3.海へ行こう (イメージ画つき)
3.海へ行こう
「見ろ、この365度見渡す限り雲一つない青空を!、おらワァクワクすっぞ!」
(一周回ってオーバーしちゃってるよ)
その日は、夜明けと同時に気温が急上昇を始め、朝から強烈な陽射しが突き刺す
カンカン照りになった。
気温は7時で既に30度を超え、記録的な猛暑になりそうな気配がムンムンだ。
このまま上昇し続ければ、いずれアスファルトはフライパンと化すだろう。
その熱気に脳を焼かれて気でも狂ったか、侠兎の方が先に目覚めて姚子を起こし
にくるとは人類史上初の椿事だ。
「うるさいな、もうちょっと・・・」
「アホか貴様さっさと起きんかぁ!、ってパジャマなんか着おってからに!
この俺が寝苦しい熱帯夜地獄をスッポンポンで耐え忍んだというのに、おみゃ
あはエアコンの効いた涼しい部屋で惰眠を貪るとは言語道断許すまじ。
脱げ!、脱げ!、脱がぬかぁ!」
「や、やめんか変態」
「やかましい脱げ!、脱いで乳揉ませろ!」
「朝っぱらからなんなの!」
「海じゃ、海へ行くのじゃ。
もうすぐ松子が車を調達して戻ってくる。
おみゃあは罰として裸で行くのじゃ、そんで裸で泳げ」
「何の罰!」
カーテンを開いて窓を開け放ち、絶好の海水浴日和を声高にアピールする侠兎。
どれほどこの日を楽しみにしていたのだろう。
その期待度の高さは、姚子が思っているよりもずっと上だったという事か。
そんなこんなで慌ただしく朝食を済ませて、侠兎と姚子と業平は、父親が休みに
なる週末まで家を守る母親を残して、迎えにきた松子の車で一路海へ向かって出
発するのだった。
4時間ほどのドライブは、予想に反して快適だった。
どうせまた、侠兎がなんやかんやあれやこれやと騒いで迷惑をかけまくるのだろ
うと半ば諦めていたのに、意外にも涼しい車内で終始熟睡し続けてくれたのが幸
いした。
業平が夢中で携帯ゲーム機を操作する後部座席のその横で、猫のように丸まって
ひたすらに寝入っている。
昨夜の熱帯夜のせいで睡眠不足だったようで、あれほど入れ込んでいたのに、結
局睡魔には勝てなかったらしい。
おかげで気持ちよく過ごせたし、松子と色々と話も出来た。
「お仕事は何してるんですか?」
「大学の研究室で研究助手をやったり、塾の講師をやったりだね」
「何の研究ですか?」
「主としては日本の歴史になるのかな。
古文書を読み漁って資料としてまとめるのが仕事だよ。
時には遠出して、地方の嘗て豪商だったり地主だったりした家を訪問して、蔵
の中に眠っている古文書を調べさせてもらったりする事もある。
非常に興味深い仕事だね」
「に、日本史ですか・・・」
(そっちは苦手だなぁ)
「日本史と言うとちょっと語弊があるな。
天皇や武将などが出てくる政治史も多少は調べるけど、どちらかというと文化
人類学、民俗学、言語学などという日本人そのものの生活文化に関する歴史上
の調査研究と言ったほうが正しいね」
「ど、どんな事なんでしょうか・・・」
(さっぱり分からんぞ)
「例えば、夏祭りや盆踊りの起源や地域による差違と変遷とか、東日本はそば文
化なのに西日本はうどん文化なのはなぜかとかね」
「はあ・・・」
(なにそれ、うどん学?)
