②戦場で会いましょう。
長らく、長らくお待たせ致しました。
不満げに口をへの字に曲げたホーリィが、腕組みしたまま背凭れに身を預けて椅子を傾けながら、
「……まぁ、上官の命令にゃあ、絶対服従って訳だがな……でもよ……っと!」
そう言いつつ椅子の上で危ういバランスを維持し、
「……その、【剣聖】とワタシ達が一丸になって対峙して……足止めさせてる間に総力戦するってのは判ったよ。ああ、それが一番なんだろうさ……」
ホーリィの言葉は承諾の二文字に他ならない。そう、内心は異なっていても、序列や階級が絶対の縦社会たる軍隊、その渦中に居るからこそ……本心を曝すような真似は絶対に有ってはならない。
……のだが、
「……でもよっ!? 足止めなんてカッタりぃ事をよ、ハイハイ判りました~って二つ返事で承諾する程にゃ、人間が出来てねえってのがワタシなんだがなぁ~ッ!?」
「……知ってるさ、そんなもん位……お前が膝丈位の頃から面倒見てきたのは、何処の誰だと思ってるんだ?」
ホーリィの前にある、大きな執務用の机の向こう側から砕けた口調で話すのは、エルメンタリア家の次男、ホランド・エルメンタリア。通称【西の帝国将軍】である。
「チッ! ……兄貴はすーぐ小さな頃の、しかもまだワタシがオトコだった時の事を細々と言うからなぁ……判れよな? いー加減ワタシは女なんだって事をよ」
「細々と? そりゃ言うに決まってるだろうが。誰がお前のおしめ替えたと思ってんだよ……」
「間違い無くホランド兄さんじゃねえから!! 侍女頭のエッタばーちゃんか孫のサマセッタのどっちかだっての!」
二人はまるで口喧嘩でもしているかのようだったが、その間に漂う空気は穏やかな物だった。
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珍しく本陣(空中要塞の中枢地区)での作戦通達が有り、体調が優れないセルリィの代わりに出向いたホーリィが、たまたま居合わせたホランドと鉢合わせし執務室に呼び付けられたのだ。
この風変わりな兄妹(過去は弟だったが)の交流は、ホーリィが軍隊に身を委ねた直後から今まで十年近く続いている。
時には激しい語気で互いに譲らず、過去には異変を察して駆け付けた衛兵達に、
「あー、悪ぃが別に問題は無ぇから、気にしねぇでくんねーか?」
「そうだな……そう、只の家族会議だから、心配はいらんぞ?」
ホランドに軽く流されて困惑しながらも、兵長は部下を引き連れて渋々戻る。そんなやり取りが幾度か繰り返された後、ホーリィの事を気にする者は皆無になった。
『……とにかく、足止めに徹しろ。此方は片手で連中と戦いながら、余計な横槍を入れられぬよう、グロリアスに牽制もしなければならないのだからな?』
(そう言われてもな……現場でやり合うのは、ワタシらなんだから好きにやらせて欲しいもんだが……ねぇ)
……数刻後、【龍】国境付近。
戦場である。鍔競り合いもまだ行われない中、各々の自陣に散開する兵士同士が睨み合いながら距離を保ち進軍の合図を待っていた。
アミラリア帝国側の兵士達は、前後左右の友軍と距離を空けながら臨戦態勢のまま待機し、【龍】側の兵士達は中隊規模で固まりつつ様子を窺いながら待機を続けている。
……ドラゴラム側の後方の兵士からざわめきが走り、最前線へと伝播していく。それは旋風が走り、草原を駆け抜けていくように速やかに、そして瞬く間に全軍へと伝わって行った。
『……【剣聖】が来たっ!!?』
戦きとも取れる声が漏れ伝わり、アミラリア帝国側の兵士達にも情報が伝わると、それは動揺を伴いながら同じように伝達されていき、やがて浮き足立つ者すら現れてしまう。
やがて、海を割るかのように人の壁に亀裂が入り、ドラゴラム側の兵士の中心に道が出来る。その真ん中を一人の青年が背筋を伸ばしながらしっかりとした足取りで進み、そして最前線に立った。
髪は短く濃い茶色、同じ瞳の眼は閉じられているかのように細められ、俯いた表情は全く感情を感じさせない仮面のよう。
だが、その全身に漲る活力と精神力を孕み、やがて訪れるだろう闘いへの意欲は、左腕を覆う護手と腰に提げた片手剣に添えられた右手から発せられる鋭い殺気が全てを物語っていた。
……しゃりん、と鞘鳴りさせながら抜き放たれた片手剣は虹色のオリハルコン特有の油紋流しの打ち刃仕上げ。腕の確かな職人のみが鍛えた唯一無二の逸品である。その愛剣を右手に提げながら、彼は待っていた。自らの闘いに相応しい相手の登場を。
……それは正に不意。
誰もが全く知覚出来ぬまま、巨大な飛行体が最前線の直上に現れると同時に、真っ逆様に落下。鈍く光る装甲板を随所に取り付けた歴戦の強襲戦艦。その姿を初めて見た者は、必ず忘れ得ぬ記憶として敵味方に刷り込まれるだろう。
『……【ローレライ】が来たっ!!?』
帝国側の兵士達は、必勝と武運の象徴の如き巨体を見るや、【剣聖】への恐怖が洗がれていくのを感じ、俄に活気立ち武器を振り上げて気勢を上げていく。
ローレライは最前線上空で小さく宙返りすると同時に、後部ハッチから幾つかの人影が空に跳び出して地上へと落ちて行く。そしてその姿がハッキリと認識出来る程に近付いた瞬間、白い羽毛に包まれた翼が真っ直ぐ伸びて羽ばたき、猛烈な風圧を産み出しながら落下の衝撃を減少させ、やがて緩やかに滑空する形で兵士達が避けて空いた円形の中心へと到達し、着地する。
長い髪は濡羽色の深緑。額に光る大きな髪留めは王冠のように銀色に目映く輝く。ゆっくりと立ち上がると決して高くは無い背丈が、うら若き乙女のような肢体と相まって戦場に立つ姿は激しい違和感を覚えるものの、腰に提げた双剣に手を添えつつ足を開き、スッと立つ姿は凛々しくそして毅然としていた。
全身に纏った被服は張り付く薄膜のように全身の起伏をくっきりと際立たせていたが、無駄な贅肉の無い女性的なラインが強調され扇情的ですらあり、少なからぬ者達の悩ましげな溜め息は無理からぬ物だろう。
「……さて、アンタが【剣聖】って奴か?」
ホーリィは最前に立つ青年に問い掛けると同時に、即座に身体強化の術式を開始。今までに無い規模の魔導が放射されて、彼女の足元から可視化された魔力の波紋が狂わしい程の色彩を帯びながら次々と舞い散り、ホーリィの姿を包み込んでいく。
「……如何にも。元第十三代【剣聖】セイムスとは、我の事だ。」
「そーかいそーかい……噂の【剣聖】ってのは随分と色男だな!! ……ワタシはホーリィ・エルメンタリア。人からは【悪業淫女】なんて渾名されてるが……まぁ、そーゆー訳で……」
そう言い交わし、ホーリィは【フシダラ】と【フツツカ】を抜き、頭上に掲げながら言葉を切り、そして……
「……恨みは無ぇが、ぶっ殺し合おうじゃねぇか?」
喜色に満ちた表情とは裏腹の物騒な言葉を繋ぎ、足を踏み込み地面を蹴った。
長くかかった割にはいつもと変わらぬ長さになる不思議……次回も宜しくお願い致します!