⑦強さの差。
そろそろホーリィさんも着替えたいようです。
「……危険だって? あったり前じゃねーの! そのつもりで来ねぇと怪我じゃ済まねぇかんな?」
拳にこびりついた血を滴らせながら、ニヤリと笑うホーリィ。
「……参るッ!!」
小さく呟きながら、黒い風がホーリィへ接近し、激しく火花を散らしながら両手の無明刀を煌めかせる。その一撃一撃をグローブのスパイクで弾きながら、彼女はジリジリと後退する。
(め、眼で追えないじゃないッ!! こんなのチート過ぎるわよ!?)
(ガチャガチャ煩いって!! ……ハン! まだこんなもんじゃねーぜぇ?)
一歩、また一歩と後退りながら、ホーリィは眼を凝らして反撃の機会を窺う。相手の武器はリーチの短い短刀だが、その切れ味は鋭く、硬質化されたグローブの表面に細かい傷を付け続ける。
「……まどろっこしいなぁ……なぁ、どーせなら一回で終わらせねぇかぁ?」
「……フン、そんな安っぽい挑発に乗るか……ッ!!」
脚も駆使して互いの攻撃を潰そうと動き、その攻防は更に激化していく。斬り上げ、突き、払い、時には変則的に身体を捻りながら次の攻撃に繋げる。
「……はぁ、はぁ……やるじゃねぇかよ、トカゲのオッサンよ?」
「【悪業淫女】……か、確かに言うだけの事はあるな……」
僅かに頬を切り裂かれ、自らの血が伝い、ホーリィの唇を紅く染める。だが、それは相手も同様で、裂けた腕の野外着から覗く鱗の隙間からは、裂傷が赤黒く見え隠れしていた。
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「……さて、そろそろ殴り合いも飽きてきたからよ……お遊びは終わりにしねぇか?」
「戯れ言を……素直に軍門に下れば命拾い位は……ッ?」
何時もと変わらぬ強気の口調で呟くホーリィに、取り合わぬつもりだった爬人種が、不意に迫り来る何かの気配に動きを止め、彼女から距離を取る。
その頭上に覆い被さるように現れたローレライの姿を見て、僅かに舌打ちをしながら更に後方へと退いた。
「……遅いって~の! グランマッ!!」
【……仕方がないでしょう? 戦時下でも無いのに強制降下しなければならないのですよ?】
頭に直接響く落ち着いた声と共に猛烈な風が吹き込み、辺りに砂塵を撒き散らす。
地上の全員が空を仰ぐと、そこには巨大な黒い塊が突然姿を現し、軽装甲を帯びたのみの身軽なローレライがその身を垂直にし、羽ばたくようにゆっくりとヒレを動かして宙に浮いていた。
その巨体から、小さな何かが空へと飛び出し、ゆっくりと輪を描きながら降下してくる。それは大きな翼を羽ばたかせながら次第にホーリィの方へと近付いて来て、
「……ぇ様、御姉様ッ!! クリシュナが只今参りますよぉ!!」
……それは、深紅の戦闘儀礼服を身に纏い、【フシダラ】【フツツカ】を持ったクリシュナだった。
「……ったく、何がギャーギャー喚きながら降りてきたのかと思ったら……」
そう言いつつも、何処か嬉しそうなホーリィの直ぐ頭上へと滑空したクリシュナは、着地の前に降下用呪符を外して降り立った。
……の、だが……
「……や、こ、これはッ!?……はああああああああああああああぁ……」
……着地して、ホーリィに近付いた途端に……バグった。
「ふぉおおおお怪我は有りませんか? 無いですかそうですか良かったです御姉様が怪我なされていたら不肖クリシュナ、生きていられません! お召し物がボロボロで御座います! ……でもこれはこれで捗りますね? スラリとした美しい脚がプリーツスカートから覗くお姿も……もおおおおおあぁ~っ♪」
「……うっさいわッ!!」
ペチンッ!!
