第一貫
短編とは言えないが、長編でもない。
純愛とは言えないが、不純でもない。
ん?割と純愛じゃないかって……?さぁ?
―自分はずっと観ているだけだった。
そんな傍観者でしかない自分が、ただの外野でしかない自分が、何かを、彼女を救おうだなんて、いや救いたいだなんて一体全体どうしてできようか。
所詮は傍観者なのだから、物語には関係のない外野なのだから。
そうやって自分を戒めて、戒めて、また戒めて。
やりきれない寂寥感は鬱憤となって蓄積し、その放出を待ちわびていた。
―そしてその日は前触れもなくやってきたのだった。
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「出庫終わりました」
「は~い。お疲れさま~。じゃ、昨日の続き。週末のネタの発注ねぇ~」
「はー……。今出庫したばっかなのに…」
「なに言ってるのよ、藤井くん。今、時給発生中よ。文句言わない!ほ~ら、ちゃんと教えてあげるからこっち来て」
気だるげの表情をぶら下げて、こぢんまりとした事務所に入ってきたのは大学三年生の藤井だ。
大学生特有の子供か大人か分からないなんとも言えない空気感を一身に纏った藤井は、今日の勤務で汚れた前掛けを外しながら話し相手の方へ歩み寄った。
「俺、数字苦手なんすよね。しかも発注って、何がどれだけいるかなんて分かんないっすよ」
「それをちゃんと予想する為に企業のデータベースは存在しているのです」
変わらない様子で文句を続ける藤井の発言に対し、どや顔で胸を張る女性が一人。
パソコンの前に座る彼女は自分の横に椅子を持ってきてそこに座るようにちょんちょんと藤井に促した。
「データベース、ねぇ…。そいつあんま当てにならなくないですか?今日もそいつの予想売上の半分にも到達してないし」
「ぎくっ…」
「それに、なんすか。マグロ1キロって…。仮にも寿司屋なんですからいくら平日でもマグロが1キロで足りる訳ないことくらい誰だって分かりますよ」
「ぎくぎくっ…」
「そうかと思えば、サーモンの入荷は10キロ……。あの大量のサーモンのストックどうするんですか?サーモン屋でも始めるんですか?」
「ぎくぎくぎくっ……‼」
「まぁ、最後のはデータベースじゃなくて単純な入力ミスですが…」
藤井の追及に女性は張った胸をそそくさとしぼめて、逃げるようにパソコンの方に向き直った。そして、藤井の発言を聞かなかったことにして首をゆるゆると縦に振った。
「ふむふむ…。今週末は来るよ~。お客さん来るよ~。私のレーダーにはそんな予感がビシビシと来ているよ~」
「えっと…。ご自慢のデータベースは使わないんですね」
頭に両手を持ってきて電波を受信するような素振りを見せる女性の横に、やれやれと言った感じで藤井は腰を下ろした。
―場所は藤井のバイト先である某回転寿司チェーン店。時刻は閉店時間の9:30を優に超えており、間もなく23:00を迎えようとしていた。
他のバイトは既に退勤しているため店におらず、今は藤井と女性の二人きりである。とは言っても、ここの所、店の売上は頗る悪く、平日ということもあって今日のバイトは藤井とあと一人しかいなかったのでほぼずっと二人と言っても過言ではない。
「それにしてもお客さんは来ないし、バイトも増えない。こんなんでこの先大丈夫なんですかね~」
「ちょっと―!今私が一番気にしてる事!簡単に口にしないでぇ」
「いやでも…。バイトに関しては、この前載せた求人サイトもなんの効果もなかったじゃないですか。これは流石に…」
「う~ん。やっぱ寿司屋って若い子たちには人気ないのかな」
「みんな食べるのは好きですけどね」
パソコンの画面に展開した『発注票』と書かれたシートを見つめながらそんな軽口をたたく藤井。ここ最近で覚えた新しい業務に苦戦しながらもキーボードを叩き発注票を数字で埋めていく。
「ま、直近は藤井君がいるから大丈夫として…」
