①ロスト・シスター。
久々に更新いたします。
琥珀色の瞳が僅かに広がり、やがて集束する。人は自らの意思に沿わぬ事態に面した時、必ず不随反応をしてしまう。
視力に自信の有るセルリィは、目の前に座った相手のそんな無意識下の動きを捉え、結論を付けた。
……まぁ、立場が逆だったら、私もそう思うだろうけど、ね。
むっつりと押し黙った表情が、言葉に発さぬ意を現していた。
「……クリシュナさん、その申し出は許可出来ません」
セルリィの声は柔らかく、何時もと変わらぬ穏やかな抑揚で発せられてはいたが、内容は平坦且つ冷徹な物だった。
「……我々が所属しているのは軍隊です。戦場から逃亡した兵士を探すような事を許可していては軍規を乱しかねませんし、他の兵士の士気に関わります」
「……それは承知しています。ですから、私は軍を抜けて一個人として御姉様を探す所存で御座います」
硬く結ばれた唇が開き、セルリィの言葉に続けて告げられたクリシュナの発言は、やはり何時もと同じ柔らかな声質にも関わらず、硬く、そして他者の介入を許さぬ強い意思に満ちていた。
……と、思ったのも束の間、
「……あ~ぁ、もう!! そんなにイライラしちゃダメ!! 私だって今すぐこんなの全部擲って、ホーリィを探しに行きたいわよ!?」
「そうです!! も~面倒だから一緒に行っちゃいましょうよ!?」
二人で向き合いながら立ち上がり、机を間に挟んで互いに幾枚も有る書類の束をバサバサと翻しつつ、今までの調子をひっくり返して叫び合うが……
「……なぁ~んて、無理なのよね……判ってくれる? クリシュナさん……」
「……はい、存じてます……」
結局、ストンと同じタイミングで椅子に座り、ぐったりとするセルリィ、そしてしゅん、と俯くクリシュナだった。
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ホーリィが失踪してから半日後、居合わせた者全員から聴取を行ったセルリィが下したのは、
【被疑者ホーリィ・エルメンタリアは何らかの結果に依り、自失茫然のまま失踪。敵前逃亡及び脱走疑惑に関しては本人不在の為、保留】
……であった。とにかくホーリィが戻らない事には何も判らないし、事を進める気も起きない。そうして一時的に棚上げにしておこう、と結論付けながら最後の聴取になったバマツが退室した直後、入れ違いでクリシュナが室内にやって来たのだ。
聴取済みの彼女が何を告げようとしていたのか、は今までのホーリィとの関係を熟知していたセルリィにとって容易に想像出来、やがてクリシュナがホーリィ探索の意を伝えられ、そして上官としての判断を下して、この結果である。
「……そりゃ、私だって探しに行きたいわよ……でも、御飾り程度の肩書きとはいえ、これでも艦長代理補佐、なのよね……」
机に片肘を突きながら、頬に手を添えて書類の束を【済み】の書類棚に放り込んで、ぼんやりと小さな窓の外を眺める。
金色の艶やかな髪が耳の脇から首元に掛かり、窓の外から差し込む僅かな陽光を反射させながら輝く様は、一幅の絵として掲げられても違和感は無い。其れ程の美貌にも関わらず、近頃は余り笑う姿も見掛ける事も稀有である。
クリシュナはセルリィの横顔を見ながらそんな事を考えていたのだが、ふと気付くと二人しか居る筈の無い室内に何時の間にかもう一人居る気配を感じ取り、小さく狼狽えながら室内を見回して……
「……あ、あの……セルリィさん、その娘さんは何時からそこに居たんですか?」
「……え? ……え? え? ……ふぅわッ!?」
自らの執務用の小さな机の端に、ちょこんと腰掛けていた少女は、何時からそうしていたのかは判らないが、クリシュナと同様にセルリィの顔を眺めていた。そして、二人が気付いた、と判った瞬間に小さく一つ、溜め息してから、
「……ふぅ、やっと気付いてくださいましたかぁ? もう、ずーっと気付かれなかったらどうしたものやらと思案してましたよぉ~」
「……あ、その喋り方は……アンティカさんでしょ?」
「おお♪ 流石はセルリィさんですねぇ~♪ 見た目だけで惑わされないのは流石ですわぁ!」