「あいたぁっ!?」
双剣と衣類(着替えらしい)を差し出しながら、興奮しきりのクリシュナに思わずデコピンするホーリィ(身内同士は命に関わる攻撃が当てられない)だが、彼女らしい行動に思わず笑みを溢しながら双剣と衣類を受け取り、
「……全くお前って奴は……まー、いっか?」
「……それはそうと、何者なんですか? あのトカゲ人間は……」
そう言葉を交わしつつ、クリシュナは警戒し距離を取っていた爬人種に目を向けた。
「……知らん! たぶん賊の剣客か何かだろーけど、結構やるぜぇ?」
「……そうですか、では……御姉様、お着替え為さっている間に私が相手してみましょう」
深紅の戦闘儀礼服の裾をバサリと翻しながら、クリシュナは背負った二対の直剣を握り締め、ゆっくりと抜き放つ。
「……フォーハンドか……珍しいが、それだけだな」
「……それだけ……なのかは御自身でお確かめに為られては……如何です?」
ホーリィと敵との間に立ち、身を挺して護ろうとするクリシュナに対し、腰の鞘へと無明刀を戻しながら皮肉る相手に感情の欠片も見せない氷の仮面と化し、やがて背筋の凍るような凄みのある微笑みを浮かべたクリシュナが……
……互いの力量を計るべく、一気に距離を詰めた。
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(……まるで土蜘蛛のようだな……)
血のように紅い衣装を見ながら、彼はそう思った。クリシュナの動きに合わせて膨らみ、スリットの間から白い脚のコントラストが映える。だが、それはただ視覚的な意味しか持たない。
四本の腕から繰り出される斬撃は悉く弾き返し、彼の身体には到達する物はなかったが、油断は禁物である。跳ね返す度に手は痺れ、その膂力には目を見張る程だが、まだ余力はある。
(……勝つのは容易いが、それでは追跡を受けるだろう……失う物等何も無いが、まだ生に執着している、という事か?)
名を捨て、郷を去り、人界に下った彼を待ち受けていたのは、差別と蔑視、そして……戦いの日々だった。
郷との唯一の繋がりと言える無明刀を携え、人間同士の争いに長く加担してきたが、近頃は脱皮も無くなり鱗の艶も失せてきた。死期が迫っている、そう実感はするが、彼に恐怖は無かった。ただ、無に帰すのみだ。
……しかし、もし叶うなら……郷へ戻り、せめて今は亡き師の墓に手向けでも……それだけが今の彼を内側から動かし、戦い生き残る事への執着になっていた。
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(……これも往なされるか……この剣客、只者では無い……)
クリシュナは更に速度を上げながら、死角を衝く攻撃を繰り返し防御を崩そうとしていた。だが、四連目の斬り上げを無明刀の柄で弾きつつ、相手の剣を握る指先を狙った突きを繰り出され、已む無く防御に転じ歯を食い縛った。
自らの剣に傲り昂る事無く、努めて冷静を保とうとすればする程、互いの力量差を痛感していくのだ。
彼女とて自らの身体を改る前から剣技を磨いてきた自負は有った。だが、相手はその更に上を維持し、時には足裏で剣の出掛かりを妨げたりと余裕を見せ付けている。
(このままでは……勝てませんか……悔しいですが、これが限界なのですね……ッ!?)
防戦に徹していたクリシュナの懐に滑り込むように近付いてきた相手が、クワッと口を広げた瞬間、魔導とは異なる灼熱のブレスをその身に受け、酸欠に陥り全身の力が抜け、意識が遠退いた。
……こんな、終わり方は……
クリシュナが突き込まれる無明刀の切っ先を臍の上に感じた瞬間、強烈な勢いでやって来た何かが敵の肩へと激突し、叫び声を上げた。
「ボケッとしてんな!! 戦場に生きる奴は最後まで諦めねぇんだよ!!」
……ああ、何と暑苦しい物言いでしょうか……でも、
……実に、御姉様らしい登場ですね……♪
吹き飛んだ相手と同様に、ジャンピングドロップキックを敢行したホーリィは、ゴロゴロと転がりながらも直ぐに立ち上がり、【フシダラ】【フツツカ】を抜き放ちながら、クリシュナの前に立ったのだ。
「……悪ぃいな、待たせちまってよ!!」
ややはにかみながら、背後のクリシュナに顔を僅かに向けながら、ホーリィは何時もと変わらぬ姿で、その場に現れた。
着替えてスッキリ♪ 次回もお楽しみに!!