⑤ プリズンブレイクすんだよ!
ホーリィさんがやっと出てくるようになりましたが、足りない物があるんです。
夕闇が迫る時。それは人成らざる者が訪れる刻。力無き者は身を寄せ合い闇を畏れ、潜む魑魅魍魎を遠避けようと火を焚いて闇を祓う。
たとえ武器を携え鎧に身を包もうと、心に蔓延る闇まで祓える訳では無い。ならば、どうすれば闇を退けられるのか?
……なれど逆に、闇を我が身に取り込めば、或いは……
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林の傍に鎧を着込んだ男達が集まり、各々の野営準備を整えながら重い装備を外し始めた頃、集団からかなり離れた場所に一台の馬車が停められていて、二人の兵士がアクビを噛み殺しながら交代を待ち侘びていた。
互いに互いを監視し合いながら、後ろの馬車への興味を逸らそうと言葉を並べるが、自分達とは違う衣擦れの音を聞き付ければ言葉は途切れ、木々の香りとは異なる芳香を感じ取る度に気も漫ろとなり、心は掻き乱される。
……そう、戦場に似つかわしくない異性の気配。それも若く瑞々しい肢体を備えた囚われの女性が発する、形容し難い程の濃厚な誘引因子が、二人の脳を揺さぶり続けているのだ。
若く女性経験にも乏しい二人にとって、背後の檻は開けてはならない禁断の匣のようなもの。覗く事すら厳しく禁じられている上に、厳命したのが女王陛下直轄の【女王の忠実な僕】のアルマである。彼に逆らう事は女王に逆らうに等しい。グロリアス国に属する者ならば、彼女の権力と影響力が何れ程なのか誰でも知っている。それを思えば警備に徹するのは当然なのだ、が……
「……はぁ……」
悩ましげな湿り気を帯びた溜め息が狭い檻から漏れ聞こえてくる。
「……なぁ、お前見てみろよ」
「バカ言うな……中に居るのが誰だかお前も知ってるだろ? あのバケモノじみた女じゃねぇか……」
二人の衛兵が互いにそう言い交わしながら、幕で囲われた檻を載せた馬車の前で見張り番をしていた。
中に居るのは夥しい味方の兵士を惨殺した凶悪な奴である。たとえ見た目が白い肌と黒髪の美しい女だとしても、自分達とはかけ離れた猛獣のような存在だからこそ、関わり合いは避けるに越した事は無いのだが……
「や……やっぱり我慢できねぇ……!!」
はらり、と檻を囲った天鵞絨が捲られて、眉根を寄せながら切なそうな白い顔を覗かせて訴え掛ける。
「……おい、あんたらッ!!」
形の良い額の両端から黒髪を垂らし、一目見れば決して見間違えないであろう美貌から、全く想像も出来ない類いの怒鳴り声に、二人の兵士は困惑する。それもそうだ、彼等はホーリィと言う者がどんな人間なのか、全く知らないのだから。
「しっこしてぇのに、尿瓶も何もねーんだけどよ!! このまま垂れ流しで構わないのかよッ!?」
……ああ、もう酷過ぎる……ぶち壊しである。見た目だけなら(……あー、何かに取り憑かれてたのかね……可哀想に……)と同情されるだけの器量なのに、口を開けばコレである。自ら放尿宣言する我らがホーリィに二人は驚愕する。
彼等は揃ってあたふたと周囲を見回すも、当たり前だがそんな物は野営地には無い。野営地から離れた場所の茂みか、精々が地に穴を掘り戸板で周りを囲う程度の設備しか無い場所に、お上品な尿瓶なぞ持ち込まれる筈もない。
それでも手桶でも有ればまだ何とかなりそうだが、そんな物が檻の隙間を通る訳も無い。つまり、慌てた片割れがつい我を忘れて檻に施された開閉錠(鍵は必要ないが内側からは開けられない覆い付き)に手を伸ばしてしまっても、仕方無いと言うものだろう。
「あっ!? バカかお前ソイツは……」
不用意に檻に触れた相方を止めようとしたのだが、時既に遅し……
「……はい、お疲れさ~ん!!」
檻の隙間から伸ばされた白い手が、しっかりと兵士の手首を掴む。ぐぎり、と鈍い音を響かせながら関節を外された男が苦悶の声を上げる直前、猛烈な勢いで手繰り寄せられた彼の腕が肩まで檻の中に引き込まれる。
「ぐうっ!? ばが、やめろぉ……ッ!?」
がし、と顔を格子にめり込ませつつ抵抗の声を出していた彼が唐突に目を見開き、やがて小刻みに痙攣しながら息を荒げていたのだが……不意に力を無くし、檻の載った馬車の荷台下へと崩れ落ちる。
残されたもう一人の兵が、手首と喉元に指痕を残した男がホーリィに絞殺されたと気付いた時、破壊不可能の神聖銀製格子がゆっくりと開き、
「ふわああああぁ……あー、もう夕方かぁ……腹減ったなぁ……!」
コキコキと首を回しながら解しつつ、何処かから取り出した紐で長い黒髪を束ねながら呟くホーリィが身を現し、よっ、と言いながら荷台を飛び降りる。
