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50.御前会議 転 英雄登場! 即退場!



 扉奥の暗がりから出てきたのは、穂先を鞘で固めた槍を持つ、俺より少し年下に見える兵士だった。


 国主は彼を横に置いて、声高に宣言する。


「この者こそが、主族でも貴族でも教属でもなき一兵卒の身でありながら、我が国に仇なしたる赤き竜を弑した、英雄である――」

「おおおおお……」「彼の者が……」「何とも勇敢な」


 続く参列者の酔っ払いどもの賞賛の声に気を良くしたのか、国主陛下はそれ以降も、なんやかやと言い続けていたようだった。

 しかしそんな戯言を聞いている余裕は、俺にはもうなかった。

 腕の中のヴィラが、静かに殺気を発しはじめたからだ。


 殺気の塊になってしまった少女が、小さく呟く。


「隠れもせずに出てくるとはいい度胸だ……赤いアイツを継ぐ者め……」

「おい待て。本当に継承したかは、まだわからないだろ」

「だから、それを確かめるためにここに来たんでしょ! おまえも油断しちゃダメだぞ!」


 するりと腕から抜け出すと、ヴィラはテーブルの上にふわりと舞い降りた。

 威嚇のためなのかその身は直立し、重心を外れた尻尾はびたんびたんとテーブルを叩いている。

 少女の周りの空気が、宿敵と対峙しているかのように凍り付いていった。


 その場に立ったまま、じっとラウスとかいう名の兵士を見据えたヴィラは、静かに口を開く。


「……“兵”よ。本当に貴様が、赤いアイツに最後のとどめを刺したのか。貴様はヤツとの“継承”を成したのか?」


 呟くように小さな声が、静まり返った会場に、なぜか大きく響く。

 兵士は答えない。

 俺からはヴィラの視線に射すくめられて動けないだけに見える。だがヴィラはそうとは取らなかったのか、身体を少し前傾させると、無造作に距離を詰め始めた。


 料理が盛られた皿を蹴散らしながら長テーブルの上を侵攻していく薄桃ドレス姿の小さな暴虐の体現者に、さすがに衛兵が止めに入ってきた。


「国主閣下の御前であるぞ!」

「ぶ、無礼者め、神妙にいたせ!」


 ヴィラの進路を塞ぐように、槍をバツ字にクロスさせて進行を止めようとする。

 しかしその程度で、幼いとはいえドラゴンの化身を止められるわけもない。

 ヴィラは突き出されてくる槍を意にも介さず、爪の一薙ぎで次々とバラバラにしていった。

 そして、視線を少年に向けたまま、無人の荒野を征くように、ただ歩を進める。





 漆黒の尻尾と羽を誇示しているとはいえ、表面上はドレスを着たただの幼い少女にしか見えない。そんな存在が、殺気を撒き散らしながら衛兵たちを何の苦もなく無力化していく。


 さすがにこの異様な光景は、ホール内を動揺させるには十分だったようだ。列席した重鎮たちが、椅子を蹴倒してわらわらと散り始めた。

 まあな、酒に酔った目から見ても、そりゃ恐怖しか感じないだろう。


 最上座の国主を始めとして、サシャ権宮司と、英雄(・・)たるラウス少年だけが、動きもせずに佇んでいた。

 彼らが動かないのは、プライドがそうさせているのか、それとも何らかの自信があるからなのか、それとも直に殺気を向けられて体が硬直しているだけか。


 ヴィラがテーブルの残り三分の一ほどまで進んだ頃、サシャさんが、我に返ったのかすっくと立ち上がった。


「しゅ……首位術士達よ、この者を捕縛なさい!」


 それを合図に、二階廊下の柱の影から白いローブをまとった教会員たちが、うっそりとその姿を現すのが視界の端に見えた。


 ん、教会術士? 隠れてたのって国側の暗殺者じゃなかったのか?

 国主じゃなくてサシャさんが、連中を伏せて置いていたってのか――なんで?


