⑧狂おしい程狂いそう。
恵利さん、一応17歳です。そんな彼女が廃人仕様のバーチャルゲームに没入すると?
ズキズキする程の快感が……自分の鼓動に合わせて全身を駆け巡り、恵利は引き絞られた筋肉や血管が、じわりと開放されて血流が増していく時と同様の弛緩を味わい……もう少しで色々と漏らしていたかもしれなかった。
ホーリィと同化して戦場に赴くと決めたが、それがバーチャルな状況だったとしても、【痛みまで共有して】の参加なのだから、心の何処かで一歩退いて考えていた。
……だが、今の恵利には無意味な悩みであった。ホーリィが感じた事を自分の精神が受容した瞬間、最初に訪れたのは……虐殺によって得られた甘美な達成感と背徳感だった。
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繰り返し突き刺さる暗器の感触は、柔らかな肉に先の鋭い包丁を突き立てるのと全く同じだった。しかし、その切っ先が硬い骨を容易く削って突き刺さり、髄へと到達して更に奥へと進む感触へと変化した瞬間……素早く引き抜かれる。
つまり、筋肉や腱を断ち切り動きを抑制する為と、効率的に標的の関節を破壊して損傷させる目的と同時に……急所を外して苦痛を長引かせる為の所業だということなのだ。
えっげつないなぁ……正気の私だったら絶対無理だよ、こんな真似。ホーリィったらマジで復讐の鬼じゃん? ざっくざくぅ~♪ じゃないって、でも……
恵利はそう思いながらも、仄暗い愉悦感が徐々に頭をもたげて姿を現し、不気味に摺り寄りながら自分の身体を足許から這い上がる幻覚を感じながら……次第に蕩けるような火照りを身体の芯に感じていた。
良く出来た鎧の関節部分には、蛇腹状に宛がわれた金属製の部品が留め金と革紐で取り付けられていて、剣や槍等の切っ先が容易く貫く事は出来ない。だがそれはあくまでも正対した状態の時のみであり、可動させる為に発生する捻れで僅かな隙間が生じるのはやむを得ない事なのだ。
ホーリィの情け容赦を知らない一閃が、コーネリアスの瞼の上から角膜を僅かに切り裂くまでに、まず彼女が用いた魔導の術式は【身体安定】。例え砂利が浮いた地面でも荷重を無駄無く足裏から地面に行き渡らせ、滑る事無く身体を前へと進ませる。
次は【筋力増加】と【反射向上】。それらを同時に発動させてコーネリアスの予想を遥かに上回る速度で移動し、一瞬で相手の懐に飛び込む。
その速度に追いつけず、後退しようと僅かに上体を泳がせた相手の右腿に、左足を載せて踏み台にしながら素早く右足を持ち上げ胸を蹴り、その勢いで互いが離れる瞬間を逃さず、反対側の脇に巻き込むように宛がい握り締めていた暗器を用いて、卑劣な目潰しを無慈悲に行ったのだ。
騎士ならば決して行わない非道な闘い方。騎士とは忠義に私を捧げ、これと決めた主にその忠義を誓う存在である。
だからこそ、主の顔に泥を塗るような真似は決してしない。
だが、ホーリィ・エルメンタリアは戦士であった。敗北し泥を啜ろうとも、貪欲に次の勝ちを奪い取るのだ……卑怯と謗られながらでも生き抜いて、闘い、そして勝つ為に。
……だが、そんな仔細はどうであれ、恵利は同化したホーリィから与えられる強烈無比な激情の奔流に呑み込まれながら、足許に転がる物言わぬ亡骸を一瞥し、
あ、そーか……負けたら私もこうなるのか……じゃ、負けられないなぁ。だって、死ぬと絶対に痛そうだし、痛くて死ぬのは嫌だもん。
騎士の誉れとは無縁の拷問じみた虐殺により、虚しく散ったコーネリアスに対してたったそれだけ感じ、そして……忘れ去った。
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その後のホーリィは、まるで嵐の日の風車を彷彿させるようだった。
両手の双剣を繋げて双頭剣に変化させて、狭い坑内に立ち塞がる守備の騎士達の前に立ち、
「……バマツ、クリシュナ!! 悪りぃが、こっから先はワタシの領域って事で、死ぬまで手出し無用だかんなっ!?」
叫びながら踏み切りの左足は真っ直ぐ前に、そして蹴り上げの右足は開き気味に構えながら、自分達の隊長を止める間も無く、無惨に姦り殺しにされていきり立ち殺到する宗主国騎士へと向き、
「……てな訳でよ、殉死してぇ奴はとっとと並べよッ!? 手間省いて後追わせてやるからさァ!!」
双頭剣を構えながら器用に中指を立てて、下品に挑発した。
それが、合図となり……人の形を取った金属と肉、そして刃の奔流がホーリィ目掛けて殺到し……
……惨事、その一言で表せる地獄絵図が繰り広げられた。
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魔導に因る【筋力増加】【反射向上】【身体安定】【体力増強】。その意味は通常なら常人の域を僅かに上回り、やや上回る事で優位性を保つに過ぎない。