「世界のどの国でもそれぞれ独自の文化を持っている。
国というより民族、地域と言った方が適切かも知れない。
それは日本も同様だ。
特に日本は、元から日本神道があるにも関わらず、後から入ってきた仏教を否
定も排斥もしなかった。
もちろん、一時的な混乱や反発、対立はあったし、時の政府が主導したという
背景はあるにせよ、新しい価値観に対して比較的受け入れに寛容な土壌はどう
醸成されていったのか、とても興味があるよ。
一方で、儒教は時代を追う毎に宗教ではなく学問としての性格を帯びるように
なる。
また、道教そのものは根付かなかったのに、その要素は形を変えて現代に至る
まで連綿と受け継がれていたりする。
初詣や節分、或いはお中元、或いは大安や仏滅などの六曜暦からてるてる坊主
まで、それこそ多岐に亘る。
日本人はそれらをどう解釈して、自分達の生活の中に取り込んでいったのか。
僕にとってそれは、とても調べ甲斐のあるテーマなんだよ」
「なんていうか、宗教・・・、というか雑学的な?」
「そうだね、高校や大学の入試に出題される事はほぼないし、だから授業で取り
上げる事もまあない。
そういう意味では雑学として扱われる事も多い分野だろうけど、日本とはどん
な国か、日本人とはどんな人なのかを知る為には絶対に必要な学問である事に
は間違いない。
日本人はもっと頓着すべきだと思うよ」
(う〜ん・・、試験に関係ない知識はちょっと・・・)
「ところで、侠兎の方はどうなんだい?
少しは成長したかな」
「あ、ちょっとは進歩したと思いますよ。
ほんのちょっとですけど」
「そうか、それはなによりだ。
侠兎の世話を姚子ちゃんや枢さんご一家に任せっきりにしてしまっているのは、
本当に申し訳ないと思っているよ。
僕にとっても突然の事だったので、全く準備が追いつかなかった。
遅くとも年内にはどうにかするから、もう少しの間お願い出来るかな」
「はい、なんとか頑張ります」
以前、侠兎は松子に関して、自分の事はほとんど話したがらないと語っていた。
実際に聞いてみて、確かにその通りだと姚子は思った。
どの質問に対しても、理路整然と的確に答えているようでありながらも、言葉を
選んで当たり障りのない部分だけを口にしているという気がしてならない。
知る必要のない事まで話す道理もないとでも言いたいかのように。
また、神仙とはどういうものか、どんな術が使えるのか、何を目的に地上で生活
しているのか等々、知りたい事柄はたくさんあったが、後ろの座席に弟がいるの
で、そこを控えねばならなかったのが惜しまれる。
いずれにしろ、まだまだ謎多き人物という事だけは確かだ。
(奥さんとか恋人がいるのかとか、もっと聞きたかったけど、ミステリアスなの
もまたそそる)
着いた所は、木々に覆われた山々が近くに迫る、なんの変哲もない地方の小さな
町だった。
もちろん、リゾート地でもなければ観光地でもない。
名の知れたカフェやレストランがあるでもなし、名物の地場産業があるふうでも
なし。
至って普通の人が普通に暮らすただの町、それ以上でも以下でもない。
ただ、家一軒一軒の敷地が存外と広いなぁ、とは感じる。
そう思いながらぼんやり車窓を眺めていた姚子の目に、減速し始めた車の目的地
が見えてきた。
「さあ、やっと着いた」
「ここですか」
緑溢れる庭に囲まれた真っ白な外観の二階建て。
どこかに洋風建築っぽさを感じるも、華美でも派手でもなく、あまり装飾的な印
象は受けない。
豪邸と言えるほど大きくもなく、それでも一般の家族が住むには十分過ぎる贅沢
な作りの家だった。
松子が玄関の鍵を開け、後について中に入ると、壁も天井も白で統一され、新築
かと見紛う綺麗さに目を見張る。
一般住宅の数倍はあろうかという広い玄関ホールから廊下が伸び、部屋のドアが
幾つも並ぶ、まるで小さなホテルのようだと勘違いしそうになった。
こんな家で生活している人が現実にいるのか。
(どんだけお金持ちなんだ)
客間のある二階も同様に小綺麗で、廊下に沿って並ぶ三部屋のそれぞれの窓から
は、木立の葉の隙間から僅かながら水平線が望める。
話の通り、海が近いのが分かる。
「家を出てすぐの所に細い路地があるから、そこを下って行けば浜に出られるよ。
海水浴場は小さいけど、小さいなりの利点もある。
人が少ないからね。
気兼ねなくゆっくり出来るよ」
松子の説明が終わる頃、睡眠十分で活気を取り戻した侠兎が部屋に雪崩れ込んで
きて、偉そうに命令し出した。
既に水着に着替えて準備万端・・・でもなさそうだ。