 教会員達は手に手に楽器のようなものを取り出すと、朗々と何かを吟じ始める。

 そんな彼らを、ヴィラは平然と歩を進めながら、嗤い飛ばした。


「権宮司よ、きさまも敵だったか。しかしそんな間延びした吟唱で我々“------”に抗せる……つもり……、え? まさかこれが人間の本気なのか……?」


 当初は殺気に満ちていたヴィラの声が、なぜか教会員たちの唄が進むにつれて、困惑したように勢いがなくなってくる。

 とうとう殺気までをもどこかへうっちゃって、呆れたような叫び声をあげた。


「まて、まてってば! きさまら吟唱をやめろ。なんだその冗長な変数は!? せっかく定義した多数の領域を半分も使ってない上に、参照すらしないとか……聞いてて恥ずかしくなってくる!」

「は……?」

「は? じゃない。赤いアイツにわたしの使っていた関数が高級すぎるって言われたのが、ようやく理解できた――えーい、やめろって言ってるんだ! ----!」

「いま、何を……?」


 怪訝そうに眉をひそめたサシャさんには答えずに。


「……ん? あ、これだな。これがあるから人界では精霊が希薄に感じられるのか。いい手法だ、これは評価する。だけどこの程度 --- ----- ----」


 再び短く区切られた三音価。

 たったそれだけで、術士たちの手が止まった。

 戸惑うかのように次々と詠唱が中断される。

 その一連の流れを呆然と見ていたサシャさんが呻くように。


「純粋……音価……? もしや、もしや本当にお嬢様――いえ、あなた様は……」

「やっぱりこの程度が人間の本気だったのか? どっちにしろこの地に敷かれた積層構造群(結界)は、わたしが掌握しちゃったけど」

「お、……御身のお望みのままに……」

「そうか、降参か? ならいいんだ、権宮司。きさまらは許す」


 サシャのか細く震える声に、ヴィラはなんとなく気が抜けたように頷いた。

 首を国主にめぐらせて。


「それで、貴様はどうするんだ? 歯向かう気が無いなら、いくら暴虐なわたし(・・・・・・)だって話くらいはしてやってもいいんだぞ!」

「……」


 自分の身を守る最後の砦であるはずの近衛兵を、よりにもよってこんな幼い少女に、歯牙にもかけてもらえなかった国主は、黙ったまま、返す言葉もないようだった。

 その様子に納得したらしいヴィラは、そしてラウス兵へと首を戻す。


「さて、この調子じゃ違うとは思うけど、一応聞くぞ“兵”よ。きさまは人間の言う“赤き竜”を継承せし者か?」

「は? え? ……いいえ、おらはただの人間です」

「……だろうと思った。きさまが赤いアイツを継承したていたなら、わたしに先んじて人間の保有していた積層結界を掌握しただろうからな。それに我ら“------”は嘘をつけないし」


 周囲の混乱が次第に納まっていく中、ラウス兵はしばし目をさまよわせる。

 が、すぐに意を決したようにヴィラと視線を合わせると、おずおずと口を開いた。


「“けいしょう”が何かはわかりません。でも、おらが槍を突き立てたから、あの赤い竜は死んだんだ。それは間違いないと思う――です」

「その時、ヤツとはどのような言葉を交わした?」

「言葉……? 竜が人間の言葉をしゃべるって言うんか――ですか?」

「……」


 少年の問い返しを黙殺したヴィラは、少年から顔を逸らさなかった。

 鋭い瞳に射竦められた少年は、指先一つ動かせないでいるようだった。


 しばらく視線を合わせあったままだったが、「ふん」と鼻を鳴らしたヴィラが視線を外すと、少年は崩れ落ちるようにその場にへたり込んでしまった。


「きさまは運が良かったぞ。その場に、誰に食べてもらえることもないはらわた(・・・・)を、撒き散らさずに済んだんだから」


 それだけ言うとヴィラは、少年に対する一切の興味を失ったのか、つい、ときびすを返した。

 そのまま、立ち呆けて経緯を見ているしかなかった俺の腕の中に戻ってきて、何事もなかったかのように全身を預けてくる。


「大丈夫だった。あの人間の中に、赤いアイツは気配すらなかったぞ!」

「ああ……そう、よかった」

「うん、これでもう大丈夫だぞ、間違いなくアイツはいなくなった! わたしたちの知りたかった事は確認できたでしょ? もう帰って大丈夫だぞ」

「ほんとに……?」


 もう一つあると思うんだけど。


 だって、ヴィラは忘れているようだが、ラウスとかいうヤツが赤いアイツを最終的に殺したって事になるなら、あの禁断の地はいったい誰の物になるんだ?

