⑧夕闇の城下町。
グロリアス国との戦を視野に入れた帝国は、手始めに同盟国を切り崩す。
雲の切れ間からゆっくりと高度を下げ、次第に大きく見える木々の梢を眼下に見下ろしながら、ローレライが進む。
畑を越え、林を避け、やがて広く開けた草原の真ん中に、音も無く着底させる。
周囲を警戒しながら前哨歩兵が薄暗闇へと溶け込み、艦内から静かに見守る中、四方から【異常無し】を知らせる小さな光の瞬きが返されると、沈黙していた艦内で待機していた兵士達が慌ただしく戦闘準備を開始する。
「……今回は騎兵隊の出番は無い。徒歩で城を抜く。……しくじるなよ?」
「うるせぇ! ……そんなのは、何時だって同じだろ?」
ローレライに残るアジに毒づきながら、早足で進むホーリィが後部ハッチから地面へと降り立ち、
「……さて、それじゃ……静かに進むか……」
ヒタヒタと足音を忍ばせながら、彼女を先頭に五十人の兵士が城下町に向かって進み始めた。
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『クレディウス』公国。
大陸の西に位置し、古くから王制を維持しつつ、貿易や国交に才の有る人材を有しながら群雄割拠の大陸で自立を確保している国家である。
だが、帝国の大陸進出に伴い、今までの消極的統治を続けていても、いずれは大国の干渉を免れる事は出来ぬと現クレディウス王は判断し、グロリアス国との軍事的共闘体制を選択したのである。
その結果、グロリアス国から『軍事顧問』の派遣を条件に、様々な魔導兵器の譲渡を取り付けられる事になったのだ。
「……で、グロリアス国からは五十丁の『魔導狙弩』が貸し与えられました。城の守りの要として役立てられるよう……」
そう続けるチェリリアーニは、意を決したように言葉を放つ。
「……それとは裏腹に、強力な武器を用いて望むように誘導し、グロリアス国の盾になるように【軍事顧問】を派遣し、意のままに操っているのです」
「ふぅ~ん。まぁ、それが当たり前なんじゃねーの? ワタシが女王だったら同じようにするだろーからさ……」
そう締め括ったチェリリアーニに、ホーリィは平然と返しながら、城下町南端の城門近くに到着し、兵士を壁際に張り付かせる。
「……さてと……暗くて良く見えねぇが、まだ護符の出番じゃねぇか……おい、鎖鉄! 居るんだろ?」
ホーリィが声を潜めて呼び掛けると、集団から離れた木立の狭間から滑るように闇が流れて這い寄り、やがて人の姿へと変わる。
「……見張りか? 門番は二人。急ぐならば……」
「任せるぜ? こちとら大所帯だ、まともな方法じゃあ抜けられる道理はありゃしねぇぜ?」
そう告げるホーリィの脇で身を屈めた鎖鉄が小さく頷き、城壁に沿い門番の傍まで音も無く忍び寄る。
……コンッ。彼の指先から小さな小石が城壁に向かって放たれると、軽く乾いた音を立てて地面へと落ちた。
一瞬、間を置いて衛兵がそちらに身体を向けた瞬間、長身の鎖鉄が身を踊らせて、乾いた地面を音も無く駆け抜ける。
石の転がった場所を確かめて、怪訝な表情のまま戻ろうとした衛兵が、背後から伸びた腕を首に絡めたまま、身を強張らせて、
「……ぐぅ!? ……ふっ……」
鎖鉄に後ろへ引き摺られるように倒れ、そのまま絶命する。首筋から赤い血が流れているのを見た恵利と翔馬が表情を曇らせるが、他の者は意に介する事もなく、
「そいつは茂みにでも転がしとけ……もう一人居る筈だけど……」
「……終わったぞ」
ホーリィの言葉を遮るように、鎖鉄が事も無げに大柄な衛兵を引き摺りながら城門脇の通用門を潜り抜け、同僚と同じ場所に亡骸を隠す。
「こいつらは魔導兵器は持って居なかった。衛兵が装備していないと言う事は前線に配備されているのか?」
鎖鉄はチェリリアーニに問い掛けるが、彼女もそこまで詳しくは判らない、と言葉を濁す。
「そんじゃ、こっからは城まで一気に抜けるぜぃ?」
ホーリィはコキコキと首を回し、準備運動のように手足を振りながら先頭に立ち、
「……城に着くまでは雑魚や住民に構うなよ? 余計な時間は掛けたくねぇかんな!!」
トン、と軽く一歩を踏み出した瞬間……広い通りを真っ直ぐに走り出した。
「えっ!? 何か隠れたりして行かないのっ!?」
驚く恵利に構わず、次々と走り出す兵士達。仕方無く恵利と翔馬も遅れまいと集団に付いていくのだが、次第に夕闇に包まれて行く街の中を風のように駆け抜ける彼等に、街の住民は何事かと視線を送るものの、誰一人として止めようとする者は居なかった。
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「はぁ……はぁ……ま、まさか、あのまま遮られずに着いちゃうなんて……どーなってんのよ?」
少しだけ息を切らしながら、呆れたように恵利が呟くが、ホーリィはさも当然だと言わんばかりに胸を反らせ、
「なーに言ってんだよ! 何でも迅速にやりぁ上手くいくもんだって!」
そう言うと国府の中心たる城の前に立つ。だが無論、簡単に忍び込める程監視の目が無い事は無く、これだけの兵士が容易く通り抜けられそうには見えない。
