①人間狩り
新章突入です。
小さな身体を折り畳むようにしながら、瘡蓋だらけの額に包帯を巻き、優しく撫でながら手にした椀に煮込みを注いで、そっと手渡した。
「……さぁ、冷めないうちに御上がりなさいませ……ね?」
「……あ、あぃ……が、と……ぉ」
歳は自分より遥かに下だろうが、何よりも何者かが手酷く暴力を振るったせいなのか、活力の欠片も見当たらない少女が、ボサボサの髪の毛の隙間から消え入りそうな声と眼差しで、感謝の意を露にする。
(……たぶん、親か誰かにボコられたんだな……傷口が新しいのに、手当てが全然されてねぇ……でも、致命傷は避けるとか、嗜虐主義者かよ……)
次の相手も身体に真新しい傷が残る少女だったが、自ら訴える言葉は無く、明らかに物乞いの類いと見てとれる。だが、それでも……歩いて自発的に炊き出しに出向けるだけ、まだ良い方なのだが。
簡素な治療紛いと炊き出しの煮込みを振る舞う慈善活動は週三回と決めてあり、馬車に詰め込んだ鍋と包帯や湿布を持ち込んでは外周部のスラムに赴き、家中の財貨の一部を捻り出しては施しをするのが日常だった。
……と、そんな偽りの聖女を演じながら、ホーリィは一日を終えて……思うのだ。
あー、面倒臭ぇ……と。
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酒浸りの休日を打ち消され、二日酔いで鈍る頭をやっとの思いで持ち上げながら、詰所の戦隊長と面会させられたホーリィは酔いの覚めるような一言を告げられた。
「……明日から、お前は商家の子女に化けて、人拐いの餌になって貰う。拒否権は無いからそのつもりでな……」
「……はぁ!? 何だよそれ……いつつ……くっそ!……頭痛ぇ……ってぇ?」
力無く椅子にもたれ掛かりながら、痛む頭を抱えながら彼の言葉を反芻していたホーリィの目の前に、髪の色以外は自分と瓜二つの少女がつこつこと歩み寄り、ぺこりと頭を下げた。
白いブラウスに、革製のコルセットを巻いた姿は線の細さからホーリィよりもかなり年下に見えるのだが、丁寧に編み込まれた蜂蜜色の透明感のある髪の毛、そして何よりもコルセットの下で窮屈そうに仕舞われた豊かな双丘が目を引く、誰もが振り向く美少女である事は間違いないだろう。
「……はじめまして、私はレーベンルゥ商会の……エミーラと申します……」
「……んだよ、レーベンルゥって……レーベンルゥ!? はぁっ?……お前、今レーベンルゥ商会って言ったよな!? そりゃ、軍部に卸してる大商会の屋号じゃねーかっ!!」
驚愕するホーリィの前に置かれた椅子にちょこんと座ったエミーラは、暫く居心地悪そうに椅子の上で身動ぎしていたが、やがて意を決したように、
「……はい、私の家は……そうした軍閥と皮肉めいて呼ばれても……仕方ないかと思います……」
「あー、まぁ……別にアンタ自身を死の商人呼ばわりするつもりはねーよ……で、良家の淑女ちゃんが何の用で……でっ!? 戦隊長ぅ!! まさかワタシをこの嬢ちゃんに仕立てて釣り餌にする気だろっ!!」
「……話が早くて助かるよ……上の連中が、レーベンルゥ商会から【絶対に安全で確実な方法】を用いて、可及的速やかに解決する為にはホーリィ・エルメンタリアが尤も適任だ……と言いやがってな。あ、勿論俺は反対したんだぜ? 狐狩りの猟犬に空腹のケロベロスを使うような」「戦隊長ッ!! ワタシは絶対に」「貢献度、欲しいだろ?……昨夜のドンチャン騒ぎで、随分と浪費したって聞いてるがな……?」
「……やりますッ!! やらせて頂きますッ!!!」
「……お前ならそう言うと思ってたよ……じゃ、これを使ってくれ」
若干の空白の後、ホーリィは掌を返したように即答し、その様子に満足げに頷きながら、戦隊長は引き出しから一つの包みを取り出して、彼女に手渡した。
「……んだよ、これ……カツラと……コルセット……あー、変装用か……で、この二つの椀は何だ?」
「……嵩増しのカップだが……不満か?」
無言で投げ付けようと一つの椀を握り締めたホーリィだったが、戦隊長の目付きを見てから、そっと包みに戻してそのまま退出した。
「……あの、あの方……凄くお怒りになっていたみたいですが、宜しいのでしょうか……?」
「ん?……あー、気にしなくていい。アイツは大体いつも変わらん。棒さえ投げてやれば、後はキチンと仕事はこなす。君は何も心配せずに、こちらで用意するゲストハウスで暫く養生していれば……ね」
戦隊長の言葉に無言のまま、暫く思案げな様子であったが、やがて納得したのか、ご配慮頂き有り難う御座います、と言いながら、ぺこりとお辞儀した。
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「おおおお御姉様ぁ!! もう何と言うか物凄く御姉様ですよホントこれはホントに物凄く物凄くぅ!!!」
「判った!!判ったから鼻血拭きな!! バマツ!! さっさと何か寄越せっ!!」
純白のブラウスとコルセットに着替え、金髪のカツラと白いカチューシャを着けたホーリィを、四本の腕で掴みながら狂喜するクリシュナを引き離そうとするホーリィ。
そんな二人を尻目に、笑いを必死に堪えながら、バマツがテーブルの上から紙片を手渡しつつ、
「……こ、これを使って……千切って鼻に……詰め……込めば……くっ!! あはははははぁっ!?」
「いつまでも笑ってんじゃねーよっ!! クリシュナもいー加減にしろっ!!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたホーリィが、手にした椀をバマツへと投擲し、見事に側頭部を直撃させながらクリシュナを押し戻しつつ、コルセットに入れる物を改めて考えにゃならんな……と密かに悩んだのは、此処だけの話である。
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「あー、かったるいぜ……さっさと人拐いをとっ捕まえて、とっとと帰りてぇ……」
馬車に戻り、向かい側の席へと脚を投げ出しながら呟くホーリィに、馭者台の上のバマツが情け無さげな溜め息と共に、
「はぁぁ……ホーリィさん……何処に人の眼が光っているか判らないんですよ? もう少しだけの辛抱ですから、せめてスカートを捲るのは止めて貰えませんかね……」
「知るかよ……んなもん有る訳ねぇっての……だって蒸し暑ちぃんだぜ? 蒸れて蒸れて仕方ねぇぞ! それにこんな頼り無い格好だし……」
パタパタとスカートの縁を持ちながら波打たせて、白い脚(残念ながら膝下までのズロースを穿いている)の間に少しでも涼風を導こうと股を開くホーリィに、呆れ切った顔のバマツは前を向いたまま話し掛ける。
「まだ始めて二日目ですって……そんな簡単に出てくる訳ないでしょう……」
釣り針の餌として、見た目だけは合格点のホーリィだったが……誘拐が私怨に依るものなのか、身代金目的なのかも謎の現状では、ともかく相手が食い付くまで待つしかなかったのである。
しかし、派手な行動には常に周囲の眼が集まるものである。二人の乗った馬車がレーベンルゥ商会の邸宅へと入っていくのを通りの角から見届け、周囲の喧騒に紛れながら消えた人影に気付いた者は居なかった。
少しだけテンポ良く進めてみます。では次回をお楽しみに!!