4.巨獣、顕現
『――きろ、おきろってば!』
幼い少女の声。
耳元で聞こえているわけでもないのに、なぜだかやけにうるさい。
『わたしと違って何の負傷も受けてないのに、なんで意識ないんだ!? 悪魔ってこんなに気が弱いのか?』
――は? 誰がチキンだって?
おいふざけんなよ。貯めに貯めた機体獲得ポイントにモノを言わせて、正面からの機銃撃ち合いチキンレースじゃ負け知らずだったオレサマだぞ。
愛機にしている零式二一型はその獲得ポイントの低さとは裏腹に、翼面積の広さとそこらの普通自動車並みの超軽量からくる旋回性の高さが魅力だ。
上空から直線で突っ込んできて横転離脱するしか能の無いヘルキャット共など、タダのカモでしかない。
向こうが絶対に先に回避行動をとるので、そこから悠々と反転してケツにションベンでも引っ掻けてやればいいのだ。逃げられる? 相手が重い身体をえっちらおっちら上昇させてるところを上空で待ってりゃ良いだけよ!
安い機体で失敗しても痛くないので、平然と限界まで度胸試しができる。
――まあ、あくまでゲーム内での効率だけど。
『わけのわかんない夢見てないで、早く起きろってば!!』
はあ? 夢じゃねーし! ニーイチさんコスパ最強だし!
でも低速から高速まで何でもござれ高級チート機コルセアだけは勘弁な――。
――っは!?
『……起きたか?』
あ、あれ? 俺、生きてる?
『にーいちとかいう牝がどれだけ強いのかは知らないけど、あの爆炎に半分かた飲まれても何とか逃げ延びたわたしだって、褒められていいと思うんだけど!』
ま、待て、ギブ、ギブ! ギブアップです! なんで怒ってるのか知らんけど、ハラ押さえるのやめて、中身出るから!!
ドラゴンの両腕で腹の辺りをぐりぐり圧されて、悲鳴を上げる。
これ以上ないほど完璧に目が覚めた。
つかほんとに中身出るから! 夜食のカツとか卵とかご飯とか!!
※
暗闇から一転した陽光の元、ドラゴンの指の隙間から差し込む光景が眩しく目を射る。
天頂には、やけに赤茶けた太陽。
くすんだように緑がかった青い空。
眼下には、平らに続く黒い森が地平線付近で煙ったように空と混じりあっていた。
遠くには低い雲が所々に綿菓子のようにばらまかれていた。
見慣れているようで、全くちぐはぐで見慣れない景色。
それでももう、ここは洞窟の外だった。
……そうか、逃げ切れたんだな。
深く息をついて背後――体感的には足下方向――に目をやる。
それほど高くない山並みの数ヶ所から、煙が上がっているのが見えた。手前には広範囲に計四つ、山向こうに大きくひとつ。
手前側で煙の一番大きく上がっている穴が、俺たちの出てきたところだろう。
爆炎は洞窟内部を埋め尽くして出口すべてから吹き上げたのか、穴の周辺では木々が燃え始めていた。
すさまじい規模の爆発だった事がわかる。
あれに巻き込まれたんだよな。よく生きてたな、俺たち。
『……のんきに分析してるのはいいんだけど、そろそろアイツに対抗する準備をしたほうがいいと思うぞ!』
呆れの中に少しの焦りが混じった感情で、ドラゴンがじれったそうに注意を喚起してくる。
しかし、何をそんなに焦っているんだろうか。
あいつと呼ばれるこいつの敵は、多分こいつよりもかなり大きなドラゴンなんだろう。
つまりこいつが翼を擦るほどの穴を、飛んで追って来くることはまず無理だ。
四つ足とはいえ、さすがに走ってでは飛行相手に追い付けないだろうし、飛んで追いかけてくるとなれば、通れるのはおそらく山向こうに見える大きな煙のたもと――元々ヤツが入って来たであろう入り口――だけだろう。
山向こうの入り口はかなり遠くのようだし、とりあえず距離は取れたはずだ。
『……感じないのか? アイツはすぐに来るぞ』
どこからだよ。他にもっと広い穴があるっていうのか?
