45.お風呂にGO
「――それがどうして、わたしが“おふろ”に入ることに繋がるんだ!?」
ヴィラの悲痛な叫びが、脱衣所に響きわたっていた。
部屋向こうの湯殿から流れてくる乳白色の湯気に、胸元の小動物が手足をじたばたさせている。
タケが俺たちをメイド――に似た格好の侍従の人?――に引き渡して以降、この小さな怪獣はずっとこんな感じだ。
救いといえば、前を行くメイドさんが俺たちの騒ぎに全く動じもせず、こちらを見もしなかったことか。
どうせタケ兵長あたりにこっちの正体を知らされて、人外連中なんて目に入れたくもないってところだろう。
ま、この国ではこいつは“暴虐の黒竜”だし、それもしょうがないか。
「……ていうかさ、お前はいいかげん諦めなさいっての」
「だって水に入るなんて! 主子の用事に、なんでわたしの矜持を傷つける必要があるんだ!」
「プライドの話だったら、薄汚れた恰好のまま人前に出る方がよっぽどカッコ悪いと思うんだけど」
「わたしはべつに汚くないの! おまえだけ入ってくればいいでしょ!」
ったくもう、こいつめ。
ぐねぐね逃れようとするダダっ子を押さえつけるのも、いいかげん疲れてくる。
よし、攻める方向を変えてみよう。そんでダメだったら俺一人だけ楽しんでくればいいや。どうせこいつは確かに、そんなに汚れてないもんな。
「……あ、そ。じゃあ俺だけ入ってくるよ。お前はここでお留守番な」
「え? あ、あれ? そ……それは……」
作戦は的中したようだ。案の定、ヴィラの動きが止まる。
「折角のきもちいい風呂だし、一緒に入れればって思ってたけど、嫌ならしょうがないさ」
「……だって、おまえと入った川は冷たいだけで……気持ちよくなんてなかったでしょ」
「冷たいのは俺も嫌だよ、でもお湯は気持ちいいんだよね、体も温まるし。寒さに震えるお前を残して行くのは心残りだけど、ちょっと行ってくるね」
「ま、まって、そんなのやだ! ……でもほんとか? ほんとに気持ちいいの?」
「感じ方なんてそれぞれだからなあ。未知な事は誰だって怖いもんな。無理強いはやめる事にするよ」
「があううぅぅぅ……」
階段の上に置いていかれた子犬みたいな、いっそ泣いてしまいたいみたいな顔をして視線をそこら中に彷徨わせたあげく、ヴィラはキッと俺を見上げて。
「わかった……未知なる事象を忌避するは無知なるがゆえ、だもんな! ……しょうがない、わたしも一緒に入る!」
よし、勝った!
心の中でガッツポーズ。
ヴィラは、はあ、と小さく息を吐き出すと。
鼻先をすり寄せてきて、なぜか嬉しそうな声で。
「……まったくおまえは、真理への道を引き合いに出してまで、どんな時でもわたしと一緒に居たいのか。しょうがないな」
幼女様的にはそう受け取りましたか。なるほどね、それはそれで別に……。
……あれ?
そういや、なんでこんなに必死になってたんだっけか。
ヴィラは汚れてないから風呂に入れなくてもいいって思ったんだよな、俺。
これ結果的には俺がヴィラと一緒に風呂に入りたいって話になってる?
なんかおかしいな。
なんだろうこの、試合に勝って勝負に負けた感……。
※
「……そろそろよろしいでしょうか」
「うぇ? は、はい!」
予想外の方向から不意に声をかけられ、思わず返事をしてから我に返る。
顔を上げると、大きなカゴを両手に抱えたメイドさんがこちらを向いていた。
そういやこの人もいたんだっけ。
ずっと俺たちを無視するように前を進んでいたから、すっかり油断していた。
ヴィラを運ぶのに必死で、ロクに見もしないで後ろを付いてきただけだったが、改めて見るとメイドさんはかなり若い人だった。
かなりというか、明らかに高校生くらいで、俺より若干年下だ。
露出の少ない本格メイド風の洋装に身を包み、長い髪をゆるく編んでいる。
目に届きそうな前髪の奥には、勝気そうな瞳があった。
その目は若干細められ、呆れているようにも見える。
「あー……騒がしくてすみません」
「いえ」
メイドさんは手に持った大荷物を床に置きつつ、返事にため息を紛らわせる。
ようやく仕事の終わりが見えてホッと一息って感じだろうか。
だがそれに続いた彼女の行動は、俺の予想を完全に超えていた。
「では、お召し物をいただきます」
「……、……は?」
うろたえる俺の背後に、ごく自然な所作でするりと回り、角袖に手を掛ける。
そのまま剥ぎ取られようとした上着に。
なぜかいきなりヴィラが怒り出した。
「待て! わたしたちに触れるな! わたしのこいつに触っていい雌は、わたしだけなんだぞ!」
「は……はい?」
「わたしとわたしのこいつは、もうつがいなの! 相手のいる雄に触れようとするなんて、どういう了見だ!?」
「も、申し訳ございません……」
ヴィラに牙を剥かれて、メイドさんはびっくりしたように引き下がる。
それでも取り乱した様子が見えないのは、なんかプロっぽい。
「主子様から特段のご指示を頂いておりませんでしたので、普段通りの役目をさせていただくつもりでした」
「役目って、服を脱がせるのがですか?」
「ご入浴のお手伝いの全てを、でございます」
「つまり、服を脱がせて身体も洗って……?」
「左様にございます」
「なんだ、ただの役目だったのか? ……ならば仕方ないけど、わたしたちにそーゆーのは、いらないんだから!」
目深に一礼するメイドさんに、ヴィラはぷうっとふくれてそっぽを向く。
……なんなんだこの状況は。
メイドさんの発言自体は、どこの貴族サマのご入浴だって感じだが。
問題は、コンシュの指示で来てるって明言したことだ。
つまりこれも奴の思惑の内なのか。
それとも教会や軍隊生活が長すぎて、主族や貴族の入浴のしかたを忘れてた?
