①戦の前支度
好評なら続けます。
粗い息が狭い個室内に木霊する。
ぜぇぜぇ、はぁはぁ……それがむさ苦しいオッサンだったら只の病気である。だが、その空間には一人のうら若き女性が居た。
背丈は低く、身体の線も細い。身に付けた黒一色の革製防具もやや浮き気味な程度の筋肉しか付いていず、誰の目にも【か弱き乙女】に見えるだろう。
……だが、彼女が黒い髪の毛を振り乱しつつ、一心不乱に勤しんでいるのは、まぁ所謂アレであり、残り時間と場所柄を弁えている者ならば選択肢に昇る事すら有り得ないだろうが……。
「ホーリィーッ!! いつまで【花弄り】してんだよッ!!」
「うっせぇ~っ!! もうちっとなんだから邪魔すんなしっ!!」
個室の扉の前に現れた胸当てのみの軽装な蛇人種の女性が、イメージとは正反対の名前を呼ぶと意外にも応えが返ってくる。結局個室から離れた彼女は、ホーリィと呼ばれた女性とは反対の豊満なバストをゆっさゆっさ揺らしながら、個室の前から離れて行ったのだが、
「……全く……戦の前にアレで体力使って、オマケに頭も空っぽなのに……」
その後くぐもった甲高い叫びが切れ切れに続き、やがて静かになる前に個室の並ぶその場所を出て、自室へと戻ってから、
「……それでもこの艦内じゃ、敵う者が居ないんだから……一本ネジの飛んだ奴の方が、【復讐の黒き女神】様のお気に入りになれるのかしらね……?」
長い付き合いのホーリィをそう評しながら、手にした書類の束の一番上の《ホーリィ・エルメンタリア》と記された欄の端に『やや人格に難は有るものの今の所は異常は見られず』とコメントを書いて、治療済みと印された棚へと差し込んだ。
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「……何でアンタ、出撃前にそんな汗だくなのよ……」
「はぁ? リラックスの一環よ一環!! お前も一発気ぃ抜いてきたほーがいいぞ? 目が血走ってんじゃん♪」
「一緒にすんなっ!!……信じらんないわ……ホント……」
ホーリィの隣に陣取った森人種の女性が、胡散臭げな眼差しを彼女に向けるが、本人は全く気にしている様子はなかった。
「……傾注ぅっ!! 新参者は良く聞いておけッ!! ……聞き飽きた奴は黙ってろ。あと十分で降下開始だ……落下の際は迎撃の標的に為らないよう、偽装標的を先行させるが……敵中降下になるので速やかに後方の陣地まで引き返せ! 勿論まごついた奴は、速攻で殺されると弁えておけよ? 判ったな?」
スキンヘッドの強面が声を荒げてざっくりとブリーフィングをするが、ホーリィを始め慣れた連中は欠伸をしたり、手にした得物を確認したりとだらけた様子で聞き流していたが、
「……今回はバマツの初陣だ。ホーリィ、面倒見ろよ?」
「うえええぇ~ッ!? やだッ!! 戦場童貞なんて面倒臭いだけだ!! ……あ、ワタシ今から生理だからゴメンなさい無理です!!」
「黙れッ!! てめえに生理休暇なんて存在しねぇんだよっ!! この戦闘中毒がっ!!」
強面の罵倒に周囲の連中はゲラゲラと嗤う中、当の本人はと言えば、
「……ちぇっ、バマツぅ! 面倒臭いから早めに死んだ方が楽だぜ? あと面倒掛けたら殺すからな?」
「えっ!? ……それはどっちでも死ぬンじゃないですかッ!?」
傍らのキチンと部分鎧を身に付けた青年に向かって、唇を尖らせながら宣言するホーリィ。彼女達の目の前に有る斜め前方に傾いた不可思議な扉がゆっくりと下がり、やがて外気に曝されながら各々は互いに身に付けた護符(落下の衝撃を緩和させる使い捨ての御守り)の確認をし、何人かの集団になって降下位置へと移動し始める。
「あの……ホーリィさん、宜しくお願いしますッ!!」
「うっせぇなぁ……てめぇの面倒は自分で見ろよ? ……まぁ、適当に付いてくれば死なねぇからさ……」
「ホーリィ、バマツ、三人だが……大丈夫か?」
二人の後ろから、屈強な肉体に分厚い鎧を嵩増しさせたような鬼人種のアジが問い掛けるが、
「……はぁ? 取り分増えっからいーんじゃねぇの? アジッ!! 終わったらいつもの【魔界の裏口】だぜ?」
「おーっし!! バマツ、生きて帰ったらおめぇの初陣祝いだ、バックレるなよ?」
「は、はい!!……生きて帰ったら、絶対に」「うぜぇっ!! それあんま言うんじゃねぇっ!! どー聞いても【死亡フラグ】じゃんかッ!!」
