第三貫
物語は『転』パートへ‼
号泣必死‼衝撃のラストバトル‼――刮目せよ‼
ん?バトル小説じゃないの?これ……。
あの日からというもの、自然と店長を目で追うようになった。
出勤する日が楽しみで、バイトに行くにしては意気揚々過ぎる藤井の態度に大学の同級生たちは理解ができない様子だった。
「おはよ~」とあの笑顔で挨拶されるだけで、
「ありがとうね~」とあの笑顔で感謝されるだけで、
「お疲れ様~」とあの笑顔で労われるだけで、とんでもなく嬉しくなって。
……そして「またね」とあの笑顔で言われるだけでとんでもなく寂しくてなって。
そんな感情の浮き沈みさえ、心地悪いはずのドキドキが妙に心地よくて。
矛盾する感情は歯止めが効かなくなって行った。
―ただ、そんな藤井青年の恋はスタートラインに立つ前に轟沈する。
それは仁さんが卒業して、自身も大学二年になって少しが過ぎた夏のことだった。
「―店長。この前めちゃくちゃかっこいい男の人と駅前を歩いてたの」
高校生のバイト二人が出勤前の事務所でそんな会話をしているのを耳にした。
仁さんの懸念通り春先は深刻なバイト不足で営業は火の車の様相だったが、それから夏にかけてバイトも少し増えてある程度マシな営業ができるようになっていた。
そんな中で入ってきた女子高生新人バイトたちの会話が先の情報源だった。
あまりの忙しさに店長に想いを伝えるだとかそんなこと考える余裕もなく、藤井は日々バイトに勤しんでいた。
少し落ち着きを取り戻した今、少しくらいは店長をご飯にでも誘っていいかなと思い始めた頃にその情報は舞い込んできた。
「藤井先輩~。知ってましたか?」
「…いや」
「え~。藤井先輩も知らないなんて。最近なのかな。まぁ店長可愛いしね」
「ね~。今度どんな風に出会ったのか聞いてみようよ」
「ありあり~」
そう言って二人はタイムカードを切って事務所から出て行った。
結局その二人は「店長には恋人がいる」という事実だけを露わにして、1カ月後にはバイトを辞めた。
望んでもいない情報を暴き出して周りの人間を不幸にするその有様を皮肉った藤井は彼女たちのことを『文春砲』とこれ以降呼ぶことにした。しかし、バイトを辞めた彼女たちとの接点などあるはずもなく実際に口にしたことはなかった。
それからというもの、藤井はただただアルバイトと店長という間柄でいることに徹した。
――傍観者でいることに専念した。
踏み込んで嫌われるくらいなら、自身の気持ちを押し殺してでも今の関係でいる方が藤井には望ましかった。
洒落っ気もなく持ち物もチープだった店長が少しずつ変わっていく様を、近くで、外野の人間としては一番近くで見ていることは藤井にとってはなかなかに応えるものだった。
何度も忘れようとしたし、大学の同級生の女の子と食事にも行った。
ある時、一人の女子とかなりいい感じになった時があった。何度か飲みに行き、デートにだって行った。
それでも……、
「あ、藤井くん。おはよ~。今日も一日よろしくね~」
バイトに来て、そう優しく甘い声音で声を掛けられる度に、その横顔が、初めて会った『初出勤の日』の、胸を張って笑った愛らしい顔が、心の奥底から蘇り、藤井の心を鮮やかに染め上げるのだ。
「こりゃ……重症だな。俺」
少なくとも大学在学中は、店長と合わなくなるまでは、きっとこの気持ちは揺るがない。だからと言ってバイトを辞めるような度胸も根性も藤井にはなかった。
だから、ただずっと傍観者のままで、店長が幸せならばそれでいいと本気で思っていた。
いつかきっと、「ほんとはあなたのこと死ぬほど好きだったんです」と、冗談交じりに伝えられたらそれでいいと思っていた。