「さて……丁度夕飯時ならいーんだけどよ……身体動かした後に何もねぇ、とか考えただけでも気が滅入るんだがなぁ……」
そう言いながら、慌てて腰の剣に手を伸ばす兵士に向かって一歩近付き、
「……んで、モノは相談なんだがよ……」
ホーリィが切り出す次の言葉を、固唾を飲んで彼は待つ。手は剣の柄に触れてはいたが、抜けなかった。抜けば、必ずコイツに殺される。そう思うと瞬時に確信へと変わり、動けなくなったのだ。
「……食いモン、持って来てくんねーか?」
「……はあ?」
空気を読まぬホーリィの問い掛けに、間の抜けた返事を返した彼だったが、やがてそれを理解すると同時に駆け出していた。
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「……あー、まさかこうも簡単に出られるとはなぁ……はふぅ……」
馬車から少しだけ離れた茂みの陰で、しゃがみ込みながら小用を為すホーリィ。やがて軽く身震いして遺体から剥ぎ取った端切れで身を清めてから、よいしょと立ち上がって腰周りの乱れた裾を正しつつ、
「……さて、アイツが仲間を連れてやって来たら……飯抜きで殺し合いかぁ……」
やや気だるげに呟く彼女が茂みから離れて木陰で気配を窺っていると、先程の兵士が手に包みを持って駆けてくる。背後に連れ立つ者の姿が見つけなかった事に少しだけ安堵しつつ、檻の中に遺体を投げ込み天鵞絨を閉めてから、
「早いじゃねぇか? それに仲間を引き連れて来るとばかり思ってたのによ」
「……部隊一つを軽く捻る奴が相手なんですよ? そんなの嫌に決まってるでしょ……」
応じる彼の言葉に苦笑いしつつ、突き出された包みを受け取り中身を検分する。その中には野戦食らしき堅焼きのパンと鶏肉のハム、そして塩で煮込んだ野菜の入ったブリキの小振りな飯ごうが詰められていた。
「ふ~ん、普通じゃん。まぁ、こんな場所でバティの手料理よか良いモンが出るっちゃあ思ってねぇけどさ……」
がさごそと中身を取り出しながら、馬車の脇に腰を降ろして彼を手招きし、
「用心させてもらうぜ? お前が先に食え」
「えっ? ど、毒見しろって事ですか!?」
パンを突き出すホーリィに言い返す彼だったが、仕方無いと言わん様子で手に取ると小さく千切り、口の中に放り込みモグモグと食べ始める。
「そんなん当たり前だってーの……なぁ、お前……名前は何て言うんだ?」
「……俺ですか? ……ブレッドです」
「んだよっ!! パンがパン食ってんのかよ!? きゃははははははは!!」
「……言われ慣れてますからね……気にしてませんけど」
彼の動きに不審な物を感じなかったホーリィは、彼からパンを受け取り千切りながら同じように噛み締める。ありきたりな塩味の利いたシンプルな生地だったが、久々のまともな食事に胃の腑がふつふつと湧き立ち、簡素な味に不満は感じ無かった。
野営地から離れた場所であったものの、兵士達が灯す篝火にうっすらと照らされつつ、時折言葉を交わしながら糧食を分け合い、虜囚と警備兵と言う珍妙な組み合わせで二人は食事を続けた。
「……でもよ、お前も変わってんなぁ? 普通なら逃げるか仲間を呼ばねぇか?」
千切ったパンの間に鶏肉のハムと野菜を挟み、囓り付いて暫く噛み締めてから飲み込んだホーリィが、何気無く問い掛ける。
「……どっちみち、殺されるに決まってるなら、俺は少しでも長生き出来る方を選びますよ」
「ふ〜ん、そんなもんかね……じゃ、お前は一番最後に殺してやんよ!」
「……結局、どのみち殺す気なんですね……」
やや呆れて返すブレッドだったが、ホーリィは片手を振りながら答える。
「いやいや、一宿一飯って奴だからよ、そーそー約束は違えねぇぜ?」
「はいはい、それは有難いですね……あっ!!」
脱力した返答のブレッドが短く声を上げると、やおら立ち上がり背後に向かって直立する。
「……何故、その者が外に出ているのだ?」
硬い言葉を浴びせながら、他の兵士とは異なる装いに身を包んだ初老の男性が、二人に向かって近付いて来る。
「はっ!! あ、アルマ様……捕縛した捕虜が空腹を訴えたので、用心を兼ねて監視しながら喫食を共にしておりました!!」
「……何故、その者が外に出ている、と聞いているのだ」
夕闇を抜けて現れた男は、全く表情を変える事無く淡々と詰問する。
アルマと呼ばれた男は、全身に緊張感を漲らせながら、ホーリィに向かって正対し、油断無く不動の姿勢を崩さない。
しかし、ホーリィは彼が男にも関わらず備えている【濃厚な魔力】を感じ取り、疑問に思う。
(……何だ、このオッサン……魔剣持ちか何かか?)
未だに双剣が出てきません……フシダラとフツツカ(二回名前が変わってますが)は何処行った?