最後の希望が消えた夜
気持ちのいい夜風を、その透き通るような白い素肌に受けながら、丘の上から町を見下ろす桃色の髪の少女がいた。
わずかな明かりの灯る小さな町であるが、少女にとってはなによりも大切な場所である<メルールのねぐら>の町。
ふと、夜風に乗って、泣き声が聞こえた気がした。
気のせいかもしれない━━それでも、少女はなだらかな丘を一気に駆けおりると、町中の人間が集まっているはずの、自宅へと急いだ。
かしましい人だかりを掻き分けて、家に向かう。
「ネムちゃん、どうだった⁉」玄関前にいた親友のネムールに尋ねた。
けれど「わかんないよ! 今、生まれたところ!」と、怒鳴られてしまう。
ネムールだけじゃない、他の少女たちもみんな、気が立っていた。
みんなの気持ちはわかるけれど━━でも、もう、焦ったってどうにもならないじゃない。そう思いながら、拳を握る。
「ユナミール? 入って……」中から聞こえてきたのは、現在の町長であるリティファさんの声だった。
ユナミールと呼ばれた少女は意を決すると、自宅の扉をゆっくりと開けた。
*
外皮側が水分を吸収する、アミの木の特性を利用して建てられた家の中は、湿度が低くて過ごしやすい。
外壁が湿っているのに反して、中の空気は比較的乾いている。
リティファさんが俯きがちな視線で、無言のまま頷いたのを見て、ユナミールはすべてを理解した様子だった。
姉━━とは言っても、血の繋がりがあるわけではない。あるはずもない。けど、物心ついた時から母親代わりでいてくれた、本当の家族。
エレーナのいる部屋の扉を開くとすぐに、ベッドの上で半身を起こした彼女と、その両腕に抱かれた、やわらかい布に包まれた赤ちゃんの姿が目に入った。
少しだけ視線を逸らせてから、もう一度ユナミールの顔を見たエレーナが口を開いた。
「ごめんね、ユナミール……ダメだった」
「そんな、じゃあ、この子は……」
「うん、女の子」
これでもう、未来は絶たれた。
そう思ったユナミールは、膝をつき、顔を両手で覆った。
*
ユナミールが読んだ本には、かつては百まであったとも、太古には千まであったとも書かれている人間の平均寿命は、現代に至り二十歳前後にまで減少していた。それが当たり前の世になって久しく、また、なぜか過去の寿命を伝える遺物が見当たらないことから、元々の人間が今よりもっと長い時間を生きていたということを今を生きる者たちのほとんどは知らなかった。
人間の寿命が現代のものになってから、もっとも長く生きたと記録が残っている者は、アスパ・ラカス高原の女性で、それでも二十四歳で亡くなっている。
もっとも若くして"寿命"で亡くなった者は、わずか十六歳であった。二十歳までも生きることが叶わなかったのだ。
短命な生物であるという事実は、もはや変えようがないし、仕方ない。
短命であるというだけならば、生命を繋ぐことはできたはずだった。
問題は、子供を作った瞬間に男性が命を落とすという部分にある。
とある魔女がかけたのだという呪いで、ひとりの男性が、その生涯で子供を作る機会が、たったの一度きりに限られたのが理由だった。
ただし━━その代わり、というわけなのだろうか、子作りに挑めば、失敗するということがなかった。女性は必ず、子供を授かる。これが、唯一の救いだった。
しかし、男女どちらの性別になるのかは、まさに神のみが知り得ること。人間には、選択権が与えられてはいない。
そんな中で、人間がもともと女性として形づくられるという説を証明するかのように、女の子の出生率が異常に高かったのが、なによりも問題だったのだ。
男の子が生まれない。
生まれても、子作りをすれば必ず、命を落としてしまう。
しかも、生まれてくる子供が、女の子だったら━━これでは、絶対に人口は増えないし、減りつづけることは目に見えている。
いつか必ず終わりの時がくることは、みんな、理解していた━━はずだった。
それでも、実際にその時がきてしまうと、やはり、絶望感が押し寄せる。
沈黙が満ちた室内に、町長のリティファが入室してきた。
「こればかりは仕方のないことです。いずれは今日の日が訪れることは、みんな、わかっていたはずよ」
もちろん、みんなわかっていた。
けれど、実際にそれが現実となってしまった今、誰もが絶望に支配されてしまっていた。
「この町はもう、終わりです。人間がいなくなるのを黙って待つか、あるいは━━」
近隣の町や、それよりも遠い場所へ行って、男性を見つけるしかない。
が、もっとも近い大都市であるカリスレギアですらも男性の数は限られているし、少なくとも女性の数を下回っているというのは、間違いない。
この町に誘える人間などは、いないだろう。貴重な男の子は、生まれた瞬間にパートナーを決められてしまうことがほとんどなのだ。
エレーナのパートナーだったリッケルも、三歳になる頃には、エレーナとの将来を約束していたらしい。
ユナミールが生まれた時には、もう、この町の男性はリッケルたったひとりであった。
生まれてからリッケル以外の男性を見たことのないユナミールにとって、その知識のほとんどは、母の書棚の古い本から得られていた。
リッケルは男の子だったけれど、力自慢のミミーネよりも細くて弱くて、顔も自分たちとさほど変わらない男性だった。だから、本の中の男性のような「男らしい」人間には、まだ出会ったことがない。
本━━そうだ、あの本に確か……。
ユナミールは、かつて生きた女たちが幾度となく試み、しかし一度として成功しなかった術の存在を思い出す。
誰も、一度として成功したことのない術式であるがゆえ、すでに忘れ去られたものがあったではないか。
もう他に方法はないんだから……やれることはすべてやりたい。そうしてから、諦めたい。
「わたし、部屋に戻るね」
「━━ユナミール」
「大丈夫、エレーナのせいなんかじゃないし、まだ、どうにかできるよ」
言って、重苦しい部屋をあとにした。
リティファも、なにも言わずに見送ってくれる。短い階段を駆け上がって、自室へ向かった。
*
<ビルド・オブ・マジック>という、はるか昔に書かれた古書に、その術は載っていた。
この町の始祖であるメルールの子供だった母・リナルールが受け継いだもののひとつ。他の書物と違って、これだけがメルールの書いたものではなく、著者が不明な謎の本。
内容のほとんどが基礎的な魔術の構成を、広く応用するための教本然としたものである中で、ひとつだけ例外的に、異質な術が書かれている。
それが<異世界召喚術>だった。
いわく、救いを求める時、こことは別の異世界より必要な人間を呼び寄せる、というための術らしい。けれど、成功したという事例がひとつもなくて、母ですら「嘘っぱちじゃんね」と言っていたのを思い出す。母も一度、試してみたようだが、もちろん誰も、何者も呼び出すことができなかったらしい。
ユナミールが生まれて、そのユナミールのために男の子を呼び出そうと、試してくれたという話を聞かされていた。
(お母さんができなかったのに、わたしなんかがやったって……)
自信はなかったけれど、今は自信の有無など関係ない。最後に残された希望が、目の前の異世界召喚術だと思えてならないユナミールは、本を持ったまま、自分のベッドに倒れ込んだ。
(明日、やってみよう……いろいろ準備しなくちゃ…………ネムちゃんと、ミミちゃんにも手伝ってもらって…………あとは……………………)
そのままいつの間にか、ユナミールの意識は夢の世界に沈んでいった。
はじめまして、ユナミールです!
町のみんなは諦めてしまったかもしれませんが、わたしはまだ諦めません!
次回「ミルク飲む者笑わすべからず」
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