『ちゃんと確認してみろってば!』
急かされて、後方に目をやる。
しかし空には、それらしい影は無い。
山の峰々にも何も動く物はない。静かだ。
爆発もさすがに治まったのか、穴から立ち上る煙もその勢いを急速に弱めてきていた。
特に俺たちの通ってきた穴からの噴煙は、すでに止まりかけている。
なんだ、煙すらもう出てないだろ――。
――ん?
煙の出てないのは、俺たちが出てきた一ヶ所だけ? なんで?
次の瞬間。
穴の周囲が強烈な青白光に包まれた。
光に飲み込まれた範囲から、次第に球状に、岩盤を巻き込みながら上空に向かって崩壊していった。
そして、光球内部から大きく爆発。
『来たっ!』
※
巨大な紅蓮の炎を伴って、洞窟だった穴から、何かが頭をもたげる。
それは、赤黒い爆煙を身にまといつつ、西洋風の巨大な竜が真紅の翼を広げた姿だった。
何かの絵画のような、幻想的と言ってもいい、非現実を形にしたかのような光景。
クレーター状に抉られた地表の中心に翼を広げる、巨大な物体。
本当にでかい。翼幅で五十メートルを超えるんじゃないだろうか。
放射状になぎ倒された周囲の木々が、ミニチュアのように小さく見える。
あんなの間違ってもただの追跡者ってレベルなんかじゃない。
まさにラスボスと呼ぶにふさわしい。
あれこそがドラゴンだ。
そして咆哮。
ごおおおおあああぁぁぁぁぁぁぁぁ
洞窟の中で全身に聞かされた、暗闇をも震わせた重低音。
……マジか。
洞窟の中でのあの爆発魔法を撃った上で、追いつくための最短距離を無造作に掘り進んできたってのか。しかもこの速さで。
『“掘り進んだ”んじゃなくて“身体の表層を爆散させて走査の基材にした”んだと思うぞ! わたしたちに触れたから、あそこに集束してきたんだ!』
……ええと? つまり、爆炎に変身したって感じ?
『本体は小さくなっただけだけど、だいたいそんな感じだと思うぞ。そして爆炎にした身を集束させたから、余剰熱量が放出されて――』
――え、つまりあの爆発って、攻撃でもなんでもないただの廃熱処理?
『うん』
……おい、マジか。
俺を抱いている黒いドラゴンの腕の隙間から、再度後方を見やる。
熱気で揺らめく赤い巨竜は、咆哮を上げた後は翼を広げたまま、動く気配を見せていない。
っていうか、なんであんな相手に、ここまでしつこく追われてるんだよ。本当にいったい何したの?
『だから何もしてないってば! 住み処にいたらいきなり襲ってきたんだ! いいから、早くアイツを何とかして!!』
あんなの俺にどうしろっていうんだよ……。
『わたしより強いにーいちを知ってるんでしょ!? じゃあ早く契約して!』
俺を胸に抱いた黒竜が、きゃおおおと吼える。
いや二一型はただのゼロ戦だから。意味わかんないから。契約すれば対処できたりすんの?
『わかんない! でも、対処できなきゃ死ぬだけだぞ!』
うん、まあ、それは知ってたけどね……。
前門は説明不足のまま契約を強要してくる黒いドラゴン、後門には俺ごとこいつを殺そうと迫ってくる巨大なレッドドラゴンってか。
殺そうとしてこないだけまだ、こいつの方がマシかなあ。
……わかったよ、一緒に連れて逃げてくれって言ったのは俺だしな。でも俺、チートなことは何も出来ないから、ヘンな期待はするなよ?
『しないから早く契約すると宣言してってば! 音価で!』
音価って、声に出してって事?
