③武芸者か?
辛抱堪らんので投稿します。
入念に選定されたであろう、その襲撃地点は廃墟になった空き家が並ぶ空白地帯であり、周囲には野次馬等一人も見当たらなかった。例え居たにしても、何の役にも立たないだろうが……。
明らかに待ち伏せされていたのは判るにしても、先程の符丁は青や黄色を飛び越しての赤。つまり……突然現れた何者かにより、馭者は停止を余儀なくされたのだろう。彼が犠牲にならなかった事は、目撃者を残しても問題がない、つまりそれだけ早業で人拐いを終わらせるだけの準備と余裕がある、と見てよいだろう。
(……まじぃな、コリャ……)
(……えっ? ホーリィ、どうしたの?)
手を挙げながら不安げな表情で車外へと出た恵利が見たものは、馬車を取り囲むように居並ぶ凶賊で、その数は軽く見積もっても二十人程であったが、恵利はてっきりそのままバッタバッタとホーリィが討ち倒すものだとばかりに思っていたので、そうした言葉が出た事に不安を覚えたのだ。
(周りの有象無象は……正直言ってどうでもいぃ連中だ……ただ、アイツはヤバい)
(……ヤバいって、あのヒョロいヒト?)
恵利は遅れて出てきたバマツが武器の類いを所持していないか調べられている姿を尻目に、やや離れた場所へと移動した最初の黒ずくめへと眼を向けた。
恵利の眼には、背丈は確かに高いが、その体躯は周りの男達と比べても細く、ややもすれば戦いに向いた膂力も乏しそうに見えるのだが、ホーリィは違った。
(アイツの剣……一瞬だけ見えたけどよ……ありゃ、【魔剣】だぜ?)
(うぇっ!? つ、つまり……ホーリィと同じ……?)
(ああ……たぶん《名持ち》の……それも相当な手練れだ。コッチは夫婦剣は無いしよ……)
ホーリィはぎゅっ、と唇を噛み締めつつ、口惜しそうに唸る。流石に恵利とは違い、踏んだ場数は桁違いの彼女は慌てもせず冷静に観察を続けていたのだが。
その凶賊以外は統一された武器は身に帯びず、思い思いの片手武器を腰に提げていたが、その一人だけは腰の後ろに一対の短剣らしきものを鞘に納め、そしていつでも抜けるように両手を腰に当てて佇んでいた。
だが、一見すると脱力して立っているように思えるが、足先は肩幅に揃え、利き脚だろう右足を後ろに半身の構えで斜めに向き、こちらの一挙手一投足を油断なく見ているのだ。
(……やり難いぜ……エリ、お前に暫く預けとくがよ、何か有ったら直ぐに変われよ?)
(……う、うん……判ったわ……)
二人はそう打ち合わせながら、事態が動くのを待った。
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「……くそっ!! 俺達を一体どうするつもりだっ!!」
元より武具を帯びていないバマツは、左右を凶賊に挟まれたまま、一瞬だけホーリィの様子を見てから大きな声を上げた。
「……娘だけでいい、付録は要らん」
後ろに構えていた男が呟いた瞬間、バマツの前に一人の凶賊が立ち、腰からすらりと片手剣を抜き、刀身を彼の首筋に当てた。
一瞬の間を置き、肩に力が入ったその時、恵利は思いっきりの大声で叫んだのだ。
「その方を手に掛けたらッ!! わたくしはこの場で舌を噛み切って死にますッ!!」
その場に居た全員が動きを止めた瞬間、黒い水が迫るように音も無く後方から瞬きする間も与えず近寄ると、ホーリィの目の前に立ち、顔を覆っていた網目の布を跳ね上げた。
「……娘、何なら口に布でも噛ませ、塞いでも構わないのだぞ?」
冷徹に言い放つ男の顔は……人の面様とはかけ離れた爬虫類を連想させる、鱗に覆われのっぺりとした異相であった。
(……ちっ、コイツ……爬人種かよ……道理で動ける訳だ……)
(……り、リザードマン……?)
(ああ、コイツらは戦場で最も嫌がられる、闇討ちの遣り手揃いさ……)
腕を組んだまま、ホーリィの前に立つその男は、彼女より遥かに高い身長にも関わらず、走り寄る際は彼女の視界より下を潜り抜けるようにしてやって来たのだ。それが手足を使った独特の走法に依るものだとは理解出来たのだが、その速さは正に異形そのものであった。
「わ、わたくしの従者を……殺すのは……」
「……まぁ、良い。こいつに縄を打て。娘は……馬車に載せろ」
感情を表さぬ顔にも関わらず、その男は明らかに苦笑いでもしたのだろう。牙の並ぶ口元を少しだけ歪めながら、軋むような声を出して背後の男に命ずると、それで終わりだと言わんばかりの呆気なさでホーリィから離れて馬車に乗り込んだ。
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馬車の中で無言のままの二人は、互いに向き合ったまま相手を観察していた。
(……小娘にしては泣きも喚きもしない……余程肝が座っているのか、それとも救出を待っているのか……)
馭者を促して馬車を停めた際も、彼はその気になれば即座に斬り伏せる事も可能であったにも関わらず、馬車を汚す手間を省く為に解き放ったのだ。
娘の従者にしても、連れ回す手間を考えれば処分するのが妥当だったのだが、大人しく従わせる為なら……それなりに使えるかと思い、剣を下げさせた。
(……しかし、俺も丸くなったものだな……これが郷で言う【歳を取ると牙が抜ける】……という奴か?)
