⑥お前もズルいな!
ホーリィさんがおじさんと……?
短く刈り上げた銀髪と、鋭い眼光。そして明らかに何かを所持しているのは明白なれど、それを伝えない所作と動き。
アルマと呼ばれる初老の男性と対峙したホーリィは、さっと検分を済ませながら姿を隠していたパムを呼び出す。
(……なぁ、あのオッサン、魔力が出てるけど変じゃねえか?)
【……アンタが言うの? でも確かにそうね……男性なんだけど、ハッキリと判る位に放出されてるわ】
肩に乗るパムも、そう言いながら暫く観察していたが、ホーリィと同じで結論は出なかった。
【魔剣か何かを装備してるのかもしれないけど……ゴメン、あんまり詳しく判らないや……】
モゾモゾと襟元で収まり所を探しながら、パムはホーリィの耳元で囁く。
【……でも、もしかしたら……あの人、自分でアレを切り取ってたりしたら……魔力を蓄える事が出来るようになれるかなぁ……】
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「……聞いてみっか? なあアルマさんよ!!」
「……何だ? 唐突に……先に言っておくが、陛下はお前を買っているが、私は決してそうではない。いずれ我が国に害悪を齎し逆賊と化すと確信している故、出来るだけ早く排除しておきたいのだが」
アルマの歯に衣着せぬ物言いに、傍らで縮まっていたブレッドは更に萎縮するが、ホーリィは全く動じず、
「なぁ、あんた男のクセに魔力溢れてねーか? どうなってんの?」
「……陛下の見立てに狂いは無いようだな。若く、そして世間知らずで無節操……か」
暫く沈黙した後、アルマは少しだけ姿勢を崩し、片足に体重を預け【臨戦態勢】を解き、
「……私は陛下に仕えるようになった後、自宮(自ら去勢に望む意)を願い出た」
まるで髪の毛でも剃るかの如く、重い言葉を軽く告げる。
「げっ!? あんたってば宦官かよ……」
無遠慮に彼の下半身をジロジロと眺めながら、ホーリィは初めて見る人種として彼を認識した。彼女のイメージの中に有る宦官は、線の細い女性的な体型や物腰だったが、目の前のアルマはそうした印象は皆無である。見るからに武人然とした巌のような雰囲気、そして端々から滲む圧倒的な威圧感を纏っていた。
「……但し、それが即座に【魔力を蓄えられる】体質になるかは……賭けでしかなかったが」
ぐっ、と握り締めた拳を見つめつつ、静かにアルマは回想する。
「……陛下に問われたのだ。【自らを滅して奉公する覚悟が有るならば】身を以て示してみよ……とな」
まだ若かりし頃のアルマが身を削り、女王グロリアスに仕える意思を示したのは半世紀前。それから現在まで、唯一人の男の側仕えを務めて来た。
「だからこそ……お前のような危険因子は排除しておきたいのだ」
握り締めた拳へ光が収束していき、赤い輝きを纏う。
そう……それこそが【魔導】を使用する者のみが持ち得る技。自らの肉体を強化し、常人を遥かに上回る能力を付与させる《身体強化》の術式。
「……だからこそ、検分させて貰うぞ? 悪業淫女と呼ばれし者よ……」
……びきっ、と大気が軋むような波動を生み出しながら、アルマが体勢を変える。左の手足を前に出し、右手を脇腹に引き付けながら、待ちの姿勢へと移り、ホーリィを迎え討とうと構えた。
「うっせぇぞ、オッサン……ワタシは別にグロリアスに寝返るつもりは無ぇし、あんたにヤラれるつもりも毛頭無ぇかんな?」
対するホーリィは控え目な胸元の下に腕組みをしたまま言い放ち、鼻先で笑う。
「へっ! ホーリィ・エルメンタリアって立派な名前より、渾名の方が有名ってのはな……」
……その挑発的な姿勢を崩さずに、ホーリィは自らの【待機状態】を解く。赤青緑白の四色の花弁に似た美しい波紋を散らしながら、黒髪を束ねていた紐を解き、舞うがままに任せつつ、
「……こーいう事なんだよッ!!」
円軌道でアルマの左側面に回り込み、右肘を振り上げて上半身を捻りながら跳躍。その体勢から肘打ちの構えで落下する……と見せ掛けて、
「成る程な……判った」
「ッ!?」
