おっさん、アスファルトの海にダイブする
鹿守飛鳥は死ぬ直前だった。
事故にあったとか、病が末期であるとか、そういったことではない。単に、これから眼下の地面に向かって、ダイブしようとしているだけだ。
ビルの屋上。
侵入可能で、なおかつ屋上から飛び降りができる場所を探すのは、意外にたいへんだった。でも、なんとか見つけることができたし、こうしていよいよその時が訪れたわけだ。
なにが悪かったわけでもない。
悪かったといえば、すべてが最初から悪かったのだろうけれど、そのどれもが誰のせいでもない。自分のせいですらなかった。
両親はすでに他界している。
妻もいない。もちろん、彼女も。
三十を越えて、会社が潰れた。
貯金も使い果たした。
唯一の家族だった犬が死んだ。
もう、生きる理由はなさそうだった。
お金を稼ぐだけの目的も理由もなく、もうすでに、やりたいことも思いつかない。
(悪いといえば、オレの名前が悪かったのかもな……)字面だけを見れば、誰が見ても美男美女を想定しそうな名前なのだが、実物はけしてイケメンとは言えない。ブサイクでもないはずだが、異性に好まれる容姿ではないらしい。それは、これまでの人生で証明済みだし、今さら変えられるものでもない。
日本人然とした顔と体格に、眼鏡をかければこれ以上ないほどに、特徴らしい特徴がなくなる。言ってもないのにアニメが好きだと思われて(まあ、当たってるんだが)、名前をいじられバカにされる。
「アスカちゃん、なにやってんだよぉ」
職場の後輩にバカにされたことは、今でも心の傷となり残っていた。
だが、もう、気にする必要もなくなる。
(なんのために生まれてきたのかな、オレ……まあ、ジョンのためだよな。ジョンのためだけに、オレはこの世界に生まれてきたんだ。だから、ジョンが死んだ今、オレが生きている理由はなにひとつないってことだ)
最後の景色は都会の夜空と、人工の灯りの洪水だ。目に焼き付ける価値もない、薄汚れた人間の世界のすべて。
風を受けたスーツがはためく。
死ぬのは勝手だが、死んだあとで見知らぬ誰かに迷惑をかけてしまうことがわかっていたので、こうして正装をしてきた。
たいした意味はないだろうが、最後なのでちゃんとしようと思ったんだ。
アスファルトの地面は遠い。
だが、恐怖は感じない。もうすべて諦めたあとなので、感情のほうが一足先に死んでしまったらしい。
下を見る━━と、踏み出すまでもなかった。
背後から突風が吹き、まるで誰かに背中を押されたかのように、身体は中空へと投げ出された。
悲鳴も上げず、目も閉じない。
目をカッ開いて、迫る地面を凝視する。
走馬灯なんてものは、なにもなかった。
アスファルトが迫る。
(死んだら異世界転生しないかなぁ━━できれば美少女か、最強の勇者に生まれ変わって━━)
ふと、そんなことは考えた。
でもどうせ、異世界転生なんてものは、現実には存在しない。
異世界なんて、あるわけがない。
あったとしても、どうせ自分は行けないのだろう。ましてや美男美女に生まれ変わろうなどとは、笑止千万といったところか。
いもしない神も、ありもしない世界で笑っているのに違いない。
━━地面。
開いたままの目の先が、閃光となって弾けた。
あっ、ユナミールです!
えっと……略称は『みじんこ』だそうです?
なんのことだかわかりません!
次回「裸の美少女に優しく包まれるなんて」
チェックしてくださいね!




