第1話 序章 朝鮮戦争
2018年10月21日、北朝鮮の最高指導者である書記長が何者かに暗殺された。数ヶ月前にシンガポールでアメリカ大統領との歴史的会談で平和ムードが高まっていた時であった。
北朝鮮はすぐさま韓国の特殊部隊の仕業だとして痛烈に非難、中国もそれに乗った。何しろ韓国には北朝鮮の最高指導者暗殺専用部隊まであるからである。韓国は無実だとして断固反対した、平和ムードから一変戦争ムードになったのである。
10月16日戦争の危険があるとして日本海に弾道ミサイルの迎撃能力を有したアメリカ海軍のイージス艦3隻と海上自衛隊のイージス護衛艦4隻が展開、交代も合わせて常時6隻体制となった。アメリカ海軍は更に第7艦隊の空母『ジョージ•ワシントン』とインド洋に展開していた第3艦隊空母の『ロナルド•レーガン』の空母2隻を含む艦隊を黄海に展開した。
10月24日一向に謝罪しない事に痺れを切らした北朝鮮は軍事境界線である38度線を越え大韓民国に侵攻を開始した。いくら兵力50万人以上を有する韓国軍であっても100万人以上の兵力で攻めてきた北朝鮮軍を守るのは困難であった。更に首都の位置が悪くアメリカ軍はろくに反撃もできず撤退する事しか出来なかった。
そして3日後の10月27日に韓国の首都ソウルは陥落した、10月28日にニューヨークの国連本部で開かれた安全保障理事会でアメリカの提案による北朝鮮への軍事的懲罰が可決された、アメリカ、イギリス、フランスが賛成し、反対すると思われていた中国とロシアが棄権したのである、それにより国連軍の編成が決定した。
一方の日本は日本で大変であった。国会前では連日、自衛隊派遣賛成派と反対派が衝突し連日逮捕者が出ていたのである。
また国会も大荒れで自衛隊派遣賛成の自由民主党と希望の党、日本維新の会と反対派の立憲民主党と社民党、日本共産党で対立、自民党と連立を組んでいる公明党は中立であった。議席的に言うと議席の70%弱を占めている賛成派の方が有利なのだが反対派議員が議員特権がある事をいいことにあの手この手を使って妨害するのである。
しかし結果は変わらず自衛隊の朝鮮半島への派遣が賛成多数で可決され自衛隊は朝鮮半島へと行く事になった。
この闘争18年自衛隊派遣闘争による死者は27名であり負傷者は5000人に及び、逮捕者は8000人にも及んだ。
11月2日、韓国軍は1950年の時みたいに北朝鮮軍により釜山に囲まれていたのである。しかし空母や日本から出撃した戦闘機や爆撃機が北朝鮮軍を空爆、その中には自衛隊機も含まれていた。
その後約5万のアメリカ海兵隊を中心とした計30万人の国連軍が上陸、無人機などの上空支援を受けて包囲していた北朝鮮軍を次々と駆逐していった。
この上陸軍に自衛隊は入っていなかった、何故なら自衛隊の任務は制空権と制海権の確保であるからである。航空自衛隊の保有作戦機340機のうち100機で北朝鮮軍の戦闘機を駆逐し、軍事基地を無効化していった。北朝鮮軍の戦闘機は古く自衛隊の敵では無かったのだが何しろ数が多いのである、よってこの戦争でエースパイロットが何十人も出た。
11月2日に釜山などに上陸した国連軍は北朝鮮軍を次々と撃破し、11月19日にはソウルを奪還、その後北朝鮮軍は板門店付近で40万人もの兵力で防衛線を敷いた。対する国連軍は20万、アメリカ空軍のB52爆撃機で大量の爆弾を投下し、アメリカ陸軍のエイブラムス戦車やEU連合軍のルクレール戦車やレオパルド戦車、陸上自衛隊の第7師団の10式戦車などが歩兵の支援をし敵防衛線を突破した。
11月24日、アメリカ海軍の強襲揚陸艦からアメリカ海兵隊が、海上自衛隊の輸送艦から韓国陸軍海兵隊が、フランス海軍やスペイン海軍の揚陸艦からEU連合軍の海兵隊の計4万平壌市周辺の海州市に上陸した。兵力のほとんどを板門店付近にやり戦力が無くなった平壌を占領するのは容易い事だった。
11月26日、国連軍は北朝鮮の首都平壌を占領、しかし書記長は何処かに逃亡国連軍は勝利を収めたかに見えた、しかし北朝鮮はまだ諦めてなかったのである。