『たぶん!?』
なんだよ多分って。
しょうがないなあ、もう。
「契約、する――」
※
『――契約は、成った』
ドラゴンの宣言と同時に、うなじから何かが蠢いて脳内に侵入してくる。
頭全体に拡散したその感覚は、すり潰されるような痛みに変わりだす。
目の奥に激しい圧迫感、頭痛と強い耳鳴り、そして猛烈な吐き気。
ぐっ……なんだこれ……っ!
湧き上がってくる苦い唾を飲み下しつつ、何とか耐える。
気が遠くなった。
……。
……、……。
首の後ろから頭の中に侵入した強烈な違和感は、すぐに同じ道をたどって出て行った。
それで、終わり。
……終わり、なのか?
なんだったんだ今の感覚は。
身体も意識も、別に変化があるようには感じられない。
『それはそうでしょ。お互いの知識を交換して、あとは各種同調路の主形成をしただけだもん。じゃあさっそく同調するから、混乱したらだめだぞ』
え? ちょ、な、なにを?
俺の思考を食い気味に、感覚が身体の表面を超えて広がった。
俺はドラゴンになっていた。
さまざまな感覚器からの圧倒的なまでの情報が頭に流れ込んでくる。
視界は――サイケデリックな色彩の、だが全てに意味のある抽象画に。
聴覚は――後方の敵の咆哮や自身の風を切る音だけではなく、森の中のさまざまな動物の逃げ惑う足音、鳴き声。燃える木の爆ぜる音。そしてそれぞれの方向。
嗅覚は――空の気流ごとの空気の差異、森の動物と植生の微妙な違い、周囲の地形とその匂いが流れてくる方向。
触覚は――身体表面を離れ、木々の先端を触っている。右方向の山のすそでは気流が乱れ、前方の雲はやけ湿っぽかった。
額からは――気圧、対気速度、外気温が感じられる。これは……角まで感覚器なのか。
空気の流れは、頭の先端から体表面で細かい乱流層を作り、抵抗を下げている。翼周囲だけが、ねっとりと風がまとわりついていた。
背中の翼の筋肉はせわしなく動き、それにあわせて細かく推力を調整。
両腕には豆腐のようにやわらかい物――つまり俺――を、そっと抱いている。
なんだよこの一人早期警戒機は。これ全部管理しろってのか!?
『そっちだってかなり奇妙だぞ。全身が“角”にでもなった感じなのに、その他はほとんど何も感じ取れないじゃないか』
すまん、心を落ち着けるのに忙しい。ちょっと静かに飛んでてくれるか。
『静かにって、アイツがすぐ後ろにいるんだぞ!?』
いいから頼む!
このままでは情報が多すぎて、逆に何も感じられないのと同じだ。
とりあえず感覚の取捨選択をするしかない。
視覚は、まだ使えない。こいつの指の隙間から見える俺の視界だけでもとりあえずは十分だし、敵は前じゃない。
嗅覚も、今は使う意味がない。これもスポイル。
重要なのはヤツの咆哮を感じ取れる聴覚くらいか。
こいつと契約してわかった、あの咆哮は咆哮というのは正しくない。“音価”だ。
音価の意味するところは正確には把握できなかったが、宣言か呪文のたぐいだと理解しておくことにした。
ん? そういやこの“触覚”ってなに?
