとする店長。その横顔に映るのは、紛れもない、藤井の大好きな『店長の笑顔』だった。
「それに、今の彼と付き合った時の100倍はドキドキしてるんだもの――‼」
「俺なんかで……」
「え~なに~。告白して人の気をこんなにかき乱しておいて~。言っておくけど私、結構ワガママなんだから、愛想尽かして捨てるなんて止めてよね」
「そんなこと、絶対あり得ません」
「ん。信じてるわ。なんたって命を懸けてでも私を守ってくれる人なんだから……だから、助けてくれて、好きになってくれて……『ありがとう』――‼」
最後そう強く言い放った店長は、藤井の下に駆け寄り強くその体を抱き締めた。
自分を救ってくれた存在に、可愛くて愛おしい存在に、「もう放してあげないんだから」と脅すように、そう強く抱き締めた。
愛おしい存在からの突然の抱擁に、すぐには反応できなかった藤井だったが、その後すぐ彼女の細い体をギュッと抱き返した。
手に抱えていたサーモンが、地面に落ちた。
二人を救った半解凍の立役者を忘れて、朧げに明滅する街灯に照らされて、二人の男女は熱く、熱く抱擁を交わし続けたのだった。