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黄金の大国と真の自由

最後は私の視点で描いたアルメニア・エルグランド共和国の始まりと終わりです。



 五大陸の南と北のむ間に存在する南北大陸。


 そこは南部をアルメニア王国が統治し、北部をエルムグランド公国が治めていた。


 しかしアルメニア王国歴2050年---エルムグランド公国歴2200年に合同した。


 俗に「南北合同」と言われるもので、同君主制を用いたが実際はアルメニア王国にエルムグランド公国が吸収される形だった。


 もっとも同君主制であり、名前も共和国とあるように両国の力関係は同等だったとされている。


 そして共和国と生まれ変わってからは後世で「黄金の大国」と称されたように繁栄した。


 穀物輸出が共和国の財政確保の手段だったが、当時は南大陸が寒波に晒され、北大陸では紛争が起きていた。


 そのため共和国は穀物を両大陸に輸出し両大陸も金を惜しみなく出した事で財政が大きく黒字になったのである。


 また両大陸の間にあるから貿易の通路および中継地としても機能した事も大きく関係していると歴史家達は評した。


 だが、何より黄金の大国と言われた時代は政治も軍事も三大陸の間では秀でていた。


 「国王自由選挙」なる制度で選挙権を持つ下級貴族たるシュラフタ達の投票で選ばれた「選挙王」、シュラフタ達によって構成された元老院たる「セナト」、そして代議制の議会たる「セイム」の3者を有して政務を行うのは五大陸の国では初だった。


 それに加えて「ロコシュ」なる抵抗権、「リベルム・ヴェト」なる代議士に与えられた拒否権、「コンフェデラツィア」なる連盟を設ける権利と宗教の寛容など・・・・異例ながらも時代を先に走る制度が数多くあった。


 その証拠にアルメニア王国がエルムグランド公国を実際には併合した南北合同だが、法律的には平等されている通り差別は無かったとされている。


 事実・・・・合同した2つの国だが、互いに国庫や財政管理、自治権等は独立していたのが良い証拠である。


 上記の時代を先に行った制度などからしても彼の国が大国として凡そ300年も胡座を掻けた理由は十分であるが・・・・・・・・


 南北大陸において最大級の大戦をした人物---未だに傭兵の世界では崇拝されている偉大なる大契約者は次の言葉で黄金の大国を辛辣に評した。


 『憲法で自由を保障されているのもシュラフタ達だけで、小作人等は農奴と称され基本的な人権すら保障されていない』


 共和国とは全民草に投票権が与えられ、それを公平かつ平等に執り行って選ばれた者が国主になってこそ初めて共和国と名乗る資格が得られると大契約者は評した。


 しかし、未だに未熟な人間が考えた選択肢が一つでも増え、それを洗練させた点は評価できるとも大契約者は言ったらしい。


 確かにアルメニア・エルムグランド共和国の憲法で自由および平等だったのは貴族階級のシュラフタ達と、その上に居る大貴族のマグナート達だけだった。


 この点を大契約者は辛辣に評したが、これはあくまで共和国の政治に対してのみだ。


 更に辛辣な評価を大契約者は下したらしい。


 『セイムで拒否権であるリベルム・ヴェトが与えられるのは良い。多数派だけの意見のみではなく少数派の意見を酌むのだからな。しかし、その権利は無制限であり、自身の利益のみの為に拒否権を発動するのは極めて最低だ』


 何より大多数が賛成しているのに唯の一人が拒否権を発動させる事で全ての案件を廃棄するのは・・・・・・・・


 『甚だ共和国の名に相応しくない。そして自由を履き違えており、その所業と姿勢は“絶対王”の如き手法だ』


 また行き過ぎた自由と、一部の特権階級の人間のみが謳歌できる所を見て「仮初めの自由」とも評したらしい。


 大契約者の言葉は正しく共和国の歴史を調べる歴史家達の話では国王の案件をセイムは尽く拒否権を発動させ廃棄した。

  

 この事実を歴史家達は大契約者の言葉を借り「絶対王の拒否権」や「仮初めの自由人達」としている。

 