……店長の腕の大きなアザを見つけるまでは。
「藤井くん?」
「―」
大きな瞳で顔を覗き込まれた藤井は、自身が随分長く物思いに耽っていたことを悟った。店長の顔が文字通り目と鼻の先にあり、拍動がうるさくなった。
「大丈夫?ボーっとして。なんだか上の空だよ?」
「いや、別に…。ちょっとだけ昔を思い出していただけですよ」
「ふ~ん。それはいいけど『発注票』。早く終わらしてよね~」
そう言いながら店長は藤井の正面にあるパソコンの画面をちょいちょいと指差した。
その指差すために出された腕の付け根、二の腕の辺りを藤井は無意識的に追った。
この店の制服は肘より少し上まである長めの半袖シャツで、腕の上半分を直接見ることはなかなかない。
だからこそあの日、高くにある備品を取ろうとした時に痛みで顔をしかめた店長のシャツの袖をまくり上げた時は驚きを隠せなかった。
店長は転んでぶつけたとそう言ったが、生憎この店長ほど嘘を見抜き易い人間に藤井は出会ったことがなかった。
それが嘘だと分かれば、その嘘の理由もアザの正体も理解するには容易い。
その日店長は、珍しく締め作業を藤井に押し付けて逃げるようにそそくさと帰って行った。
それからというもの藤井は無意識的に、店長の二の腕、アザのあった部分に目が行くようになっていた。
ただ、ずけずけとその真相に踏み込んでいく勇気も心構えもなかった。
店長はこの件について語ろうとしないので、本人の意思を汲むという恰好の大義名分を盾にして自身の感情を押し殺していた。
「藤井くん……」
そんな藤井の無意識的な懊悩の様子に店長も否が応でも気付いていた。隣で再びパソコンの画面に向き合うその青年の横顔にもどかしい思いを募らせた。
「なんか、急に空気が重くなりましたね。すみません集中します」
「…ごめんね」
「なんで急に謝るんですか」
「なんだか急に申し訳なくなっちゃって……。なんだか藤井くん、最近何か思い詰めてるみたいだから」
「……」
「その……、私でよければ話は聞くよ?ほらいつか言ったじゃない?私店長なんだから‼―ね?」
顔を見なくても一体今、店長がどんな顔をしているのかが藤井には手に取るように分かった。きっとその顔はひどく不自然な、例の笑顔だったのだろう。
しかし藤井は店長の顔を見ることなく、
「そんなこと、仁さんが聞いたらまたバカにされますよ」
「か、鏑木くんの事は今関係ないでしょ~。それに私だってあの頃よりはきっと…、きっと上手くやれているはずだから」
「そんなこと言って。思い詰めてるのはどっちなんだって話ですよ。……全く」
「私が?そんなこと―」
「俺は店長のその笑顔。……あんま好きじゃないです」
「ふ、藤井くん?」
あまりにも残酷で悲しい気持ちが藤井の心を包み込んだ。そんな自身の感情の発芽を捉え、いてもたってもいられなくなった藤井は思わず店長の顔を見た。見てしまった。―やっぱりだ。
「どうして店長は、そんなに辛そうに笑ってるんですか?」
「―え」
「思い詰めてるのはどっちだって話ですよ」
「な、急に何を言ってるの?藤井くん。らしくないよ」
依然としてヘラヘラと、可愛くない笑顔を、冷たい微笑みを瞳に宿して店長は藤井をたしなめようとする。
「――チッ」
無意識に舌打ちがこぼれた。藤井が初めて見たあの笑顔を、綺麗で優しくて眩しかったあの瞳を、こんなにも曇らした元凶に対して怒りを露わにせずにはいられなかった。
そしてその憎悪の矛先はただの傍観者でしかない、無力な自身にも向いていた。
「疲れちゃったよね。ごめんね。いつも藤井くんに頼りっぱなしで…」
「……そんなんじゃ」
「ごめんね。全部店長の私の責任」
