47.事前会議
何とか入浴を済ませて脱衣所に戻ると、そこに待っていたのは、殿上用の衣装を手にしたメイドさんだった。
やけに腰周りのキツい洋装に押し込められた俺は、メイドさんにいち早く廊下に摘まみ出された。
彼女が手にしていた大荷物はコレだったんですね……。
そりゃ三日も着っぱなしの服で、偉い人と会うってワケにはいかないもんな。
「なかなかご立派なお姿じゃねえか、魔道士殿」
出迎えてくれたのは、どこか聞き慣れたダミ声。
壁に背を預けたハゲが、片手をひらひらと振っていた。
そして隣にもう一人。
窓も灯火も碌に無い薄暗がりの廊下の中誰かと思ったが、何のことはないただのコンシュ主子だった。
まあ、流れからして、そりゃ居るよな。
更衣室にちらりと目を戻すと、きつく締め上げられた薄桃色のドレスの腰まわりをしきりに気にしているヴィラと、それを必死に諫めているメイドさん。
ドラゴンの探知能力は水場では極端に落ちるし、ヴィラがこいつらに気づかなかったのも無理はない、か。
しかもお取り込みの真っ最中では、なおさら外を気にする余裕もないだろう。
「……で、ご覧の通りだけど、ご満足頂けましたかね」
ため息をついて、二人に室内の様子をアゴで指してやった。
「や、俺はただの様子見なんだけどな」
「ずいぶんと、ごゆっくりな入浴でしたようで」
二人のそれぞれの返答に、肩をすくめてみせる。
「騒ぎも起こさずにヴィラの正体をバラしてみせたぞ。――そんな事、ひとっことも言われた覚えないけどな!」
「あー、その、な……」
「ええ……」
二人は居心地悪そうに顔を見合わせ、視線だけでお互いに何かを押し付けあう。
そのうち、負けたらしいタケが頭をひと撫でして口を開いた。
「……言わなくてもわかってんなら、いちいち説明されるのもウザってえだけだろ? それに俺ぁ、ウチの娘があんたらに何か失礼でも働いてるんじゃないかと心配になっただけさね」
「……ん? 娘?」
このハゲ今なんて言った? ウチの娘?
――って、あのメイドさんが!?
目の前のハゲと、後方でヴィラにかしづいているメイドさんを、失礼なのは承知の上で、それでも見比べてしまった。
かたや身長も肩幅も俺よりふた周りはデカい筋骨隆々の大男、一方で華奢なメイドさん。
「……なにをどう間違ったら、コレからあんなかわいい娘が生まれるんだよ」
「コレたぁ、ずいぶんな言い様じゃねえか」
口ではそう言いつつも、表情はまんざらでもなさそうなハゲは、自分の娘にちらりと視線を流す。
こうやって見比べてみると、確かに目元なんかは似てなくもない……のか? でもそれ以外のパーツは、似ても似つかないんだが。あれか、これが“母は強し”ってやつか。
「ま、失礼がないようなら、よかったぜ」
「わたくしは与えられた職務に忠実たらんとするだけでございます、兵長様」
「……これは失礼つかまつりました――だそうで」
こちらを見もせずにそっけなく応じるメイドさんに返礼してみせてから、タケは悲しそうな顔で肩をすくめた。
どうやらこのオヤジ、娘さんからのウケはあまり良くないようだ。
俺とコンシュはしばし顔を見合わせてから、そろって小さく肩をすくめ返してやることしかできなかった。
――しかし、なるほどな。
メイドさんが兵長の娘だってんなら、この一連の流れも納得がいく。
万一メイドさんがパニックになっても、彼女の肉親――しかも元々ヴィラの正体を知ってるタケ兵長――なら、事態の収拾も難しくないだろうって事か。
そのうえダメ押しにコンシュ主子様本人まで来てるなら、なおさらだ。
まあここまでしてくれたんなら、いいか。
今後誰と会うにしたって、いちいちこいつらにお膳立てしてもらうってワケにもいかないんだ。いい練習をさせてもらったと思うことにしよう。
ため息を一つついて、いまだに脱衣室でわちゃわちゃしている女性陣二人に目を移す――と。
「あ……」
高そうな生地でできているドレスの後ろスカート部分を、ヴィラが真っ二つに破り裂いているのが目に入ってきた。
「ああっ!? なんという事を!」
絹を裂くようなメイドさんの悲鳴と、文字通り絹を裂く音とが重なり響く。
むさい男共二人も振り返った。
背中の大きく開いたドレスから出ていた翼に続いて、黒くぬめ光る尻尾までもが見事に露わになってしまったヴィラに、メイドさんが食ってかかる。
「奥様! その服、生地だけでわたくしの日当何年分か、ご承知ですか!?」
「なんで文句を言われるんだ? 使いやすくしただけなのに。羽は出てるのに尻尾は出しちゃダメなんて、理屈に合わないじゃないか!」
「ああもう……仰っていただければ、他のお召し物をご用意いたしますのに!」
