8.変身といえばキメポーズが重要だったそうですが
……寒い。
身体の芯から冷えきっていた。
まだ秋口にもなってないはずなのに、都内でも朝は寒いんだな。ナメてたわ。
布団はどこだろう、足の方に蹴飛ばしたか?
寝ぼけ半分で目を開けると、茶色い板材のはずの天井が、なぜか青かった。
真っ青な天頂から床に向かって薄い緑のグラデーションが掛かっている。
なかなかに幻想的な色使いだ。
夢でも見てるのかと、掛け布団を探そうと視線を下に移すと――。
――巨大な頭があった。
「うわっ!?」
口の端からにょきりとはみ出た大きな牙に。
ぷすぴーと顔に掛かってくる巨大な鼻息に。
さすがに一発で目が覚めた。
あわてて周りを見回す。
やけに赤黄色い太陽が、下枝のまったくないモミの木に似た針葉樹の間から見え隠れしていた。
広場には膝下辺りの背丈の牧草によく似た草が、朝露に濡れてキラキラしていた。
その表面を薄く朝もやが覆っている。
そんな中で漆黒のドラゴンが、俺を取り巻くように巨体を丸めて、ぐーすか寝ていた。
そのドラゴンの、軽バンより少し細めの胴体に背中を預けて、俺は寝ていたわけだ。ドラム缶より二回り位デカい頭の向こうには、巨大な熾き火の山。
……そういや俺、目の前のコイツ――名前、ヴィラに決めたんだっけ――ヴィラに召喚されたんだったな。
だんだん思い出してきたぞ。
何度も死ぬ目にあったことや、あの赤いアイツから逃げた事も全部、本当にあったことか。
……ちょっとは夢を疑ってたんだけど、ただの現実だったんだな。
おもわず身震いする。
これが現実であるという認識が脳に浸透してくると、同時に寒さまでもが身に滲みてきた。
焚き火のお陰か、寝てるうちに服はすっかり乾いたようだったが、もしかしたら濡れた服のまま寝てしまった事で、余計に体の熱を奪われていたのかもしれない。
ていうか、この震えはどう考えても、現実を認識したどうこうじゃなくて寒さが原因だ。
ええい、何か考えるより暖を取る方が先ってか。
人間ってめんどくさい生き物だな、もう。
深呼吸して立ち上がると、ヴィラの巨体を踏まないように慎重に外へ出た。
※
残していた木材を集めているうちに、背後で巨体が身じろぎする気配がした。
どうやら起こしてしまったようだ。
「おはよう。うるさかったならごめんな。すぐに火を起こすから、もうちょっとだけ待ってくれ」
振り向きもせずに声だけかける。
今は暖の確保が最優先だ。
薪を適当量胸に抱き、熾き火の前に戻る。
……くそ、なかなか上手くつかないな。
ああそうか、太い薪じゃなくて、まずは小枝で火勢を強めてからじゃないといけないんだっけ?
林間学校でやらされた遠い記憶を思い出しながら悪戦苦闘していると。
突然、うなじにぐさっと何かが刺さった。
「いてっ!?」
そして脳裏に思考が流れ込んでくる。
『おはようってなんだ』
痛む首筋を押さえて振り向く。
首をもたげ、高みから俺を睥睨しているヴィラの頭があった。
「おい、今わざと痛くしただろ。なんでわざわざ触手ブッ刺す必要があるんだよ!? 普通の声でいいだろ、声で」
『おはようって、なんだ』
俺の抗議を無視してくり返される質問。
朝っぱらから機嫌悪いなこいつめ、低血圧かなんかか。
「朝の挨拶だよ。あ、い、さ、つ」
『あいさつ?』
「今日も一日、お互いに頑張ろうな、って意味の掛け声だよ」
『頑張る……一緒に……か――』「――そうだな、おはよう!」
途中から声に出して、朝の挨拶をしてくる黒い巨体。
もしかして、挨拶の概念を持たない種族なのだろうか。
説明してやったらいきなり元気になるし、一体なんなんだろうなこれ。
「なんだじゃない! わたしが目が覚めた時に、おまえが側にいなかったから、ちょっと探しちゃっただけでしょ!」
「ここ、お前の首の範囲内なんだけど……」
「目の前にいなかったら、不安になっちゃうでしょ!」
まったくもう! と、ヴィラが巨大な鼻先で俺の腹をぐりぐり押してくる。
え、つまり? 目が覚めたら俺が視界にいなかったから不安になって、あげくに八つ当たりされたってこと?