『触覚? ってなに?』
いやほら、木とか雲とかを直接触ってる、長い手がいっぱいあるみたいな、このヘンな感覚だよ。
『尻尾のことか? 力をこめるともっと精度上がるけど、今は緊急時だから――』
――わかった、ありがとう。
脳内に響く思考をさえぎって、聴覚と触覚に集中する。
たぶん今の俺が有効に使えるのは、全方向感知に使えるこの二つの感覚だけだ。
あとはおいおい慣れていくしかない。
たったこれだけで何かの役に立つのかはわからないが、理解できないものは仕方がない。
ごおおおおぉぉぉぉ
後方の敵、赤いヤツの咆哮が追いついてくる。
それに呼応するように何かが触覚に触れた。
ヤツの眼前に線形の空間の揺らぎ――なんだこれ、エネルギーの塊?――が増幅している。
こちらに向けて、急速に。
「っ! 避けろ!」
『え、なにを? 何を視てるんだ?』
「わかんねーよ!」
あれが何かはどうでもいい。とにかくあれの直線上に居るのはまずい。
「いいから羽ばたき止めろ! 下だ、下行け!」
『まっ、やめ――!』
思わず巨体の身体制御に介入して、翼の運動を邪魔する。
翼を広げた状態で止めると、下方への加速感が感じられた。
……?
一瞬だけ感じる違和感。
だがそれはすぐに、直上空間を貫いていった光芒にかき消された。
光に沿って轟音と爆発。
触覚のすべてが柱状に伸びる爆炎しか感じられなくなる。
『なんだあの式……そ、それより、今どうやって避けた? なんでわかったの?』
呆然というか唖然というか、場違いなほどに間延びしたドラゴンの思考。
ゲームを嗜む身としては、なんで予想できないのか逆に聞きたいくらいだが。
ふむ、“たったこれだけ”の感覚でも、意外と役に立つモンだな。
緑青色の蒼空を引き裂いていた爆炎が収まると、触覚はすぐに回復した。
光条の軌跡はざりざりとした感触で空に残ったままだが、邪魔ってほどでもない。
それよりも、拡散しつつある爆煙が視界の邪魔だ。
がおぉぉぉん
短い咆哮と共に後方の赤い竜が、ばさりと大きな羽ばたき一つとともに浮かび上がる。
そのまま急速に上昇を開始。
……速いな。
見る間に距離が詰まってくる。
あの巨体であの加速はなんだ。
なあ、これじゃすぐに追いつかれるぞ。もっと速く飛べないのか?
『一生懸命飛んでるでしょ! これ以上速くなんて無理だってば!』
ばっさばっさとドラゴンが羽ばたきを忙しなくするが、お世辞にも速度が上がったようには感じられない。
んー、マジか。体格の違いがそのまま速度の差ってか。
向こうは悠然と飛び、こっちは精一杯羽ばたいてこの速度差か。
――ん? 悠然と? 羽ばたいて?
何か今、俺ヘンなこと考えたよな……あれ?
はっと気付いて、ヤツのほうを振り返る。
敵は飛び上がったとき以外、羽ばたき一つしていなかった。なのにこちらよりも圧倒的に速い。
なんだありゃ、あいつはどうやって飛んでるんだ……って、んん?
先ほど覚えた違和感が脳裏によみがえってくる。
ヤツの攻撃を回避する時に、羽ばたきを邪魔して翼が広がった時に感じた加速感。
あの時に本来感じるべきは、落下浮遊感じゃないのか?
『なにを考えているかはわかるけど、分かんない!』
ドラゴンの悲鳴にも近い心の叫びを無視して、考えを進める。
最初だ。俺がこいつと繋がった一番最初、どう認識した?
背中の筋肉はせわしなく動き、それにあわせて細かく推力を調整してる、だ。
推力? つまりこいつらは何か噴射して飛んでいる――?
「――っのアホっ子!」
『今度はなんだ! なにが来る!?』
「違う、羽ばたくのをやめろ! 速度殺してんのはその羽ばたきなんだよ!」
『え? ど、どういう……』
ぐおぉぉぉぉ
説明してるどころじゃないってか。また来る!
ヤツの周囲に、線形の熱い領域。
俺たちを貫くように一本、逆三角形配置で取り囲むように三本の、計四本。
さっき下に避けたからな、真下と、逆方向に逃げた時用に、上をふさいで来たか。
「じゃあ今度は右下だ!」
『なっ――また勝手にぃ!』
気に入っていただけましたら、ブックマークや評価等を、よろしくお願いします。




