35.初回ターン “暴虐の黒竜”本気の一撃
一瞬の落下感の後、なにか柔らかいものに弾き飛ばされ、すぐに大きく固い手に絡め取られる。
そのまま地面に向かって加速感。
『いたたた、ちゃんと助走つけて飛び出せばよかった……背中擦っちゃった』
「ちょっとまて、のんきに構えてないで! 落ちるってばぁぁぁ!」
ぐうっと胃の腑がせり上がる感覚と共に水平飛行に移る。
木々の先端が、体のすぐ下を流れていくのが感じられた。
『さすがに一回体験したら、これくらいわたしでもできるってば! 思ったよりも速くなりすぎて、森につっこんじゃうところだったけど!』
「だったけどじゃねえよ!」
速度を落とさないように徐々に高度を上げながらヴィラ。
もう森の上だ。必死に登ってきた岩山も、落ちるとなれば一瞬だった。
気付くと俺の体はヴィラの巨大で平らな胸に、両の腕まで使って押し付けるようにしっかりと包み込まれていた。
膝を少し曲げれば、完全にヴィラの腕の中に納まってしまう。ちょっと窮屈だが、この方が空力の乱れも抑えられるし、飛びやすいだろう。
ヴィラに抱かれて飛ぶのは二度目だが、改めて思う。
ほぼ完全に外界から遮断された空間で、外部からの情報は生身より多様、その上自分でも操れるとなれば、これはもう閉鎖型コックピットに居るのも同じだ。
戦闘機に例えるのは、ちょっと失礼かもしれないが。
『なにと同じでもいいの。わたしはおまえと飛べればそれでいいの』
この夜の雨の中、これから勝ち目の薄い死闘に赴こうというのに、流れ込んでくるヴィラの思考はなぜか楽しげだった。
『ん、だって最初はわたしだけで来るつもりだったんだぞ。おまえがいてくれるだけで幸せだもん。それよりどうするんだ、とりあえず高度を取ればいいのか?』
まてまて、ええとアイツは、と……。
鱗がお互いの情報のやり取りを阻害するのか、流れ込んでくる感覚はひどくぼんやりとしている。
それでも同調させた視覚の中で、赤いアイツのものらしき闇を探す。
雨に煙る球体の中で、闇は竜の姿に凝縮し始めていた。
色までは判別できないが、もはや見間違えようも無い。アイツだ。
実体化が完了するまでの予想時間は、もう残り三分も無い。
となれば、ヤツが動けない今のうちに最大威力で攻撃を叩き込んでおくか。
『残念だけど、それはムダだぞ』
ヴィラが闇を睨むと、中で蠢く黒い霧状の粒子群が拡大された。
黒い粒子は、表面に接触する全てのモノが吸収される黒体――完全な闇だ。
熱さえ発散されておらず、ヴィラの目をもってしても何も見通せない。
『アレはどうやら、この世の理の向こう側みたいだ。私の攻撃術式であそこに届くものは、おそらく一つも無いぞ』
つまり、アイツが実体化するのを待つしかないってことか。
『うん』
じゃあ、一旦雲の上まで上昇しよう。
『え、そんなに登ったら速度落ちちゃうぞ?』
任せろ。身体借りるから触手くれ。相対位置の把握は頼むぞ。
『だからこれ触手じゃないんだってばー』
しゅるりと音がして首筋がちくりと痛む。
次の瞬間、身体と感覚が自分の枠を超えて周囲に広がり、ヴィラの巨体が完全に自分のものになった。
よし、じゃあ行こうか。
※
速度を殺さないように大きく旋回して、飛び降りてきた岩山に正対する。