腕を交差させて防御するアルマの腕を掴み、あろうことか身体をそのまま肩から頭上へと跳ね、身を捩り後頭部に膝蹴りする為に彼の耳へと手を伸ばしたホーリィに、顔色一つ変える事も無く裏拳を叩き込む。
アルマの思わぬ反撃により叩き落とされながらも、僅かの間で巧みに腕を組み防御し、弾かれるように落下しながら受け身を取り、そして即座に跳躍しながら距離を保つ。
一瞬の間に起きた接戦だったが、傍らで見詰めていたブレッドには、俊敏に動いたホーリィが、突然動いたアルマに弾き飛ばされただけに見えていた。
……だが、応戦しホーリィを退かせた筈のアルマは、頬に一線の血の筋を流し、自らの身体へ傷を付けたホーリィを刺すような視線で貫く。
対するホーリィは、戦闘礼装のスリットから太股を露出させながら、大きく足を開いた低い姿勢でアルマの動きを注視していた。やがて止めていた息をゆっくりと吐き出して、うーん……と伸びを一つ。その後乱れたスカートをばさりと翻して整えてから、口を開く。
「……おっさん、他の連中みてぇにジュウは使わねぇのか?」
「……あれは非力な女が男と対等に渡り合えるよう、陛下が遣わす物だ。故に不要だ」
そう答えながら、再び拳を赤く染めさせたアルマが、一歩前に出る。
その緊張感を伴わない歩みにホーリィは眉を潜める。余りにも無防備で、警戒心の欠片も感じられない動作は、逆に彼女の警戒心を高める。
だが、静かに進むアルマからは、やはり殺気は感じられ無い。しかし明らかに敵意を持っている筈なのは確かなのだ。でなければ【身体強化】など使う事は無いだろう。
(だったら…… 敢えて殴るッ!!)
即決しながらホーリィは、限界まで脚力を引き出して前へと進む。視界は一瞬で細く狭まり、急激に周囲が光を失いそしてゆっくりと流れていく。
ホーリィは自らの速さがアルマの反応領域を凌駕している事を確信し、口角を上げてほくそ笑む。常人には反応すら出来ない速度だからこそ、己の勝利を疑う事は無かった。
拳を握り締め、引き絞りながら溜めを作って身構える。そのまま全体重を乗せて踏み込み【身体安定】で力を余す事無く伝達し切れば……アルマの身体を貫通する程の破壊力を発揮出来るだろう。
そのままゆっくりと前進し、打撃箇所を見定めながら軽く足を踏み締めて固定。更に僅かに身を低く沈めてから、足元から太股、そして腰を経由し背中から肩口を伝播しながら肘から手首へ……螺旋に似た力の集約を具現化させた【力いっぱいぶん殴る】モーションで、アルマの胸元を狙った。
ホーリィの拳が重く粘る大気を引き裂きながら突き進み、彫像のように動かないアルマを滅せんと全力全開で放たれた無慈悲の一撃は、しかし彼に到達する事は無かった。
「双方共に退がれ……その勝負、弧が預かろう」
凛とした低い声が響くと共に、ホーリィは有り得ない程の殺気を感じて全身から汗が吹き出し、アルマを殴る寸前で強引に身体を回転させて踏み留まる。そして振り向くと、そこには緋色のドレスを纏い、深い翠色の長い髪を揺らめかせながら近付く、妙齢の大柄な女性が居た。
「……んだよ、アンタは……」
姿勢を崩さずに身を振り向けながらホーリィは呟くが、その額にはうっすらと汗が滲み、自らが対峙している相手の風格に圧倒されていた。
(……クソッ、何なんだよ、コイツ……魔力の起伏と手足の動きが一致してやがるのに、この圧迫感かよ……バケモノだぜぇ)
ホーリィの心中を察したかのように、女はひらりと身を翻して微動だにしないままのアルマへと近付くと、眉を寄せて睨んでから、
「……アルマ、不手際であるな……」
「……陛下、畏れながら申し上げます、此の者は余りに……」
「不手際、と孤は言うたのじゃぞ?」
強い口調で言い放つ女に平伏したまま、最後の言葉を強調するとアルマはそのままの姿勢で動きを止める。
「……孤が動くまでも無い、と決めたのは善しとしよう。だが……此奴を殺めるのを孤が許すと思うたか?」
顎を反らしたまま、アルマに近付き躊躇う事無く、彼の背中に腰掛けながら、
「……次は無いぞ」
一言のみ、冷徹に告げる。
そうしたやり取りを見ながらホーリィは、相手がグロリアスの国主だと初めて知るのだった。
暫くホーリィさん回が続きます!! でも斬殺する機会が減ってますね。