8.彼は彼女、彼女は彼
8.彼は彼女、彼女は彼
そして、宵宮の夜。
今日は家には帰らず、社務所から渡り廊下で続く住居側の屋敷で一泊する事にな
る。
夕方頃になると、氏子の代表者達が挨拶の為に集まり始め、社務所で酒盛りが始
まった。
食事を済ませた巫女達は、ここから宵宮の神事の準備に慌ただしく動き回らねば
ならない。
氏子達には自分等で勝手に盛り上がらせておく。
侠兎は、姚子の様子を気にかけつつ、二人の助平神職の動向を注視していた。
意外にも、彼等は慣れた手つきで順次手際よく動き指示を出していて、昨日今日
憶えた付け焼き刃的な稚拙さはない。
熟練のベテランではなくとも、並みの新人でもないという達者な仕事ぶりで作業
を続けていた。
一方で、時折巫女達に色目を使うなどの軽薄さは相変わらずで、見ていて虫唾が
走る。
巫女達は皆高校生か大学生くらいと思われ、姚子のみならず、彼女達も瞳術をか
けられているのだろうと推察される。
不思議なのは、彼等が一度も侠兎に瞳術を使ってこない事だ。
ごく客観的に冷静に見ても、ここにいる女子達の中で一番魅力的であるはずの侠
兎を術にかけず、放置しているのはどう考えても不自然だ。
何か理由でもあるのだろうか。
宵宮の神事といっても、神主の祝詞と巫女達の舞いを奉納するだけなので、実質
30分から1時間程度で終わる。
午後8時頃に始まった神事は、吟賀が神主の代役を務めた以外は予定通り遅滞な
く終了し、それが終わると氏子達も帰ってしまい、9時前には参道の屋台も店終
いして、境内には神職等を除き誰もいなくなる。
それから、巫女達は明日の神事の準備にかかり、全ての仕事が終わった後で風呂
に入り、就寝する頃には0時近くになっていた。
巫女達には二人毎に一部屋が充てがわれ、姚子と侠兎が一緒の部屋で寝た。
二人で枕を並べて寝るのは初めての事ではないので、特に他人行儀になる事はな
い。
いつもなら、こういう時は必ず侠兎がちょっかいを出して姚子を怒らせるのがル
ーティンなのだが、この日ばかりはさすがの侠兎もそんな心境にはなれなかった。
今夜は必ず何かが起こる。
侠兎は、床に就いても眠る事なく周囲の気配を探る事に集中した。
仙狐のものと思われる気配は、昼よりも一段と強くなっている気がする。
姚子は既に隣りでスースー寝息を立てていた。
寝ずの番をする覚悟は出来ている。
ハッとした。
気がついたら意識を失っていた、眠ってしまっていたのだ。
一体どのくらいの時間が経ってしまったのだろう、ふと見ると、横で寝ていたは
ずの姚子がいない!
侠兎は跳ね起き、慌てて部屋を飛び出した。
とうとう何かが始まった、早く見つけないと姚子の人生が変わってしまう・・・、
俺の予定も変わる。
隣りの部屋を覗いてみたところ、そこに寝ていたであろう巫女達もが、同じよう
に布団を残していなくなっていた。
この屋敷の中で異変が起こっている証拠だ。
焦りながら廊下を走る侠兎の耳に、どこからか女の喘ぎ声が聞こえてくる。
あの部屋か!
襖を開けると、あの硝子という男が裸の巫女達を相手にせっせと交戦中だった。
そこに姚子の姿はない。
ヤバい、いよいよヤバい・・・、姚子はどこだ、姚子を捜せ!
無駄に広くて複雑な寝殿造り風の屋敷の廊下をひたすらに駆け巡り、幾つもの部
屋を確認して回ったその先に、遂に怪しいと感じる部屋を認めた。
そこだ!
