2.水着を買おう
2.水着を買おう
翌日、二人は水着を買いに出かけた。
姚子は、どうせなら品揃えの充実した店に行きたいと思い、少し遠めの大型ショ
ッピングモールまで足を延ばした。
彼女自身も、昨日からどんなのを買おうかワクワクしながらネットで品定めを続
けていて、なるべくバリエーションの豊富な店で選びたいと思ったからだった。
初めて訪れる大規模商業施設に目を円くしてはしゃぐ侠兎は、相変わらず子供じ
みていて世話が焼ける。
入るとすぐにフードコートを見つけては走り出し、そこでソフトクリームを買わ
され、それを左手に持ったまま今度は五平餅売りの店先に並んだかと思うと、爛
々と輝く瞳は既にその先のたこ焼き屋へ向いているといった具合に。
食い意地もさる事ながら、容姿に似合わぬ図太い神経もまた相変わらずのようだ。
水着売場でも、なんの躊躇いもなくズケズケと店内に入っていくふてぶてしさを
見せる。
それが何者なのかを知っていたら、姚子ならずとも複雑な気持ちになろう。
(あれって、中身は男なんだよね・・・)
やはり、侠兎と買い物に出るのは勇気がいる。
前に下着を買いに行った時の苦い経験を思い起こせば、何をしでかすか気が気で
ない。
また店内を駆けずり回って、ああでもないこうでもないと騒ぎ立て、商品を散ら
かして店に迷惑をかけるのだろうか。
どうやってそれを制御したらいいのか、今更考えたところで何も名案は浮かばな
い。
ところがである、この日の侠兎は勝手気ままに立ち回ったりせず、大人しく応対
する女性店員に素直に従っていた。
以前とは比べものにならない落ち着きぶりだ。
その成長の度合には隔世の感がある。
あの日以降、母の早苗と度々買い物に出かけていたようなので、幾らか場慣れし
たと言えばそうなのかも知れない。
恐らく、こういう場ではどういう所作が望ましいのかを教えられたりしていたの
だろう。
姚子の言う事は何も聞かないくせに、確実に見返りが期待出来る母の言葉には従
順になる計算高さが窺われる。
それはそれで忌々しく感じる部分もあるが、この調子ならば、後は店員に任せて
おいても特に問題はないような気になってくる。
となれば、自分の買い物に専念する余裕が生まれるではないか。
姚子は、これ幸いと欲しい物を探し始めた。
どれにしようか決めかねて悩み没頭する事暫し、少し離れた試着室から侠兎の呼
ぶ声が聞こえてきた。
「おーい姚子、どうだこれ見てみゃあ、ジャーン」
試着室のカーテンを開けた侠兎は、赤を基調にしたかなり大胆なビキニ姿になっ
ていた。
(サイドがヒモ細!、ほとんど裸じゃん、
そんな布面積少ないのどこで見つけた!)
「どうじゃ、これで海行って、でもってアブラボウズ釣っちゃる」
「アブラボーズってなに!」
よくもまあ、臆面もなくここまで露出度の高い水着を着る気になるものだ。
見ているこっちが恥ずかしい。
お前には羞恥心という概念がないのかと聞きたくなる。
ビキニにしろワンピースにしろ、パレオ付きの物の中にしか選択肢を持たなかっ
た姚子には論外、絶対に選ばないであろうデザインの代物だ。
しかしながら、侠兎が身に着けるとその少ない布面積が驚くほどハマってしまう
のもまた事実。
まるでオーダーメイドしたかの如く、ものの見事に体型にフィットしている。
まあ、あれだけのプロポーションの持ち主なら似合って当然か。
(悔しいけど、可愛い)
期せずして、それを見た店員や近くにいた女性客達から「かわいー!」の声が上
がり、侠兎は一躍店内の注目の的になってしまった。
じわじわ集まってくる客達に初めは驚いていた侠兎だったが、すぐに調子に乗り、
腰をひねったりして色々ポーズを作って観衆の声に応え出す。
ドヤ顔がなんかムカつく。
(あやや、みんなスマホ構えちゃってるよ)
これに感化されたのか、侠兎はその赤いビキニがすこぶる気に入ったようで、速
攻でそれに決めてしまった。
問題はその後で、今度は姚子の水着選びに横から口を出すようになる。
あれは駄目だのこれはきわどさが足りんだの、次から次へと勝手に選んでは評価
し始め、挙げ句に試着中にカーテンを開けるわ顔を突っ込んで覗き込むわで、散
々な目に遭わされた。
おかげで、何度も危うく衆人の目に裸を曝す窮地に追い込まれるという、顔面蒼
白の嘗てない辱めを受けたのだった。
(いつか見てろよ、仕返ししてやるぅ)
水着を買い終えた二人は、その後モール内を歩きながら、カジュアルショップや
