⑨獲物を寄越せ!
こんな日ですが更新致します。
「……あの、その……元気出してくださいッ!!」
「……は、はぃ?」
いきなり気遣われて面食らうセルリィ、そして身重の身体を省みず元気付けようと現れたジャニスとヨアンナ。
二人は似たような白と黒の衣装だったが、ジャニスの纏う服は妊婦向けにお腹回りを目立たなくさせる意匠で、ヨアンナの物とは違いフリルが多めで可愛らしい作りである。
……だが、それはそれ。
目の前に居るのは、既知の旧友ニケの実妹であるが【邪剣】と呼ばれた使い手……生ける伝説の【剣聖】と肩を並べる殺戮兵器なのだ。
「……あっ!? ……い、いや……その……お礼が言いたくて……来てみたら……お辛そうな顔で……」
しかし、これである。
モジモジと指先を捏ねりつつ、俯きながら弱々しく呟く姿に全く恐怖は抱けない。もし、ニケとの関係も無く、ただ何らかの理由で避難民として艦内にやって来てでもすれば、難民に紛れて何も不自然では無い位、
「……そ、そのぅ……ぁぅ……ごめんなさい……」
……弱々しかった。
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そんな姿を見て、セルリィは次第に脱力してしまい、白くなる程握り締めていた拳を解き、そっと彼女の頭に手を伸ばした。
……もふっ、とした指先の感触と同時に、びくんっ、と全身を震わせて反応するジャニス。その様子に我に帰り一瞬思案したが、柔らかく、そして芯の有る犬耳の触感に手が止まらず続けてしまう。
もふもふ……、と何度か指が耳の先の柔らかな毛を撫で、丸く整った明茶色の髪の毛に触れる。やがて繰り返すうちに身体の反応も無くなり、ペタンと倒れた耳が触られる事を厭わぬように感じられた瞬間……
……セルリィの両目からキラリと光る涙が零れ落ち、その事実に彼女自身が驚いた。
弱々しく、華奢で庇護の対象に過ぎない妊婦のジャニス。私は一体何を恐れ遠避けていたのだろう。彼女とて自らを【邪剣】と恐れ遠避けられて、どう決意し【剣聖】と結ばれて闇の世界から身を引き離したのか。
それは、死と隣り合わせの世界が自らの求めていた道では無かった、と言う事だろう。ニケの話では二人は幼くして母と死に別れ、父親は自立を促す術として、二人を死と非道の世界に活路を見出だすよう仕向けたそうだ。
ならば、それは止むを得ず選ばされた生き方であり、自らが求めていたのが平穏と安寧の道であったなら……そこに行き着く為ジャニスがどれだけの事に堪え忍んで来たのか。
形は違い、生き方も異なる。だが、ジャニスは手に入れたのだ。セルリィが求めていた【安寧の道】を。
きっとそれに辿り着くまで、自らを律し幾度も苦渋の選択をしてきたのだろう。しかし、そんな姿は微塵も感じさせぬ穏やかな様子に、セルリィは理想の境地を見つけ、涙したのかもしれない。
「……あの、落ち着きました……ありがとうございますぅ……」
頬を赤らめながら照れ臭そうに俯くジャニスに、思わず慌てて手を引っ込めながら、
「ぅあっ!? し、失礼したのは此方で御座います!! 手触りが良くてついつい止まらなくなって……お嫌では有りませんでしたか?」
「いえ!! シムも私が落ち込んでた時はそうしてくれましたから、逆に元気を頂きました!!」
返すセルリィに溢れるような笑顔で答えるジャニス。明るく微笑む姿は年若い母親でありながら、同性をも惹き付ける魅力に満ちていて、
(……ああ、これじゃ【剣聖】もイチコロね……)
と、思わず納得してしまい、釣られて笑ってしまう。
そんな様子に傍らのヨアンナもほっと胸を撫で下ろし、緊張して組み合わせていた指先を解きながら、
「よかった……お礼が言いたいからって、いきなりずんずん進み出して軍人さん達に『セルリィさんは何処に居るんですか?』って尋ねて回り出した時はどうなるかと思ってハラハラしてたんですよ……ホント、無鉄砲にも程がありますよね?」
「あうぅ!? ……それは、その……だって、お礼が言いたかったから……」
彼女の言葉にしどろもどろになりながら、また顔を赤くするジャニス。そんな姿にすっかり毒気を抜かれたセルリィは、自らの内にとぐろを巻きながら互いの尻尾を飲み込む、双頭の邪竜が大人しく引き下がるのを感じ、