 そして・・・・その仮初めの自由は、ある時を境に「大洪水」の如く共和国を飲み込んだ。


 共和国歴2032年3月9日に大契約者と同じく傭兵界で名を馳せていた表裏比興の者が南部のマグナート達を扇動し、今までにない大規模なロコシュを起こさせたのである。


 南部のマグナート達は国王が自分達の権利を脅かしたと言い、軍を進軍させ瞬く間に国土の半分たる南部を自分達の完全な支配下に置いた。


 もっともマグナート達に権利を脅かされていたのはシュラフタやエルムグランド公国の人間達というのが歴史家達の意見だった。


 しかし、国土の半分近くを占領したマグナート達に対し、国王を軸とした共和国側は臨時でセイムを開くや直ちに対抗処置を決めた。


 それは大契約者を派遣し南部のマグナート達を討伐させる内容だったが、それを表裏比興の者は待っていたように受けて立ったとされている。


 この点を歴史家の多くは「雌雄を決する側面があったのでは?」と考えており、実際に2人の経歴を見る限り間違いではないと結論付けられている。


 ただ、それでは話が逸れてしまうので戻すと・・・・・・・・


 同時代を生きた2人の偉大なる傭兵隊長---シェフが戦った会戦は地名から「遺跡の大会戦」と称されているが、歴史家達はこの大会戦を持って共和国が崩壊する原因となった「大洪水時代」の到来と称している。


 というのも遺跡の大会戦から1年後に共和国を未曾有の大寒波が襲った事が挙げられる。


 穀物の輸出が財政源である共和国は大寒波に見舞われた事で穀物の不作に見舞われ、自国の蓄えすら困る有様だったと言われているからだ。


 続いて他の大陸との貿易ルート発見、新しい穀物の登場によって共和国は今までにない貿易競争を余儀なくされ、それによりマグナート達と小作人達に想像を絶する格差が生まれたのが第2波である。


 大洪水と称される時代が来る前も格差はあったが、それでも小作人達も多少の贅沢等は出来たし暮らしも悪くなかった。


 ところが上記の問題が来た途端にマグナート達は重税を課し、小作人達の贅沢を禁じたのである。


 それによって多少の財源は確保できたがマグナート達は自分の懐には大量の金を入れたが、国庫には決められた金額しか納めなかった。


 彼等から言わせれば「自分の金庫」と国が管理する国庫は別であり、決められた金額を納めれば良いという考えだったのである。


 確かに間違いではないが歴史家の多くはマグナート達の行動を「履き違えた自由」と称し、共和国が崩壊する遠因の一つとしている。


 そんな今までにない格差に見舞われた小作人やマグナート達の下に居るシュラフタ達は貧困を強いられた。


 もちろん国王も例外ではない。


 国王は自由選挙で選ばれた国家元首だが、権限は制限されているしマグナート達と敵対した歴代国王も要る通り「水と油」みたいな関係は大洪水時代を生きた最後の国王も変わらない。


 だが、それでも国王は祖国を憂い、大契約者と縁があった者達と協力し国政改革に乗り出した。


 対してマグナート達は阻止の構えを見せ暗闘が繰り広げられたが共和国歴2033年10月6日に「聖バルトーシュ憲法」は制定された。


 この新憲法により国王の権利---即ち王権は強化され小作人達の権利も大きく向上した。


 反対にマグナート達の権利は大きく制限される形になったので当然の如くマグナート達は反発した。


 しかし表立った抗議---即ちセイムでの拒否権等も制限されたので思うような成果は得られなかったばかりか、ロコシュを起こそうにも小作人達が密告する事で事前に阻止されてしまうのが関の山だった。


 これに業を煮やしたのがマグナート達なのは言うまでもないが、彼等の中でも特に意識が高い者達---マグナートの中でも強大な軍事力と財産を持つ「オルディナト」なる者達は・・・・・・・・


 ロコシュを遥かに超える過激な行動に打って出た。


 彼等は自分達を国を憂う士と称して連盟名を「憂国の士同盟」とし暗躍を始めた。


 もっとも彼等に協力したのは美味い夢を見てきた大商人やマグナート達で、小作人達や中小シュラフタ達は参加する者が居なかったと言われている。


 この点を歴史家の多くは「人民の信奉を得られない思想を掲げたのだから当然」と辛辣に評した。


 ただし、歴史の持つ皮肉な一面は憂国の士同盟に微笑みを浮かべた。


 つまり彼等の悲願を達成させたのである・・・・ほんの一時ではあるが・・・・・・・・

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 憂国の士同盟が暗躍し始めてから数年---4年が経過した共和国歴2037年10月20日。