「この服がかわいいって、きさまが言ったんだぞ! これがいいの!」
メイドさんの魔の手を振り切って逃げだそうとしたヴィラが、こっちに駆け出しかけ――。
「いいのではございません! お待ちください、その格好で走るのは危のうございます!」
「やめろー! しっぽ握っちゃダメだって――あわっ!?」
――ドレスのすそにけっつまづいて、手もロクにつかずに顔面から盛大にコケた。
そのまま動かなくなる。
「ちょっ、大丈夫か、おい?」
アワくって駆け寄ると、それでも俺が手を貸す前にヴィラは、鼻先を押さえて涙目で身を起こす。
「いったぁ……」
「よかった、ケガはなさそうだな?」
「うう……この雌がいじめるんだ……いたかったぁ」
涙声でヴィラは、のぞき込んだ俺の首もとに鼻面を潜り込ませてくる。
そのまま、すんすんと鼻を鳴らし始める小動物。
「も、申し訳ございません!」
「いえ、気にしないでください。コケたのはコイツの不注意ですから」
顔を青くしているメイドさんを片手で制して、ヴィラをちゃんと立たせる。
「すその長いドレスなんだから、ちゃんと足元を注意なきゃダメだろ?」
「うぎゅ……だって尻尾外に出したら、このひらひらしたのの中“視え”なくなるんだもん」
「だったらなおさら走っちゃダメだろ。この人の言うこと聞きなさいよ」
「う? うー……」
「だいたいこの服はお前のモノじゃないだろ。勝手に破たらダメだよ。お前だってコンシュが作戦中に俺の事を好き勝手にしたら怒らない?」
「うー……怒る」
「だろ? わかったら、ほら、ごめんなさいは?」
「……ごめんなさい」
意外なまでに素直に、ヴィラはメイドさんに向かって頭を垂れた。
メイドさんもやたら恐縮したように、さらに深々と頭を下げ返す。
「いえ、わたくしこそ自分の領分を越える真似をいたしてしまい、申し訳ございません」
そんな二人の様子にホッとしつつ男連中の顔色を横目で伺うと、コンシュも心底安心したような表情をしていた。
タケの方は、不仲な自分の娘と人外の少女との和解を目の前に、なんとも絶妙な表情をなさっていた。
……たぶん家庭では居場所がないのであろうマッチョハゲオヤジ殿、心中は俺も存分にお察し申し上げます。けいぐ。
※
タケ親子に前後を挟まれるように廊下を先導される間、俺はなぜかヴィラに、すろすろと纏わりつかれていた。
すろすろ、すりすり、そしてまたうろうろ。
「……なんでそんなにくっついてくるの? 歩きにくいんだけど」
「ん? におい付けしてるんだぞ。お風呂は思いのほか良かったけど、おまえの匂いがぜーんぶ消えちゃうのが欠点だな。ちゃんとすり付けなきゃでしょ」
「そうなの?」
「そうだぞ。次はおまえの番だから待ってて?」
「はいはい」
「あ、あと、ツノに銀と、首を守るあの輪っかも付けて?」
「は……え? いや、額飾りはともかく、首輪はちょっと……」
俺は思わず後ろのメイドさんに目をやる。
お仕着せを着せられている俺たちの持ち物は彼女が全部持っているんだし、そもそもこれから国主サマと会おうってのに犬の首輪はマズいだろう。
ふむ、ここは対ヴィラ御意見役の彼女に、何とか話をつけてもらうしかないな!
しかし、そんな俺の願いも空しく。
タケの娘さんは、先ほどの出過ぎたマネを反省したかのようなサバサバした表情でヴィラと視線を交し合う。
「奥様。角袖の袂にございましたこちらで、お間違いないでしょうか」
「あ、うん、それだぞ。……ありがと?」
「いえ、奥様。この身には勿体のうお言葉にございます」
え、ちょっと待って。二人していつの間にそんなに通じ合う仲になったの? 意味わかんないんだけど!?
俺の困惑をよそに、銀の額飾りと犬の首輪という二つの物品が、人外幼女と人間少女の間で取り交わされる。
ヴィラは受け取ったそれを両手に掲げて。
「はい、おまえ。つけて?」
「……ええと……つまりこれって、アリなの?」
「はやくってば! これから敵地に乗り込むんでしょ?」
「……はい」
どうやらコンシュやタケ兵長も含めて、誰からも反対は出ないようだ。
一行ごと立ち止まってヴィラの支度が済むのを待つ。
これってもしかしたら、首輪も何らかの魔道具だから付けているとでも思われているのかね――俺が“魔道士”なだけに?
そういや、この世界に魔道具ってあるんだろうか――ああ、考えてみれば“竜殺しの剣”には保存の術だかが付加されているとか言ってたっけな。それ系の技術はあるのか。ほとんど見た事ないけど。
てかさ、魔道具だと“魔法の道具”で普通の言葉なのに、魔道士だと途端に“冥府魔道”とかいう怪しい方向にイメージが行くのはなんでなんだぜ?
