準備万端
このところ、飛鳥の、朝の日課となっている散歩。
その目的は町中のいたるところに建設された石の塔を眺めることにある。しかも、ただ眺めるだけではなく、それぞれのコンディション確認も怠ってはいない。あるいは崩れたものがあれば、その場で少しでも直すことにしている。
暴風吹き荒れる大地にあって、まさかこのような趣味が成り立つとは、かつての飛鳥は考えもしなかったことだ。
強い風に晒されれば、すぐにでも崩れる石のタワー。だからこそ風の大地で作ることに価値があり、また、その完成した姿は美しく思えてしかたない。家の高さは無理だったけれど、それに近いところまで積み上がったものもある。
飛鳥はそれを奇跡の塔と呼んでいたが、いずれは崩れる日が来ることは、もちろんわかってやっている。
後の世に残るものではなくとも、今、ここに存在することに意義がある。
「いや……我にはどうしても意味も意義も見いだせない……ごめんね」
「わたしはいいと思うけどなぁ。なんだかこの石のおかげで、わたしは生きている気がする」
「いやいや……それ、気のせいだぞ?」レミリネアは強めに言ったが、ユナミールには届かない。
結局、ユナミールの命は今もまだ続いていた。
19歳。
この世界の少女としては、すでに長寿の人間になっている。ネムールがいなくなってから、自分もネムールと同じところへ行くのが明日かもしれない、明後日かもしれないと繰り返し。でも、何日経ってもその時はやって来なかった。ネムールが感じたように、嫌な予感もまったくなく。健康元気にこの歳まで過ごしてきた。
レミリネアと協力して蓄えた風の精霊の力も、すでに充分な量に達しているようだ。
あとはもう、その時、その瞬間に合わせて最後の調整をするだけでいいらしい。見た目にはわからないが、すでに準備は整っている。
あれから数年が経過した。
もちろん、ネムールがいなくなってから、それだけの月日を過ごしたという意味だ。飛鳥もユナミールも、そしてレミリネアすらネムールの事を考えなかった日は1日となく、毎朝の祈りも欠かさなかった。ユナミールとネムールが使っていた家の中に用意したネムールのお墓に。飛鳥が用意した大きめの石を積み上げただけのものだが、そこに彼女の形見を被せたり並べたりしていたのだ。
そんな毎日の中で、三人はさらに仲良くなっていた。毎日一緒なのだから当然と言えば当然の結果かもしれないが、まるで生まれながらの家族のような絆が生まれていた。
特にユナミールと飛鳥。この二人は互いに互いを意識して、通常の好意以上のものをどちらも自覚しながら、しかし言葉や態度に出せずにいた。
これが飛鳥の元々いた世界であれば、すでに恋人同士となり、結婚という可能性もあっただろう。そして子供ができたかもしれない。しかし、この世界ではそれが安易にはできない。たとえ子供を作ったとしても、飛鳥が死んでしまうこととなる(異世界人なので本当に死ぬかどうかはわからないが、リスクを承知で試すわけにもいかない)。それでは意味がなくなる。これまでの準備も努力も、ネムールの命さえ無駄になってしまうだろう。少なくともユナミールは、そう思っている。だからこそ、恋愛としての進展はなかったし、できなかった。
飛鳥には使命がある。
未だレミリネアしかしらないものであるが、この世界を救うための大事な役割が。
今のところ、作物を収穫したり、石で遊んだり、石の塔を何時間も楽しそうに眺めているだけの男なのだが……異世界よりやってきたという、ただそれだけのことで世界を救う鍵となった、らしい。どれもこれもレミリネアが言っていることなのだが……。
「我の姉妹たちも、だいたい準備は整ったようだし……こうなってくると、思っていたよりも余裕はあったのだよね。ちょっと焦りすぎていたかもしれん」命にかえても達成しなくちゃいけない使命だと教えられていたから、とレミリネアは語った。「あのどんくさいレイミットですら、もういつでも使命が果たせるよう準備を終えているんだからな」
とは言え、道具を作る必要のあったレミリネアが最も大変な役回りで、他の三人はとにかくそれぞれの地点に到達すればほぼ大丈夫という話だったが(厳密にはそんな簡単な話でもなかった)。
「しかし、もう一年はきっているからな。この時期までに準備を終えられたのは、やはり我と我ら姉妹だからこそだろう。そう思ったら誉めていいよ」
「うん、まさにそうだね、さすがレミリネアとレミリネアの姉妹たちだね、すごいよすごいよ!」飛鳥はわざとらしくわざと誉めた。
「すごーいすごーい、ごーいごーいすっごーい!」ユナミールはふざけながら誉めた。
「なんか誉められた気がしない……」レミリネアは不満そうだったが、それで納得した。「なんにせよ、あとは約束の時を待つばかりだ。我と飛鳥には最後の大仕事が残ってるけど、ユナミールはもう気楽にしとっていいよ。失敗しても誰のせいでもないけれど、多分我のせいにされると思う……まあ、失敗はしないけどね」
「大魔術だっけ? それってやっぱり、まだ教えてはもらえない?」折に触れ、過去にも何度か質問していたが、答えを得られたためしのない質問。
だったのだが━━期待はしていなかった質問に、しかしレミリネアはあっさりと答えた。