「よっしゃ、行くぞ姚子、後ろ結んでくり」
「あんたもう着替えたの!?」
「おみゃあも早くせい、手伝ってやる」
「遠慮します」
「松子、おみゃあは浮き輪膨らませ係だ。
ナリも早く着替えてきな、でもその前にみんなで姚子の着替えを観賞するべ」
「するな!ってちょっと、動かないで」
「さっさと結べよ、なにやってんだ。
ぐずぐずしてると稗田八方斎に先を越される」
「あたんが動くからでしょ」
「おみゃあが早くせんからだ、不器用な奴め」
「文句言うな。
こういうのはしっかり結ばなきゃ、解けたら困るでしょ」
「別に困らんぞ。
なんならおみゃあと一緒にナリの前でストリップやってもいいぞ。
おみゃあのビキニは横結びだからな、俺が引っぱってやる」
「やるかバカ」
(それにしても、この子の背中はホントに綺麗だな、染みも黒子も一つもない)
家は少し高台にあって坂道を下りなければならないが、徒歩で5分も歩けば海岸
に達する。
海岸沿いの道路にはコンビニやこの季節だけ臨時に設営された駐車場があり、浜
に行けば浜茶屋やその他水道施設も揃っていて、海水浴場としての体は一応整っ
ている。
砂浜も決して広くはないものの、地元の家族連れや混雑する有名な芋洗いビーチ
を避けた遠来の若者達でそこそこの人出はある。
過度に踏み荒らされていない砂浜は綺麗だし、水の透明度も高くて涼しげだ。
視界一面に広がる青い海と青い空の非日常な光景に感激する姚子を追い抜いて、
浮き輪を手にした侠兎が熱した砂の上を我先に駆け出す。
「行くぞナリ、ついてこい!」
「ちょっと侠兎!
大体あんた泳げるの?」
「朝飯前だ!、グッピーちゃんと呼べ!」
(グッピーって・・・)
「なんだあの変な喩えは。
泳ぎが達者だと言いたいのなら、普通は他の魚を選ぶものだがな」
呆れ顔をしながら、松子は砂の上にレジャーシートを敷き、ビーチパラソルを突
き刺す。
彼は朝から白のカッターシャツと五分丈のチノパンのままで、特に着替えも泳ぐ
準備もしていないようだ。
「墨さんは泳がないんですか?」
「今日はやめておくよ。
だから遠慮しないで姚子ちゃんも泳ぎに行っていいよ」
「はい、じゃあちょっと」
松子に促されて、姚子も波打ち際で遊ぶ侠兎と業平に混じって、イルカのフロー
トを取り合ったりして暫く過ごした。
新しい水着を着た高揚感も手伝ってか、らしくもなく子供のようにはしゃいでし
まったが、それでも侠兎の異常とも言える活発さについて行けなくなり、次第に
持て余し始める。
姉と弟が二人がかりで飛びついてもイルカさんを奪えない。
水の中だろうがどこだろうが、全く衰える気配がないのだから。
(お前のスタミナは底無しか)
姚子は疲れ果て、撤退して松子の所へ戻ってきた。
バスタオルで体を拭きながら、遊び続ける侠兎と業平の方へ振り返る。
こうして見ていると、つくづく侠兎のビキニ姿は、周囲の視線を釘付けにする破
壊的魔力を持っているんだと再認識させられる。
業平と浮き輪で遊ぶその屈託のない無邪気な笑顔は、アイドルのイメージ映像そ
のものだ。
多分に幼さの残る可愛らしい顔立ち、そして健康美と官能美を兼ね備えたコケテ
ィッシュなパーフェクトボディーが、見る者に鮮烈な印象を与え脳裏に焼き付け
る。
「あれだけを見ていると、とても男だったとは思えないね」
「本当ですね、私なんか今でも信じられませんよ」
「サラ様も酷な事をする。
あれで改心など出来るものだろうか」
「やっぱりそうですよね、私も同じ事を考えてたんですよ。
どうして弁天様はあんなに可愛くしたのかなって」
「僕も直接聞いた訳ではないから正確なところは分からないけど、どうやらそん
なに深い意味はないらしいよ。
ただ女性の姿に変えたらああなった。
或いは、男だった頃の面影が多少なりとも反映されているのかも知れない」
「どういう意味ですか?」
「侠兎は元から眉目秀麗だったという事さ。
男の彼には会った事もないが、彼を調べる過程でそういう話は何度か聞いたよ。
多くの女仙達からは悪魔のように言われていたけど、そんな彼を恋い慕う女仙
もまた少なからずいるようだしね」
「そ、そうなんですか・・・」
そうか、そうだったのか。
皎侠兎という神人は元々かなりの美男子だった。
それがそのまま女の子に変えられてしまっただけだとしたら、今の姿も納得とい
うものではないか。
あの鞠乳と桃尻の説明にはなっていないけど、格段に理解度指数は上がった気が
する。
(身長もあんなちっこかったのかな?)