岩をも穿つ一撃は、巨体から繰り出すから有効打と成る。ホーリィの身体は小さく矮小で、やや大きい体格差で容易に圧倒される程に弱々しい。通常ならば幾ら筋力が有ってもその差は埋まらない。
……だが、上記の身体強化を全て同時に、且つ幾重にも重ね掛けし、頑強な地盤に縫い付けられたかのように足裏を張り付かせたまま……実行された時、ホーリィの容赦無い言葉を裏付ける事となった。
「……何だよ、お前らの決死の覚悟ってのは……そんなもんか? ああぁ!?」
まず、不動。
ホーリィは悪態を吐きその場から動かぬまま、両手に握り締めた双頭剣を振る。殺到する騎士の遥か前で振り抜かれた切っ先は虚しく空振りされて、何の効力も得られず地を削る筈……だった。
……だが、魔剣【フシダラ】【フツツカ】の双剣が睦み合い一つと化した双頭剣【ミダラ】の切っ先は鞭のように撓りながら伸び、最前列で走り寄る三人の騎士を捉えて通り抜けた。
「……えっ?」「はあぁっ!?」「な、何で……っ!!」
斬られた事が信じられない……そう言いたげな三者三様の呻き声を出しながら、胴体を両断された男達が血と臓物を撒き散らしながら床に転がる。その後方から更に死体を飛び越えて進まんと来る者達も、速やかに繰り出された次の斬撃をその身に受けて膝を折る。
「おぉっ!? ふぅん……こーなる訳か……グランマの言ってた《魔剣との親和性》ってのは……」
双頭剣【ミダラ】を構えたまま、どしゃどしゃと倒れる騎士の亡骸を前にして、一人納得するホーリィだったが、その手に握られた魔剣が滴る血を啜り魔力へと変換し、ドクドクと脈打つ程に蓄えながらホーリィへと還元していく。
「んあぁっ!? や、やべぇな、これ……直に触ってる時みたいに響いてくるぅ……ま、魔力……半端無ぇ……♪」
両手で握り締めた魔剣を支えにするようにすがりながら、膝を震わせて膨大な魔力供給でやや【過剰供給】気味になりかけたホーリィだったが、
「くううぅ……魔力消耗って……あの時とあんま変わらねぇんだよ、マジでさ……それをその場で供給されて、また消耗するってのは……よっ!!」
血に濡れた床に眉をしかめてから、自らの足許に何重にも上書きされ、虹と見間違うような光彩を放つ魔導印式を発現させながら、彼女は加速した。
……ゴッ、と鈍い音を立てて頑丈な床が波打ち皺を寄せながら、やがて砕け散りつつホーリィの足下から飛び散った瞬間、爆発的な加速を維持しながら惨状に狼狽え二の足を踏む騎士の直中へ飛び込み、
「おらああああああああああああああああああぁ!!!!」
魔剣【ミダラ】を上下左右斜めと縦横無尽に振り尽くし、硬く鍛え上げられた鋼の鎧を容易く切り裂きながら、次々と新たな犠牲者を産み出し、そして血肉を糧にして更に魔力を供給……そう、その姿は……正に【魔剣】そのもの、だった。
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……あああはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあああああああああぁ………………ッ!?
……恵利は、白熱する感情に組み伏せられたまま、ホーリィから流れ込む膨大な悦楽感と、死者からの強大な魔力の供給と言う未体験の背徳感に思考を陵辱されて、言葉にすらならない悲鳴を上げた。
(……ゲームの世界? 疑似体験!? そんな軽々しい言葉で語れるような物じゃないよぅ!! ……来るよぅ、また来ちゃうよぅ!!)
恵利の知識には、バーチャル体験と言えば空を飛ぶ疾走感や、水の中を呼吸せずに進むような《実際に体感した経験を組み換えて》擬似的に編集し、体感したかのように思わせる事だと理解していたのだが、
(……こんなの、知らないよぅ……人を殺して得られる快感とか知ってる訳ないじゃんッ……!!…………くぅあっ!?)
ゾクゾクと背中を震わせる程の強烈な高揚感と共に、全身に漲る達成感、そして充足感……その源が禁忌中の禁忌《殺人による快楽》と紙一重の魔力供給という未体験の状況……。
この時、恵利は知らなかったが、ゲーム世界を疑似体験する為に彼女が得た悦楽の根源は、自らが過去に得た、他者に伝える事が憚られるような個人的な快楽の全ても含めた【幸福な絶頂感】を編纂編集して送り込まれた疑似情報だった。
一見すると全く異なる性質の快感も、目の前に並ぶ体感情報と共に供給されれば、その本質を全く違う物として認識するのが人間の脳なのだ。
例えば《アハ体験》と言う現象のように、過去に記憶した情報を思い出した事に対し、脳は多幸感等とは違う快感を得る事がある。なかなか思い出せない人名を思い出した瞬間に、名状し難い喜びを感じる。これが《アハ体験》である。
このような脳内で行われる反射的な情動を引き出して編集して、その感覚を脳に直接入力していくと……未経験の行為や体験も、全て擬似的に体感出来るのが……フルダイブVRゲームの18禁仕様なのだ。正に廃人向けである。
(……ダメだよぅ……こんなイケない事が気持ちイイとか……絶対にダメなんだから……はあああああぁ!!!!)