「ちょ、ちょっとちょっと。待ってください」
人差し指を唇に当てて、上を見ながら当たり前のように話す女性に対し、藤井のキーボードを叩く手が止まった。
「俺は来年四年生で就職活動もあるんすよ…。流石に今みたいな週六で出勤は無理かと」
近年、学生の就職先の数としてはそこまで極端に少なくない。だが、それとこれとは話が違っていて、決して適当にエントリーシートを書けばどこかの会社に受かるようなそんな次元の話しではないのだ。
藤井の通う大学はこの辺りの地域では賢い部類に属しており、また、自身もそれほど成績が悪い訳ではない。それでも早期エントリーを申し込んだ会社の面接は悉く惨敗していた。
「―だから、流石に春からは多少…って、えぇ!店長?」
申し訳なさそうに勤務数の低下を懇願しようとした藤井だったが、視線の先で驚いた様子で固まる女性を見て思わず声を上げた。
その女性は鳩が豆鉄砲を喰らった様な驚愕の表情を顔いっぱいに宿したまま、
「え……。藤井くんはこの店に就職してくれるんじゃないの?」と尋ねた。
「え…?」
思わぬ方向からの発言に一時的に思考が停止した藤井だったがすぐに正気を取り戻した。
「いやいやいや。流石に高い授業料払ってもらって、奨学金で借金背負ってまでいい大学出るのに就職先が郊外の飲食店っていうのはちょっと……」
別にサービス業を見下ろしている訳ではないが、藤井の望みはあくまでも土日祝日は休みのサラリーマンなので申し訳なさそうに女性の発言を否定した。
「そんな…。じゃあ本格的にこの店やばいじゃん!どうするの⁉ねぇ藤井くんどうするのぉ~‼」
「―ちょ、店長止めて下さい。揺すらないで下さい」
これは困ったと藤井の肩を揺する女性―この店の店長である彼女のそんな行動に制止を掛ける藤井。揺すられたのは実は体だけではないのだが、藤井は居直って店長に向き直る。
「全く…。ちょっと店長は感情の起伏が激しすぎるんですよ。初めて会った時だって……」
「…?」
そう言って過去の回想を始めた藤井だったが、その回想は続かず表情を曇らせて黙り込んだ。そんな藤井の突然の閉口に店長は首を傾げた。
「いや、なんでもないです。それよりも他方、店の売上の件ですが……」
「―そうよ‼そのせいで私、エリア会議とかびっくりするくらい肩身狭いんだから‼」
「まず商品体系が全然ダメですね。全く他のチェーン店と差別化できていないのに、それでいて値段は100円寿司じゃない。てんでダメです」
「…うぅ。それは私には……」
「あとはそうですね。そのクセころころと季節毎に新商品を出したり、新しいルールを出したりするから、働く側のスキルが均一じゃない。だから品質にも繋がらないし、何よりバイトが定着しない」
「でもそれって……」
「そうです。全部上の責任。本部の能無したちが現場を知らな過ぎるんですよ。それがこの会社のダメな所です」
そう言ってパソコンの入力を一時中断し、両手を前してなにかを説く発表者のような仕草をみせる藤井。
一応経営学部で学ぶものとして、手前味噌ではあるが自身の所属する会社をそう評価していた。
「―だから俺らにできることなんてないんですよ。ね?店長、って、あぁぁ」
親指を立ててそう豪語した藤井の体はまたもや大いに揺らされ、後半の発言は言葉になっていなかった。
「だ~か~ら~‼そこをどうにかできないかって話なのぉ~‼」
揺すぶりの犯人は勿論店長で、涙ぐんだ瞳で現状を嘆く姿を見た藤井はなんとも居た堪れない気持ちになった。
「もうっ」と隣で息をつく店長。その横顔を、藤井は物憂げな表情を浮かべて見つめていた。
先ほどは途中で断念した回想が、無意識的に頭の中を駆け巡り再スタートされる。
目の前に座る店長の変わってしまった『笑顔』を見て、あの日を思い出さずにはいられないのだ。
明るくて気さくで優しい……。そんな彼女と初めて出会った日の事を……、『初出勤の日』の事を……。