彼はそう心の中で呟きながら、目の前の娘に注視した。
年の頃は二十歳前後、金色の髪は額の髪留めで抑えられ、後ろで編み込まれて背中へと垂らしている。切れ長の眼と形の良い眉は整い纏まり、人族の間ならばさぞや美形と謳われてよいだろう。
だが、彼に人族の審美眼は無い。艶やかな鱗も無く、やたらに目立つ鼻は尖って目障りであり、余計な二つの肉球も煩わしさしか感じなかった。
(……一時、この娘から妙な気配が流れたが、やはり杞憂だったのか?)
馬車の上へと飛び移り、馭者を下げて馬車を止めさせた直前、確かに感じた気配は……武芸者としての本能を刺し貫き、忘れていた血の猛りを思い出したのだが……一瞬で霧散してしまった。
もう片方の従者かと確かめもしてみたが、剣を宛てられても同じ気配は現れなかった。何処かに隠れるならば、馬車の中しか居場所は残されていず、中は空の鍋と小さな袋が幾つかしか無かった。
(……錆び付いてしまっていれば、止むを得ぬな……だが、あれは確かに人の放つ殺気、それも《名持ち》の類いのみが放つ奴だ……それも帝国が飼っていると噂の【悪業淫女】とやらか?……だが、この娘とは年も姿も違う……だが、しかし……)
そう思うと鎮まっていた筈の血潮の波が再び押し寄せ、指先から徐々に背骨を伝い、彼の細胞一つ一つがざわつき泡立つのを感じられた。
(……まだ、衰えて消え失せるには、早いと言うことか……)
その想いが自然と顔に出ていたのかもしれぬ、と娘の方を見れば、不安げに俯きじっ、と身動きしていず、一人苦笑する。
だが、捕食者としての仄暗い情念は、彼の心に燻り音も無く燃え続けていた。
(……あの握り……噂に聞く【無明刀】って奴か? だとしたら……コイツ……はぐれの類いか?)
ホーリィは表層に浮かぶ恵利の視点を用いて相手の姿を捉えながら、その正体を探っていた。
腕を組んだまま、瞬きもせずうっすらと眼を開けて、ホーリィの全体を見ているのだろう。その隙の無い構えと双剣の存在から、彼女は大陸に君臨する【中央都市】の私兵かと推測したのだが、そうならば何故、こんな拐かしを企むのか……それが判らなかった。
(……連中は【武装商工連合】と深い繋がりがあるって聞いてたけど、帝国に喧嘩売るような物好きじゃないし、爬人種は群れから離れて単独で動き回るような連中じゃない……だとすると、やっぱりはぐれか?)
群れに属さぬ者ははぐれと称され、郷に戻り隠居出来ぬ年寄りや、郷を追われて罪を償う弾かれ者が大半である。彼等はやがて力尽き、郷里を見ぬまま消え果てるのである。
「……さて、そろそろ着いたか。娘、降りろ」
やがて馬車が速度を緩めて停車すると、爬人種の男がホーリィに向かって命じ、扉を開けて出るように促す。
「……ここは……教会?」
ホーリィの姿の恵利が外に出ると、夕闇に赤く照らされながら浮かび上がって見えたのは、屋根が朽ち果て打ち捨てられたままの廃屋……そこは、以前は教会として使われていた大きな建物だった。だが、今は足を踏み入れる者も絶えて久しく、見るからに手入れも為されて居なかった。
(……ますますヤバいぜ……ひとまず逃げるか……ッ!?)
そう思い魔導結印を結ぼうとしたホーリィだったが、教会の開かれた扉の奥に見えた物を認識した瞬間、彼女の中の疑問が氷解し、愕然としてしまった。
(あれは……【次元門】ッ!!)
人が潜り抜けられる程の大きな輪……その輪の周囲には魔導の紋様が隙間無く列び、そして一番高い場所に白と黒の円形を分割した独特の印が刻まれ、そこから言い様の無い独特の魔の気配が漂っていたのだった。
次回更新は一日お休みの金曜日……か、木曜日深夜の予定です。