⑪死
第一章・チュートリアル編、完です。
待ち構えていた騎士の一団から、遠目にも際立つ銀と朱の鎧を身に付けながら、腰の剣の柄に手を添えた隊長を意味する羽根飾り付きの兜を被った騎士が進み出ると、ホーリィに向かって言葉を発した。
「……帝国に女だてらで双剣を振り回し、淫らな技を繰り出す剣士が居ると聞いていたが……まさか、小娘だったとは……」
「……くだらない御託は聞きたかねーぜ? 腰にぶら提げてんのは【夜の訓練】用なんかい? ……宗主国ってのは衆道がお盛んだって聞いてるからなぁ?」
【一騎当千】を現すと陰で噂されている程の目立ち様ではあるが、ホーリィ達自由兵にしてみれば……是非とも戦いたい相手、親衛隊の《羽根付き》と見たホーリィは即座に挑発の言葉を発しようと口を開きかけたが、先手を取られて小娘扱いされ、形の良い眉を歪めながら差別的な言葉を織り混ぜてやり返す。
銀と朱の鎧の騎士にホーリィの言葉は聞こえていただろうが、不動のままであった。しかし彼の後ろに控える宗主国騎士の間からは、口々にホーリィへの罵倒の言葉がざわめきながら発せられていく……だが、
「……騒ぐなっ!!! ……ああした魔女の類いは、弱い者の心の隙間から魂を揺さぶり抜き取るのが定石と思い知れいっ!!」
羽根付きの騎士が一喝すると、配下の騎士は一様に声を静めて不動の姿勢を取る。その統率の良さにホーリィは心の中で舌打ちをしてしまう。
彼女にしてみれば、挑発に乗って容易く剣を抜く類いの連中かと期待していただけに、羽根付きの隊長がしっかりと手綱を握り、手抜かり無く包囲陣を張られたら……僅かな騎馬のみのホーリィ達の被害は甚大になる。
自分だけ生き残っても意味は無い。空中戦艦ローレライの庇護は、仲間を身を呈してでも守ろうとする者に与えられる。私欲に身を任せて逃げ出すような卑怯者は、グランマの揺りかごに乗る事など出来ないのだ。
思考を切り替えたホーリィは、手にした双剣を腰に戻しながら、右手を胸の前に、そして左手は腿の付け根に添えるようにしながら、姿勢を正して声を掛ける。
「……ワタシは帝国強襲部隊、空中戦艦ローレライ所属の自由兵隊長ホーリィ・エルメンタリア……言葉に非礼が有った事を詫びよう……」
「……【悪業淫女】のホーリィか……出来れば戦場で最も会いたくない類いの魔女だったか……当方は宗主国第十二方面親衛隊の隊長……カナマ・コーネリアスだ……」
「……っくひ!! ひゃひゃひゃひゃ~♪ あー、かったるいし、しゃら臭いし面倒だぜぇ!! 今からお前をぶっ殺すから続けて死にてぇ奴! そいつの後ろで列になって待ってろッ!!」
堪りかねて下品な笑い声と共に足を踏み締め、片足で自分を中心に円を描き、【身体強化】の重ね掛けの呪印を解く。円の中のホーリィの指先から光の粒子が舞い散り、足の下から【吸着】【瞬歩】の効果が可視化されて蒸気のように吹き上がる。
「……【身体強化】……だけじゃないだと!?……やはり、帝国の魔女は噂通りと言う訳か」
一瞬で魔導的付与を施したホーリィを目の当たりにし、添えていた長剣を抜き、盾を付けた左手も用いて両手持ちにしながら、カナマは集中する。
戦場に赴く前に、予め自らに施しておいた付与魔導を一気に開放。夫婦剣からの付与特性と合わせてその効果は正に……【悪業淫女】の名に相応しい程。居合わせた者はその眼に見えぬ変貌振りを肌で、そして気配と殺気で理解し……即座に戦闘態勢を取ったのだが……当のホーリィは直後に全身を脱力させたかのようにして、立っているのもやっとのように震えていた。一見して魔力切れを連想させるかのような挙動に思考が追い付かない騎士達だったが……
「……これだよッ!……これが……堪んないから止めらんないんだよ……疼いて疼いて……斬っても喰っても治まんないんさ……ッ!!」
……故有って吸精と催淫の魔剣【フシダラ】【フツツカ】を手にしたホーリィは、男を殺して女を乱す【悪業淫女】と呼ばれ……魔導付与特性増強と引き換えに、物理的及び魔導耐性極低の未発達ボディから抜け出せぬ事を余儀無くされてはいるが……
「……でもよォ……討って出る前に一回ヤッて頭ん中空ッポにしてぇ……魔導付与を空打ちしといて……溜まった魔力を全振りした瞬間ンンンゥッ!!!!」
……頭を抱えるように俯きそして、白眼を剥きながら長い黒髪を振り回して仰け反り、背中を弓成りにしながら足先を開いてペタンと座り込んでしまう。まるでトランス状態に成ったかと思わせる様子に、居並ぶ騎士達とカナマと名乗った隊長が一瞬固まる中、
「……ひ、ふひ♪…………背骨を伝ってよぅ……ゾクゾクすん位の快感がよ……あ、ダメだ! ……もう、我慢出来ねぇや……えへへぇ……!」