とはいえ尻尾の範囲内ではあったはずで……いや、丸まってる体の首の後ろ側に居たから、ほぼ死角だったのか?
「……あのさ、そんな心配しなくとも、こっちこそお前とはぐれたら野垂れ死にするしかないんだって、ずっと言ってるでしょうが」
「で、でも、こんな何もいない人界の里山で、悪魔がどうやって死ねるんだ?」
「俺にとっては、野犬やイノシシの一匹で十分に命の危機なんだけど?」
「またそんな、誰も騙せない嘘を……もしかして、これが“はらげい”とかいうモノなのか?」
「まったく違うから」
本当にただの、不都合なまでの真実ってだけですから。
……あれ? もしかして俺って、幼児に守ってもらわなきゃ生きる事すらできないような、そんな存在なのか?
※
数分の後。
俺の、俺一人の、多大な努力の末に、なんとか火を復活させることに成功した。
火の暖かさにホッとして、俺は再びヴィラの白い腹に背中をあずけた。
自然と空が目に入ってくる。
登るほどに赤みを増していく太陽に比例するように、空の緑は深みを増していく。
明け方には薄藍色だった空は、今は浅葱色に近い。
心なしか日の光も、少し弱い気がする。
ここがどこかは想像もつかないが、確かに日本とは違う何処かのようだ。
「そういやさ、人間に変身するには陽光が必要だとか言ってたけど、どのくらい必要なの? そろそろいける?」
「いけるけど……やっぱり、にんげんにならなきゃダメなのか?」
「昨日も言ったけど、地図や食料が欲しいんだよ。そのためには街の中に入らなきゃならない。そのカッコのままじゃ入るどころか、大騒ぎになるだけだろ?」
「そっか、このままだと、近づいただけでにんげんみんな逃げちゃうもんな。どの個体が“ちず”とか食べ物を持っているのか、わかんなくなっちゃうか……」
「うん、まあ……そういう事……かなあ?」
なんかちょっと違う気もするが、大筋では間違っていないような気もする。
「ん、じゃあすぐに変身する。人界は上級精霊が薄いんだ。中級を使役するだけの光を供出させる密度がないから、日光で補完するしかなかったの」
「……お、おう?」
「炎の光だと、総量も尖頭値も足りないんだって。だから昨夜は――」
「あ、ああ……」
……なんだろう。
さっきの“おはよう”の話とは逆に、今度は俺がヴィラの説明を理解できない。
単語は分かるが内容がちんぷんかんぷんだ。
なるほどな、俺たちは“契約”時にお互いの知識を交換したのだとヴィラは言っていたけど、実態はお互いが持つ各々の知識という名の巨大な図書館を、そのまま渡し合っただけって感じなのかもな。
そこに必要な知識は置いてある。でもそれを探し出して、理解して、活用できるかどうかは自分たち次第ってことか。
そりゃ、いきなりおはようとか言われても理解できんわな。
ネットならヤプーでググレカスで終わるのに……検索エンジン&ネット翻訳って本当に偉大なんだなあ。
「――最上級精霊は水の中以外ならどこにでもいるから……聞いてるか?」
「あ? ああ、もう行けるんだろ? 身体が温まったなら行こうか」
「うん、じゃあ始める」
そう言うとヴィラは大きな首をもたげて、俺の背中を鼻先で押した。
「わたしから離れていろ、巻き込まれたら困るから」
「は?」
巻き込むってなんだろう、爆発でもするのか。
「んっと、中級の構文にはあまりくわしくないんだけど、この式には“折り畳む”って命令文が入っているんだ」
「……たしかにそれは、ちょっと怖いな」
プレス機に押しつぶされる自分を想像して、そそくさと立ち上がる。
勢いを復活させた放火事案の跡を避けて森の際まで離れてみると、触手はまだ繋がったままだった。けっこう伸びるんだなこれ。
振り返ると、晴れはじめた朝もやの中に、黒い竜が翼を広げていた。
このくらい離れればいいだろうか。
『うん。そのくらいでいいぞー』
思考に連動して頭を上下させるその姿は、抱いていた印象よりは小さかった。
そういや明るい場所でちゃんと見るのは、これが初めてだったな。
翼の幅は十メートルちょっとくらいだろう。全長は尻尾まで入れても二十いかないくらいか。