山に沿うように上昇に転じ、身体と山肌の間で空気を圧縮するように、岩肌を掠めながら一気に駆け登った。
ほとんど速度を殺さずに、あっという間に山の峰を越え、低く垂れ込めた雲へと突入する。
『すごい! こうすれば上昇も早いんだ!?』
対地効果ってな。高いとこに登るなら、足場があった方が楽だからな。
上昇するにつれて、水だった雨の粒が細かい氷の粒へと変わり、気温が急激に下がりはじめた。
ぴんと伸ばした翼の先に、氷が刺さりそうな勢いでぶつかってくる。
『うう……なんかチクチクする』
俺も寒いよ……。
『やっぱりそっか、じゃあ発熱するぞ』
ヴィラが背中の辺りに力を込めるのが感じられた。
しばらくすると身体全体が若干暖かくなってきた。特に翼付近が暖かくなる感じだった。
ふむ、翼凍結を防止する器官まであるのか。つくづく高空を飛ぶ事を想定した身体なんだなあ。
とはいえ俺の身体の方まではまだ熱が来てない。
自分の体を動かして角袖を巻きつけたが、それでもヴィラの腕の隙間から入ってくる空気が、刺すように冷たかった。
※
矢のように上昇していた速度が次第に減じていく。
全開推力でも、羽ばたいている速度と変わらないかという頃に、ようやく雲の上端を抜けた。
氷の微細な粒を翼端に長く曳きながら、雲海の上に出る。
飛行姿勢を水平に戻すと、頭上には星空がいっぱいに広がっていた。
おお……すごい。
日暮れ後の淡い残光と星明りに照らされて白くうねる雲。
月のない夜空を両断して渡る天の川。
その川から零れ落ちたような、無数の光の粒。
清んだ空気の元での圧倒的な夜空の存在感に、しばし心を奪われてしまう。
空など普段ロクに見上げもしなかったが、都会の明かりに霞んでいた夜空も、本当はこの光景と同じような輝きをもって存在しているんだろうか。
――などとガラにもない感傷に浸っていられたのも最初の数秒間だけ。
さっみいんだよ! なんだよこれ!?
雲を抜け出たとたんに周囲の気温がさらにガクンと下がっていた。
寒いのはヴィラの身体の体感だけではない。その手の隙間から流れ込んでくる冷気に、あっという間に自分の体から熱が奪われていく。
『もっと上に登るともっと寒いんだぞ。それだけじゃなくって、今度は飛ぶのまで苦労するようになるぞ?』
そりゃそうだろうけど、今までこんなとこ来たことなんてないんだよ!
『でも、前肢もかなり温まってきたのに、まだ寒いのか?』
すきま風がすごくてね、ちょっと暖かい所に行こう。
腹から下だけを雲海の中に潜り込ませるように雲の表面を滑る。
気流の関係なのか、雲の中のほうが若干ではあるがあたたかい。
『なるほど、これだとかなり温度が違うな。今度からこうやって飛ぼうな』
それよりアイツの位置は把握してるんだよな? それがここまで登ってきた理由だぞ。
『う……そ、そうだった。大丈夫、位置はちゃんとわかってるから』
じゃあアイツが実体化した瞬間に合わせるぞ。魔法の準備を。
『わかった、介入領域を拡大する――ええと、アイツは周囲をすぐに掌握してくるだろうし“定点雷撃”は阻害されちゃうかも。だから“投射爆発”でいい?』
選択はお前に任せるよ。それより、ヤツのすぐ側をすり抜けるから、ちゃんと当ててみせろよ?