宙に差し出した手の指先は鈎爪のように曲がり、白眼を剥いたまま、口の端から涎の雫を垂らすホーリィ。見た目の清楚な美少女然とした趣とは正反対の痴態と言動に、誰もが思考を凍り付かせたその時、眼球をグリッと戻し、端にうっすらと泪を浮かべながら瞬きを排した眼がカナマと騎士達を捉え、
「……ただの摘まみ食いだけにしとくつもりだったけどよォ……お前ら全員、丸かじり……確定だなぁ……♪」
……捕食者の眼差しで居並ぶ宗主国兵を見詰めながら、立ち上がった。
焦点の合わぬ眼は泳ぎ続け、両手は徒手空拳のままにも関わらず、カナマと親衛隊騎士達は抜刀したまま動く事が出来なかった。得体の知れない魔獣か何かが迫る、そんな印象しか浮かばなかったからだった。
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……ゆっくりと、歩く死体のようによろけながら進むホーリィ。その姿は容易く倒せる相手にしか見えなかったが、カナマは後の先を選んだ。それは相手の武器が双剣だからである。只でも非力な女性の細腕に、力任せに叩き付けても決して鎧を貫く事が出来無い双剣持ちと来ている。どれだけ速かろうと、此方側が全ての攻撃を退けさえすれば必ず隙が生まれる。そこを叩けば良いだけの事。
だが、それを実行する為には鋼の精神力で耐え抜く必要が有った。何故ならば、目の前でふらつきながら歩くホーリィは試し切り用の藁人形程度の脅威にしか見えず、そんな相手に後の先を維持しながら待ち構えるのは……極めて難しい。
長い髪を額の髪留めで纏め、幾条かの後ろ髪を垂らしながら歩むホーリィ。身体の要所にだけ革当てを付け、それ以外はピッタリと身に張り付くような生地の黒い衣と短いブーツのみ。胸元以外は女性らしい優美な曲線と張りを湛えた肢体は、戦場のみならず、平穏な町中でも人々の眼耳を集める存在だろう。
そんな美少女然の容姿でありながら、腰に双剣を提げ徒手空拳のまま、ゆらゆらと頭を揺らしながら近付く姿はまるで夢遊病者のようで、足取りも不確かで覚束無い。だが……やはり中身はホーリィそのもので変わり無い様だ。
「……こーやって、激しく打ち合わないとさぁッ!!! ……なあっ!?」
その黒い肢体が滑るように地を駆け、目の前で僅かに身を沈めながらカナマの腰骨目掛けて掌底を叩き込み、軽く宙へと浮かび上げさせる。
抜刀するタイミングに注視していた彼は完全に虚を衝かれ、更に背丈も全く及ばないような小柄なホーリィに吹き飛ばされた事に衝撃を受けたが、
(……一瞬で相手の体幹の芯を見極めて、的確に当てるか……何が【悪業淫女】だ!! 武の達人級ではないかッ!?)
宙へと舞いながらも手足を広げて回転を抑え込み、更にホーリィから一瞬も眼を離さずに着地しつつ身を屈めて出方を窺うだけの余裕は有った。
……しかし、やはり相手は常識外れの厄災級な悪業持ちだった。
「……何、余裕ぶっこいてんだよッ!!! 死ぬ気でやりやがれオラァ!!」
「なあああぁぁ~ッ!!?」
……真っ直ぐだ、そう真っ直ぐ一直線……溜めも助走もへったくれもない。着地を狙って、全身全霊闘魂注入のホーリィのドロップキックがカナマ目掛けて放たれて、見事に顔面にヒット!!
無遠慮な肉弾攻撃を受けて、ゴロゴロと後転しながら吹き飛んだ彼を追い掛けて走り、カナマが起き上がろうとした瞬間にホーリィが繰り出したのは……容赦無い踵蹴りの嵐だった!!
「オラオラオラオラオラァッ!!! フニャッとしてんじゃねぇ!! ナメんな騎士さんよォ!!」
「ぐっ!? クソッ降りろっ!! ギャッ!? 痛ぅッ!!」
やや後方で見守っていた騎士達は、まるでふざけた戯れにしか見えない二人の戦いに、戸惑いを隠せなかったのだが……
……しかし、鎧を着込んだ人間は、仰向けのままで胸元を強く踏み締められると起き上がれないのである。人はすべからく腰を基点に身を曲げて上半身を起こし、起き上がる。鎧と言う殻を着けたまま身体を地面に固定されてしまうと、腰をテコの支点のように利用した起き上がり方が出来なくなるのだ。
そうしたえげつない方法で胸の上に載って身体の自由を奪ったまま、ブーツの踵で執拗に顔面を踏み付け頭を蹴り続けていくのである。後方で見ていた騎士達も状況が芳しくない事にやっと気付き、血相を変えて駆け付けようとしたのだが……
「……なっ!? ……あれっ?」
……彼等が眼にしたのは、優勢の筈だったホーリィが腹部から血を流
……ザ、ザザ、…………ビュウゥゥ……ゥン。
【強制離脱・実行されました】
……はぁっ!? ……はぁ、はぁ、はぁ、……うぐ。
……こうして、私はそこから無造作に引き剥がされて、現実へと放り出された。
で、次回は……やっと、本編に入る予定です。