31.赤竜再びあらわわわわわ
なんだかんだ言っても、肉というのはやはり元気が出るようだ。
夜を越えて俺たち――というか特に俺――は、なんとか探索を続ける事ができた。
……なんて、そんな事をのん気に思えていたのは、ほんの数十分前までだった。
冷たい雨の降る中、俺たちの今いる場所は、灌木すらロクにない荒涼とした岩肌のガレ山の峰。
傾斜はそれほどでもないが、いかんせん足場が悪すぎる。
一方で身の軽いヴィラは、雨で重くなったフードマントも、悪い足場をも、ものともせずに元気いっぱい跳ね回っていた。
「……なあ、休憩しない?」
「おまえがこっちまで見ようって言ったんでしょ。はやくこいってば!」
「だってさあ……ちょっと現在位置確認するから、待って」
地図を見るフリをして、休憩を取らせてもらうことにする。
ヴィラに記してもらった地図上の洞窟の場所は三箇所。俺が最初に喚び出された洞窟も混じっていた。
今はその三つともバツ印がつけてある。
今向かっている洞窟は、そもそも最初にはチェックすらされていなかった場所だ。
「ほんとに、あんな場所にはいないと思うぞ? さっきも言ったけど、あそこは水ばっかりなんだ。さすがにそんなとこには住まないと思うんだけど」
「そこに居ないとすれば、どこにも居ない事になるだろ。アイツはこの辺りから、とっくに立ち去った事になるよ?」
「でもアイツのにおいは、そこかしこで感じるんだ。この地に居るのは間違いないとは思うんだけど……」
「ここでの臭いはどうなのよ――って、まだ無理か」
「うん、この雨だからな。遠くのにおいは流れてこないぞ」
……つまりこの上の洞窟だけは、近づいてみるしかないんだよなあ。
降り出す前に確認して回ることができた三箇所は、中に入るまでもなかった。
穴のだいぶ手前からでも、昨日今日の赤いヤツの立ち寄った臭いや形跡は無かったのだ。
ため息をついて峰の先を見上げる。
周囲に何もない地形の真っ只中というのが、こんなにも不安になる場所だったなんて思いもしなかった。
自転車もこんなガレ地では役に立たないので、森を出たところに放置するしかなかった。つまり、逃げるにも自分の足で出せる程度の速度しか出せない。
これだけ周りに何も無いと、どこかから常に何かに見られている感じがする。
ヴィラからは何の反応も無いので、もちろん俺の気のせいなんだろうけど。
「……嗅覚も尻尾の触覚も使えないってのは、地味に痛いよな」
「この雨だもん、しょうがないでしょ。それにもし“触ってる”範囲内にヤツが入ったら、向こうからでも触られてるのは分かっちゃうんだぞ」
わたしだって尻尾無いのはイヤなんだぞと、ふてくされ気味に答える少女の格好は、フードを頭まですっぽり被った外套姿だ。
雨を防ぐためなのか、珍しいことに自分から羽織ったのだ。
「……なあヴィラ、お前らが住める場所って、洞窟の他にはどんな所がある?」
「ん? 乾いてる場所ならどこでもいいぞ。あとなるべく広いといいな」
「具体的に言うと、たとえば?」
「んー、人間の廃墟に住んでるヤツの話は聞いたことあるけど、普通は洞窟なんかじゃないか? ――だいたい雨や水を気にしないなら、それこそ地面でもどこでも住めばいいんだ」
水が苦手だから、狭くても乾いた洞窟を選ぶ。水を苦手としないなら広い場所に住めばよく、狭い洞窟を選ぶ意味はない。か。
水が苦手にしろ得意にしろ、わざわざこの上にある洞窟を選ぶ意味は無い、か。
これはやっぱり、ヴィラの言うとおり無駄足かなあ。
※
「なあ、やっぱり一度コンシュたちのところに……」
帰ろうかと言いかけたその時。
少女が、びくりと大きく震えたのが見えた。
「どうした? 何かいたのか――まさか、ヤツか!?」
ヴィラは俺の言葉には一切反応せず、大きく目を見開いて雨空の一点をじっと見据えていた。
視線先を追ってみるが、俺の目には当然のように何も捉えられない。
アイツなのか? いやしかし、こんな雨の日はドラゴンは外に出ないんじゃなかったのか。
急いでヴィラに触れて、視覚野に進入してみる。
低温の雨に滲む灰色の空の一点だけが、微かに赤くジラジラと蠢いているのが確認できた。
それは見る間に大きくなっていき、次第にその輪郭をはっきりとさせていった。
どう見てもこちらに近づいてきている。
「アイツ……だ」
絶望に満ちた、軋るようなヴィラの唸り声。
はたして、その赤いシミは明確に赤竜の姿となり、空のかなたから一直線にこちらへと向かってきていた。
「どうしてアイツはわたしたちを……こんな雨の中でどうやって見つけ……」
「そういう話は後だ、とにかく逃げるぞ!」
足をすくませ呆然と立ち尽くすだけの少女を、横から抱き上げて走り出す。
浮き石と濡れた岩に足を取られやすいガレ場。それでもできる限りの速度で、アイツの進路から逸れる方向に。
こんなことをしても無駄なのはわかっていたが、走らずにはいられなかった。
「無理だ……逃げられるわけない」
腕の中でうなだれるように小さく呟いたヴィラは、何かに気づいたのか、はっと顔を上げた。
「そうだ、あきら! わたしを置いておまえだけで――」
「却下。静かにしてろ」
「だってアイツの狙いはわたしだぞ! おまえじゃないでしょ!」
「もう俺たちの関係はバレてるんだろ。それに俺には奴の魔法効かないんだろ? だったら俺が盾になれば、耐えられるかもしれない」
「無理だってば!」
「いいからおとなしく丸くなってろ!」
じたばた暴れようとする身体を押さえ込み、赤い竜を背に坂を降り続けた。
雨の音に紛れてさえ、赤竜の翼が風を切る音が低く聞こえてくる。
俺の耳ですらわかるのだから、もうかなり迫っているのだろう。
ずわあ、と重々しい音とともに背後からの強烈な風。
体制が崩れ、たたらを踏む。くそっ! 足が止まっちまった。
ずわっずわっと連続した羽ばたきの音。減速しているらしい。
……来る!