いや、数字にしてみるとかなりデカい数値ではある。ゼロ戦よりすこし大きな全幅で、全長は現代の主力戦闘機なみにあるのだから。
とはいえ体の半分かたは尻尾だし、意外と細身だから、実際のところの見かけのボリュームは動物園で見たキリンよりも多少大きいくらいのイメージだ。
日光を反射してきらきらと輝く黒い鱗に覆われた肢体。
尻尾が若干長いが、均整の取れたフォルムは猛禽って感じで強そうだ。
流麗な全身のラインには、ある種の優雅ささえ感じる。
後ろ足だけで走ってもそこそこ早そうなくらいスリムだし。
『始める。同調切るぞー』
「ああ、了解だー」
褒めたのに気をよくしたのか、明るい感じの思考が届いてくると、首筋から触手が抜かれて縮んでいった。
ま、中身はアレだけどな。
接続が切れたのをいいことに、好き勝手にオチをつけてみた。
※
変身には、意外と時間がかかるようだった。
現在、目の前にあるのは、漆黒の球体。
半透明な影のような空間の奥で、シルエットになったドラゴンの身体が、塵となって散っていくのが薄ぼんやりと見えた。
ヴィラは「折り畳む」と言っていたが、これは「溶け崩れる」と形容した方が良いような気がする。
とても変身シーンには見えない。闇落ち中ですとでも言った方が合ってるような、本当にこれでいいのかとちょっと不安になる光景だった。
おっかしいな、折り畳むと言うからには、変身ロボとかトランス機械生命体みたいなのを想像してたんだけど。
だけどまあ、ヴィラにとっては今回が初めての変身じゃないんだし、これで正しいんだろう。
……大丈夫だよな?
気付くと、球体の表面には霜がうっすらと降り、中が見えづらくなっていた。
表面はかなりの低温なんだろうか。
目をこらしてみると、崩れ散った黒い粒が凝集しているところだった。
次第に形が固定され、人型のシルエットになっていく。
ああ、大丈夫っぽいのか……な?
俺の不安をよそに、人型になってしまえば後は早かった。
影は消え、細部が浮かび上がりはじめる。
昨日も見た通り、かわいいが生意気そうな顔。
髪の間から水かきみたいな耳の膜がのぞいている。
額の角も、小さくなった翼も、長い尻尾も、もちろんそのままだ。
腰下まである漆黒の髪に包まれた身体は、白く、か細い。
完全に昨日と同じ姿だった。
もちろん胸も昨日同様に、世間様に胸を張ってお見せできるレベルではなかった。
もしかしてこいつ、この姿にしかなれないんだろうか。
まあ中身そのままの外見だから、何の違和感もないけど。
ていうかね、相方がいないとボケもツッコミもしようがなく、ただ無言で見てるだけっていう状態でですね、思考までなんかこう無機質感っていうか、箇条書き風っていうかに、なってしまいまして。
自分がこの世界でいかにピンではやっていけないのかを、今さらながらに自覚させられる状況なわけでして。心根まで一蓮托生っていうか一連チクショーってな勢いなわけでして。
つか何言ってんだ俺。
一人って、本当に虚しい脳内一人ボケツッコミが増えるよね。
俺の心情をよそに、ドラゴンは少女へと戻った。
※
球体の影が消え、内部から冷たい空気が流れ出てくる。
表面に張り付いていた霜が、さあっと昇華して消えた。
かくん、と、少女の膝がくずおれる。
小さな身体を、あわてて抱きとめた。
手にした身体は、かなり冷たかった。
「おい、大丈夫か」
「……う、うん。大丈夫だぞ。どしたの?」
「なんか変身に見えない変身のしかただったから、ちょっと不安になってね」
「そうなのか? わたしは自分では見えないから、よくわかんないけど」
か細くはあったが、普段通りのヴィラの声。
ほっと安堵の息を吐いて抱き上げる。
ドラゴンの時と同じく、少女の姿になっても羽のように軽かった。
「わきゃっ!? な、なんだいきなり?」
「身体が冷え切ってるんだよ。とりあえず、はやく焚き火の前に行こう」
「あ、そ、そうなの……か……。びっくりした」
じっと俺を見つめてくる瞳孔が、陽光の下できゅうっと縦長になる。
猫みたいだ。いや、ドラゴンなんだから爬虫類系に例えるべきなのか?