恵利の思考は過去に刷り込まれた強固な倫理観により、《殺人による快楽》を頑なに拒絶していた。それは決して踏み越えてはいけない深淵へと身を投げ出すに等しく、このまま続けば彼女の精神は崩れ去り、恵利と言う少女の人格は確実に崩壊しただろう。
……だが、彼女の精神が崩壊する寸前で、手を差し伸べて寄り添い、言葉を掛ける者が居た。
【……一人でオタついてんじゃねーぞ? ヒーヒー言うのは好きな奴の前だけにしとけっての……世話が焼けるぜッ!!】
ホーリィ・エルメンタリアが、ゲーム世界での分身の彼女が、現実と虚構の狭間で吹き消されそうになっていた恵利の精神に近寄り、
【めんどくせーなぁ~!! おりゃああっ!!】
パッチィ~ィンッ!! と快音を立てながら恵利の頬っぺたをフルスイングで平手打ちっ!!
(っきゃああああぁ~ッ!? 痛いって、痛いっての!! ……って、あれ?)
【……はああぁ……さっきから全然反応ねーから見に来たら……何で独りで盛ってんだよっ!! このマセ餓鬼がッ!!】
(さ、盛ってなんか無いわよ!! ……と言うか……普通なら……普通の子なら……頭おかしくなっちゃうよ……あんなん……)
お互いに見た目をふんわりと戯画化させた印象で捉えながら、しかし姉妹のように打ち解けながら話す恵利とホーリィ。頬を膨らませながら告白する恵利に対し、ホーリィはと言えば……
【あー、そーゆー事か……死刑執行人がビビって手元を狂わせるみてーな奴なんだろ? たぶん……】
ポリポリと鼻の頭を掻きながら、やや上を見て調子を合わせるように呟いた後、クルッと恵利の顔に向き直り、
【ま、心配要らねーよ! ぶっ殺すのはワタシの担当だからあんま気にすんなって!!】
(あ、あんま気にすんなって……気にするでしょ!?)
【はぁ? だから何を!?】
(そ、そりゃ……ひ、人を殺して……気持ち良くなるとか……そーゆー事とか……)
そんな恵利の告白だったが、暫くキョトンとした顔のホーリィが溜め息と共に、
【はあぁ……エリよぉ……おめぇ、バカだろ?】
(ばっ! バカとは何よバカとは!! 失礼でしょ!?)
【バカにバカって言って何が悪ぃんだよバーカ!! おめぇ、いちいちパン屋に泣きながら詫びて飯食ってんのか?】
(はぁ? な、何でいきなりパン屋さんなのよ!?)
意識低いやり取りをしながらも、ホーリィはやっぱり同じ口調を崩す事なく、
【あのなぁ……生きる為に飯食うだろ? パン食うだろ? そしたらパンの素になった小麦一粒一粒に悪いって、思うか?】
(お、思わないわよ、そりゃ……)
【じゃあよ、小麦を潰してパン焼いてるパン屋に詫びて食うのか?】
(そりゃ……思わないや、確かに……)
そう返す恵利に、したり顔のホーリィは満足げに頷きながら、
【ワタシがよ……敵を潰して魔力を得てもよ、エリにゃ何の罪もねぇんだからよ、気にしても仕方あんめぇ?】
(……気にしても、仕方ないわよ……)
【だろぉ? だったらそれでいーって事じゃねーか!】
(そう、なのかな……)
次第に納得はしていずとも理解は出来たようで、そんな返しを始める恵利の肩をパンパンと叩き、
【ま! エリよ……おめぇみてぇな小娘がそー簡単に判る訳ねーんだから、もしかしてとか抜きで、もっと気楽に後ろから見てりゃいーんだって! なぁ?】
そう言いくるめた後、恵利の手を取り、優しく握りながら、
【そんな訳だからよ! 気にしねぇで見物人やって、たまーに助言みてーな奴を宜しくなぁ! 頼りにしてんだぜ? 道案内ちゃん♪】
……そう告げて、肩を励ますようにペチンと叩いてから、恵利を残して手を振りながら離れていく。
(みつおしえ……って、熊に巣を取らせてハチミツをせしめる鳥の事じゃないのよ!! 違うからッ!!)
と、遅まきながら気付いて再度頬を膨らませていた……しかし、機嫌を直したようで、
(……でも、まぁ……そうだよね、うん……そっちこそ頼りにしてるわよ?……ビッチちゃん♪)
そう微笑みながら呟くと、気を取り直して現実世界の様子を見ようと意識を浮上させたのだが……
(うえええぇッ!? 何あれ!? あ、頭が離れてるぅ!! ……うっ、こっちは、お腹から切れちゃってるわよ!? お、おええええぇーッ!!)
……絶賛吐き戻しタイムになりました、とさ。
まぁ、こうなります。ホーリィさん的には「運転士はワタシ、車掌はおめーだよクヨクヨすんなよバカヤローっ!!」と言いたかったんです。そんな六千文字弱。