『うん、任せろ。最大集積で叩き込んで、アイツの周りは上級精霊まで絶無にしてみせる! 反撃なんかできないように!』
それでヤツが終わってくれる事を祈るよ。
大きく緩やかに旋回した俺たち。ヴィラが送ってくる位置情報によれば、そろそろアイツの上空付近まで戻ってきていた。
よし行くぞ。
『うん! こっちの準備はいいぞ!』
いつまでもこのまま飛んでいたい未練を振り切って、巨体を再び眼下の暗闇へと踊りこませた。
推定した実体化の完了時間まで残り十二秒。
出力全開で降下に入る。
十一、十、九……。
『介入開始、最大集積』「---- ------」
ドラゴンの喉が、超高音波域の音価を詠ずるのを感じた。
七、六、五……。
『集積完了。圧縮開始』「------ ------」
速度が限界に達し、抵抗が急激に増える。翼を切る風がひいぃぃと甲高い悲鳴を上げていた。
足を閉じて翼を最低限まで畳み、弾丸のように身体を伸ばす。さらに速度が上がった。
ヴィラ、魔法発動用意。
『わかった、投射用意!』
ヴィラの宣言と共に翼と尻尾に力が込もり、精霊の活動が増幅する。
高度はかなり下がり、微細な氷の粒は再び水粒の乱舞へと変わっていた。
上下角度を少しずらし、突入角をより深くする。
『あれ、アイツからズレちゃうぞ?』
雲を抜けたら首上げて突入角を調整するんだよ。じゃないと旋回間に合わなくて地面に突っ込んじゃうでしょうが。
『な、なるほど……?』
三、二……。
雲を抜けた。視界が晴れる。
どんぴしゃだ。闇の薄れかけた球体が上方約四十五度に見える。
巨大なドラゴンの形が赤黒く現れていた。
その影は空中に固定され、まだ動いてはいない。
ヴィラの機首を上げ、交差の瞬間に真正面に来るタイミングに調整する。
一。
闇の球体を覆う白い氷の層が崩れ、はじけ飛ぶ。飛散した先から透明な雨に混じっていった。
ゼロ。
赤竜の翼が、大きく羽ばたいた。
今だ、やれ!
『爆ぜろっ!』「----!」
赤く大きな羽の下を高速ですり抜けざま、翼近傍に掌握していた精霊集積領域が、赤竜の身体を包み込むようにリリースされる。
同時に俺は全身と翼を大きく開いて、首をさらに上向げた。
見る間に地上が迫ってくるのを、反らせた頭方向に逃げる。
速度が急激に落ちていく。
『なんで止まるんだ!? わたしたちまで巻き込まれちゃう!』
止まるつもりなんてないから!
さらに若干速度を落としつつ無理やりピッチを上げる。
ほぼ水平飛行に移った直後。
背後上方で巨大な火球が咲いた。
赤熱する炎は、実体化直後の赤竜を簡単に飲み込み、さらに大きく膨れ上がる。
火球に飲み込まれる側から無数の雨粒が小さく弾けて蒸散するのが、尻尾に感じられた。
周囲の空気が一瞬白く圧縮され、すぐに透明に戻っていった。
触覚が向こうまで通らないほどに濃密で透明な波が、猛烈な速さで周囲に広がる。
思った通りのすごい衝撃波だ。
やっぱりな、こいつをうまくやり過ごさないと、結局は地面に叩きつけられる。逃げるだけじゃ対処できっこない。
『つっ!?』
瞬間的に身体を丸め、背中で爆発による直接衝撃波をやり過ごす。
ドラゴンの身体をしても引きちぎられそうな衝撃が駆け抜けていった。
高度がさらに下がる。
すぐさま地面に向かって体勢を取り、バランスを調整。身体だけをなるべく大きく広げる。繊細な構造の翼は畳んだまま。
狙っていたのは次だ――来た!
『え、なに、何が来る!?』
上に登る手段だよ!
地上で反射した衝撃波が、下方向から次々と空気の津波となって押し寄せてくる。
再び襲い来る衝撃と加速度に気絶しかけながら。
俺たちはすさまじい速度で、上空へと吹き飛ばされた。
Z銃(英語)ダムのウェーブライダー形態は、物体が大気圏突入時をする際に突入角度が浅すぎると大気衝撃波に弾かれてしまう現象を利用して、推進剤をほぼ消費せずに地球軌道上を自由自在に軌道変更する事を目的とした形態だそうです。
衝撃波はうまくやると波乗り出来るようです。
さて、ようやく空中戦が始まりました。
この後三日六話かけて戦闘をします。
初の空中戦ご祝儀に、ブックマークや★評価を入れてくれても……ええんやで?