っていうか、なんでこんなに熱心に見つめられてるんだろう。
「だっておまえ、なんか思ってたよりでっかかったんだもん」
「俺はもうちょっとで大人だからね。そういうお前は幾つなのさ」
「ええと、たしか次の太陽の天頂回帰で、生まれてから十組目の終わりだぞ」
よくわからんけど数え年みたいなものかな。つまりまだ九歳半くらい……ってことなのか?
うむ、まあ、やはり見た目のままのガチロリだったか。
「がちろりってなんだ?」
「え? あー、年上が守るべき存在……かな?」
「おまえがとしうえなの?」
「まあそりゃ、今年で十八禁解禁になったからな」
「……えと? つまりじゅうはちってこと?」
「ああ、つまり十八ってことだ」
「そうなのか! うん、じゃあ思うぞんぶんわたしを守るといいぞ!」
ドラゴン少女が嬉しそうに尻尾をくねらせながら、ぎゅっと抱きついてくる。
うん、まあ……元の姿でならともかく、この少女姿の時くらいは俺が守るべきなんだろう……かねえ。
※
復活させた焚き火の前でしばし、二人して温まる。
氷のように冷え切っていたヴィラに抱きつかれると、せっかく暖まった身体から急速に体温が奪われていくのが実感できたが、抱きつかせる箇所を背中にしたりわき腹にしたり、また腹側にもどしたりして、どうにか切り抜けた。
ヴィラはというとなぜだかすごく嬉しそうに、肩口まで登ってきたり、膝上まで降りてきたりと身体中を這い回ってくれていたわけだが、なんだろう遊んでるつもりなのかね。楽しいならそれでいいんだけどさ。
しかし、改めてヴィラを見てみるが……うーん、こいつをどうやって騒ぎを起こさずに人里まで連れ込むか、それが課題だな。
今は折り曲げた俺の立て膝に抱きついているヴィラが、俺の視線を感じたのか、頭を膝頭の上に乗せて首をにゅーんと伸ばしてくる。
「どうやってって、なにか問題でもあるのか?」
「問題っていうか、それ以前かな。人間には、俺と同じく角も尻尾も無いだろ?」
「んー? 言われてみればそう……だったっけ……?」
羽と耳は何とか誤魔化しようもあるだろうが、その二つは隠すのが難しい。
「むー、でもわたしは、これ以外の人間には成れないんだぞ」
口をへの字に曲げて少女。
「わたしの身体にある人間の情報を持つ部分だけを残して全部収納する――そういう式だから、これがわたしの人間としての姿なんだぞ」
「それにしては、人間には無い部分がいろいろ残っちゃってるんだが?」
人間に角や翼があるとか、それどこ情報だよ。
「ええと、これは感覚器なんだからしょうがないでしょ。おまえだって、目の無い動物に変身したとして、目が無くなったらやっぱり困るでしょ?」
なるほど、たしかに表面的には十分説得力がある説明のように聞こえる。……どう見ても地上でそのツノの出番は無いと思うんですけどね。あとその羽は何の感覚器だっつーんじゃ。
とはいえ、これ以上人間にはなれないというのであれば諦めるしかない。最悪マントででも、全身包んどけばいいか。
「……まあいいさ、何とか誤魔化してみよう。それよりもさ、もっと大事なことがあるんだ」
ちらっと一瞬だけ焚き火の方に視線を流してから、少女に目を戻す。
目を見つめながら、手を握ってそっとその細い身体を抱き寄せた。
逃がす気はなかった。
「え……な、なんだ?」
少女は一瞬目を見開いてとまどっていたが、これからしなければならない事をそっと耳元でささやいてやると、困惑しながらもどこか嬉しそうだった少女の表情は……。
……絶望に塗り潰された。