襖を開けて勢いよく踏み込んだ侠兎の目に、布団の上に裸で横になる姚子に今ま
さに覆い被さらんとする吟賀というおぞましい光景が映し出される。
総毛立ち、そしてブチ切れた。
「なにしとんじゃコラァッ!」
怒り狂った侠兎は、アドレナリンをぶちまけながら押し入るなり吟賀の顔面に渾
身の右ストレートをお見舞いする。
一瞬の事で受け身が取れないまま殴られた吟賀は障子を突き破り、奧の中庭へ吹
き飛ばされてそのまま伸びた。
急いで駆け寄り、跪いて姚子を抱き起こす。
「おい、姚子!、大丈夫か!」
姚子は、意識があるのかないのか、虚ろな眼で恍惚の笑みを浮かべている。
完全に我を失い、悦に入って脱力した放心状態だった。
毒蛇の毒牙にかかったウサギ、後はただ静かに呑み込まれるのを待つばかり。
ただ、この状態では確定的ではないが、間一髪のところで最悪の展開だけは免れ
たようだ。
ホッと胸を撫で下ろす。
その時である、中庭の廊下を歩いて近付いてくる人影の気配にゾッとし、全身に
鳥肌が立つ。
思わず顔を上げた侠兎が見たものは、打掛の長い裾を引き摺る黒髪の美女の姿だ
った。
すぐに、それが不怨鬼の言った仙狐の化けた姿であると分かった。
言葉通り、ダイナマイトバディーで絶世のビューティーレディー。
境内に立ち籠めていた嫌な気の元凶は、やはりこの狐だ。
身構えようとした侠兎、しかし、仙狐の鋭く射るような瞳と視線が重なった時、
瞬く間に体が硬直した。
仙狐は、しゃがんだまま固まってしまった侠兎を蔑むように見下ろしている。
その横には、巫女服を着た見た事もない少女が一人付き従っていた。
金縛りに遭って体は身動きが取れないが、どうにか首から上は自由が利きそうだ。
「おみゃあが狐か」
侠兎が質問するのと前後して、巫女服の少女が侠兎の後ろへ回り込み、両肩を強
く抑え込んだ。
徐に、仙狐が口を開く。
「なんや騒がしいなぁ思うて来てみれば、あんたはんが吟賀も硝子も瞳術が効か
へんて言うとった子やな。
ふぅ〜ん・・・。
何を騒いでたん?」
「昼飯のどん兵衛に生卵入れてくれなかったからな」
「なんや、赤い方が良かったんかいな。
そうならそう言うてくれはったらええのに」
「違うわアホ、どうせならどんぎつねさん連れてこんかい」
実は、吟賀と硝子はそれぞれ幾度となく侠兎に瞳術をかけていた。
放置していたのではなく、侠兎には全く効かなかったのだ。
それはなぜか、今は詮索している時ではない。
二人の術は免れても、その親玉の眼力はより一層強力だったという事か。
仙狐は腰を折り、興味深げに侠兎の顔を覗き込む。
「あら、めっちゃ可愛いやん。
それにこの匂い・・・。
あんたはん、普通の人間とは違いますやろ。
もしかして、噂に聞く天から堕とされはった人言うのはあんたはんの事やろか。
でもどうやろ、なんの方力も感じられへんし、ねぇホンマなん?」
「俺に聞くなアホ」
どうやら、地上の土地神などの間で、侠兎の事が噂になり始めているようだ。
今の今まで、全く考えもしていなかった。
ニヤリとした冷めた笑みを浮かべて、仙狐が侠兎に語りかける。
「確か、侠兎言う名前やったな。
ホンマ可愛いなぁ。
それにこのええ匂い。
気に入ったわ、ウチのペットにしたる」
いきなりの発言に侠兎は怒りが倍増した。
しかも、こういう上から目線は余計に神経を逆撫でする。
「ペットだと?、ふざけんな!」
「天上の住人を飼い馴らす機会なんてそうそうあらへんからなぁ。
その上こんな可愛い子。
楽しみやわぁ、うんと可愛がったるさかいにな、ええ子になろな」
「アホか貴様、土地神風情が何を言う。
誰が貴様なんぞのペットになんかなるか!
ペットっていうのは俺様が飼うもんなんだよ、妖怪なら妖怪同士でちちくり合
ってろってんだ、身の程知らずが」
「フフ、躾け甲斐のある子やなぁ」
怒る侠兎をよそに仙狐が目配せすると、後ろの少女が侠兎の着ている巫女服をガ
バッと脱がせ、露わになった乳房をムニュッと揉みしだく。
「な、なにしやがる!」
「その子は準潺湲、潺湲言いますのんや。
そしてウチが本袿雛妓、よろしゅうな」
「なにがよろしゅうだ、放せアホ!」
「潺、あんじょうしてあげたらええよ」
「はい、雛妓様」
潺湲は、侠兎の袴も脱がせて体中を舐め回し始めた。
首筋、二の腕、指の間・・・、なめなめされて次第に絆される侠兎。
体の力が抜け、気が遠くなっていくようだった。
「どうどす?、気持ちええやろ、侠兎。
潺に舐められたら蕩けますやろ、もう忘れられへんなぁ。
それにしてもええ体やなぁ、ウチの好みにピッタリやわ」
そう言いながら、雛妓も加わって二人がかりで愛撫し始める。
正直、こんな感覚は初めてだ。
女の体が男のそれより敏感なのは既に知っている、つもりだった。
それが、ここまで過剰なものとまでは思わなかった。
舌の刺激が脳天を突き抜け、全身に電流が走る。
この体内の焼け付くような感覚はなんだ、なんなんだぁっ!