ギャハハ~♪ とゲラゲラ笑い合いながら、ホーリィは腰に交差して提げた夫婦剣をザシッ、と差し直し、アジは肩に載せていた分厚く角張った無骨な板状の剣をズシンと床に落とした。
《ホーリィ~、今日も宜しくネェ♪ ……あ、アンタ、まーた抜いてきたでしょ~サイテー!!》
「黙れ!! ワタシの場合は験担ぎなんだよ!! 文句は言わせねぇっての!!」
ホーリィは彼女にだけ聞こえる澄んだ声に応えながら、【剣の妖精】こと【貢献度】処理担当のパムの声が次第に小さくなるのを意識し、降下が目前に迫った事を知った。
「……目標地点上空に到着……降下に備えよ……【復讐の黒き女神】の祝福を……」
切れ切れになりそうな声が響き、完全に開いた扉の向こう側、つまり何もない空の只中へ、武装した面々が組になり、意を決しながら宙へと身を躍らせて行く。
「さっ、稼ごうじゃねーかッ!! アジッ!! バマツッ!! 《お楽しみ》の時間だぜぇっ!!」
ホーリィは悪そうな笑みを浮かべながら振り向いて、スキップしながら躊躇する事無く……大空へと身を投げ出していった。
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【稲村皮革道具店本館・謹製】
『悪業淫女《バッドカルマ・ビッチ》』
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「いいいいいいぃっやっほぉ~っいぃ!! ごっきげんだなぁ~っ♪……っ!?」
びゅうびゅうと荒ぶる風に身を舞わせつつ、ホーリィが絶叫する中……傍らをかなりの勢いで偽装標的の黒い塊が先行して急降下していく。
「うぇっ!? あぶねっ!! あんなんぶつかったら無事じゃ済まんて!!」
彼女が肝を冷やす中、偽装標的が小さくなっていきながらクルクルと回転し始めて、突然バッと小さな破片を撒き散らしながら分散してしまう。
だが、その破片は即座に人の形を模した偽装標的を形成し、真下から射ち上がる魔導の標的になり、爆散したり炎上しながら落ちて行く。
そうして次第に迎撃される数が少なくなる中、真下に見える景色が次第に拡大されていき、米粒然とした小さな物が散開している敵兵で、それが密集している場所がどうやら自分が落下する場所だと確信したホーリィは……
「……やりいいいぃ~ッ!! ウマウマじゃんッ!! 食い放題じゃ~んッ!! 全部ワタシのだぜぇ~ッ!!」
涎を垂らさんばかりに狂喜しながら夫婦剣【フシダラ】と【フツツカ】を抜き放ち、背中に貼り付けた護符を開放させる為に呪言を唱えた。
【死にたい奴は前に出ろっ! 死にたくない奴はぶっ殺すっ!!】(※発動の呪言は各自が決められる)
ホーリィが唱えた瞬間、その黒ずくめの格好とは全く似合わない、純白の羽根を備えた翼が現れ羽ばたき辺りに強烈な風圧を与えつつ、舞い上がる土煙から眼を守ろうとする敵兵のど真ん中へと着地した。
「……ああ、いい……最高だねぇ!! ……さぁ、おっぱじめっぞ?」
手にした【フシダラ】と【フツツカ】をぶら下げながら、小柄なホーリィは挑発的な態度を崩さぬまま、トントンと爪先で地面を拍子打ちながら周りを見回した。
周囲を包囲している敵兵の姿は統一された甲冑と、揃いの長剣で武装した正規兵のようで、久方振りの大規模戦闘に身を晒すホーリィにとってはうってつけの相手ではある。
やがて目の前に現れた敵兵が個別参戦の自由兵だと知り、ジリジリと包囲網を展開し始めたその時、やや上方から落下してきた隕石のような物体が、何人もの敵兵を巻き込みながら派手な土煙を巻き上げる。
「遅っそいっての!! チンタラしてっと食い逃すぜ? アジちゃんよぉ?」
「……真打ちってのは、後から来るのがセオリーだぜぇ?」
手にした太剣を振り回して薙ぎ払い、周囲の敵兵を無造作に吹き飛ばしつつ軽口を応酬し合う二人だが、その様子はまるでじゃれ合いながら遊ぶ子犬のように愉しげであった。
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《あ~もぅ!! バマツったら土壇場で怖じ気付くなんてマジ信じらんないよっ!!》
