第六話 後日談
チャイムが鳴った。あの子が来てくれたんだと小走りで玄関に向かう。玄関のドアを開けると、彼女が立っていた。
勢いよく開いたドアに一瞬びくっとして、それから私に笑顔を向ける。
「おはよう、愛ちゃん」
「おはよう、結」
昨日、泣き出してしまった結を家の中に入れて、落ち着かせてから、話をした。
夢の中の話、「あの日」の話、私が学校に行かなかった間の話…
結は時々涙を流しながら、真剣に聞いてくれた。そして、私がいなかった間の学校の話をして、結がここに来た経緯を話してくれた。
私を「愛ちゃん」と読んだこと、プリントを渡しに来ただけなのに、次の日もその次の日も…計三日間私の家に通ってくれたことについて、自分でもなんでか分からないんだけど、と不思議そうに恥ずかしそうに言った。
「ありがとう、結」
私はその時、初めて彼女の名前を呼んだ。
「私、ずっと同じ夢を見ていた。
結のおかげだよ。結が呼びかけてくれたから。私は逃げずに、この世界に戻ってくることができた」
結は恥ずかしそうに俯いて、そんなことないよ、と呟いた。
それから、二人で明がいる病院に行った。今度は逃げずに真実を確かめるためだ。
「あの日」、旅行から帰ってきた日のこと、私は帰り道に明の容態が悪化したと母から電話をもらい、病院に駆けつけた。
病室には、母とお医者さんがいて、ベッドに横たわって目を閉じていた明の顔は青白く表情がなかった。
存在感が希薄だった
明の手に触れると、陶器のように冷たかった。
明に触れたとき、このまま明がどこかに行ってしまうのではないか、もう明は助からないのではないか。そんな考えが頭をよぎり、気が付けば病室から逃げるように去っていた。
あんなに可愛くて大事な弟を失うなんて、考えられなかった。
家に着いた後の記憶はなく、どうやら家に着いた途端、気を失うように眠ってしまったらしい。
それから一週間目覚めたり起きたりを繰り返し、私の意識はそこが夢なのか現実なのか分からなくなっていた。
明を失うかもしれないという現実から目を背けるために、夢の中に逃避していたのだろう。起き上がりたくなくて、もちろん外にもでられず、目覚めてもすぐ眠りに落ちた。
そんな私を目覚めさせてくれたのが結の声だ。
明が呼ぶのと同じ呼び方で私を呼んでくれたおかげで、現実に戻ってくることができた。
しかし私はまだ向き合わなくてはならない。
明がどうなったのか、母が今どこにいるのか。私は知らないままだ。
また逃げてしまわないか、不安もあり、結に病院の入り口まで着いてきてもらった。入り口で待ってもらい、明の病室に向かった。
明は病室で、ベットから起き上がって母と話していた。赤みが戻った顔で「あいちゃん」と呼んだ。
母はパジャマを着ていた。母も入院していたらしい。その後、母から話を聞いた。「あの日」から、しばらくして、明の体調はよくなった。母は一日中明の傍について看病していて、その後心労で倒れてしまい、入院していたらしい。
「ほんとうによかった」
泣きじゃくりながら私が言うと、母に軽く頭を小突かれた。
「こっちの台詞よ。あんたまで家で倒れてるなんて」
母は涙目で私を叱った。
「でも本当に二人とも無事でよかった」
涙を一粒こぼして言い、私と明を抱き締めた。
明は私を見て微笑んだ。
まだ何日か入院しなければいけない二人を残して、
私は病院を後にした。
入り口にいた結に向かって手を振ると、結は心配そうに俯いた顔を上げた。
結に事の顛末を話した後、もう一度、ありがとうを言うと、
結はまた泣いて「本当によかった」と呟いた。
そして、言った。
「明日も来ていい?」
なんかちょっと心配というか、や、一緒に行きたいだけというか…
色々言っている結の言葉を遮って、微笑んだ。
「もちろん」
そして、今日、結と一緒に登校することになった。久しぶりの学校は緊張するけど、きっと結がいたら、大丈夫。温かな春の日差しを感じながら、歩き出した。