第九話 美実の世界
ゴミ出しをしに外を出ると朝日が眩しくてつい目を細めた。青いビニールシートを持ち上げて燃えるゴミを置く。あかぎれがひどくなった掌を握ったり開いたりしながら、そろそろ弟を起こさんと、と独りごちる。朝日を背に暗い建物の中に入っていく。そうして、章も私の日常が始まる。
家に戻って、まず弟を起こした。中学生になった弟と妹は最近自分で起きてくれるようになったが、小学校二年生の弟はまだ一人で起きてくれない。弟を起こしに行っている間に、妹が卵焼きとベーコンを焼いてくれて、弟が残り物のおかずを電子レンジであっためてくれる。昨日お母さんがお店から戻って来たときに夕飯を作ってくれた、その余りだ。それを半分はお弁当、半分は朝食のおかずにする。のそのそと起きてくる弟を急かしながら、朝食の席に座らせる。慌ただしく一緒に朝食を食べて、兄弟の世話を焼きながら準備をして、皆一緒に家を出る。中学生の弟と妹に弟を任せて、自転車で高校へ向かう両親は近所でケーキ屋さんを営んでいて、朝早く出て夜遅く帰る。夕飯の準備などでたまに帰ってきてくれる。長女なので家事や兄弟達の世話を任され、朝はいつもぎりぎりになるし負担は小さくはないけど、兄弟は可愛いし、やりがいがあって楽しい。学校が終わるとおばあちゃんの和菓子屋に直行する。おばあちゃんは先月、転んだ時に足を骨折してしまい、入院中だ。けがをきっかけに店を閉めようとしていたが、店を閉めてほしくなかった。幼い頃から兄弟皆で店に遊びに行ったりお手伝いをしていた。それにおばあちゃんの店は近所のお年寄りたちの交流の場にもなっている。近所の人ともお話しできるし、思い出もたくさん詰まっている、大好きな場所なのだ。
閉めてほしくなくて、おばあちゃんを説得して、退院するまでの一か月間、店番をしてもいいことになった。お菓子の販売はできないが、おばあちゃんの不在を知らないお客さんが来た時にお話をする。その店番が日課になっていた。
おばあちゃんの家は店舗兼住居で、玄関の前のお店の部分に置いてある丸椅子に座って、今日もお客さんを待つ。昨日は長谷川のおばあちゃんが来てくれた。隣の三谷さんは毎日お話しに来てくれるけど、今日は何時ごろ来るかな。あ、妹が来た。部活今日は早く終わったのか。お店の中から妹に手を振る。
その時急に耳鳴りがした。キーンとした音が一二秒続き、だんだん治まると、今度は頭の中に声が響いてくる気がした。何と言っているのかは聞こえない。なんだろう、寝不足かな。
「お姉ちゃん、どうしたの、大丈夫」なんでもない、と笑う。椅子から立ち上がって背伸びをする。
「そういえば、」
「あのお姉ちゃん、最近来ないね」
あのお姉ちゃん?誰の事だろう。若い女の人の常連客なんかいたっけ。妹に聞き返そうとして、また耳鳴りがした。治まった後、こくとう、と聞こえた気がした。
こくとう?
妹が言ったのか、さっき聞こえた頭の中で聞こえた声か、空耳か分からない。ふと、店にあった黒砂糖を固めた棒状のお菓子が入った瓶が目についた。あ、と思って瓶の蓋を開ける。そういえば、このお菓子をずっと買いに来てくれた人がいた気がする。でも思い出せない。姿がちっとも浮かんでこない。そのお菓子を口に入れた。
味がしない。
見るからに甘そうなそのお菓子は全く味がしなかった。
女の人の声が聞こえた気がした。
「お願い、私を、私を止めて」
同時に男の子の声もした。
「もう、これで終わりにするんだ」
そうだ、うちは、二人を守るために 今まで。
この回だけ読んでもわかりにくい部分があるので、ぜひ『孤独な姫とちびっこ騎士』、『こくとう』参照してください。