③死闘の幕開け。
砦の中に侵入したホーリィは、丘巨人を相手に刃を交える。だが、彼女は知らない……その相手が今まで遭遇してきた敵とは余りにも異質な存在だ、と言う事を……。
ホーリィと対する巨漢のナグラロク兄。その振り翳す戦斧は軍馬ごと人体を容易く粉砕するだろう。陽光を反射させながら中空から振り降ろされる凶刃は、ホーリィ目掛けて大気を切り裂き、彼女もろとも大地ごと叩き割ろうと迫るが……
「……ふんっ♪ アクビが出るやねぇ~!!」
双頭剣の切っ先を戦斧の刃先に這わせ、腰から下を宙に舞わせながら力を受け流し、宙返りしながら剛力を柔和に受け流す。着地を狙ったカイトシールドによる強烈な殴打も、団扇で木の葉を舞わせたかのように軽やかに往なしてしまう。
「噂程でもねぇな、ナグラロクのオッサンよ?」
「……メスガキが生意気言うじゃねぇか……あああああぁあ!?」
全身から湯気のような闘気を漲せながら、びきびきと血管を浮き上がらせて怒りを露にする。いや、文字通り……身体中から湯気をもうもうと上げてナグラロク兄は一歩、踏み出す。
「……ふううううぅ……よぉぉぉおおおしぃ!! 来いやあああぁッ!!」
その時、ホーリィは目の当たりにする。パルテナが種族固有の能力として【反射向上】による速度強化を発揮したのと同様に、巨漢のナグラロクにも丘巨人としての固有能力が有る、と言う事を……
「メスガキ…………塵になりやがれぇ!!……」
「はぁ? ……何を言ってやが……ッ!?」
言葉半ばで身体に強烈な爆風を受け、思わず反射的に身を屈めてやり過ごしたホーリィだったが、それはナグラロクの居た箇所から巻き起こされた、激しい魔力放出が根源であった……
……やがてそこにはナグラロク、という巨漢の代わりに、大量の蒸気を身体中から噴き上げながら、全く異なる生物が立ち上がり、そして……大音量の雄叫びを発したのだ!!
【……ごあああああああぁーーーーッ!!!】
……突如姿を現した生物は、感情の欠如した眼、そして巨大な顎には短剣並みの牙が並び、体表は鞣した革のようにキメの細かい鱗に覆われていた。
人間一人を丸呑みに出来る程の巨大な口から放たれる咆哮は……全ての生物に対する怨嗟に満ち、ホーリィだけではなく仲間である筈の敗残兵達ですら震え上がらせる。
「……何だコイツ!! ド、ドラゴン……じゃねぇなぁ……」
巨体から繰り出される圧倒的な音圧に身を縮めていたホーリィだったが、やがて相手の全身をつぶさに観察出来るまでに回復し、直ぐ様距離を取る。
…………ひゅっ、ごがんっ!!
彼女の居た空間に突如、地面にめり込む程の巨大な質量の何かが落下し、激しく石礫を撒き散らす。固く締まった岩盤を破壊したソレは、目の前に現れた竜のような生物の太く、そして長い尻尾だった。
「ひゅ~♪ コイツぁ随分と逞しいや……なぁダンナよ、自慢のモノを振り回せて満足したかい!?」
【……ぐるるるるる……お"お"お"お"お"お"ぉーーーーああッ!!】
最早、ヒトの言葉すら失い、咆哮を上げながら巨大な顎を開き、突然身を低くしたかと思った瞬間、巨体に似合わぬ俊敏な動きで前進したナグラロクはホーリィを丸呑みにしようと襲い掛かる。
「おおおっ!? いきなり積極的じゃね~の?」
流石のホーリィも【ミダラ】で突進を受け止める気にはならず、噛み付かれるスレスレのタイミングで避ける。
ばくんっ、と鈍い音を立てながら閉じられた顎から激しく唾液を撒き散らしつつ、しかしその突進の勢いは止まらず、周囲に散開していた各々の兵士すら巻き込む勢いで砦の構築物に体当たりをし、紙細工のように軽々と破壊してから身体ごと振り向き、再度彼女に飛び掛かろうと姿勢を低くする。
……しかし、そこには既にホーリィの姿は無かった。