「恵利、こっからが本番だぜ? 目指すは王族の居る離宮だ。……まぁ、間違ってぶっ殺しちまうかもしんねぇがよ?」
だが、ホーリィは迷う事無く、腰に提げた夫婦剣を抜き、城門目掛けて進んで行く。
「嘘……でしょ!? まさか真っ正面からぶつかるつもりなの!?」
「その【まさか】ってんのが、面白ぇんじゃねーかぁ!!」
そう言いながら、恵利は知っていた。ホーリィが小細工を弄して動き回るような者ではない、と言う事を。
……だからこそ、【悪業淫女】と渾名され、敵から激しく忌み嫌われている、と言う事を。
壕の上に掛かる橋の上を、たった一人で大胆に、真っ直ぐに進む。
当然ながら、左右に二人づつ詰めていた衛兵が、手にした槍を用心深く交差させて進路を阻み、
「……こんな時間に、城へ何の用だ?」
「もう遅い時間だ、城内の者に会いたいならば取り次ぐが……?」
二人目が問い掛けた瞬間、ホーリィの両手に握られた夫婦剣が目に入り、四人に緊張が走る。
「おっす!! こんな遅くまでごくろー様だな♪ ワタシはホーリィってんだ。あんたらみたいな若くて元気な兵隊が大好きな女なんだが……」
崩した口調で微笑みながら、ホーリィは橋の上半ばまで来た所で槍に阻まれ足を止めたが、言葉を繋ぐ彼女に衛兵の表情が凍り付く。
「……一番好きなのは、そんなあんたらを切り刻む事なんだけどよ……付き合ってくんねぇかな?」
口角を吊り上げて双剣を煌めかせながら、嬉しそうに問い掛ける。それはお願いなどではなく……拒絶出来ない命令であったが。
返答を待つ事無くグンッ、と踏み込んだホーリィの身体が槍の狭間を掻い潜り、あっと言う間に内の一人に肉薄すると真下から両手の剣を交差させて、同時に振り払う。
顎の付け根から頭蓋の中へと突き込まれた鋭刃が脳に到達し、彼の命を虚空に送り込む。
「……く、くそッ!! 強いぞ、この女ッ!!」
「そりゃど~も♪ 褒めても……何も出ねぇけんどなッ!!」
容易く仲間が葬られた衛兵は、槍を手放し長剣を取る。相手の鋭敏さと欄干の無い橋の上、立ち回りに不利な長物を捨ててホーリィに立ち向かう判断は決して間違ってはいなかったが、如何せん相手が悪かった。
膝を突き崩れる衛兵の肩に足を載せ、中空に身を躍らせたホーリィが三人の背後に降り立つや否や、後ろも見ずに逆手に持った双剣を脇腹から突き出すと、
「がっ!? こ、こいつ……後ろに目が付いてやがるのかッ!?」
振り向いた衛兵の一人の両腿の付け根、鎧の隙間を誤たず刺し貫き動脈を切る。痛みと流れ出る命に意識を奪われた相手の頭頂部に、
「はい、お疲れ様……ッ!!」
ずぐっ、と情け容赦無い切っ先を突き立てて、二人目も鮮やかに屠殺するホーリィに、残る二人は認識を改める。
……コイツは、人の形をした死神だ、と。
だが、呼吸を整えて長剣を握り直した残る二人の衛兵は、日頃の訓練の成果を発揮し連携を保ちながらホーリィへと挑み掛かる。
左右に並び死角を補い合いながら、右に立つ衛兵が右上段から斜めに袈裟懸けを放ち、身を屈めて避けるホーリィに間髪入れず、左側の衛兵が鋭い刺突を繰り出す。
「おっ!? おっ!! やるじゃん? 危ないね……へへ♪」
……だが、とどめとばかりに突き出された不可避の連撃は、思わぬ方法で回避される。橋の縁まで追い詰められたホーリィは、あろうことかそのまま橋の下へと身を投げてしまったのだ。
空堀の中は水が満ち、容易く上がる事は出来なかった……が、
橋の縁に双剣を突き立てたホーリィは、飛び降りた勢いを付けて橋へと戻るが、【フシダラ】は橋の縁に残して【ミダラ】のみを手にし、
「……うん、軽くピンチかな?」
と、全く緊張感無く二人と向き合ったのだ。
「……ふざけるなよ、女……」
「そんな短剣一本で、二人を相手するつもりとは……」
殺気立つ衛兵の二人に睨まれながら、しかし余裕のホーリィ。
「……敵はその者達では御座いませんよ、御姉様。」
三人の背後からクリシュナの声が響き、振り返った二人の衛兵は目の前に現れた四つ手の見事な身のこなしから繰り出される、竜麟の煌めきを意識する前に……
……ぎいいいいいいぃいんッ!!
血煙を上げながら四肢を切断され、自らの血溜まりへと落下し……死に絶えた。
「……御姉様、敵は『時間』ですよ?」
「へいへい!! 判ってますっての!!」
ぎき、と音を立てながら身を乗り出して橋の縁から【フシダラ】を引き抜いたホーリィは、窘めるクリシュナに軽く切り返してから、
「……とりあえず城門は閉ざして、逃げ出そうとする連中が来た時の為に五人残すとすっか? あ~、面倒だぜ……ビリから五人が居残りだな!!」
そう言いながら指を五本立てると、後方に居た数人から五人が城門に付き、一同が城内に入ると共に跳ね揚げ式の扉を留めていた掛け金を外し、轟音と共に閉ざす。
「……それじゃ、行くとすっか? 宝探しの始まりだぜ♪」
まるで行楽にでも出掛けるような気軽さで、ホーリィは城の中庭を歩き出す。
……血で血を洗うような、熾烈な戦いの匂いを微塵も感じさせぬままに。
果たして敵はホーリィを満足させるのか? それでは次回をお楽しみに!




