②二組の追跡者。
もう一組は誰?
編み込んだ髪を側頭部で二つに纏めて巻き留めたクリシュナが、物憂げな表情を浮かべながら無言のまま、連絡艇の小さな窓から外の景色を眺めていた。
雲の間から射し込む陽光は、まだ朝の名残を残していたが、地上を照らす力強い陽射しを緑が鮮やかに跳ね返して煌めいて見える。
クリシュナとアンティカが乗り込んだ、地上と空中要塞とを行き交う連絡艇が雲の切れ目からゆっくりと降下し、帝国領内の中堅都市から郊外に向かう途中に在る目的地を目指して滑空していった。
……ここは帝国領内、飛空艇発着場。
広大な敷地に幾つもの窪みが設けられ、其処に上空から降下してきた様々な飛空艇が投錨していた。
さて、この世界に於いて飛空艇はどうやって空を飛んでいるのか、軽く説明しておこう。
この世界の飛空艇は現実世界の飛行船と同様に、気嚢と呼ばれる軽い気体で満たされた浮き袋を備えている。それによって有る程度の浮力を持たせていて、民間用の飛空艇なら魔導の補助(大気を操作して得る推進力等)で緩やかに空を飛べれば事足りるのだが、軍用となると異なってくる。
まず、求められる浮力と速度が桁違いに大きくなる。気嚢を保護する分厚い装甲と対艦用の武器、そして乗務要員(例えば支援魔導要員等の兵士の重量は無視出来ない程に膨れ上がる)を載せて飛び、更には戦闘速度(急激な回避飛行や)も確保しなければ空中戦艦として存在する事は不可能である。
とは言え、軍であっても平時や後方任務に戦闘艦で人員や物資を運搬する訳も無く、クリシュナとアンティカが乗ってきた連絡艇も内外に普及している平凡な形式で、葉巻型の気嚢の下に三十人程が乗り込める乗員室を吊り下げた一般的な船だった。勿論、対艦衝角や武器の類いは一切無い。
「ふあああぁ……やっと、着きましたねぇ」
「……えぇ、そうですね」
気の抜け切ったアクビと共に地上に降り立ったアンティカとは対称的に、降りるまで押し黙ったままだったクリシュナは、整った顔に緊張感を漂わせながら私物のコートの襟を立てる。コートの下は以前着装していた【戦闘用礼装】を身に付けているが、手荷物は革製の旅行ケースに纏めていた。
一方のアンティカは何故か出発前に「旅立ちに相応しい衣服に着替えないといけない」と言い、幼女の容姿に似つかわしい萌黄色(やや明るい黄緑)の活動的なシャツとキュロット、そして白のタイツの組み合わせ。そんな柔らかい色彩を纏ったアンティカがクリシュナに訊ねる。
「それはそうとクリシュナさん? 何だか思い悩んでいるように見えますが……」
「……はぁ……やっぱり、何でもお見通しなんですね、アンティカさんって……」
「何でもでは御座いませんが……互いに知り得た情報は共有しませんこと?」
ふわりと微笑んでからアンティカが切り出した提案に、苦笑いしながらもクリシュナが応じる。
意気込んでホーリィを捜しに地上へとやって来たクリシュナだったが、実は探し当てる方法の無いまま、時間も路銀も決して潤沢とは言えない状態で見切りで出発、つまり……到着早々に手詰まり状態だったのだ。
「……えへん。まず、わたくしが思うに、ホーリィさんは間違いなく最前線に向かうでしょう」
「……アンティカさん、前から気になっていたんですが、どうして自信を持ってそうだと言い切るのですか?」
降着場の片隅に置かれた木箱の上を手で叩いてホコリを除いてから、持論を切り出し始めたアンティカだったのが、クリシュナが横槍を入れて来ても穏やかに微笑み、
「ふむ、確かに……疑問に思われるでしょうねぇ……でも、これはわたくしの中では確定しているんでしゅ、あれ? ……失礼、確定しているのです♪」
「……ホーリィさんは、無一文で飛び出したのですから……動くとしたら、過去の事例に基づいて【駅馬車】を移動手段に使い、前線を目指す筈でしょう!」
(……アンティカさん、何故に御姉様が最前線を目指すのか知りたいんですが……)
クリシュナは内心そう思っていたが、取り敢えず空気を読んで訊ねなかった。
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恵利は研究室の机で画面を眺めながら、同じ事だと思いつつ数多の掲示板を流し読みしていた。
《人気ゲーム内を席巻した某NPCの正体は!?》
《行方不明の最強キャラ、本当にAI?》
《ここでしか判らない○ーリィの真の姿》
玉石混淆のタイトルだったが、徒労に終わるのを覚悟しつつ、様々な意見や推測を抽出して傾向を導き出し、混沌とした情報の渦を俯瞰視しながら全体の方向性を見極めようと試みる。
(……ダメだなぁ、てんでバラバラ……誰も確かな事は知らないよね、結局……)
恵利は画面から視線を離し、目の間を指で揉みながら机の端に置かれた一枚のプリント静画を眺める。
それは最後にローレライを訪れた時、何気無く翔馬に頼んでホーリィと並んで写してもらったプリント。彼女が唯一、ホーリィと共に居た事を記録した物である。にこやかに手を振りながら傍らのホーリィに寄り添う恵利とは対照的に、固く緊張した表情で棒立ちのホーリィ。見た目はそっくりなのに、全く違う表情の二人が並ぶ姿を見る度に、つい笑いが込み上げて来てしまう。
だがその撮影を最後に、恵利はホーリィと会っては居ない。
大学の研究室でレポートに追われ、瞬く間に時間だけが過ぎて行き、気付けば初秋から冬へと季節は移り変わっていた。翔馬とは異なる研究室の為、顔は合わせる事は少なくなった。彼がバイトと論文作成に明け暮れていて、多忙になったのも理由の一つだが、何より大きな理由は恵利自身がゲームに身を投じる時間が無くなった為だろう。
恵利は自らの研究をシステム構築技術ではなく【必要とするデータを効率的に抽出検討し可視化】させるノウハウの編纂法に定めた。専門知識と技術のみを積み重ねる作業で指導者に認めさせるより、手間と時間の掛かる地味な研究だが、彼女はその方が大学を出た後の選択肢が多いと思ったからだ。
「……堀井さん、ちょっといい?」
背後から不意に声を掛けられて振り向くと、そこにはショートカットの背の高い女性が立っていた。
「……あ、気付かずに失礼しました……で、何かご用でしょうか?」
「ん……用って程じゃないんだけど……ちょっと話したい事が有って……」
何処と無くソワソワした感じの彼女は、胸にシステム研究部の名札を提げていて、そこには『後藤 友梨』と書かれていた。そして傍らのホーリィとのツーショットをチラリと見て、それから視線を恵利に戻してから、前置きせずに切り込んで尋ねてきたのだ。
「……堀井さん、その写真の『ホーリィ』の行方に心当たりは、無い?」
久々の恵利さん登場。次回も宜しくお願い致します。