 この日に南北大陸に然る一団が遥々と海を渡って来た。


 憂国の士同盟が密かに援助を頼み快く快諾した西に在るオッキデンス大陸の覇者たるムガリム帝国が派遣したコンキスタドール達である。


 彼等は南部のマグナート達の手引きで共和国に入るや宣戦布告もなくアルメニア・エルムグランド共和国の国土を紅蓮の炎で包み戦争を開始した。


 共和国歴2037年10月22日の出来事で俗に「西からの大侵略戦争」と称される宣戦布告無き戦争である。

 

 この侵略者たちに対し直ぐ共和国側は臨時でセイムを開いて討伐軍を派遣しようとしたが地方議会である「セイミク」等が拒否権を発動させた。


 既に聖バルトーショ憲法が制定されていたが代議士等は憂国の士同盟に買収され、軍部にすら魔手は伸びていたのである。


 もっとも王権は強化されていたので国王側にいたシュラフタ達の総動員した私兵団である「ポスポリテ・ルシェニェ」は派遣された。


 その数は凡そ6万前後とされているが、直ぐに彼等とは別に軍も派遣される事になり当初の作戦は大きく変更を余儀なくされた。


 理由はマグナート達の私兵とコンキスタドール達は南部だけでなく北部からも攻めて来たからである。


 それはエルムグランド公国の民草の中にも聖バルトーショ憲法を敵視し、自己の利益を選んだ者達が居たのである。


 もっとも彼等の場合はアルメニア王国からの分離独立を掲げており、そこをムガリム帝国に付け込まれたのであるが・・・・・・・・


 しかし、これにより共和国は南北両方から攻められたので二面戦を余儀なくされ、それにより兵力の分散を招いた事により各個撃破された。


 共和国側の軍を次々と打ち倒したマグナートおよびコンキスタドールの軍団はアルメニア王国の古都である「フルゴル」を10月30日には占領下に置いた。


 続いて共和国となって出来た新都の「ルークス・ステッラエ」は11月15日で陥落したが、その途中で彼等は目に入る全ての人から物を手当たり次第に破壊したとされている。


 ある民草は後に「この世の地獄そのもの」と称したから如何に凄惨だったのか垣間見える。


 そして共和国歴2037年11月30日には新々都とされている「アナラビ」も陥落した挙げ句に国王は捕らえられた。


 ただし国王は死ぬ覚悟はあったのか、コンキスタドール達を前にしても毅然としていたらしいが・・・・家族を人質にされた事もあってか・・・・屈辱的な行いを強制された。


 それは自身が心血を注いで部下と共に完成させた聖バルトーショ憲法を廃棄する書面にサインする事を余儀なくされたばかりかムガリム帝国の保護国になる書面にも・・・・サインさせられたのである。


 書面にサインする際はコンキスタドール達と共に来たマグナート達も居たらしいが、それを彼等は勝ち誇った眼で見ていたとされている。


 この出来事を「売国奴の荒祭り」と歴史家達は評し、その祭りの内容を「五大陸で随一の残虐非道」と称した。


 古都は新都と新々都も略奪され、建築物は尽く破壊されたし女子供は陵辱され性の奴隷にされた。


 男は奴隷とされ、老人はその場で遊びがてらに殺されたのだがコンキスタドール達は笑いながらやったと言われている。


 まさに祭りと言えるが、それは古都や新都、新々都だけではない。


 共和国全土で行われており、その中には憂国の士同盟に加盟した者達の領土も当然のように入っていた。


 もっとも彼等が騙されたと知るのは新々都に到着してからだが・・・・その過程で共和国は黄金の大国としての意地を見せた。

  

 大契約者と恋仲とされていた近衛騎士団の総騎士団長が野戦ヘトマン等に代わり5万の兵を率いて、15万のコンキスタドール達に挑んだのだ。


 捕まる前に国王が総騎士団長に密命したものだが数の差で優に3倍の敵に近衛騎士団は挑んだから自殺行為も甚だしい。


 ところが近衛騎士団の総騎士団長に率いられた5万の軍勢は何と敵本陣にまで切り込み一時は敗走させたから大したものである。


 そして敵軍を蹴散らすと何処かへ消えたと言われており、その勇壮な姿とロマンスを感じさせる幕引きは今も語り継がれている。


 その次は下級貴族であるシュラフタ達で構成されたパンツェールニ軽騎兵だ。


 中小シュラフタで構成された彼等は近衛騎士団のような華々しい戦いは出来なかったが、各地で戦い続け同年2月7日に来た降伏の使者を嘲笑い・・・・華麗に敵の前から消えた。