 救いを求める目を隣に向けると、コンシュは肩をすくめて返してきた。


「お嬢さんはやはり、政治の機微には疎いようですね。……詰めるのは……やはり私が出るしかないようで……」





 式典の最中に訪れた奇妙なしじまの中、コンシュは上座に向かって進み出る。


「ラウス兵、いえラウス殿。私は軍では左校、和国教会では禰宜(ねぎ)の位にあり、またこの国の第三主子でもありますコンシュと申します」


 さほど大きくはないはずのコンシュの声が、広い室内に響く。


「この国でも教会でも末席に座する私は、この場ではあまり発言権のあるとは言えない身ではありますが、僭越ながら貴殿にいくつかの質問をさせていただいて宜しいでしょうか」

「は……はい」


 まがりなりにも国の重鎮一族の言葉に、少年はあわててよろよろと立ち上がると不動直立の姿勢をとった。


「あなたは、どこの出なのですか?」

「は。……万葉州は枯浜の山ん中で生まれ、そこで育ちました」


 意図の分からない質問に戸惑いながらも、少年は素直に答えだす。


「万葉州は栃の国に接し、平定されたのは近年であった地区ですね。貴官は教会の庇護の元に育たれたのでしょうか」

「いえ、神官様がおらほ――うちの村に来たのは、かなり最近のことですが……いったい何の話ですか?」

「我が国は教会の教え“竜は不可侵の存在である”という立場を尊重しているのを、あなたは理解していましたか?」

「は? い、いえ……」

「竜討伐を為した人間、つまり“英雄”は、教会に身柄を引き渡され、重篤な背教者として宗教裁判にかけられる運命が待っています。それは、此度の討伐に於いても例外ではありません。ご存じでしたでしょうか?」

「は……え? え?」


 コンシュのこの言葉に、ラウス――“英雄”――は明らかにうろたえはじめた。

 彼は助けを求めるような目で国主を見るが、国主陛下もサシャも押し黙ったまま、一言も発する事はなかった。

 “英雄”の末路を白日の下に晒され、周囲が再びかすかにざわめき出す中、コンシュが畳みかける。


「以上を踏まえた上で再度伺いましょう、ラウス殿。あなたが赤き竜をこの地に墜とし、これを討ち果たした。相違ありませんか?」

「いえ、あの……おらは……」


 それ以上を言葉にできずに押し黙ってしまう少年。

 当然だろう。これに肯定の意を表すことはつまり、公の場で自らの処刑執行書にサインしてしまうのに等しい。

 ここが押し時だと読んだのか、コンシュは質問の方向を変える。


「我が隊の観測報告には、『かねてより禁断の地に棲まう黒竜によって、赤竜は主都に墜とされた』とあります。この報告に虚偽や、事実と相反する点は?」

「それは、わかりません。でも、おらたち……我々の隊が到着したときには、もう赤い竜は――」

「――すでに地に討ち臥せられ、黒き竜と、その傍らには角袖を羽織った人の姿があった?」

「そ、そうです。その人影は間違いなくおらも見ました。で、おらほの部隊が展開している間に、その人は黒い竜と一緒に飛んでってしまいまして……」

「……その後、貴官は赤き竜が死んでいるのかを確かめに行った?」

「はい。おらは班長に命令されて、動かなくなった竜が本当に死んでるのか確かめるために……この槍で……」

「そこまでで結構です。ありがとうございました」


 少年が固い表情で携えていた長槍を掲げようとするのを片手で制して、コンシュは柔らかな表情で礼を述べた。

 一転して冷たい視線を国主に向ける。


「お聞き及びのように、この兵が赤竜を討ったという報告には明らかに齟齬があるようにございます。ですが、ここまでの未曾有の事態に、情報が錯綜しますは致し方のない事。この者と守備団にはどうぞご寛大なお心を以ちまして、お咎めの無きよう」

「しかし我が主家の……」

「ご安心を。主家としての責務は、私が十分に果たしえたと思いますれば」

「……」


 無能なテメーの代わりに俺が全部やっといたんだよ。


 いつも末席にただただぶら下がっているだけであったはずのコンシュにここまで言われては、国主もさすがに言葉もないようだった。




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