いや、まさかね。
「コンシュ――主子様は、指示の他には何か言ってませんでした?」
「そういえば……何を見ても驚かぬようにと。たしかにお二方のようなご来賓をお迎えいたしますのは、初めての経験にございますが」
「何を見ても驚くな、ですか」
これはつまり、この人は俺たちに関して何も聞かされてないってことか。
メイドさんのここに来るまでの態度は、無視してたんじゃなくって、それが普通の仕事だったってことなのか。
そしてそういう人がここにいるって事は。
コンシュはこのメイドさんに、ヴィラの正体を目の当たりにもらうつもり――なんだよな、これ。たぶん。
……つまりアレか。お偉いさんと合う前に一度、騒ぎを起こさずに正体を明かせるかどうか試しておけってか?
別にいいけど。
顔を上げると、当のメイドさんが若干不安そうな顔をしていた。
目が合うと深々と頭を下げてくる。
「申し訳ありません。立場もわきまえずに失礼な事を申しました」
「あ、違います。俺たちもあまり状況がわかってないんで、ちょっと考えこんでいただけでして」
「状況とは? いえ、たびたび申し訳ありません。差し出がましい口を……」
「いえ、たぶん主子サマ的にも、あなたに聞いてもらいたい事だと思うんで」
「……はい?」
ま、バラしてもいいよな。奴が勝手にやった事で騒ぎになったって、俺の責任じゃないもんね。
「俺の首元でにょろにょろしてる、こいつの正体についてですが」
「は?」
「あなたの今回の仕事は、俺たちの世話じゃないんです。こいつの正体を見て、見たままの感想を、いろんな所で噂すること、です。……多分」
最初の街で流された“悪い魔法使い”の噂といい、コンシュは情報を操作しようとするのが好きだ。だから多分、これが奴の意図だ。
正体という単語に反応したヴィラが、広々とした脱衣所の室内を見渡して口を尖らせる。
「んー? こんな狭いところで元に戻ったら、頭つっかえちゃうでしょ。それにここらへんは銀を使っても精霊が十分に集まらないくらいに希薄だし、人に戻れなくなっちゃうぞ?」
「そこまでは、いらないから」
さすがにいきなり元の姿を見せるのは、ショックがでかすぎるだろう。
見せたいのはドラゴンの姿じゃない。
ヴィラが人間ではない事。その人間ではないヴィラが人間である俺を信頼していると理解させる事。この二点だ。
「おまえのことはもちろん信頼してるぞ。……でも今のわたしは、どう見てもただの人間なんだけど?」
「そこは見る人が見ればわかるから心配すんな」
「ふーん? ……ふいんきとか?」
「雰囲気、な。まあ、そっちじゃなくて、お前の言うところの“個体差”ってヤツかな。得意だろ、個体差?」
黙って説明を聞いていたメイドさんが、何かを吹っ切ったようにため息をつく。
「わたくしは、何かしらの謀り事に巻き込まれて、ここにいるのですね」
「ええ、まあ……」
「奥様のお言葉ですと、奥様は人にはあらせられませんのですか」
「お、おくさま?」
「ええ。つがいとはそのような意味でしょう、奥様?」
「……んと、人間の単語は概念がよくわからないけど、そういう意味だぞ」
「知らずとはいえ、先ほどは大変失礼いたしました」
「ん、許す。わたしのこいつが目当てじゃないなら、自らの役目を果たしてもいいんだぞ」
「ありがたく存じます、奥様」
「うん!」
メイドさんが一礼してみせると、ヴィラは上機嫌にうなづいた。
なんだろうこの……ここに来てから、ずっと追い込まれてる感は。
でもまあこの感じなら、ヴィラの全身を見せても騒がれたりはしないだろう。
しかしコンシュのヤロウ、何かする毎にいちいち面倒なイベント挟んでくるの、マジでやめてくれませんかね?