11月27日、平壌占領の次の日、開戦から巧妙に隠されてきた北朝鮮の車載型弾道ミサイル6基が韓国の首都ソウル、日本の首都東京、アメリカのハワイ州ホノルルに向けそれぞれ2発づつ発射されたのである。ソウルに向かっていた2発は1発を配備したばっかりのTHAAD(週末高高度迎撃システム)が迎撃に成功、しかし1発はソウルに落下、そこで1t火薬を爆発させ半径500mが壊滅した。
日本の首都東京に向かっていた弾道ミサイルは日本海に配備されていた日米のイージス艦により2発とも迎撃に成功、アメリカに向かっていた2発のうち1発の迎撃に成功、その後1発は太平洋で海上自衛隊のイージス護衛艦『あたご』に迎撃され東京とホノルルへの被害は無かった。
そして年が明けた2019年1月7日、北朝鮮の郊外の核施設で突如残されていた核弾頭2発が爆発。この爆発で生き残っていた書記長はその名の通り蒸発、半径5kmが高濃度の放射能汚染により立ち入り禁止となった。
その後北朝鮮各地で確保された北朝鮮の指導者達は裁判にかけられ人道上の罪や平和に対する罪などで176人中43人が死刑となった、いつもは死刑に対して敏感な北欧諸国もこの時ばかりは静かであった。
結局統治機構を失った北朝鮮は韓国に併合され国名は朝鮮共和国になり朝鮮戦争は終結した。日本は韓国との密約により竹島を返還され反日教育は行われなくなり、慰安婦像などの像は撤去された。
朝鮮戦争による軍人の死者は日本186名、アメリカ2452名、韓国152136名、オーストラリア67名、カナダ51名、イギリス29名、EU976名、ASEAN諸国39名、北朝鮮300000以上とも言われている、北朝鮮の明確な死者が分からない理由は戸籍がない為である。
民間人の死者は日本73名、アメリカ973名、韓国214389名、オーストラリア7名、カナダ13名、イギリス18名、EU432名、ASEAN諸国342名、北朝鮮10000名以上、その他3472名である。
この朝鮮戦争により日本は憲法改正の議論が過熱衆議院の予算委員会で憲法改正が賛成多数で可決され国民投票となった。4月7日国民投票が行われ賛成61%、反対31%、棄権8%で投票率は74%であった。
戦争に根強い不安がある高齢者などが少なくなり、代わりに中国などに不安がある若者達が賛成票を入れた事が憲法改正に繋がった。更に陸上自衛隊の傘下として新たに海兵遠征旅団が編成された。
国際連合は朝鮮戦争に多大な貢献をしたとして旧敵国条項の破棄を常任理事国の全会一致で可決した。
アメリカ合衆国は在日米軍の縮小を考えていた、そこでアメリカ合衆国の支援の元、海上自衛隊への通常型航空母艦2隻の導入、攻撃型原子力潜水艦6隻の導入、航空自衛隊へのF-35A 42機の追加導入とF-35Bの導入の2つを決定した。
更に日本はイギリスの戦闘機開発計画であるオペレーションテンペストの参加を正式に決定、F-2後鋭機と報道されたが実際はF-15J/DJの後鋭機である。F-2は機体の大型化や航続距離の延長、ステルス性能の向上などを盛り込んだF-2Jとして改修される事が決定された。
在日米軍の大幅な撤退に伴い北から車力、三沢、横田、横須賀、普天間、辺野古各基地の日本政府への返還が決定された。残りの厚木、岩国、佐世保、嘉手納には中国対策として縮小に決まった。
横須賀港を母校にしていた第7艦隊は新たに米軍の駐留が決まったフィリピンに移動された。
ちなみにこれらの返還された基地は縮小し、自衛隊が使用する事が決定されたしかし普天間基地は廃止され普天間公園となる事が決まった。
自衛隊との共用により混雑していた那覇基地/空港に配備されていた航空自衛隊第9航空団は辺野古基地に移動され、新たに第10航空団が設立され民間から買い取った下地島空港改め下地島基地に置かれた。
また返還された東京にある横田空軍基地は航空自衛隊ではなく陸上自衛隊の部隊が駐留する事になった、元々空軍基地である為広いのでヘリコプター部隊などが設置された、また陸上自衛隊の司令部も横田駐屯地に移された。