第四貫
知略の限りを尽くして立ちはだかる強大な敵を前に、
見習い魔法使い(『転性者』)は、どう立ち向かうのか⁉⁉
……はいはい、もうそろそろネタが尽きてることくらい分かってますとも。
ネタ、ネタ、ネタ……、寿司だけに。は?
事務所の外、フロアの方からその音は聞こえた。
「―な…、え?」
―ビーーー‼ビーーー‼
次の瞬間、店内に鳴り響いたのはけたたましい警告音だった。
「な、なんですか!これは!」
慌てて頭上のモニターを確認した藤井。
そのモニターには店の正面のガラスを大胆にも破壊して店内に侵入しようとする一人の男の姿がはっきりと映っていた。
「店長――‼」
咄嗟の出来事で頭が追い付かなかった藤井だったが、すぐに隣のに座る店長の無事を確保しようと彼女を見た。…がその時にはもう店長は事務所のドアに手をかけていた。
「藤井くん!絶対にここに居て!出てきちゃダメよ‼」
そう言って店長は事務所を飛び出して行った。
「何が…、一体何がどうなって……」
けたたましく鳴り響く警告音も気にならないくらい、藤井の頭の中は混乱していた。
「……強盗?くそ、なんだよこんなタイミングで、こんな店に――‼」
図らずもその襲来は藤井にとって一番大事な瞬間を、最悪な形で踏みにじった。店長の想いを店長の口から聞いた。だからもう他人事とは到底言えなくなった。
だからこその『告白』だった。それにも関わらず、その告白は言葉にすらならず、その想い人は今、ここにいない……。
「――はっ。店長―‼」
ここに居ろと、決して出てくるなとそう言われた。
相手は強盗犯だ。武器の一つや二つは所持しているだろう。そんな中、運動経験もほとんどなく、帰宅部として学生生活のほとんどを過ごした藤井に一体何ができようか。
「――だからって‼大人しくしてられるかよ……」
そう呟いた藤井は急いで事務所の入り口まで駆け寄り、その扉をそっと開いた。
事務所からフロアまでの距離は、バックヤードを挟んで10メートルもない。そして今は客もバイトも誰もいない。
―だからこそ二人のやり取りははっきりと聞こえた。
「ははは早く現金を…‼あるだけ全部だ‼こ、これに詰めろぉ‼」
「――わ、分かりました。少々、お待ちを……」
「い、いいいいな?妙な行動はするなよ。お、お前の命なんかこいつで一発なんだからな」
聞こえてきたその会話からおおよその状況は見えなくても推測できた。
犯人は恐らく一人。怯えた声色から手慣れた犯行ではないような印象を受けた。ただ、最後の一言が気がかりで――。
「お、おおお、おい‼早くしろ!―う、撃つぞぉ‼」
焦った声音を全面的に出した犯人は今、間違いなく店長に銃を突き付けていることが判明した。「どうか……、気を早めないでくれ」と藤井は心の底から願った。
「お、落ち着いてください!い、今金庫のカギを開けますので……」
この店の仮金庫は、レジの真下にある。一週間分の売り上げが格納された、所謂メイン金庫は藤井のいる事務所の奥に設置されている。
しかし、それらの金庫を開ける鍵の両方が藤井のすぐ後ろ、事務所の中の例のパソコンの置かれたデスク。その引き出しに保管されている。
つまり今店長は鍵を持っていない。……にも関わらず事務所の方へ一向に姿を見せない。
「ま、まだかぁ⁉お前、な、何か変なことしようとしてないだろうなぁ⁉」
「―っ、い、いいえ。て、手が震えて鍵がなかなか開かなくてっ…」
犯人の脅し文句に対し店長は、か細い声で、震えながらそう答えた。―そう、『嘘』をついていた。
そしてその店長の『嘘』を聞き、藤井は理解した。
何故店長が鍵を取りにこないのかを……。
それは偏に―
「俺が見つからないように……」
犯人はきっと藤井の存在に気づいていない。店長が自分ひとりだと言ったからだろうか。ただもはやそんなことはどうでもいい。
店長は、文字通り『命懸け』で藤井の事を守るべく、ない頭を必死に使ってどうにかしようとしてくれているのだ。
「あの、バカ店長――‼」
そんな店長の考えが手に取るように分かった藤井はフロアの方へと歩を進め、ネタをストックしておく用の業務用の冷凍庫の横に身を隠した。
もはや犯人と店長との距離はすぐ近くとなり、レジの前でかがみながら、足元の金庫を開ける素振りを必死になって続ける店長の姿が見えた。