「……だからそんなんじゃ」
「ごめんね。きっと私が―」
「だからっ―‼そんなんじゃないって言ってるじゃないですか――‼」
ごめんねごめんねと。自身の大好きな存在から、一番言い放って欲しくない大嫌いな四文字が何度も放出される現実に、我慢ならなくなった藤井は気付けば声を上げていた。
「全部が全部店長のせい?ふざけるな‼そんな訳、そんな訳ないじゃないですか‼」
「藤井くん…」
「俺が、俺が弱くて頼り甲斐がなくて、だから店長はきっと…俺の嫌いな笑顔を振りまくんだ―‼俺が…、俺が…、ただの『バイト』でしかないから‼」
あまり感情的になった経験がない藤井は、思わず早口で声を荒げてしまった。らしくもない大声の連発で、言い切った後は「はぁ、はぁ」と息切れしていた。
こうなってしまえばあとは言うか言わないかの二択。そして、ここまで自分の本当の感情を、伝えたくて堪らなかった情動を、押し殺して蓋をしてきた藤井の選択は火を見るより明らかで……。
「店長……、答えて下さい。そのアザはなんですか?」
「……。」
真っ直ぐに瞳を捉える藤井の視線に、店長はたじろいだ。そのたじろぎに気づきながらも藤井は真っ向から問いただした。
「答えて下さい‼店長‼俺は…、俺の大好きなモノを、眩しかったモノを壊した原因が許せないんです‼」
「――藤井くんは、凄いね」
少し押し黙った後に店長は弱々しく言葉を紡いだ。
「普通聞けないよ?引いちゃうでしょ」
「俺は……」
「きっと、藤井くんの思っている通りだよ。このアザは転んでできたものじゃない。―彼に…、付き合っている恋人にぶたれたの」
「――っ」
自分から聞いたことではあったが、その事実を実際に店長の口から、店長の声で語られるのは文字通り身が千切れる様な思いだった。
「私ね……、学生の頃から男を見る目がないってずっと言われてきたの。男運もないって。ダメ男製造機だとか、そんな風に言われたこともあったわ。ひどい話よね」
「店長……」
「それでも、私だって寂しさを感じちゃうの。今の彼だって、ぶたれた時は別れるんだって思っても、次の日になって仕事から帰った時、どうしようもなく寂しくなった時、彼の事を想ってしまうの」
悲し気に俯く店長の表情は見ていられなかった。それでも一度口を開いた店長の言葉は、解き放たれる時を待っていたように止め処なく溢れ出した。
「一度許してからはもう何回ぶたれても同じだったわ……。笑っちゃうでしょ。テレビとかで見た時はバカだなぁって思ってたのに、いざ自分がその身になったら、呆れるくらいにな~んにもできないの……」
「―笑える訳……ないでしょ」
店長の話し方のクセでもある、おっとりとした延ばし口調がこれほどまでに耳心地が悪かったことは藤井にとってかつてなかった。
「うん。藤井くんは優しいからね。ありがとう。でもこの話はお終い。これ以上、大人のくだらない話に可愛い学生を巻き込む訳にはいかないから」
「でも、店長…それは―」
「藤井くんには‼……関係ないこと……でしょ?」
「関係なくなんかない……」
藤井の言葉をかき消すように、この話をなかったことにするように……。そんな店長の一言に対してギュッと拳を握りしめる藤井。
頭の中が怒りと悲しみでもうどうにかなってしまいそうだった。
これ以上踏み込むのは自身の心が耐えられないと、そう感じた。
でも、もう聞いてしまった。悲しい顔で悲痛に訴える店長の声を聞いてしまった。
―もう、観ているだけには……戻れない‼
だから……。
「店長‼俺は―‼店長の事が――――」
―――ガッシャーーーン‼
藤井が覚悟を決めて目を見開いたのと、その『音』の発生は正しく同時だった。