そんなどうでも良いことをつらつらと考えつつ、両方付けてやると、ヴィラは嬉しそうにまたくるくると回りだす。俺の周りを。
そしてそのまましばらく、におい付けに勤しんだ後に、再度両手を伸ばしてきて。
「はい、わたしの用意はおわり! 次はおまえの番!」
両腕を伸ばして抱っこをせがんでくる少女を、ため息を吐きつつ乞われるままに抱き上げてやる。
そのままの勢いで腕の上まで登ってきたヴィラは、腕を腰掛けに俺の頭を横から抱え込んで、鼻先ですりすりふんふんし始めた。
そんな事をされながら廊下を歩いていると、薄暗い廊下はいつの間にか終わり、城正面入り口のエントランスホールのような場所に着いた。
※
目の前の階段を、高価そうな洋装に身を包んだ明らかに貴族っぽい面々が、静かに上がっていく。
彼らがこちらに――特にコンシュに――ちらちらと流してよこす視線は、明らかに憐憫とか冷笑の成分が混じっているようだった。
お大尽方々を先に行かせてしまうつもりなのか、先頭のタケが立ち止まる。
巨体の背中に通せんぼされる形で一行の足も止まった。
こちらを盗み見つつ忍び笑いをしている貴族連中を、コンシュがどうでもよさそうに眺めながら。
「さて、この階段を上がれば謁見会場ですが、覚悟はよろしいですか」
「こんな正面玄関入ってすぐの部屋で謁見すんの? そういや国主――つか、あんたのオヤジさんは無事だったのか」
「ええ、ケガの一つもありませんでした。では特に質問も無いようなら、行きましょうかね」
コンシュの言葉でタケが横に避ける。案内役のタケ親子二人の役目は、どうやらここまでらしい。
階段を上がりながら、コンシュが小さな声で。
「最後に一つだけ。会議では私の立場等は一切気にせずに、お二人のお好きなように話を進めてください」
「好きにしろって言われても困るんだけど。……なんか助言の一つもないの?」
「あの扉を潜った先では、私はただの主子です。あなた方に釣り合う立場にはありませんから、公式には何も言えないんですよ」
「主子でも対等じゃないって……俺たちが偉いってこと?」
「当然でしょう」
「……なんで?」
腕の上に座り込んでいるヴィラと顔を見合わせる。
が、もちろんこの小動物は、理解できていないような顔で「ん?」と首をかしげただけだった。
反応の薄さに焦れたのか、コンシュが続ける。
「いまだご自覚をお持ちでないようですね。あなた方はたった二人で、強大国にも等しい存在なのですよ」
「それは軍事力的にって意味で?」
「とりたてて区別する意味がありますか? 短期的な外交は、経済と軍事という実効力、そしてそれらを背景とした交渉によって成り立っているのですよ」
「……そうか、経済的なやり取りができない俺たちは、軍事力を背景にした交渉をするしかない、ってか」
確かに、ヴィラとこの国が戦争状態になろうものなら、人間側はこいつに対して何もできない。戦いは一方的なものになるだろう。
国民全滅はあり得ないにしても、国家としての体制が崩壊することは間違いない。
その意味では、俺の腕の中の小動物は、強国と同じレベルの存在ってワケか。
「――って、そんな俺たちをいきなり国の喉元に連れ込んだのか? いったいナニ考えてんだよ?」
「しかたないでしょう、私だってあなた方を敵に回したくはないんですから。せめて、お嬢さんのお住まいになっていた“禁断の地”の所有権くらいは、もぎ取ってから帰って下さいよ?」
「ああ……赤いアイツを倒した“英雄”が、既に用意されてるかもって話か……」
アイツを倒した奴があの“縄張り”を引き継ぐのがドラゴンの慣わしなら、討伐したのが誰なのかを明確にしておかなきゃいけないんだよな。そうだよな。
「そうだぞ、おまえ。でも大丈夫だぞ。人間が何を言おうと、わたしたちに異を唱える奴はぜーんぶ刈っちゃえばいいだけだから」
ヴィラが俺の頭にアゴ下をぐいぐい押し付けながら、のほほんとした調子で階段を登っていく貴族のお偉いさん方を見やっているのが伝わってきた。
そんなドラゴンの化身に、コンシュは諦めたような達観したような、意外と平静な様子で答える。
「……ええ、当然そうなるでしょうね。ですから、誰かが余計なことを言い出す前に、此度の戦いは竜同士による戦いであったと示してしまうべきです。早急にお嬢さんの正体を晒した上で」
「言葉だけで、どこまで信じてもらえるモンかねぇ」
「最終的には、その場の全員が信じさせられる結果になるのでしょう? 人死にはなるべく少な目でお願いしますよ?」
「……おい、あんたまさかそのために俺らをここに? “そこまでやるつもりはない”って、反乱鎮圧の後で言ってたはずだよな」
「はあ!? あなた方の刹那的な振る舞いに、少しでも私の意志が介在する余地が、いったいどこに在るっていうんですかね!?」
あ、キレた。
うむ。悟りの境地とは少し突っつけば、斯くも容易く崩れ去るものなりけり。
西遊記で三蔵法師も、そんなこと言ってたしな。
ていうか、今までだってコンシュの意見もちゃんと聞いてたと思うんだけど。
うん、まあ、参考意見程度にはね?