「……それは気を遣わせてしまいましたね。此方こそ到らない点も有りましたでしょうから、お詫び致します。まだ身重のジャニス様に何か有りましたら取り返しが付きません。今暫くのご辛抱ですが、必ず旦那様と会えるよう取り計らいますので、お戻り頂けますか?」
「はい! ありがとうございます!」
安心させようと穏やかな口調で語り掛けるセルリィに、元気よく答えるジャニス。ふわりと柔らかく垂れた耳がぴくぴくと動く姿にセルリィは再び穏やかな気持ちになり、
「何かと不行き届きも御座いますでしょうが、何せ身重の方を乗せた前例が御座いません故、何でも仰有ってくださいませ……ね?」
「はい……あ、ありがとう、ございます!」
我知らず内に気遣う言葉のセルリィに、目尻に光る粒を煌めかせながら、嬉しそうに答えるジャニス。
やがて士官室を辞し、宛がわれた個室に戻る二人を見送りながら、セルリィは穏やかに落ち着いた気持ちになり、静かに目を閉じる。
それ以降、妊婦姿のジャニスを見ても暗き激情は表に現れず、自らの業が知らぬ内に氷解した事を理解して、彼女は一人、喜んだ。
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「お お お お お お お ぉ ぉ お お お お っ ! !」
握り締めた左手の護手を振り下ろし、激しく空気を切り裂きながらホーリィを仕留めんとするセイムス。
「なあああああああぁっーッ!! こんのぉ…… 馬 鹿 力 があああああぁーッ!!!!」
みぎっ、と首から下の全ての筋肉を膨張させて、双頭剣の中心で受け止めながらぎりり、と歯を食い縛りつつ耐えるホーリィ。
二人の戦いは純粋な力と力。激しい剣撃の応酬のみで、各々を知った者はその姿に僅かに感じる違和感を覚えつつ、しかし勝負の行方に固唾を飲んで見守るしかなかった。
互いに剣を交えて幾度も打ち合う中、ホーリィは珍しく焦りを感じていた。
(……余裕、が、無ぇ……くっそ!! 何時もなら、魔剣の吸精で……補給されるのに……)
そう、セイムスとホーリィの最大の違い。それは『持続力』だった。
ホーリィは元の魔力量が少なくとも、【フシダラ】【フツツカ】の両魔剣を介して供給を受けつつ、消費とのバランスさえ整っていれば無類の強さを誇る。だが、常に魔導に依る身体強化を続けなければいけない為、燃費の悪さも伴い供給が止まれば即座に魔力が底を尽く。
しかし、セイムスは魔導強化ではなく、生まれ持った【個としての性質】に依る身体強化が常に付与されている為、魔力に頼らぬ戦いを続けられる。しかも彼の戦い方は徹底した防御から生み出される【切り返し】のスタイル。一見すると力任せに思える護手の一撃も、常に右手に握る片手剣に繋げる為の伏線なのだ。
ホーリィは護手の一撃を避けて懐に飛び込めば、容易に双頭剣を駆使した連撃へ持ち込める筈にも関わらず、セイムスの背後に妖しく光るオリハルコンの絶剣が油断無く控えているのだ。容易く踏み込め無い状況に苦慮し続けていた。
じり貧になりつつあるホーリィに対し、自らと同等の力量を見せる相手を目の当たりに、警戒しながら出方を伺うセイムス。人間相手にそこまで踏み込まずに構える事は珍しく、見る者が判じれば彼の戸惑いが確実に窺えるのだが……ホーリィにそんな余裕は無かった。
だが、そんな膠着状態は遂に終わりを迎える。
互いに渾身の一撃を見舞い、僅かの隙も落命の憂き目を見るような凌ぎ合いを繰り返していた二人の頭上に……突如、鈍色の巨大な鎧を纏った大空の覇者が舞い降り、魔力由来の激しい烈風を発しながら停止した。
「……グランマっ!!」
「……ローレライ!? な、何故こんな時に……ッ!!」
二人は各々に飛来したローレライの姿を見ながら声を上げ、剣の間合いから身を離して動向を見守る。
……やがて、居合わせた全ての者が見守る中、音を立てぬまま静かに着底させたローレライの後部ハッチがゆっくりと下がり、そこから一人の女性がゆっくりと、やがて次第に早足になりながらセイムスの方へと進み出す。
「……シムッ!!」
「……ジャム(夫婦間でのジャニスの呼び方)!? ……どうして……いや、そうか……。」
