①鵺(ぬえ)。
そろそろ最終章です。
檻と言う物は、中に入れた者を外に出さない為に使われる。
だが、それは当然ながら中に入れた者が危険だから用いる訳であり、中に入れれば通常ならば安堵の念も有るだろう。
「……なぁ、あれって普通の捕虜用の檻……だよな?」
「当たり前だろ……んなもん見りゃ判るだろ……」
グロリアス国歩兵隊の二人が、馬車の上に置かれた、大人の親指程の太さの鉄棒、そして上下に取り付けられた分厚い金属板で囲われた【捕虜用の檻】を眺めながら、そんな言葉を交わしていた。
そもそも、捕虜を捕らえる予定は無かった。彼等は前線から離れた側面を守る役割を担う後衛部隊で、派手に戦い捕虜を取り、戦意を喪失させる為に惨たらしく殺すような狂人集団(そんな連中は一握りも居ないのだが)ではない。
しかし、不幸な事に彼等は出会ってしまったのだ。
……檻に入れても全く安心出来ない猛獣と。
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「……見ろよ、あの雲……魔導の光で真っ赤に染まってやがる……」
「……だな。きっと、あの下は……地獄だぜ……」
銀色の胸当てと胴鎧、そして兜を身に付け槍を手にした歩兵達が、腸に響く轟音を耳にしながら身を低くする。
魔導が行使される際に発生する禍々しい閃光と共に、幾度も幾度も灰色の雲が赤い光で照らされ赤く色付く。きっと複数の魔導士達が【複式詠唱】で紅蓮の炎獄を戦地に巻き起こしているのだろう。それをどちらの陣営が用いているのかは、判らないが。
「……あんまり眺めんなよ? 閃光系だと眼を焼かれるって話じゃねーか……」
「判ってるさ……あぁ~、しっかし退屈だなぁ……」
遥か彼方で繰り広げられている死闘と縁遠い場所だけに、流れ弾すらやって来ない状況である。もし、常軌を逸した騎馬隊が味方陣地を駆け抜けて来たとしても、余りにも距離が有り過ぎる為に到達する事は稀だろう。
そんな気の緩む時間が過ぎる中、前方を眺めていた一人が何かを見つけたようだ。
「……ん? おいおい……女だ……」
「はぁ? 馬鹿じゃねーの? ……あんまり日照り続きで朽ち木まで女に見えてやんの!!」
仲間の罵倒に眉をしかめつつ、無言で前方を注視していたのだが、異変に気付いたのは彼一人では無かった。
「えっ? ……ありゃあ、確かに女だ……髪の長い……っ?」
「……マジか? ……【戦闘礼装】……しかも真っ黒だと? 喪服かよ……」
次第にざわめきが兵達に広まる中、曇り空の下を歩む人影が居合わせた兵士達を騒がせ始める。
銀に輝く髪留めで前髪を纏め、青白い肌を黒い戦闘礼装の随所から垣間見せつつ、小柄な女が彼等に向かって真っ直ぐ近付いて来る。
しかし、武器らしい物も持たぬまま戦場を進むのは異常であり、敵ならば魔導士の類いだとしても単独で、しかも徒歩は有り得ない。逃亡兵だとしても、わざわざ敵陣地に向かって進む意図が思い付かず、兵士達に動揺が広がっていく。
「……騒ぐな。戦闘礼装など魔導士が着る物ではないし、味方ならば後で調べれば判る事だ」
そんな雰囲気を察したからか、兜に鋭い一本角を付けた前線指揮官が動揺を鎮めようと力強く言い放ちながら、周囲の兵に指示を出す。
「……油断せず、槍で四方から突けるよう構えておけ」
指揮官の周りから幾人かの兵士が進み出て、不審な女の左右そして背後に回り込み、槍の穂先で取り囲む。
兵士達の前までやって来た黒い戦闘礼装に身を包んだ女は、俯いたまま無言で、そして視線も定まらぬままフラフラと歩き続け、そして四方から包囲されたまま立ち止まった。
「……女、所属は何処だ?」
「…………」
指揮官の前に立つ兵士に槍を突き付けらたまま、黒髪の女は下を向き、無言で答えない。
「ならば、質問を変えよう。お前はグロリアーナ様に忠誠を誓う者か?」
「…………ぃい……」
指揮官が質問を変えて尋ねると、女は初めて声を出した。その声は掠れて聞き取り難く、そして弱々しかった。
「……答えられぬ時は敵兵として断ずるが、それでも良いかッ?」
「…………なぃ……判ら……なぃ……」
だが、質問に答えはしないが、何かを言っているように聞こえる。真意を探ろうと指揮官が口を開いた瞬間、不意に女は顔を上げた。
「……判らないッ!! 何もかも判らないんだよおッ!!!」
その顔は色白かったが、黒髪に相応しい流麗な眉と長く張りの有る睫毛に縁取られ、深く澄んだ美しい瞳を備えていた。だが、薄桃色の唇から吐き出された言葉は、まるで道理の判らぬ童が戸惑いを隠さぬまま吐き出す雑言だった。
「……そんなの……無理だよ……ワタシに判れ、なんて……」
要領を得ない答えに戸惑いざわめく兵士を挙手で鎮め、指揮官は冷徹に指示を出す。
「……無駄な時間だったな。突き殺せ!!」
声に応じて四方から長槍の穂先が突き出され、女の急所を前後左右から貫き通す。幾ら魔導で様々な付与効果の有る戦闘礼装と言えど、全身を貫かれては生きては居られまい。
……だが、それは相手が【普通の人間】ならば、の話である。
互いに目配せし合い、死角の三方そして至近距離からの鋭い突きで、穂先は女の柔らかな下腹部を貫き、勢い良く内臓を選り分けながら脊柱を擦りそして背中から飛び出す……筈だった。
ち、と戦闘礼装の生地に穂先の先端が触れた瞬間、それまで全く無抵抗だった女が突如動き出し、右手で穂先を掴み持ち上げながら前進したのである。
無論、其々の槍の持ち主は決して不慣れな者ではない。過去に幾度も鋭い穂先を用いて敵を貫き、苦悶の血泡を吹かせて来た者達である。だが、更に上を行く者も居る。
女が選んだ行動は、極めてシンプルで【槍の穂先を掴んで持ち上げた】だけだ。だが、それを加速が乗り切る直前まで引き付ける事に、果たしてどれだけの意味が有ったのか……いや、きっと意味は無かったのかもしれない。それを成し遂げた女は驚きの表情で目を見開いたまま、槍の穂先を掴み上げていたのだから。
こうして一方的な屠殺に終わる筈が、部隊の大半を失う事態になる事を、その時指揮官は予想だにしていなかった。
……く、クリスマスネタの為、本編更新が開くかも知れません!! ではまた!!