44.過去の回想と赤いアイツの死体
「……きろ、起きろってば」
耳元で妹の声がする。
久しぶりに聞く、懐かしい声。
でもこれは夢だ。
あの場で、友達に会ってさえいなければ。
あの時、一瞬でも手を離さずにいれば。
面倒くさがらずに信号でなく、ちゃんと歩道橋を使っていれば。
あいつは今でも、俺をお兄ちゃんと呼んでくれていただろうか。
あんな乾いた目に耐え切れずに、逃げるように中央の大学を選択する事もなかったのだろうか。
そんなの、すり切れるほど考えたんだよ。何度も、何度も。
でも、もう遅いんだ。
「……勝手に殺すなってば! 起きろ、しろに着いたんだぞ!」
いや、家庭内での俺の地位が犬より下に落ちただけで、別に誰も死んでないけど……って、あれ?
ぼんやりとした意識のまま、目を開ける。
縦長に切れているつぶらな瞳と、超至近距離で目が合った。
あれ……猫? 妹――じゃない?
家中での最上位に君臨なさっておられるお猫様。いつの間に喋れるようになったんだっけ?
それに、背中に当たる感触がやけに堅い。まるで床の上だ。
どこだここは……ていうか、どういう状況?
「どこだじゃない。“しろ”だってば!」
まぶしいのかなんなのか、きゅうっと絞られた双眸の主が吼えた。
この顔、やっぱウチの猫じゃないな。やけに女の子っぽいし。
「当たり前でしょ、わたしだぞ、おまえのわたしだってば! おまえの係累じゃないんだぞ!」
俺の私? って……ああそっか、ヴィラか。
しろってなんだっけ――。
「――って、え、しろ? 城か? もう着いたの?」
「あきゃっ!? 急に起きるなぁ!」
ようやく今の俺の現実世界を認識して、はね起きた。
胸元ではヴィラが、ずり落ちないよう必死にしがみついていた。
※
青緑から赤に変わりかけている夕暮れの空の下。
石垣の上に作られた白い漆喰作りの城壁が目に飛び込んできた。
その向こうには四階建てのエセ和風建造物があり、そのさらに奥では妙に西洋チックな天守閣――外人が想像で日本の城を描いてみたような感じのブツ――が半壊していた。
背後を振り向いてみると、目の前にあるのと同じような和風っぽい城壁が、視界をくっきりと区切っていた。
全周囲城壁に囲まれているということか。つまりここは……。
「城の中庭……?」
「そんなとこだあな。外の廓。内門前の、練兵馬場だ」
横から声がする。
見上げてみると、傾いた夕日に燦然と輝くハゲ頭。
まぶしくて顔が見えないほどだったが、こんな頭は一人しか知らない。
「タケ……兵長か」
「おぅよ」
西日に光るハゲのまぶしさに、だんだんと色々思い出してきた。
――あれから、道中に放置してきた銀輪という名の秘密道具だけ回収して、強行軍再びとなったんだっけ。
足取りも軽い兵たちとは対照的に、俺たちの歩調が重かったのは覚えている。
さすがに徹夜も二日目となると、素行不良な学生である俺はともかく、ドラゴンとはいえ幼いヴィラにとっては限界なようだった。
そんな幼女を無理矢理歩かせるワケにも行かず、結局ずっと背負っていた俺の疲労は、他の連中より倍増だったというわけだ。
赤竜を警戒する必要がなくなり、明かりを灯し放題だったのは、唯一の救いだったかもしれない。
あまりの疲れと眠気に俺が意識を失ったのは、温泉のある村が見えた直後。
澄み切った青緑の空に、真っ赤な太陽が顔を覗かせ始めた頃だったはずだ――。
「――っつうか俺、また荷馬車に放りこまれてたのか。客車とまでは言わないけど、もっとマシな馬車ってないの?」
「あいにくだが、こちとら軍隊だぜ? これが荷車兼、負傷者搬送車両兼、客車だぁな。いい夢は見れたかい、魔道士さんよ」
「おかげさまで、思い出したくもない過去を見せ付けられたよ」
「そりゃあ……あいにくにもホドがあったな」
「まあそれはいいとしてさ、俺たち三人しかいないってのはどういうわけ? 主子様や他の兵隊さんたちは?」
「左校殿はあれで忙しいお人だからな、とっくの昔に報告に行ってしまわれたぜ。兵どもは、そら、そこの兵舎だあな」
タケは外側の城壁に添うように立つ三階建ての木造漆喰の建物を、アゴで指した。
つづけて運動場を挟んだ反対側をさして。
「で、あっちがあんたら用の、将官用宿舎だ」
「そこで待ってろって? それにしたって、起きるまで荷台に放置しっぱなしはあんまりだろ」
「あんたが起きるまでここで待つって言ったのは嬢ちゃんだぜ。あんたにアレを見てもらいたかったんだと」
「あれ……?」
「ああ、そこの――」
「うん、あれだ。あそこだぞ」
タケのセリフを奪ったヴィラが、服の中から腕を出して指摘してきた。
ヴィラの手の先には、何かを取り囲むように建てられた幕屋。
そしてその幕屋群の上端からは小高く赤い鱗に覆われた塊が見えていた。
「あれは……」
「うん、アイツの死体だぞ」
「……こんな場所だったっけ、アイツが落ちたのって?」