ジャニスが彼の元に辿り着き、大きく手を広げながら近付くと……彼は手にした剣を投げ落としてから彼女を、優しくそして強く抱擁する。
「……会いたかった、会いたかったよぅ……!」
「……俺だって、そうさ……俺だって……」
二人は周囲の状況も構わず、互いを確かめるようにしっかりと、欠けていた半身を繋ぎ合わせるかの如く腕の中で存在を満たし合う。
「……あのよ~、見せつけてくれんのは構わねぇが……ここ、戦場だぜ?」
肩に載せた双頭剣を揺らしながら、呆れ切ったホーリィが二人に呟くと、
「うぁいぃ!? ご、ごめんなさいッ!! つ、続き……しまひゃっ!?」
慌ててセイムスから身を離そうとしたジャニスは、再び抱き締められて声を裏返す。
「……戦は、お預けだ。済まないが、ホーリィ・エルメンタリア……この勝負は暫く先伸ばしに出来ないか?」
「そー言うと思ったぜ? ヨメの顔を見ちまったら、ワタシなんかと乳繰り合う気も失せちまうだろ? ……この色男がよ!!」
「……恩に着る。いずれ剣を交えるやもしれないが、その時は手抜かり無く相手をする事を誓おう。」
傍らに落ち、地面にめり込んでいたオリハルコンの片手剣を軽々と持ち上げて、セイムスは静かに声を発し、答えを待つ。
「んな事は気にすんなって! 気に入らなきゃブッ殺すし、お互いが盛り上がってねーのにヤル気にゃなんねぇさ!!」
「……あふぅっ!! もう……強過ぎるよぅ!!」
そんなやり取りに重ねるかのように、やっとの思いでセイムスの抱擁から逃げ出したジャニスが声を発しつつ、
「……あ、あの……でも、こんな場所からどうやって帰ったら……」
「はぁ!? なーに言ってんだよオメェはよ……来た時と同じでアレに乗って帰りゃいーだろーが!!」
肩に双頭剣を載せたまま、口をへの字に曲げながら背後のローレライを親指で差し示しながら、
「……連れて来ちまった尻拭いはすっからよ……ダンナと仲良く、ウチに帰ぇりな!!」
ホーリィはそれだけ叫ぶと二人に背中を向けたまま、双頭剣を肩に担いで上半身を捩りつつ、
「アンタらの熱々っ振りは見飽きちまったからよ……ワタシは自分の仕事に戻るぜぃ?」
一歩進むホーリィの背中を見送る二人と入れ違いに、ローレライから何時もの長刀を携えたパルテナを先頭に、強襲班の面々が開いたままのハッチから降り立ち、ホーリィの後に続く。
「【剣聖】のヨメさんよっ!! 子供が産まれたら拝みに行くぜ?」
擦れ違うパルテナは、そう言いながらポン、と肩を叩き背中に回した妖刀【魂喰い】を抜き放って走り出す。
「……セイムス……その、俺の義兄が世話になったな……」
「義兄……? ……鬼人種の知り合いとなると……まさか?」
「隣に住んでる鬼人種の夫婦は、俺の姉夫婦でな……会ったら宜しく言っておいてくれ。」
アジはそれだけ言うと、照れ隠しからか抜き身の板剣を一周振り回して肩に載せ、ゆっくりと身体を揺らしながら歩き出した。
「……恩に着る。」
身重なジャニスを庇うように抱きつつ、開かれた後部ハッチに辿り着いたセイムスは出迎えたセルリィに短く礼を言うと、
「……【剣聖】のセイムス様、我々帝国軍は貴方と敵対する意思は御座いません。」
「……俺は、国を捨てた身……この、ジャニスと共に静かに暮らせるなら……いや、新しくやって来る子供と共に暮らせるなら、帝国と剣を交えるつもりはないさ。」
艦に乗り込む二人を見送ったホーリィは、魔力が限り無く底辺しか無いにも関わらず、体内に渦巻く破壊衝動に動かされるまま、足を進める。
……彼女の前には頼みの綱の【剣聖】に退かれ、浮き足立ちながらも誇りと自尊心を失わない数千の騎士。
「……まぁ、いいか。コッチはすっかりお預けの放置プレイって奴だから腹ペコさ……死にてぇ奴から前に出ろや……歩くのも、面倒だからよぉ……」
だが、死をも厭わぬ勇猛果敢な騎士達を前に、整った顔を歪めて餓狼のように牙を剥くホーリィ……
……舞台は整った。しかし、ホーリィの全身から身体強化の魔導は顕れない。だが、そんな些末事が何だと言わんばかりに剣を構える。
「……並べよ、大人しく順番にさ……ワタシが直々に……殺して……血肉にしてやるぜ……ッ!!」
さて、そろそろドラゴラム編も大詰めです。皆様のご期待に沿わぬよう、頑張ります。