 こちらの所在も今を持って不明だが近衛騎士団同様に語り継がれているが、敵は彼等が消え去ったのも知らず半日も降伏勧告をしたというからお笑い種だ。


 もっとも・・・・この2件が共和国の見せた意地で、それ以降は実に惨めで悲惨だったとされている。


 ムガリム帝国の差し出してきた書面にサインした「飾り物」と自称した国王は新たな書面にサインを迫られたのだ。


 その書面は保護国とは名ばかりの「領土譲渡」の内容だったが国王は抵抗する気力すら無かったのか・・・・サインしたとされている。


 サインされた、その日の内に黄金の大国は地図上から消えた。


 時にアルメニア・エルムグランド共和国歴2037年2月18日の事である。


 領土譲渡とは名ばかりの書面にサインした国王は死ぬまで軟禁生活を余儀なくされたが、それを本人は甘んじて受け入れ・・・・共和国が滅亡してから30年後に没した。


 しかし、彼はマシな人生であり、同情の余地はあると歴史家達は評した。


 然る歴史家の言葉を借りるならこうだ。


 『あの国王は確かに飾り物だが、サインしたのは強制とはいえ書いたのは他ならぬ国王たる自分の名前だ』


 これを持って然る歴史家は「自我を持った国王」と評した。


 そんな同情と最後の仕事を評価された国王とは違い憂国の士同盟に対する評価は今もって辛辣である。


 先ず当世を生きた者達からは口を揃えて「欲に溺れた売国奴」と罵られている。


 しかし考えるまでもなく当然の評価であろう。


 憂国の士同盟の司令官にして王冠領ヘトマンも務めた公爵は自分の思想を部下にこう話している。


 『我が国に王位は空位であるのが望ましい。統治するのは私を始めとしたオルディナトやマグナート達で自治分有する”寡頭制”が良い。ただ、空位となっている王位を我々が輸番で務めるのも良いだろう』


 この新国家体制を歴史家達は口を揃えて「自惚れも甚だしく自己満足で直ぐ破綻する国家体制」と評した。


 もっとも・・・・この新国家体制は一時的であるが実現した。


 生憎と公爵自身は既に絞首刑の末に火刑と処されたので、この世には居らず代わってなったのはコンキスタドール達である。


 しかし、直ぐにコンキスタドール達の間で利権絡みの争いは起き、ムガリム帝国から来た官吏の人間も巻き込み醜い身内争いが勃発した。


 ただし・・・・ここで歴史は愚かな売国奴達に見せた微笑みを今度は共和国に遅いが見せた。


 アルメニア・エルグランド共和国歴---アルメニア・エルグランド大公国歴2年4月8日に然る一人の義勇兵が大規模な蜂起を起こしたのである。


 俗に「真の自由闘争」と言われる大蜂起で一時は古都フルゴル、新都ルークス・ステッラエ、新々都アナラビも解放し、コンキスタドール達を海に追い出した。


 もっともムガリム帝国は海に追い出された挙句に何かと本国の意向を無視し好き勝手にやるコンキスタドール達に代わって官吏を大量に送り込めたから御の字と言える。


 官吏と共に本国の正規軍は続々と投入され真の自由闘争軍は奮戦するも結局は数で負け・・・・5年後の大公国歴7年10月10日には壊滅した。


 これによりアルメニア・エルグランド共和国は完全にムガリム帝国の公国であるアルメニア・エルグランド大公国となり消滅した。


 歴史家の大半は「ムガリム帝国の五大陸統一戦略の第一歩」と称し、ムガリム帝国の史書からも「漸く国外進出が叶った」と書かれているから似たような評価と言えるだろう。


 最初の生贄となった共和国から言わせれば酷い話だが・・・・彼の国が自分達で導いた面もあると歴史家

達は言い、今も大公国となった彼の国に居る者達も口を揃えて言っている。


 『この国は、自分で自分の首を絞めたような最期を遂げた。それは歴史的に見れば必然と言う他ない。ただし、真の自由闘争軍が点けた灯火は・・・・今も我々と共に在る』


 その言葉が叶うのは・・・・・・・・


                                   黄金の大国と真の自由 完


これにて黄金の大国と真の自由は終わりです。


短話で、視点も別々のものですが、これを機会に短話で何か短編集とは別の物語も書けたら良いなと思う次第ですが御付き合いして下さった方々に先ずは感謝の言葉を・・・・・・・・


御愛読して下さり、ありがとうございます!!

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