そんな侠兎のはしゃぐ姿が、ナンパ目的でビーチをウロウロ彷徨う性欲に飢えた
男共の目に留まらぬはずがない。
目敏い者達が、初めのうちは遠目から、そのうち徐々に周囲に集まりだし、血の
臭いに惹き寄せられたサメのように、ターゲットに熱い視線を送っていた。
誰が先に彼女を射止めるか。
互いに牽制し合うハイエナ共の間に、微妙な緊張感が漂い始める。
ただし、どこの世界にも空気を読めない、もしくは読もうとしない種類の人間は
いるもので、この時もサングラスをかけた小麦色肌の大学生風の3人組が、辺り
の目を気にする素振りもなく一直線に侠兎の元へ歩み寄って行った。
「うわ!、近くで見るとめちゃめちゃ可愛い。
ねえねえ彼女、こんなガリガリのガキじゃなくて俺達と遊ばない?
ガキと遊んだってつまんないっしょ」
この一言が、侠兎の気分を削いだ。
それまでの笑顔を封印し、目つきを鋭くして黒いサングラスを睨み返し、強い口
調で吐き捨てる。
「このドアホウが、俺の可愛いゲーム師匠をガキ呼ばわりするゲス野郎と遊んで
何が楽しい」
「ゲーム師匠?、弟じゃねぇの?」
「気分悪いなてめぇ、台無しだ、消えろカス!」
想像と真逆の反応を見せた侠兎に男共はたじろぎ、損ねた機嫌を取り直そうと慌
てて姿勢を低くしつつ次の手を打つ。
「まあまあまあ、そんな怖い顔すんなって、可愛い顔が勿体ないよ。
それよりあっち行かない?
浜茶屋でタピオカドリンク奢るから」
スイーツで事態の好転を図ろうとするも、侠兎は肝心要のタピオカを知らない。
「失せろって言ってんだろ」
「そんなつれない事言わないでさぁ、行こうぜ」
「話通じてんのか。
だったら拳で話すか、それなら通訳は要らにゃあな」
侠兎を中心に不穏なムードが広がり、気付けばその周辺にいたナンパ男達も近寄
ってきて輪になり出し始めている。
その輪の中で業平がビビっていた。
このままでは、侠兎が手を出して暴力事件に発展するのは必至。
離れた所からその様子を見ていた姚子が、それに弟が巻き込まれるか危惧したそ
の時、松子が立ち上がった。
「またなんか絡まれてる」
「やはりあのビジュアルには問題があるな」
「ナリは大丈夫かな・・・」
「そろそろ連れ戻すか。
警察沙汰になったら面倒だ。
ちょっと行ってくるから、姚子ちゃんはここで待ってて」
「はい、お願いします」
松子が近付いて一声かけると、また雰囲気が急変する。
「何をしているんだ侠兎、相変わらずお前の周りには騒ぎが付き物だな」
新たな男の出現に対抗意識を燃やすナンパ野郎達。
後からのこのこ出てきた不作法者に、せっかくのまたとない最上級の獲物を横取
りされたくない。
「なんだてめぇ、横からしゃしゃり出てくんじゃねぇよ」
「こいつは僕の連れだ、こいつが何かしでかしたんなら話を聞くけど」
「つ、連れだと?」
ナンパ男が怪訝そうな顔をする側から、侠兎がぶっつけに文句を言う。
「おいこら松子、勝手に出てきて仕切ってんじゃにゃーよ!」
「放っておいたら怪我人が出るだろう、後始末をする僕の身にもなれ」
「俺のせいじゃにゃー!