照明もろくに点いていない薄闇の中であったが、その怯えながらも必死に状況を打破しようとする横顔ははっきりと確認できた。
その後すぐ、鍵を開ける仕草の為かがんでいた店長は、何を思ったのか突然顔を上げて犯人の方に向き直った。
「――‼開けたか⁉は、早く金を――」
「ど、どうしてお金がいるんですか……?」
「――は?」
藤井の口から思わず漏れたのはそんなあっけらかんとした疑問符だった。幸いその声は犯人には聞こえていなかったようだ。
ただ、自身の耳を疑いたくなるような場違いな発言を店長がしたことは紛れもない事実だった。
「…………⁉て、てめぇには関係ねぇだろうが‼ななな、なにをごちゃごちゃと」
一瞬、犯人にも異様な間が生まれたがすぐに我に返って引き続き金を要求した。
ただ、その発言を聞いた犯人が、フロア側からレジの内側、つまり店長のいる方に歩を進めたのを感じた。そして……、
「お前っ‼さ、さては俺が撃たねぇと思って舐めてやがるだろ―‼」
そう言って店長の下まで急接近した犯人は、店長の胸倉を掴み、顔に銃を突き付けた。銃口が目と鼻の先などという甘いものではない、正にゼロ距離で突き付けられていた。
「や、止めて下さい。こんなことされたらお金をお渡しできな――」
「うるせぇこのクソ女ぁ‼結局俺はいつも、いつも、いつもいつもいつもぉ……‼」
冷静さをどんどんと失っていく犯人は頭を激しく横に振って、声を荒げた。
そんな犯人に胸倉を掴まれている店長は怯えながらも視線を妙に上へ送っていた。
それが命乞いなのか諦めなのか藤井には分からなかったが、それでも状況が刻一刻とまずい方向へと進んでいっていることは明らかだった。
藤井に背を向ける形で立ちながら、店長に銃を突き付けている犯人の手も震えているのが分かった。それは良心の呵責か、引き金はなかなか引かれない。
それでも藤井の心臓は爆音で拍動しており、額は汗でべっとりだった。
「―お願いします。どうか、どうか店長を……」
絞り出すように息をひそめて、拳を痛いくらいに握り締めながら、藤井は祈った。
そんな時、店長は上げていた視線を犯人の方へすっと戻した。そして、
「――あなたには渡さないわ。お金も、それ以外も―‼」
突然、それまでの怯えの色が全部削ぎ落されたような、そんな堂々とした口調で、犯人に向けてはっきりとそう宣言した。
「この……、クソ女ぁぁぁぁあああああ‼」
「――店長‼」
店長のそんな宣言を聞き、犯人が激高したのと、藤井が冷凍庫の中の『モノ』を手にして駆け出したのは正しく同時だった。
「うおぉぉぉぉおおお‼」
一気に距離を詰めた藤井は両手を後ろに大きく振りかぶった。早く走れたのかは分からない、それでもこの時の感覚は正真正銘、『命懸け』だった。
――ゴツンッッッ‼
低く鈍い音が薄暗い店内に響いた。
それは発砲の際に生じる耳をつんざく様な高音とは対極の音だった。
そして店長の胸倉を掴んでいた犯人は途端、握るその手の力を緩め、そのまま店長の方へと力なく倒れ込んでいった。
勿論、店長がその犯人を支えるはずもなく、倒れてくる犯人を身を翻して避けた。
目の前の障害の一切を失った犯人の体は、重力に従う形でそのまま顔から地面に激突した。
地面へと轟沈した犯人は死人のようにピクリとも動かない。
「――はぁ、はぁ」
何が起こったのかと目を丸くする店長。
犯人という目の前に立っていた障害が取り除かれ、広くなった視界。
その視線の先には、カチカチに凍ったサーモンを右手に握った藤井青年が、肩で息をしながら立ち尽くしていた。
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「――大丈夫ですか⁉」
その後しばらくして駆けつけた警備会社の警備員が割られた入り口を見て驚いた様子で店内に入ってきた。
その警備会社の来訪に続き、パトカーが駆け付けたのは彼らが到着してから5分にも満たなかった。
こうして、単独強盗犯による寿司屋襲撃事件は、そのか細い売り上げのほとんどを占めていた『サーモン』にここでも救われて事なきを得たのであった。
あたりは暗闇に沈み静寂に包まれる郊外の飲食店。その駐車場に停まるパトカーの赤い回転灯が、割れたガラス片に反射していびつにも煌めいていた。