「判ってるよ……悪かったって!! ……でも、初めてなんだぜ!? 誰だってそうなっちまうだろうに……」
バマツは自分の担当の【剣の妖精】であるパルマに謝りつつ、比較的緩やかな速度で空を滑空しながら旋回し、目標になっている【パーティメンバー】の二人が降下した地点を目指していた。
自分達を運んで来た【浮遊戦艦】ローレライから降下したバマツだったが、慣れない落下感に恐怖を来して早く護符を使用してしまい、出遅れてしまっていた。
だが、それは現在の両軍の様子をゆっくりと確認する事になり、冷静さを取り戻す為には決して悪くはなかった。
半島の付け根に当たる敵軍の拠点【鋼鉄要塞】から、半島先端部に陣取った空挺堡に向かって続々と進軍する歩兵や騎馬兵の姿が垣間見え、その規模は不埒な敵を無慈悲に蹂躙する意志がハッキリと感じられる程であった。
「……あそこの真ん中に……ホーリィやアジさんは降りたのかよ……ああ、帰りたいよ……ホント……」
頼り無げな言葉とは裏腹に、バマツはそれでも自ら志願して《自由兵》になったのである。不安定で偶発性のみに頼った冒険者稼業に見切りを付けて、勇猛果敢さを糧に生きる路を選んだ事に後悔は無い。……無いのだが、
「……でも、ホントにやれるのかなぁ……」
次第に近付く眼下の両軍の激突を目の当たりにする度に、その気持ちはゆらゆらと揺らいでしまうのであった……。
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ホーリィの相手の兵士は、彼女から見ても手練れには見えなかったものの、その手には鋭く研ぎ澄まされた刃が光り、身に付けた防具には幾つもの傷が重なり決して油断出来るような余裕は無い。
だが、ホーリィ・エルメンタリアにとってそんな事は些末事に過ぎなく、手にした夫婦剣【フシダラ】と【フツツカ】の柄を握り直しながら思う事は只一つ……
「さぁっ!! 一緒に楽しくヤリ合って、気持ち良くなろうじゃないぃ!!」
脇から垂らした髪の毛を悩ましげに掻き上げ、更に欲情した眼を爛々と輝かせて発する言葉は……未発達で起伏とは無縁の、少年さながらの姿からは想像も出来ない程淫猥で露骨な比喩に満ち扇情的である。
いきり立ちながら、しかし過ぎる事無く振り下ろされた太刀筋が、ホーリィの脳天をかち割る軌道を準え通過する直前に、【フツツカ】が最小限度の動きで振られてその軌道を殺してしまう。
成りは少女、言葉は場末の娼婦然としながらも、その動きや場気の読み方は百戦錬磨の猛者もかくやの巧みさであり、斬り掛かった筈の相手の剣士の方が攻め手である筈なのに、直ぐに焦燥感を感じていた。
「あれぇ? もう終わりなの? ……じゃあ、退場だねぇ♪」
その瞬間、風が抜けた。
耳にそよぐ感触を自覚した瞬間、目にした光景が突然前へとグルリと回転し始めたその時、彼は自らの胸部から腹部を連続して見る事となり、やがてそれが自らが斬首された事実へ繋がった瞬間、彼の魂は虚空へと消えていった。
頭部を切断された兵士がゆっくりと前に倒れ、周囲の兵士に緊張が走る最中、右手に持った【フシダラ】の顎に良く似せて設えられた鍔から、長く赤い舌が伸びて流れ滴る血を舐め取っていく。
……チロチロと舌が真っ赤な血を舐め取る度に、刀身から脈打つような光を放ちつつ、活力の源である血液を摂取する事で魔力を補い変換し、同時に【フツツカ】へと魔力が橋渡しされていき、それは循環するかの如くホーリィを充たしていった。
その魔力は本来は【魔導士】並みの防御力しか持ち合わせていないホーリィが予め掛けておいた、身体強化や魔力変換へと注がれ補填されていき、近距離戦闘とは無縁な職業の筈のホーリィを《鋼鉄の肉体を持った魔剣士》へと変貌させていく……。
「……あひぃっ♪ ヤバいよぅ……あんだけ気を抜いといたのに……バッキバキにキマるとまたぁ……漲っちゃうよぅ……ッ!!」
自らの肩を抱きながら、内股気味で小刻みに下腹部を痙攣させるホーリィに、周囲の兵士が《……あれ?……もしかして、今じゃないのか?》と気付き始めたその瞬間……!!
「……お、遅くなりましたっ!!……って、どーしたんですかっ!?」
バササッと羽ばたきながら降り立ったバマツのせいで、周囲の兵士はまた視界を土煙で塞がれて絶好の機会を逃してしまった。
そんな感じで評価その他お待ちしてます。