背丈はほぼ半分、そして肉感的にも半分位に縮んだアンティカはそう言いながら机の上から飛び降りた。
フワリと開いたスカートは白、小柄な体型にぴったりと密着した白のドレスシャツと揃いで花柄の紋が銀糸で刺繍されていて、一見すると良家の子女風の装いにも拘らず、真っ赤な唇と深紅の瞳が蠱惑的なイメージを見る者の心に深く刻み込み、まるで透明な箱に収められた美しい毒蛇を間近に眺めているようだった。
「……それにしても、最後の瞬間にホーリィさんの影から弾き出されてしまいまして、仕方無くバマツさんの影に移ったんですが……居心地が悪くて困りましたぁ……」
涼やかに鳴る鈴の音のような声は、以前にも増してのんびりとしていたので、クリシュナは警戒する気持ちが引き潮のように薄まっていく。
だが、相手は一応身内とはいえ軍規に馴染まず、人の理からも逸脱した半不死の存在。しかも何を以てか判らないが、ホーリィに対して強く執着しているようだ。仲間といえど完全に気を許せない相手である。
「……で、そんな訳で、私もご同行致したいのですが、宜しいでしょうか?」
「そんな訳で、って言われても……セルリィさん、どうしましょう?」
しかし、さらりと当たり前のようにクリシュナに付いていこうとするアンティカ(幼女)に戸惑いながら、彼女は思わず訊いてしまう。
「どうしましょう……って言われても……アンティカさん、貴女は」
「あ、もしかしたらこれ、書いたらよいのですかぁ?」
セルリィが言おうとした事を遮りながら、アンティカは身体を捻って書類入れから一枚の紙を取り出すと、摘まみながらヒラヒラと動かして問い掛ける。
その【傷病休暇申請】と書かれた紙を見た瞬間、セルリィは何かを悟って言葉を継いだ。
「はぁ……アンティカさんの懸案はそれさえ提出すれば解決しますけど……クリシュナさんは……」
「セルリィさぁ~ん? クリシュナさんはコッチなんじゃないんですかぁ~?」
再び書類の束の中から【一時休暇申請】と銘打たれた紙を抜き出したアンティカへ、セルリィは悩ましげな溜め息と共に、
「はぁ~……もう、上官の机に腰掛けながら書類を漁らないで貰いたいわよ、ホント……」
そう厄介そうに言ったものの、続けられた言葉の調子は今までとは異なっていた。
「……二人共、必要な書類を提出したら即時『治療』と『休暇』に入りなさい? 但し、『治療』と『休暇』時は軍票は使用不可とします。もし手持ちに現金が無い時は……」
「その心配は御座いません。それなりの蓄財はありますから!」
即座に返したクリシュナに当初の暗さは無かった。
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「はい! これが乾燥携帯食でしょ? こっちが携行治療具、それでこれが……」
「……セルリィさん、こんなに必要有りませんよぉ? これじゃ、まるでお母さんみたいですねぇ~♪」
ドカドカと次から次に荷物やら餞別やらを手渡すセルリィに目を白黒させるクリシュナ、そして呆れるアンティカの二人。
地上と空中要塞を繋ぐ連絡艇付き場で、二人はセルリィと僅かなローレライ乗務要員に見送られながら出発した。
「……それと、もしホーリィを見つけて、何か必要になったら【連絡煙】の九番を使うのよ? 判った?」
「耳にタコが出来る位に聞いてますから……判りましたから……」
まだまだ続きそうなセルリィから離れようとしたクリシュナだったが、別れ際に右手を握られて、思わず振り向くと、
「……ホーリィは、私にとっては娘みたいなものよ……弟子だったり、部下だったりしてきたけど……だから、お願い……必ず……」
「……はい、お約束いたします……必ず、連れて戻ります……」
何時に無く真剣な眼差しのセルリィに、クリシュナは誠意を籠めて返答した。
やがて、連絡艇は束の間の地上での休暇や里帰りをする者を乗せて、ゆっくりと下界へと降りていった。
そんな人々が言葉を交わし合う中、クリシュナは幼女じみたアンティカを伴いつつ、最前線目指して進む旅を始めたのだった。
平凡なお話で恐縮です。次回も宜しくお願い致します。