どのくらい経過しただろうか、侠兎は完全に骨抜きにされてしまっていた。
全身が蕩けきって、頭がクラクラして倒錯する浮遊感の中で、止め処なく押し寄
せる快感に浸っていた。
「そろそろええかな」
雛妓が侠兎の脚を開く。
「お、おみゃあ・・、何を」
ま、まさか。
「ウチは、二性妓なんよ。
こんなのも付いてますのや。
出すのもしまうのも思いのまま、必要に応じて使い分けられるんやわ」
「!!」
ああ、なんという悲劇。
侠兎が失った三日月丸が雛妓の股間に・・・。
少しずつ、立て膝でゆっくりと躙り寄ってくる雛妓、その股間の名刀が侠兎に迫
る。
姚子のピンチに続き、今度は侠兎のピンチ。
このままでは終生男に戻れなくなるではないか。
こんなところで俺の人生終わってたまるか。
だが、どうやって回避する。
ここから逃れるには何をすればいいんだ。
激しく頭の中を葛藤が渦巻き、焦りと動揺で油汗が噴出する。
刀が貫けば、その刹那に全てが終わる・・・。
グラビアアイドルを目指してたのに、このままではAV女優一直線だ。
金縛り状態で動けぬまま、ただただ為す術なくその終わりが訪れるのを見守るば
かりなのか。
「や、やめろ・・、AV嬢は嫌だ」
「今したるさかいな、一緒に気持ち良うなろな」
既にターゲットはロックオン、液体燃料は充填済み、後は発射キーを差し込むの
みだ。
それが、あと数ミリのところまできて、雛妓の動きがピタリと止まった。
何かの異変を感じ取ったようだ。
「あら・・?」
一回首を捻って再度試みる。
「おかしいわ・・・、入らへん、なんでやろ」
次第に焦りの表情が見えてくる。
何度も何度も繰り返し、それでも事態はそこから先へは一歩も進めない。
「あかん、なんや封印されとるわ」
封印?、弁才天の封印か?
いや、あれは侠兎の方力を抑止する為の封印であって、それ以外の効果はないは
ずだ。
他になんの封印があるというのか。
後ろから体を抑え付けていた潺湲が、侠兎のうなじに浮き上がった小さな痣のよ
うなものに気付いた。
「雛妓様、これ・・・」
それを見た雛妓は、途端に顔色を変える。
「・・・禁呪やわ」
「禁呪?」
「しかもただの禁呪やない、簡単に言うたら完全結界や。
こんなんあったら外からなんも干渉出来へん」
「解けないんですか?」
「無理や。
ウチの力ではどないもならへん。
んもう、誰やの、ウチの可愛い侠兎にこんな仕打ちをしたんは」
雛妓は、眉を顰め苦虫を噛み潰して地団駄を踏んだ。
こんなに可愛い極上の獲物など、そうそう出会えるものではない。
ましてや、それが天界の住人であるとすれば、これはもう奇跡である。
それがあと一歩でペットに出来るというのに手も足も出せぬとは、これはもう拷
問である。
もうこんなに先走ってるのに、どうやってこれを収めろというのか。
侠兎の体には、弁才天の封印の他に、仙狐でも解けない強力な禁呪が施されてい
た。
一体誰が・・。
考えるまでもなく、それは墨松子を置いて他には有り得ない。
松子が言っていた対策とは、これの事だったのか。
とするならば・・・、そう思った侠兎が側に横たわる姚子を見ると、その首筋に
も黒子のような小さな痣がある。
そうだったのか。
松子は侠兎と姚子の双方に同じ結界の禁呪をかけていたのだった。
そうと分かれば怖いものはない。
侠兎の体にみるみる力が漲ってきた。
もはや、誰も侠兎の暴走を止める事は叶わなかった。
「うぉーーーっ!」
気合い一発で金縛りを解いてしまった。
まさかの展開に驚く雛妓。
「そ、そんなアホな、禁人の術が破られるなんて・・」
たじろぐ暇もなく、侠兎の放つ強力な鉄拳攻撃に曝され、その美しい顔を歪ませ
て打ちのめされた。
自由を取り戻した侠兎は速い。
更に潺湲を足で蹴散らし、姚子を抱き上げると、部屋を出て屋外へ飛び出し、そ
のまま境内の隅まで走り、角にある石灯籠を勢いのままに蹴り倒す。
「便器ぃー!、狐野郎をぶっ潰せ!、パンツァーフォーッ!」
夜空に叫んだ侠兎の命令で、突風と共に不怨鬼が現れ、屋敷の中へ吹き込んでい
く。
「お任せ下さい、姫!」 バコッ!