狂竜と化したナグラロクは、ゆっくりと首を振りつつ辺りを窺うが、黒い被服を纏った彼女は僅かな時間でその場から消え失せていた。
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「……なぁ、アレは一体何なんだ? お前らの親玉なんじゃねぇのかよ?」
「……ナグラロク兄貴は……【狂戦士】になっちまったんだ……ああなったら動くモノ全て噛み殺さない限り、もう元には戻らねぇ……」
砦の片隅に散らばった兵隊達は、既に敵味方の区別も無く身を隠し、狂竜と化したナグラロク兄から逃げ回っていた。
ホーリィは撤退しようとする丘巨人の一人を目敏く見つけ、巧妙に隠蔽されていた退避場所に潜り込もうとした相手に張り付き、命を救う代わりに情報を得ようと首筋に【ミダラ】を押し付けながら尋問を始めていた。
「……ふうぅん……血に飢えた獣人種が殺し尽す、みたいな奴と同じってとこか? 良くもまぁ、そんな危なっかしいのを親玉に担ぎ上げたもんだな、お前等もよ?」
「兄貴は……いつでもああなる訳じゃないぜ? 俺も見た事は一度だけだ、その時は両軍総崩れになっちまったがな」
ナグラロクを兄と呼ぶ丘巨人の男は、彼とは血縁ではなかった。但し、長い付き合いであったのは間違いなく、その間でこうした事態になる事は稀有であったようだ。
「しっかしあれだけ巨大だとよ……ワタシのモノじゃあ、相手なんか出来りゃしねぇぜ……」
情けなさそうに双頭剣を分離させながら、溜め息混じりで鞘へと戻す。しかし、あのまま放置していては埒が開かないのも確かである。
「……っと、そう言えばよ、パルテナの姉御は何処に行っちまったんだ? 砦に着いてからまだ顔も見てなかったような…………ん?」
思い出したように呟いてから、ホーリィは退避場所に煙突状の秘密の梯子を眺め、
「おい! 丘巨人のオッサンよぉ? アレ、何処に繋がってるんだ?」
「オッサン!? 止めてくれよ、俺はまだ三十路前だぜ!!」
「あぁ!? んなこと関係ねぇ!! どうでもいいから答えろって!」
「……オッサンじゃねぇんだけど……たぶん、屋根の上に登れるんじゃねえか?」
答えを聞いたホーリィは、ひとまず登って現況の確認をしようと梯子に手を掛けて、身軽に身体を引き上げながらすたすたと登り始め、あっと言う間に開口部へと到達した。
「……おぉ! こりゃ凄えぇな……って、ありゃりゃ……酷ぇな……」
眼下に見下ろす景色に声を上げるホーリィだったが、身を屈めて屋根の縁まで移動した彼女の目に最初に飛び込んで来たのは、元ナグラロクの狂竜が巨大な顎に犠牲者を咥え、ばきばきと噛み砕く凄惨な光景だった。
生きたまま咥えられ、激しく開閉する牙の狭間に捕らえられた兵士は砦の敗残兵なのだろうが、既に事切れて屍と化した彼の身体を噛み砕きつつ、喉を膨らませながら嚥下し、狂気に満ちた視線で周囲を見回し、新たに動く何かを捉えようと首を巡らせていたのだが……
「……ん? ありゃあ、パルテナと身内の連中じゃねえか?」
ホーリィが向かい側の屋根に注目すると、其処には注意深く身を潜めつつ、ゆっくりと屋根の上を這いながら巨竜の頭上へと移動するパルテナと、彼女の氏族の山猫族の面々だった……。
「まさか……彼奴ら、突貫するつもりかよ!? スゲェなぁ……見物させて貰うとすっかな?」
そう言いながら、ホーリィは小さく纏められた背嚢から皮袋を取り出すと、きゅぽんとコルク栓を抜き取り口に当て、これから始まる死闘に眼を輝かせながら嬉しそうに笑いつつ、細い喉を揺らしながら琥珀色の液体をゆっくりと味わい始めた……。
まさかの酒盛りに突入する、非常識なホーリィ!! そして眼下で繰り広げられるパルテナと狂竜との戦いの行方は果たして……!?