「え、それは別に教えるけど……教えてなかったか?」
「あれ? いや、何回かお尋ねしたことがあったと思うんですけどぉ……『そのうち』とか『それは約束の日が近づいたら詳しく話す』とか『ちょっと眠いからあとでね』とか言われて教えてもらってないですぅ」
「そうだったか? 大魔術のことは別に今言ってもいいよ」
「あ、そうですか……」
というわけで、説明がはじまった。
「パンツ座の星━━ブリークス、月、足の小指座のホネオレ星、夜空の双眸、隠者の陰星、スカーレット・サイン、闇の谷間の三ツ星、天馬の尾、これらの星々が直線上に並び、十字を形成したその時……中心にある我らの世界のエネルギーが最高潮に達するんだよ。その時にこそ、我ら四姉妹にしか成し得ない大魔術があるのだ。『世界の皮膜』を剥がす、一度きりの大魔術だ」
「世界の皮膜……って、なに? どういうこと?」
「我が母の言葉だ━━『世界とは、目で見えるものと、見えないものとでできている。本来、人の目には映らない、この世界の本当の姿を見ることができよう』」つまり、と一呼吸おいて「この世界の真実を暴く大魔術だ」と言った。
要するに、目に見えないはずのものを見えるようにする魔術……と言ったところか。
案の定というか、やはり説明を受けても完全に理解することはできなかった。
その時に、実際見るまではわからない。
「なにかが隠れているのはわかっているんだ。でも、それがなんなのか、どこに、どれだけ隠れているのか……我にも、我ら姉妹にも、母でさえはっきりと言えることはなにもなかった。それを、約束の時の大魔術によって白日のもとにさらす。正体さえ掴めれば、あとは飛鳥がいる」
「あ、そこで出番が……」自分の役割を忘れていた飛鳥。
「どのような結果になるかは、我にもわからない。でも、やるべきことと、その方法から、なんとなく推測はできる。
それと、『世界の皮膜を剥がす』大魔術の他にも━━まさに飛鳥に頼らざるを得ない、最後の仕上げにも━━別の『大魔術』を行うことになる。これが最後にして最大の肝だ。それで決着をつける」
飛鳥とユナミールには、完全に初耳な情報だった。レミリネアの行う大魔術が、まさかひとつではなかったなんて。
「そんな……二回も続けて、別の大魔術なんて大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない? そのために準備をしてきたのだし、いずれにせよ成功させなければすべて終わりだ。この世界は変わらず、今まで通りの━━」続く言葉はなかった。
この世界がおかしいということは、飛鳥も感じている。最初から、そう思っていた。それを変えられるならばと、今までやってきた。
飛鳥としても、絶対に成功させなければという気持ちに違いはない。
大部分はレミリネアの力に頼ることになるが、それでも自分が「鍵」であるのなら、その責任は果たそうと決めていた。どんな仕事を任せられたとしても、全力でやる覚悟はできている。
それこそ、たとえ命と引き換えになったとしても、だ。
ユナミールを、ユナミールの世界を救いたいと思った。
それこそが、自分の生きた意味であると。
そのために、この世界にやってきた。
ネムールはいなくなってしまったけれど、まだユナミールは消えていない。レミリネアもいる。この二人を助けることができるかもしれない。
その想いは、ただの人間であるはずの飛鳥にも、不思議な力を与えてくれる。
ないはずの魔力が、湧いてくる。
それは、かつて飛鳥が命を絶とうと飛び降りた、あの時にも存在した力だった。
人が脳のほとんどを使用できていないように、隠された能力は誰にも等しく存在する。それは、あるいは生きて死ぬまでの間、一度も気づくことなく、また、発現することもない力だ。しかしあの時、死を間近に見た飛鳥には、その境地でしか生まれない力が生まれていた。もう数秒先まで迫った死に反して、生きようとする本能と、実は生きていたかったという隠された想い、あらゆる感情や記憶がない交ぜになった一瞬に、すべてのエネルギーが解放された。
そして、まったく別の宇宙、別の世界で、時間も空間もバラバラな2つの地点がリンクした。こうして、飛鳥は「召喚」されたのだ。
その時に湧き起こったエネルギーが━━一度経験したことにより━━再び彼の中に生まれてきていた。
死を間際にした時のように急なものではなく、時間とともに増えてゆく、そんな温かなエネルギーを、確かに飛鳥は感じていた。
こうして、すべての準備は整った。
平和な時を過ごし。
ユナミールも生きたまま。
ついに、その時がやってくる━━
増築に増築を重ね、今や迷宮のような内部構造となったユナミールの館。
そこに家主の姿はなく、気配もしない。
役場の担当者が来訪した。返事もなく、人の気配もしなかったが、扉は開いていた。声をかけながら侵入した役場職員。すると、玄関の扉が開かなくなってしまう。
それまでにはなかったはずの、濃厚な、何者かの気配が充満していた……。
次回「約束の時」です!
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