直後に弾き飛ばされ転げ出てきてダウン。
「一発で伸びてんじゃにゃー!
どんだけヘタレじゃ」
「聞かん子やな侠兎、きつうお仕置きせなあきまへんえ」
濡れ縁に出て来た雛妓は、きつい目を更にきつくして怒りを露わにしている。
ちょうどそこへ、タイミングがいいのか待っていたのか、松子が境内の垣根の外
に現れて何かを放り投げた。
「侠兎、これを使え」
「これは・・、インドラのヴァジュラ」
侠兎が受け取ったのは、金剛杵だった。
片側の爪を伸縮式の杖に変えた、三鈷杵と独鈷杵の折衷型変形独鈷杵とでも言お
うか。
ビュンッと強く振ると、反動で伸縮式の杖が1メートルくらいに伸びた。
侠兎は、それを振り翳して雛妓に向かって走り出す。
金剛杵は仏具の一種ではあるが、本を正せば帝釈天が用いた武器であるからして、
使い方としては間違っていない。
武器を手にした怒り心頭の侠兎の気迫に圧倒され、恐れを感じた雛妓は怯んで戦
闘意欲を喪失し、踵を返して屋敷の中へ引き下がって逃げ隠れた。
「くそっ、逃げやがった」
「もうその辺でやめておけ、深追いはするな。
今は姚子ちゃんを安全な所へ退避させるのが先決だ」
肩をいきり立たせたまま息を荒らげる侠兎は、松子の言葉に一つ大きく深呼吸し
て鉾を収める。
「そうだ、姚子だ、無事なんだろうな」
「心配は要らん、誰にも彼女の体に傷は付けさせないよ」
「おみゃあ、こうなる事を予想してたのか」
「僕は常に最悪を想定する。
その為の対策だったが、功を奏したと言えるのかな」
「姚子に瞳術がかけられてるって見抜いたんなら、さっさと解けばいいだろ」
「あの時点でそれは逆に危険を呼ぶ。
相手の素性が分からなかったからな。
より強力な術で縛られたら厄介な事になりかねないと思ったから、敢えてその
ままにした」
「十分危険だったんだぞ」
「でも最後の一線は守られた」
「偉そうに言うな、どう説明すんだよ、姚子泣くぞ」
「あまり憶えていないでくれる事に期待するしかないな」
「おみゃあが消してやれ」
「瞳術で上書きすれば一定程度は可能かも知れないが、得策とは言えないぞ。
思い出せなくするだけで記憶自体が消滅する訳ではないから、なにかの拍子に
思い出す事もある。
その時の方がショックは大きくなると思うがな」
「どっちにしろ甘酸っぱい思い出では片付けられんか。
くそぉ、俺が男だったら最高の思い出にしてやるのにな」
「やめろ、ただの屈辱の重ね塗りだ」
「このヴァジュラも、その対策の一つなのか」
「師匠に会いに泰山へ行ったついでに持ち帰った物だが、あんな土壇場に出会す
とは思わなかった」
「嘘つけ、こっそり出番を待ってたくせに。
よくインドラの奴が貸してくれたな」
「僕は泰山へ行ったんだぞ、須弥山のマヘンドラ様に目通りが叶う訳がなかろう。
ヴァジュラを持つ者は他にもいる、手に入れる事自体は難しくはない。
だが、狐が仙狐というのは意外だったな。
おまけに二性妓とは、僕をもってしても予想の範囲を超えている。
念の為お前にも閼宮の禁呪をかけておいて正解だっただろ」
「自画自賛か、いつやった」
「それに気付かれるようなら神仙失格だ。
感謝してくれて構わないぞ」
「ヘン、どうせ別の目的があったに決まってんだろうが」
「お前はいずれ僕の閨婦になる約束だからな、その前に変な癖をつけてもらって
は敵わない」
「誰がおみゃあ如きの思い通りになってたまるかよ。
だが今日のところは礼を言ってやる。
ていうより、それが出来るんなら他にやりようがあんだろうが、俺におみゃあ
の力を賦与するとか」
「方力を封じられたお前に僕の能力を与えたところで何の意味がある。
幼稚園児に量子力学を教えるようなものだ」
「俺はカスカベ防衛隊か」
「我々から見れば能力的にはその程度だ。
これに懲りて、なにか異変を感じた時はむやみに近寄らない事だな」
翌朝、目を覚ました姚子の受けた衝撃は、見ているのが辛くなるほどだった。
部屋に籠もり毛布にくるまって、食事も摂らず、夜まで延々泣き通したという。
侠兎は、早苗に失恋したから暫くそっとしておいてやれと言うのが関の山で、大
人しく蒸し暑い自分の家に帰った。
早く立ち直れ、姚子。
<続>