インテリア雑貨、ファンシーグッズ、コスメなどの店を巡ってショッピングに時
間を費やした。
侠兎は目に留まる物は片っ端からあれ買これ買えと、カードを預かる姚子に詰め
寄ってねだってくる。
どうせそんな事になるだろうとあらかじめ予期していた姚子は、悉くその要求を
退け、本当に必要と思われる物だけしか認めなかった。
ここで、購入を渋る姚子に侠兎が見せたのは、驚異の値引きテクニックだった。
侠兎が男性店員に笑顔でおねだりすると、ほぼ100%の確率で値引きしたりオ
マケを付けてくれたりするのだ。
「姚子姚子、2割引きを3割引きにしてくれるってさ、買ってくり」
「あんた、試着した後タンクトップに着替えた理由はこれか」
「せっかくの武器だ、使わん手はにゃあぞ。
侠兎ちゃんのおっぱい立派過ぎて困っちゃう」
「上げるな!、谷間るな!、どこが困ってんだ」
「奴等も目の保養が出来て喜んでるし、誰の損にもなっとらんのだから文句はな
かろう」
「いや損とか得とかの話じゃないと思うんだけど」
「商売は損得だろ、越後屋も損して得取れって言ってたぞ」
「だからその時代劇ネタはどこから!」
プルオーバーのベストからタンクトップに着替えて露出度を上げたおかげで視認
し易くなったその見事過ぎる張りと谷間は、予想を遥かに超えて男共の目を釘付
けにし、集中力を発揮させ激烈に煩悩を刺激する。
しかも、侠兎は初めてスカートを穿いた時以来、例の変な主張の為か一貫して超
が付くミニスカートしか穿かない。
パンチラをサービスと割り切るその無恥な精神構造は、普通の女子には到底理解
出来るはずもなし。
加えて、可愛らしいアイドル級の童顔で見せる小悪魔的な笑み。
更には、姚子が教えていた女子らしい仕草や立ち居振る舞いまで、いつの間にか
巧みに使いこなしているではないか。
男達は判で押したように鼻の下を限度一杯まで伸ばす。
そのデレ顔は、まさしく自分はバカですと公言しているに等しい。
当然のことながら、このおねだり戦法は男にしかその効力を発揮しないので、侠
兎は巧みに女性店員しかいない店を避け、男性店員を見つけては猫撫で声を発す
るのである。
(これだから男は・・・、なんでこんな見え透いた色仕掛けに引っかかるかな)
こうした侠兎の一連の行動は、一つの疑問を姚子に投げかけた。
なぜ、弁天様は侠兎の姿をこんなナイスバディーの可愛い美少女に変えてしまっ
たのか。
もっと普通で平凡な、ありきたりな姿形でいいじゃないか。
女性として生活する事で侠兎の女性観に意識改革をもたらそうと意図しての事だ
とすれば、これはむしろ逆効果なのではないだろうか。
こんなに周囲からちやほやされていたら、本人も図に乗ってしまってそれが当た
り前と思うようになる。
それは容姿に恵まれたごく一部の女性のみが限定的に得られる恩恵であって、世
の女性達全てに当て嵌まるものでは決してない。
女性に対する気遣い、思いやりといったものが芽生えるようになるとは思えない
のだが。
なのにどうして・・・。
これは、後になって判明する事になるのだが、弁才天は侠兎を特別に美しく変え
ようなどとは微塵も考えなかった。
ただ単に、普通の女子に変えたつもりだった。
結論から言うと、弁才天の美的感覚が下界の一般庶民とは桁外れだったというだ
けなのだ。
さすがは女神と言うべきか。
或いは、天界には醜悪なものが存在せず、思い浮かべる事が出来なかったのか。
故に、侠兎は美少女ではあっても絶世の美少女と呼ぶまでには及ばない。
それでも、地上に生活する人間の目には普通を遥かに超越して見えるのだから、
女神の美意識の高さはいかばかりか。
その侠兎が姚子の教育で新しい武器を手に入れた事で、更に美少女度に磨きをか
けたという訳だ。
(いや、あんなあざとい上目遣いを教えた覚えはない)
それが証拠に、二人はモールの中にいる間だけでも6組の男子グループから声を
かけられた。
その全てが侠兎目当てなのは明らかで、姚子が一人でいる時でさえナンパされた
経験はほとんどない。
侠兎が一緒にいるが故のデメリットなのだが、こういう時に発揮されるのが侠兎
が一緒にいる事のメリットでもある。
要するに、ナンパの追っ払い。
言うまでもなく、侠兎は男には全く興味がないので、ナンパは徹底的に排除する。
その手法として選択するのが、最も短絡的な腕力に訴える事。
姚子は、そこだけは講座を始めた最初の頃から口酸っぱく戒めてきた。