「場所は違うけど、間違いなくアイツだぞ」
「這ってここまで来たのか、それとも移動させられたのかな」
「それはわかんないけど……でも今はもう、音もしないし完全に死んでるぞ」
「音?」
「うん、心臓の音とか、呼吸とか。ほら、生命活動は停止してるでしょ? おまえにも、ちゃんと確認してもらいたかったの」
ヴィラが聴覚を流し込んでくる。
確かに他の雑音ばかりで、アイツのモノらしき音はいっさいしていないようだ。
「そういや、ちゃんと死んだか確認しないまま、帰っちゃったもんなあ」
「ちょっと浅はかだったな。致命傷なのは間違いなかったけど」
「確認のためだけでも、来てよかったかね」
「でしょ? 一緒にそばで見てみよ?」
「ああ」
※
服から一切出てくる気配のないヴィラを抱っこしたまま、荷台を降りる。
幕屋を警護している兵たちにどう見られようとも、これは仕方がない。
どっちにしろ服の中のこいつは全裸だ、服から出そうにも出しようがない。
俺たちの荷物も、この荷馬車のどこかには積まれているのだろうが、今は探し出しているヒマもないだろう。
角袖の袖口にはヴィラの首輪と額飾りだけは入っているが、全裸幼女にこれだけを付けるとか、どんなプレイなのか分からなかったので、今は付けていない。
仕方がないのでそのまま歩き出すと、先にタケが兵士に駆け寄って行った。
二三言ほど話しかけると、兵士たちはピシッと不動直立の姿勢になる。
「見ていいそうだぜ」
「……許可もらったってより、命令したように見えたけど。タケ兵長って、実はワリと偉い人?」
「ん? そりゃ、左校殿のっつうか主子様の近衛最先任ともなれば、兵長でも右校待遇くらいの役得はあらぁな」
「よくわからんけど、それなりに偉いって事か」
「ま、給料は兵長のままだがよ」
がははと笑ってタケが幕を上げる。
幕の内には、赤竜が数台分の車輪つき台座に乗せられて、転がっていた。
「荷台の上、か。つまりわざわざここまで持って来たって事だな。それともこのまま街中でも引き回すつもりなのかね?」
「理解はできるぞ、ほっとくと腐っちゃうからな――それよりおまえ、いつのまにこんな所に攻撃したの?」
ヴィラが指すのは、胸元と背中側の二ヶ所。
双方とも鱗が割れており、その隙間から何かを突き刺したような跡が見えた。
「いや俺じゃないよ。城の連中が本当に死んだか確かめてみたんじゃない?」
「だとしたら……なんかイヤだな、これは……」
「確認くらいは許してやれよ。死んでると思って油断してたら襲われましたなんて、ここの連中だって嫌だろ」
「そうじゃなくって! 見ろこれ、この傷は閉じないで大きく開いたままだ。周囲も赤くなってるし、刺された時にはまだ生きていた証拠だぞ」
「あー……生体反応ってヤツか? よくわかるね。刑事ドラマで見た検視官みたいだな」
「もっと意味のわかるほめ方してってば! わかってるのか、これを刺した奴は、アイツと会話した可能性がある。アイツを継承したかもしれないんだぞ!?」
言ってて自分の言葉に興奮してきたのか、段々と声が大きくなってくる。
「わたしだって、わたしを産んだ……お、お、親の事はもう納得したの! わたしのおまえがコイツを墜として、それで終わりでしょ! なのにアイツを継承した奴がのこのこ出てきて、これ以上したり顔で何か語ってみろ、首を引きちぎるだけじゃ済まさないぞ!」
「お前のお怒りっぷりはよくわかったからさ、ヴィラ?」
「なんだ!?」
「わかったから、落ち着いてね。……兵隊さんが腰抜かしてる」
「あ……? う、ご、ごめん……べつにとって食おうとか、そういうわけじゃないんだぞ。きさまら、許せ」
ヴィラの殺気を至近距離から当てられたのか、青い顔をしてへたりこんでしまっている警護の兵たちに、ヴィラは素直に頭を垂れる。
その様子に、タケがなぜか毒気を抜かれでもしたかのように、自分のハゲ頭をつるりとなで上げて。
「まったく、こんなちっちゃくっても嬢ちゃんの殺気は本物だあな。こっちに向いてるんじゃないのを知ってても、体が身構えちまうぜ」
「へーちょ、きさまにも悪かった」
「俺たちはまあ、いいってことよ、嬢ちゃん。……しかし魔道士殿よ」
兵たちに手を貸してやりながら、俺に視線を移してくる。
「なんだ、今度は俺か?」
「ああ。嬢ちゃん連れて御前の場に出て、本当に大丈夫なのかい。おエライ様連中にゃ、今みたいなシャレは通じんぜ?」
「御前の場って、お偉いさんたちの前? そんな話は聞いてないんだけど」
「俺も直接は聞かされちゃいねえさね。だが左校殿が――いや、あれは主子様としての顔だったな――ともかくコンシュ左校殿が、あんたらの身を清めて着替えさせておいてくれと、お命じなさったんでな」
「は?」
「それはつまり、そういうこったろ?」
ああ、うん……そういうこった……ろう、なあ……。