ヴィラの言う通りなら、俺はヤツの魔法には耐えられる。だが魔法が効かないと分かったら、次は爪とか牙が来るのだろうか。
どちらにしろ逃げ場は無いんだ、足掻けるだけ足掻くしかない。
立ち止まって少女を庇うように身を縮め、固く目を瞑って覚悟を決めた。
ばさ、ばさ、ばさり……。
赤竜の滞空する音だけが聞こえる。
まだ来ないのか、いつまで焦らす気だよ!
それとも魔法が効かないのを分かってて、最初から牙で来る気なのか?
ばさり、ばさり……。
翼の音は次第に小さくなってゆく。
小さく……なんで?
次第に遠くなる翼音に顔を上げると、赤竜が山の中腹へ降下していく姿が見えた。
まさか俺たちに……気づかなかった?
いや、それこそまさかだろうに。
俺の安堵と呆然が半分づつの吐息に、ヴィラが信じられないという顔を上げる。
「去って……いっただと? っていうか、ただ通り過ぎただけ? まさか、わたしたちに気づかないわけないのに。なんで……」
ヴィラが、赤竜に目を向ける。
繋いだままの手から、山中腹の洞窟入り口に降り立って、周囲をうかがっている赤竜の様子が、詳細に伝わってきた。
ヤツはしばらくすると、こちらを一顧だにしないまま穴の中へと消えた。
「あいつ……あいつ! わたしたちを無視したぞ!?」
なぜかいきり立ったヴィラが、俺に詰め寄ってくる。
「なんでだ! いままでさんざん追い掛け回したくせに!」
「お前が人間に見えて、お前だって気づかなかったんじゃない?」
「たしかに、触覚まで隠してる今のわたしは、どこからどう見ても人間だけど! でもアイツは人間も襲うんじゃないのか!? ……なんだその目は」
「いえ、別になんでも」
細められた目に圧されて視線を逸らす。赤竜の消えた山腹が目に入った。
アイツが入ったきり、洞窟周辺に動きはない。動くものといえば、降りしきる雨だけだった。
とりあえずの危機は去ったらしいと認識した頭が、ようやく動き出す。
……そうか、なんとなくわかった。
あいつが人里を襲ったそもそもの理由は、おそらくは“黒い子竜”のいぶり出しだろう。
わざわざ人里を狙って襲った以上、アイツはドラゴンが人間になれる術式の存在を知っていたはずだ。
そしてその場合、襲われる方のドラゴンであるヴィラも、ヒトのままではただ狩られるだけだ。
逃げるにしろ対抗するにしろ、ドラゴンに戻らなければ意味がない。人の身では何をどうしたって、全てが無駄なのだから。
つまり隠れる場所のないここでは、赤いアイツにとっては、アイツの姿を認識した時点で人間がドラゴンに戻って飛び出してくるのが“アタリ”だ。
奴が現れても地に這いつくばっていただけの俺たちは、アイツにとってはただの人間――“ハズレ”だったのだ。
「……わたしが元に戻らなかったから、ただの人間だと思われて……」
俺の思考を辿っていたヴィラが、わなわなと声を震わせて腕を強く握ってくる。
人と間違われ、ただ哀れに逃げ惑うだけの存在と断定されたその顔は、屈辱にゆがんでいた。
「つまり、人には“------”を倒すなんてどうせできないんだから、住み処を探すのも近づくのも好きにしろって言ってるのか!?」
「……そういうことだろうな……って、なんでお前がヒト側視点なのよ」
「アイツはそんな風に見てたのか! じゃあこっちも好きにやらせてもらえばいいんだ! 絶対に、ぜったいに殺してやる!」
ヴィラは赤竜の消えた穴の方を睨んで、居丈高に宣言した。
「それはどっちサイドの発言なのさ?」
「どっちでも関係ない! 人間を舐めてると後悔するということを、直ぐにでもその身に刻みこんでやる!」
「……ま、俺たち、その作戦は見てるだけだけどな」
がうがう吼えて猛り狂ってる小さなドラゴンの化身とは対照的に、俺の方はこの推論に達したことでかなり気が楽になった。
向こうが人間をその程度に思っていてくれるなら、討伐隊も安心して作戦を遂行できるってものだ。
俺は出掛けにコンシュから渡されていた信号筒を取り出し、一本を打ち上げた。
面白いと感じていただける部分がありましたら、ブックマークや評価等をお願いいたします。