見てたんなら分かるだろ、今からやるのは正当防衛だ」
「やる気満々の奴が何を言う。
いい加減に別の収拾法を学べ」
この美少女に、こんな超イケメンの連れがいたのか。
考えれば、こんだけ可愛い女の子がフリーでいると思う事の方が初めから不自然
だったのだ。
彼氏がいるとかいないとか考察する以前に、その色香に魅了されてしまっていた。
普通の男一人ならどうとでもしてやれるものを、これほどの男前が相手だと見た
目の勝負で既に負けている。
プライドの生き物である男にとって、これは結構な精神的ダメージとなる。
侠兎がヒモ付きと知って目が覚めたハゲタカ達は、同時にその場にいる動機をも
失った。
一人去り、二人去り、徐々にその数を減らし、さながら氷の溶けるが如く雲散霧
消していった。
虚しさに苛まれながら立ち去る男達を横目に、侠兎は松子に消化不良を愚痴る。
「なんだつまんにゃあ。
これから俺がいかに強いかナリの前で証明してやろうと思ってたのに」
「そんな証明は要らん。
お前がもしここで暴れたら、ナリ君にも危害が及ぶ可能性があるとなぜ気付か
ん。
万が一を考えろ」
「万に一つもあるか、俺がそんな事させる訳にゃあだろ。
あの程度の人数の同時追尾になんの苦労がある」
「お前はイージス艦か。
方力を封印されてもそれだけの能力があるとは、神人の力たるや恐るべしだな」
「分かったかな、地仙君。
俺様を甘く見るんじゃにゃあぞ」
このナンパ騒動の間、業平はずっと戦きながら侠兎の肩に掴まったまま縮こまっ
て震えていた。
小心者で人見知りの彼には、あれだけの人数の年上の男達に取り囲まれた経験も
ないだろうから、怯えてしまうのも致し方ない。
姚子の方へ向かって歩きながら、侠兎が宥めてやる。
「残念だったなナリ、俺の強いとこ見られなくて。
また今度見せてやるからな」
「もういいよ、侠兎姉ちゃん強いのよく分かったから」
「なんでだ?、俺はまだ何もしてにゃあよ」
「だって、あんなに男の人に囲まれてもビビんなかったし」
「あんな弱っちいの、何人いてもビビるかよ」
「分かるの?、弱いって」
「ああ、簡単だ。
立ち姿を見れば一瞬で分かる。
相手のレベルがどの程度なのか、利き手、利き足、どういう動きが得意か、ど
こが弱点かもな」
「へ、へぇ〜、すごいんだね侠兎姉ちゃん」
姚子は、レジャーシートに座って、彼等が引き上げてくる様子を見ながら考えて
いた。
ああ見えても、目の前に侠兎が現れるまで、業平は反抗期の真っ直中だった。
それは、学校で問題を起こすとか、家庭内暴力とか、生活態度が悪くなるといっ
た目に見える形で表出するものではなく、むしろ陰に籠もるタイプと言えるもの
だった。
家の中では常に一人で部屋に籠もり、誰の話も聞かず、特に両親の言葉は完全に
無視し続けていた。
たまには姚子と話す時もあったが、返事は決まって一言だけで視線は一度も合わ
せなかったし、忠告の類には間髪を入れず強く反発した。
家族は、暫くはそっとしておいて自然に収まるのを待とうと話し合っていたのだ
った。
それが、突然外から騒々しい珍客が現れ、枢家に入り浸るようになって状況が一
変する。
毎日毎日、日々繰り返される侠兎の非常識行動に姚子は閉口した。
当然、そこには業平も巻き込まれ、彼の意思や無言の主張といったものは、あっ
さりと風に吹き飛ばされる紙切れのように消し去られてしまった。
どんなに邪険にしても侠兎には全く効果がなく、それどころか逆にどんどん懐に
入り込んでくる。
その無神経とも言える厚かましさとやんちゃぶりに押され流されているうちに、
次第次第に受け入れるようになっていき、いつしか反抗的態度も失せていた。
侠兎自身は無意識であっても、業平に何某かの強い影響を与えたのは否めないだ
ろう。
結果として、業平は侠兎を実の姉以上に慕うようになり、家族に対しても普通に
接するようになった。
中でも侠兎だけは、留守中に勝手に部屋に入ってマンガを持ち出しても一切文句
を言われない。
彼の心の中でどんな変化があったのか、それは彼にしか分からない。
(ま、まさかねぇ・・・)
<続>