第十四話 芹果の世界②
幸田さん
幸田芹果
嫌だ嫌だ…この声は嫌だ。
私はこの声から逃げたかったんだ。ずっと耳をふさいでしまいたかった。
それでもなんとか自分であろうと、親や先生達の期待に応える優等生であろうとした。
教室で私は孤独だけれど、誰にも気付かれずに生活するのは慣れているから平気だ。話せる人がいなくてもいいから、悪目立ちしたくない。
誰にも迷惑をかけずに教室の端っこで息を潜めていられるならそれでいい。
陰口を言われているのは分かっていた。
それでも、黙って聞いている分には耐えられた。大事にならなければ良い。
誰も傷つけなくて済むのなら、私だけが耐えれば良いなら耐えられる。
でもあの顔を見てしまったから。
友達だと思っていた人が、傷つく顔を見てしまった。
私何もしてないでしょう。
あなたのこと好きだから、
あなたには傷つかないでいて欲しかった。
あの時、あなたはこっちを見て私の悪口を言いながらとても辛そうに笑ったんだ。
私はいるだけでダメだったのかもしれない。
あなたは本当は優しいから、そんな事言いたくないのもそんな事思ってないのも、ちゃんと分かってるよ。
そんな顔をさせたくなかった。
いつの間にか、あなたと私は話さなくなってしまったよね。
居場所が変わったからかな。
私を傷つけたその行為は、あなたがその居場所でいるために必要なことだったんだ。
私が私の居場所にいるために、勉強するしかないように。
あなたを傷付けるくらいなら、私はいない方が良い。
だから、この状態はとても心地良い。
私からも誰も見えなくて、あなたの辛そうな笑顔も見えなくて。
他の人からも私の姿が見えなければいいな。誰にも不快な思いをさせなければ良い。
ずっとここにいたい。傷つけないし、傷付かない。このままぬるま湯の中に沈んでいたい。
芹果…ごめんなさい…
ぐずっ、ひくっ
嗚咽する音が聞こえた。
泣いてるの?
祐希ちゃん
ごめんね、祐希ちゃん。
祐希ちゃんは、あの頃も泣いていたよね。
祐希ちゃん、小学校の頃、よく泣いてたよね。
よく転んで、その度に泣いて。テストで悪い点数を取ってしまって泣いて。美術で思い描いた色を塗れなくて泣いて。
1年生の時、逆上がりの練習に付き合ってたら、
足を振り上げた弾みで、鉄棒を掴んでいた手を放してしまって、鉄棒から落ちて、泣いて…大変だったっけ。
祐希ちゃんを抱きしめて、頭を撫でて…色々試みたけど、全然泣き止んでくれないんだもん。
膝に滲んだ血は痛そうで…
私まで泣きたくなっちゃった。
あの時、私がおぶって祐希ちゃんの家まで連れて帰ったよね。その帰り道、祐希ちゃんはずっと泣いてて、「芹果ちゃんごめんね」ってずっと言ってくれてたの。
祐希ちゃんの家に着いたら、お母さんびっくりしてたね。
祐希ちゃんのお母さん、今日はごめんね、いつも一緒にいてくれてありがとうって、後でチョコレートくれたんだよ。
帰り道に口に入れて、暗くなりかけた道を一人で歩いたんだ。甘かったなぁ。
祐希ちゃん、今あなたの頭を撫でてくれる人はいる?
私、まだいても良いのかな。
ぐずっ…芹果ぁ…
私、祐希ちゃんの顔が見たいな。
頭を撫でてあげる。
だから、泣き止んでよ。
ねぇ。
見えないあなたに向けて、手を伸ばす。
視界が真っ白になって、やがて、ひらけてくる。
そこには、真っ赤なぐしゃぐしゃの泣き顔の祐希ちゃんがいた。