「いい?、簡単にケンカしちゃダメだよ。
暴力は絶対ダメ。
それは最後の手段に取っておいて。
最後の最後になって、もうどうにもならないって時だけにしときなさい」
「なんでだよ、手っ取り早くてその方がいいだろ。
黄門様の印籠じゃにゃあんだぞ、時間が来るまで使っちゃダメなんてルールな
どあろうはずもなし、最初に出しゃそこで終わりだ」
「理屈はどうでもいいわ、とにかくそれだけは守って。
女は手より口で勝負するのよ」
「あ〜確かに、女ってそういう時あるな。
やたら昔の事アホみたいに憶えてたりして、すぐそういうの持ち出してきてな
んやかんやと畳み掛けてくるんだ。
そんなのいちいち憶えてにゃあってこっちは、めんどくせぇよな。
そんだけ記憶力があるんなら別の方面に使えってんだ、地図も読めにゃあ方向
音痴のくせに」
(う・・、そこ突かれると痛い・・・)
「そ、それは、今は関係ないかなぁ・・」
「でも女だって手の早い奴くらいいるだろ」
「あんたみたいに相手が気を失うまで殴り続けるなんて、男でも滅多にいないっ
て」
「それは相手が気に入らん時だけだ」
「気に入ったら殴んないでしょ、普通」
「潰すべき相手は潰せる時に徹底的に潰しておかなきゃならん。
後で反撃しようなんて気すら起こさにゃあくらいにな。
先手必勝なんだよ、ケンカは」
「違う、先に手を出した方が負けなのよ、ケンカってのは」
「後出しジャンケンで負ける奴はいにゃあ論って奴だな」
「意味違うし、そもそも相手しなきゃいいだけなのよ。
一番利口なのは早くその場から離れる事ね」
「三十六計逃げる西川か」
「そう、西川君は正しい、って誰それ」
こうした努力の賜か、はたまた早苗がどこかで説諭でもしていたのか、侠兎はナ
ンパ男に言い寄られても問答無用で拳を繰り出すような粗暴さは見せなくなって
いた。
「おみゃあ等なんかに興味なんかにゃんだよ」、「顔洗って出直してこい」、
「鏡を見て自分に見合う野猿を探せ」。
初めは軽く、次に強い口調で弾き飛ばして往なす術を学んだ。
それでもしつこく食い下がってくる相手には、別の方法でその思惑を挫いた。
「そこまで言うんなら腕相撲で勝負しようか。
そっちが勝ったらつき合ってやってもいいよ」
男達は、こんな小柄で可愛い女の子に腕相撲で負ける訳がないと踏み、喜んでそ
の挑戦を受ける。
姚子は慌てて止めた。
「やめなさいって、あんた何考えてんの」
「腕相撲なら問題にゃあだろ、それとも俺が負けるとでも思ってんのか?」
「そうじゃないって、こんな所で腕相撲なんか出来ないでしょ。
テーブルもないし、通行の邪魔になるし」
「そうか?
じゃ指相撲にするか」
「大丈夫なの?、そんなんで」
姚子の心配をよそに、指相撲への変更に同意した男達と勝負を始める侠兎。
男の仲間の一人が「よーい、ドン!」と合図をかけるが早いか、あっという間も
なく侠兎の親指の方が先に相手の指を押さえ込んでしまっていた。
(は、速!
そうだった、この人ムチャクチャ運動神経いいんだった)
結果はもちろん侠兎の全戦全勝。
超人的反射神経と女性特有の関節の柔らかさ、そして想像以上に強い握力の合わ
せ技による完全勝利だった。
男達は意気消沈、渋々立ち去るしかなかった。
肩を落とした負け犬共を見送って、侠兎は姚子に得意げに笑った。
「どうだ思い知ったか、見ろ、あの情けにゃあ背中。
この俺様が人間如きに負けるかよ、1000万年早いわ」
「はいはい、ご立派ご立派」
「これからゴミを追っ払う時はおみゃあも真似したらいいぞ、誰の迷惑にもなら
ん平和的解決法だ」
「出来るか」
「おみゃあは意外と鈍くさいからな」
「余計なお世話だ」
「そういやおみゃあ、ケンドンだかなんだかはもうやらんのか?
前はやってたんだろ、ナエちゃんに聞いたぞ」
「ああ剣道ね。
足を怪我しちゃってね・・・、だからやめたの」
「足か、どれどれこの辺か?」 サワサワ
「触るな変態痴漢。
それよりもうお昼だからご飯にしようよ」
「飯!、唐揚げ!」
「却下」
「竜田揚げ!」
「却下!」
「ザンギ!、山賊焼き!」
「却下却下!、違いが分かんない、鶏から離れろ」
「おのれわがままな。
仕方がにゃあ、ケンタッキで手を打とう」
「もういい、私が決める」
「デザートのプリンは譲らんぞ」
「知るか」
水着も買ったし、その他諸々必要な物も買った。
後は松子が迎えにくる日を待つばかりだ。
(お昼はボンゴレビアンコにしてやる)
<続>